境界寄生体   作:P-PEN

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第二章 結界の向こう側

 

 

 

 厄除の灯が消えたあとも、協約酒場はしばらく静まり返っていた。

 

 厄除はただの護符ではない。レレイの祓魔師たちが死を免れるために携える、貴重な祭具である。その灯が消えるということは、持ち主の身に致命的な危険が迫ったことを意味する。少なくとも、通常ならばそう考えるべきだった。

 

 しかし、彼らはまだ鉱山へ出発すらしていない。手元の資料を受け取っただけで、厄除の灯が失われたのだ。

 

 「……何か毒のようなものでも満ちていたんじゃないか?」

 

 ガヴが、先ほどまでの酔いを忘れたように呟いた。

 

 「これは……呪い?かしらね」

 

 ススルーシィは厄除を手に取り灯の消えた箇所を眺めた。彼女はレレイの外から来た界非であり、人間の祓魔師たちが用いる祭具に関して、深くを知っているわけではない。それでも、ただの故障と片づけるには不自然だった。

 

 厄除の仕組みがどうであれ、死を免れるための加護が現場に向かう前から失われる。しかも、現地の小隊も同じ異常に遭遇したという。偶然で済ませるには、危険過ぎる状況だった。

 

 「私には基本的に、そういうのは効かないけれど」

 

 ススルーシィは何でもないことのように言い、厄除を置いた。ススルーシィの様な強力な界非は人間の為のものである厄除を使用できないので、自分自身のみに限って言うならば余り状況的には変化がない。

 

 「触れるだけで死に至る呪いなんて、レレイでは初めて見るかもしれないわね」

 

 言葉とは裏腹にその目は消えた灯から離れなかった。自分には通じない――そう言い切れるだけの自信はある。だが、未知の呪いに対して無警戒でいられるほど、彼女は愚かではない。

 

 「おいおい、これは酔いも冷めるね」

 

 ガヴはそう言いながら、持参していた酒を飲み直した。

 

 「……呑気」

 

 アルクシアが呆れたように呟く。

 

 「呑気だとぉ?これでも死活問題だぜ。なんせ左腕が痛くて痛くてしょうがねぇからねぇ」

 

 ガヴは冗談めかして返したが、痛みが消えたわけではない。現地の小隊が戦闘前に厄除を失ったという事実は、彼らがこれから向かう場所の危険性を、説明以上に雄弁に物語っていた。

 

 ルクレス・エピルフォンは、代わりの厄除を確保するため、出発の準備を急がせた。現地の仲間たちには、もはや十分な備えがない。結界の内側で界非を押し留めている彼らを、これ以上危険にさらすわけにはいかなかった。

 

 「ひとまず、現場に案内する」

 

 ルクレスが酒場の入口へ向かう。その足音は、不自然だった。

 

 男は確かに目の前を歩いている。だが、靴底が石を叩く音は、聞く者の背後から響いてくる。振り返っても、そこには誰もいない。再び前を向けば、ルクレスは変わらぬ歩調で進んでいる。

 

 酔いが回ったのかと、ガヴは一瞬だけ自分を疑った。だが、酒のせいにするには、音の位置があまりにも明瞭だった。アルクシアもまた、その奇妙な現象に気づいていたらしい。彼女は男の背中を見つめ、何かを考えるように黙り込んだが、ススルーシィとクゥは、気にしていないようだった。

 

 「さっさと行きましょうよ」

 

 彼女はそう言って、さっさと歩き出す。それが本心なのか虚勢なのか。少なくとも、彼女はわざわざ説明するつもりがない事は確かなようだった。

 

     *

 

 鉱山までは、馬車でしばらく走る距離だった。

 

 首都から離れるにつれて、祭りの喧騒は遠ざかっていった。街道沿いの人家はまばらになり、やがて鉱山の入口に設けられた小屋と、採掘員たちの住む木造家屋が見えてくる。周囲には掘削用の道具や運搬用の器具が置かれ、ここが今も稼働している鉱山であることを示していた。

 

 その日常的な風景が、かえって不気味だった。

 

 何十体もの界非が出現し、現地の祓魔師たちが負傷している。にもかかわらず、鉱山はまるで、地の底で起きている異常など知らぬかのように口を開けていた。

 

 案内に従い、彼らは整備された坑道を奥へと進む。

 

 掘削された壁には採掘の跡が残っている。足元には砕けた石が散らばり、天井からは水滴が落ちていた。奥へ進むほど空気は冷え、岩肌の隙間から漂う湿気が肌にまとわりつく。

 

 やがて、坑道の先に巨大な空洞が現れた。

 

 晶洞。

 

 その入口は、厚い結界によって封じられていた。結界の向こう側には黒ずんだ蝶の群れが渦巻いている。翅が擦れ合う音は、無数の紙片を一度に揉みしだくようだった。群れは結界にまとわりつき、時折、壁面を叩くようにぶつかっては、また離れていく。黒い鱗粉のような穢れが空間に広がり、晶洞の内部を曖昧に覆い隠していた。

 

 そして、結界を維持する者たちがいた。

 

 「ねえ、どんだけいるのー!?結界越しとはいえ、キリがないんだけど!」

 

 フォルティ・ネブラの声には、疲労が滲んでいる。白銀のショートヘアと、好奇心と自信に満ちた琥珀色の大きな瞳。使い込まれた深緑のマントと革のベルト類を無骨に着こなし、背には頑丈な木の狩猟弓と野営用の短剣を身につけていた。愛らしくも勇猛な少女だが、長期戦は慣れていないのあろう。

 

 彼女のそばでは、太陽の如く鮮やかな柑橘色のショートヘアの少年ミーシャー・ガヴが荒い息をついている。パーティで最も戦闘経験豊富な彼が居るからこそ、士気を維持できていたのだろう。

 

 結界を張り直し続けていたミーナ・サビーカだけが陰鬱とした表情を変えぬまま、正確にソーサリーを維持していた。法衣の上から、何重もの革ベルトとストラップで厳重に拘束するかのように身を包んでいる。その手元から地を這い、蛇のように長くうねる何本もの編み縄は、彼女が卓越した術者であることを静かに物語っている。

 

 結界の向こうからは蝶の群れだけでなく、ぼろ布をまとった人影のようなものが幾つも迫っていた。

 

 人の姿に似ている。だが、脚はなく、地面からわずかに浮かんでいる。顔は骸骨めいているものの、顎の形が人間とは明らかに違っていた。その手には剣や鎌に似たものが握られており、結界に向けられた姿勢には、疑いようのない敵意があった。

 

 その背後では犬か狼を思わせる異形が低く身構えていた。全長は人間の腰ほどもある。口元には黒い膿のような穢れがこびりつき、牙の隙間から滴っている。

 

 “結界破り”の異名を持つ界非を含む膨大な怪物を前に、結界はまだ保たれていた。それだけで彼等が優秀なパーティである事の照明でもある。だが、いつまでもつかは分からない。

 

 「挨拶は後が良さそうだねぇ……ん?あいつは」

 

 ガヴが知人の姿を認めた、そのときだった。

 

 馬車から飛び出したアルクシアが、すでに弓を構えていた。矢を番える動きには迷いがない。黒い蝶の群れが再度結界へ殺到する直前、彼女の指が弦を放した。

 

 一本、二本ではなかった。

 

 矢は連続して放たれ暗い翅の群れを次々と貫いた。羽ばたきの音が乱れ、蝶たちは空中で弾けるように散っていく。結界へ押し寄せていた黒い影が、一瞬にして大きく欠けた。

 

 「どひゃあ!?なになに!?」

 

 フォルティが驚きの声を上げる。アルクシアは弓を構えたまま、いつもと変わらぬ調子で告げた。

 

 「こんにちは、フォル姉」

 

 その声には言葉以上のものがあった。助けに来た。もう大丈夫だ。そう言いたげな気配が、表情の乏しい顔からさえ伝わってくる。

 

 「アルクシア!?あれ、今は首都の防衛じゃ?」

 

 「救援依頼、受諾。来た」

 

 短い返事だった。その横を、ススルーシィが悠然と進み出た。

 

「泣いて喜びなさい。助けに来てあげたわよ、人間たち」

 

 彼女は、結界の向こう側を見渡した。

 

 黒い蝶。ぼろ布の怪人。牙を濡らす黒い膿を持った獣。どれも一体だけなら、さほど珍しい相手ではない。だが、それらが群れを成しているとなれば話は変わる。結界の破壊を繰り返し、疲弊した祓魔師たちを相手に、数の利を押しつけ続けていたのだろう。

 

 ススルーシィは、結界の内側に視線を向けた。

 

 「厄除の灯も尽きているのに、よく踏みとどまったわね」

 

 その声には、先ほどまでの嘲りとは違う響きがあった。

 

 「その勇気、認めてあげるわ」

 

 「ススルーシィ様……」

 

 ミーナが、陰鬱な顔を上げた。

 

 「いえ……使命ですから……」

 

 「そうよ。私が来たからには、よく分からない奴らは皆殺しよっ」

 

 ススルーシィは歯を見せて笑った。その笑顔に、フォルティが呆れたように息を吐く。けれど、彼女もまた、目の前の女がどれほど頼りになるかを知っていた。何せ単独で高位界非(ロードアノマリー)を祓滅する場面を“明日への道標”は過去目の前で見ている。

 

 ルクレスが持参した代替の厄除を配り直す一方、負傷した小隊員たちは後方へ下がることになった。弓を扱うフォルティは遠距離から敵を射抜き、ミーシャーは仲間たちに力を与える。ミーナは結界の維持を続け、必要に応じて新たな結界を張る。ルクレスもまた、機を見て敵の隙を突く構えを取った。

 

 彼らは、疲弊し戦線を作る力は残っていないが、まだ戦う術は残していた。

 

 「私たちが事態を解決するまで、結界の維持はできそう?」

 

 ススルーシィがミーナに尋ねた。

 

 「問題……ありません。結界の内側に祓杭を置いてくだされば……そこへ、結界を張ることも……」

 

 「それでこそ、辺境の術士よ」

 

 ススルーシィは満足げに目を細め、祓杭を設置した。ミーナの答えを待っていたというより、彼女が自分の期待に応えることを確信していたような態度だった。

 

 後方支援の準備が整う。

 

 ミーシャーが、仲間たちへ力を与える術を行使した。温かな力が身体を満たし、手足の動きが軽くなる。ある者はそれを攻撃の威力へ変え、ある者は素早さへと変えた。

 

 「ふぅん。敵だと鬱陶しいけど、こうやって力を付与されると便利ね」

 

 ススルーシィは、己の身体に巡る力を確かめるように指を開閉した。目の前にいる敵の数は多い。それでも、彼女にとってはウォーミングアップ程度の敵だ。

 

 結界の向こうでは界非の群れが蠢いている。黒い蝶の翅が空洞の奥で一斉に翻った。その隙間から、ぼろ布をまとった異形がこちらを向く。骸骨に似た顔の奥に何かが灯ったように見えた。

 

 ススルーシィは、ゆっくりと肩を回した。

 

 「さあ。どこから来るのかしら?」

 

 最初に動いたのは、アルクシアだった。

 

 彼女は仲間たちを置き去りにする勢いで前へ出た。疾駆しながら弓を引き絞り狙いを定める。狙うのは、最も奥にいる敵。前衛の群れをすり抜けて、戦場全体を見渡せる位置へと移動する。

 

 そして、矢が放たれた。

 

 一射ごとに、異形の頭部が砕け散る。黒い蝶は顎を上下に裂かれたように吹き飛び、ぼろ布の怪人たちは頭から上を失って崩れ落ちた。彼女は矢を番え直す間さえ惜しむように、次々と標的を切り替えていく。

 

 群れの一角が、あっという間に消えた。

 

 「見敵必殺。みだれうつ」

 

 アルクシアが呟く。

 

 「相変わらずの腕ね、アルクシア!」

 

 フォルティが声を張り上げた。

 

 「偉い!」

 

 その称賛を受けて、アルクシアは小さく胸を張る。

 

 「わたし、つよい」

 

 ススルーシィは、そんな彼女を横目に見た。

 

 「中々やるわね。初手としては悪くないわ」

 

 敵の数はまだ多い。結界の向こうには、さらに奥へ続く晶洞が広がっている。そして、その中心には、何百年もの間、地下に埋もれていたという奇妙なモノリスが眠っている。

 

 この戦闘は、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

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