境界寄生体   作:P-PEN

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第三章 呪詛を喰らうもの

 

 

 

 

 最初に戦場を切り裂いたのは、スティレイトの左腕から放たれた炎だった。

 

 腕を覆っていた布が燃え落ちる。露わになったのは燃え尽きた薪を思わせる、黒くひび割れた腕だった。裂け目の奥から噴き出した業火が一直線に走り、異形の群れを呑み込んでいく。蝶に似た黒いものが炎に触れた途端、羽ばたく間もなく焼き尽くされ、灰すら残さず消えた。

 

 「この、なりたてのアマチュアが!」

 

 スティレイトが吠える。炎の照り返しに目を細めたアルクシアは、短く感想を漏らした。

 

 「まぶしい」

 

 その間にも矢は絶え間なく飛んでいた。彼女の射撃は、単に数を撃ち込んでいるだけではない。狙いを定めるたび、矢は敵の急所を正確に捉え、布をまとった骸骨めいた異形の頭部を砕いていく。三体がまとまって浮遊していた一群は、スティレイトの炎とアルクシアの射撃によって、もはや群れの形を保てなくなっていた。

 

 その光景を見て、クゥは目を輝かせた。

 

 「なんかすごいビームだ!」

 

 味方の火力に感心しているのか、それとも単純に戦いを楽しんでいるのか。彼女の声には、少なくとも恐怖らしいものは感じられなかった。ススルーシィは、炎に照らされた戦場を眺めながら鼻を鳴らした。

 

 「ふんっ、気に入らない火ね。有用なのは認めるけれど」

 

 火そのものを嫌っているというより、そこに宿る何かが気に入らないらしい。けれども、今はその理由を語るつもりはなかった。敵はまだ残っている。戦いの最中に過去の因縁を思い返すほど、彼女は暇ではない。

 

 クゥの身体が、次の瞬間には弾丸のように飛び出していた。

 

 重い装束をまとっているとは思えない加速だった。地面を蹴った足が一瞬で間合いを詰め、彼女の片腕の近くに、無骨な黒い大剣が姿を現す。どこから取り出したのかを気にする暇もない。クゥは宙で身体を二度回転させ、その勢いを刃に乗せて振り抜いた。

 

 狙われた布怨徒(ホーント)は、反応する間もなく斬り裂かれた。

 

 一撃で終わらない。黒い刃は返す刀となって再び走り、異形の身体を容赦なく断ち割る。裂けた肉体が地面に落ちるより早く、クゥは次の獲物へ向き直っていた。

 

 「ホウント、いただき!」

 

 まるで食卓に好物が並んだかのような気軽な声だった。ルクレスが、その背中に問いかける。

 

 「……クゥ、今でもまだ界非を喰っているのか?」

 

 「食えば食うほど力が湧いてくるし、おいしいぞ!」

 

 「ならば……せめて調理しろ」

 

 あまりにも平然と交わされる会話に、スティレイトは思わず手を止めかけた。

 

 「界非を……食ってんの……」

 

 驚愕とも困惑ともつかない声が漏れる。穢れの塊である界非は全てが一般人には死に至る猛毒だ。だが、クゥは気にした様子もなく、大剣を携えたまま次の敵へ向かって駆けていった。

 

 アルクシアもまた、矢をつがえながら淡々と告げる。

 

「わたし、たおした、あげる」

 

 戦場の右側面では、敵の群れが目に見えて崩れ始めていた。

 

 しかし、異形たちは仲間が倒れるのを見ても怯まなかった。布怨徒は地面を滑るように移動し、赤い瞳をこちらへ向ける。死んだ仲間の首を拾い上げ、そこへ呪詛を込めて投げつけるものさえいた。アルクシアは飛来した首を矢で斬り払い、眉ひとつ動かさずに「なに」とだけ呟いた。

 

 その異様な光景を前にしても、敵には怒りも悲しみもない。仲間の残骸を道具として扱い、ただ前へ進み続ける。そこには人間の戦士が持つような躊躇も、死を恐れる本能も見当たらなかった。

 

 黒い蝶の群れも、戦場の空気に溶け込むように漂っていた。羽ばたくたび、細かな鱗粉が暗がりに散る。アルクシアの周囲に集まった三体が、一斉にその粉を浴びせかけた。

 

 彼女はマントを翻した。

 

 「きかない」

 

 鱗粉は布地を滑り、狙った効果を発揮できないまま散っていく。だが、その赤い瞳は羽の向こうで揺れ、まるで攻撃をし損ねたことに落ち込んでいるかのようにも見えた。

 

 「かわいい」

 

 アルクシアが呟く。異形を相手にしている最中だというのに、そんな感想が出てくるのだから妙なものだった。

 

 もっとも、可愛げのある外見と危険性は別の話である。鱗粉に触れれば、肉体ばかりか周囲の環境まで侵されかねない。油断すれば、こちらが一方的に削られることになる。

 

 ススルーシィは、その群れを見据えた。

 

 「待ってても来そうにないわね。仕方ないわ」

 

 一足飛びに接近すると、目の前を塞ぐ黒い蝶へ腕を振るった。その動作は、虫を追い払う仕草にさえ見えた。けれども、彼女の指先から飛び出したものは、ただの風ではなかった。

 

 呪詛毒。

 

 黒く濁った力が弾丸のように空気を貫く。狙われた蝶たちが逃げる暇はなかった。異形の肉体を侵す毒は、単に傷をつけるのではなく、その存在そのものを内側から腐らせていく。羽が崩れ、胴が裂け、赤い瞳が暗闇へ沈んでいく。

 

 その一撃で、群れの一角が消し飛んだ。

 

 そして、ススルーシィは倒れゆく異形から、逆に力を奪い取った。

 

 侵食する呪詛が彼女自身へ流れ込み、その存在強度を増大させる。通常ならば、異形を討伐したところで傷ついた肉体が即座に癒えるわけではない。だが、彼女にとって界非は、ただ倒すだけの敵ではなかった。喰らい、己の糧とすることができるものだった。

 

 「うぷ……雑魚でも数が多いと、呪詛毒も考えものね……」

 

 とはいえさすがに、無制限に使えるわけではないらしい。ススルーシィはわずかに顔をしかめたものの、その表情には苦痛よりも不満が強く浮かんでいた。

 

 それでも、彼女の立ち姿は先ほどよりも安定していた。ススルーシィの所属するヴァルーシア帝国では飽食は堕落という教えがあり、常に飢餓状態に近いススルーシィが食事を摂ったので当然の帰結ではあるが、クゥはそれを見て心底羨ましそうな声を上げた。

 

 「ススルーはそうやって界非を食えるのか! いいな!」

 

 「あなたも食べているでしょうに」

 

 そう返すススルーシィの声には、呆れが混じっていた。偶にこの少女からは食欲を感じるので、注意してやる必要があった――如何に悪食のクゥと言えども、ススルーシィの猛毒血肉を食べれば死は免れない。

 

 彼女は視線を前へ戻す。奥から湧き出てきた布怨徒の群れが、まだこちらへ迫っている。黒い蝶も完全には消えていない。戦場の向こうでは、残った異形たちが、倒れた仲間を踏み越えるようにして進んでいた。

 

 敵の数は減っている。だが、戦いはまだ終わっていない。ススルーシィは爪を構え直し、口元を歪めた。

 

 「さて……次はどいつが相手をしてくれるのかしら?」

 

 その瞳には渇望がある。彼女が求めているのは、ただ勝利することだけではない。自分を脅かすほどの強敵と出会い、己の限界の戸を叩く事。眼前の異形の群れなど、道を塞ぐ障害物にすぎなかった。

 

 黒い蝶が舞い、布をまとった骸骨が迫る。炎が焼き払い、矢が貫き、黒い大剣が斬り裂く。そして呪詛毒が、異形の存在を内側から崩していく。

 

 結晶の向こうに潜むものへ至る道は、まだ遠い。

 

 だが、彼らは確実に、その入り口を守る群れを押し崩しつつあった。

 

 

 

 

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