境界寄生体   作:P-PEN

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第六章 時間を測る者

 

 

 

 四人は、協約酒場の一角を占領するようにして資料を広げた。

 

 鉱山へ向かう前に得られた情報と、実際に現場で見たもの。そして、時間が巻き戻ったあとも彼女たちの記憶に残り続けている光景。それらをひとつずつ照らし合わせていくと、無視できない共通点が浮かび上がってきた。

 

 異常が起きたのは、晶洞に現れた界非をすべて祓い終えた直後だった。戦闘の最中に時間が巻き戻ったわけではない。最後の一体が消えたあと空間が歪み、世界が白く塗り潰され、彼女たちは任務開始前の酒場へと戻されていた。

 

 しかも、何もかもが元通りになったわけではない。厄除に刻まれた損耗だけは残っていた。ルクレスの怪我も、彼女たちが記憶しているものとは一致しない。時間が戻ったという説明だけでは、どうしても辻褄の合わない部分がある。

 

 「まずは、あのモノリスについて考えるべきでしょうね」

 

 ススルーシィは資料の端を指先で叩いた。彼女の関心はすでに次の戦闘へと向かっていたが、今度ばかりは正体も分からない相手に飛びかかる気はない。戦うべき敵が分からないのなら、まずは敵を知る。武者修行の旅で身につけた、単純だが確実なやり方だった。

 

 アルクシアは、次の戦闘に備えて鉱山の地形を確認していた。坑道の形状、敵が現れた位置、味方が結界を維持していた場所。前回は現場に到着してから目の前の脅威に対処するほかなかったが、今度は違う。少なくとも、どこに何が現れる可能性があるのか、あらかじめ想定しておくことはできる。

 

 「次は、もっと敵が増えているかもしれない」

 

 彼女の言葉に、クゥが頷いた。

 

 前回の戦闘で現れた界非は、最初に報告されていた数を上回っていた。しかも戦いが進むにつれて、より危険な個体まで姿を現した。あれが単なる偶然でなければ、次の戦闘ではさらに状況が悪化する可能性がある。

 

 「なら、敵の能力を見極めるのと、戦い方を決めるのは同時に進めましょう。片方が終わるまで、もう片方を待っている余裕はないわ」

 

 ススルーシィの提案を受け、四人はそれぞれの知識と経験を持ち寄った。アルクシアは射撃の観点から敵の動きと配置を考え、クゥは前衛として接近戦での対処を検討する。スティレイトは炎による制圧が有効な相手と、そうでない相手を区別しようとし、ススルーシィは界非の性質そのものに目を向けた。

 

 それでも、モノリスについて分かったことは少なかった。あの石が時間を巻き戻しているのか、それとも晶洞そのものに異常の原因があるのか。あるいは、そこに現れた界非が何らかの仕組みを持っているのか。どれも可能性の域を出ない。

 

 「……一筋縄ではいかないわね」

 

 ススルーシィは、先ほどと同じ言葉を繰り返した。今度は、ただの強がりではない。

 

 しかし、手をこまねいているわけにもいかなかった。彼女たちは現場の情報を整理し、次の戦闘に備えるための資料をまとめていった。敵の数や配置についても、分かる範囲で予測を立てる。鉱山へ再び向かうのなら、少なくとも前回と同じように、何も知らないまま敵の群れへ踏み込む事態だけは避けたかった。

 

 そして、資料の中で最も重要な仮説が形を取る。

 

 

 モノリス、あるいは晶洞に備わった何らかの性質によって、界非をすべて祓滅した際に時間が巻き戻される。

 

 

 それは、まだ確定した事実ではなかった。だが、現場での経験と、巻き戻ったあとにも残された痕跡を考えれば、十分に検証する価値がある仮説だった。

 

 さらに、彼女たちはもうひとつの可能性を考慮しなければならなかった。時間が巻き戻るたびに穢れが増し、現れる界非も強力になっていくのではないか、ということだ。

 

 もしそうなら、同じ戦闘を繰り返すこと自体が危険だった。勝利するたびに状況が悪化し、いずれは現場を守っているフォルティたちも耐えられなくなる。時間が戻ることは、必ずしも救済を意味しない。むしろ、何度も繰り返すうちに、取り返しのつかない結末へ近づいている可能性さえある。

 

 「……時間が戻るからって、何度でもやり直せるわけじゃないんだな」

 

 スティレイトが呟いた。その言葉に、誰も反論しなかった。

 彼女たちは、神殿へ向かうことにした。

 

     *

 

 イリュジオムの神殿は、ちょうど大きな祭儀の最中だった。

 

 神官たちが忙しなく行き交い、供物や祭具が運ばれていく。祈りの声が響く堂内には、いつも以上に人の気配が満ちていた。こうした時期に、見知らぬ祓魔師たちが持ち込む不可解な報告など、まともに取り合ってもらえるのだろうか。そんな懸念が頭をよぎらなかったわけではない。

 

 だが、彼女たちはただの噂話を持ってきたのではない。

 

 現場で得た情報を整理した資料がある。時間の異常を示唆する痕跡がある。そして、四人が共通して覚えている、あの奇妙な光景がある。

 

 レレイの時代において、神官による占いや神託の解釈は、単なる迷信ではなかった。神々の意思を読み取り、災厄の兆候を見極めるための重要な手段として扱われていた。彼女たちはそうした知識と手続きを用い、自分たちが経験した異常について、可能な限り根拠を揃えて提出した。

 

 その報告は、酔っ払いの戯言として退けられることはなかった。

 

 やがて、彼女たちの前に教皇ラクリオンとの面会の機会が用意された。

 

 想定していたよりも、ずっと早かった。

 

     *

 

 会議室に通された四人を待っていたのは、明るい茶髪と黄金の瞳を持つ壮年の男性だった。整った顔立ちに、短く整えられた髭。外見だけを見れば、教皇たちの中でも年長者に見える人物である。

 

 だが、彼から放たれる雰囲気は、想像していたものとは少し違っていた。

 

 「うむ、よく来てくれた!まずは座ると良い。思考には糖分も必要だろう。菓子も置いてあるものを好きに取りなさい」

 

 ラクリオンは気さくにそう言って、机の上の菓子を勧めた。

 

 クゥは遠慮なく菓子を手に取り、アルクシアは小さく頭を下げて挨拶をした。スティレイトは、目の前の人物が本当に教皇なのかとでも言いたげに、その様子を眺めている。

 

 一方、ススルーシィは警戒を解いていなかった。彼女はラクリオンの顔をじっと見つめていたが、その眼差しには、どこか胡散臭い男を見るような色があった。

 

 ラクリオンは、彼女たちが提出した資料にすでに目を通していた。四人が何を考え、次に何を提案しようとしているのか、先回りするように口を開く。

 

 「キミたちは、界非、あるいはその場所が持つ特殊な性質によって、すべてを祓滅すると時間が巻き戻されてしまうと考えたわけだね」

 

 彼は資料の一部を指で押さえた。

 

 「だとすれば、おそらく最初に脳裏をよぎったのは、『封印』ではないかな?」

 

 アルクシアが目を丸くした。

 

 「もう、そこまで」

 

 「封印して、なかったことにするには近すぎるわね」

 

 ススルーシィは、まず地理的な制限を口にする。時間が巻き戻る原因がモノリスや晶洞にあるのなら、そこにいる界非を封じ込めてしまえばよい。そう考えるのは自然なことだった。しかし、彼女たちが実際に経験した異常は、その単純な解決策を拒んでいるように思えた。

 

 ラクリオンは頷いた。

 

 「そう考える教皇もいるだろうね。無力化した界非だけを残して、周囲を封じる。ひとまず被害を抑えるという意味では、理にかなっている」

 

 だが、彼はそこで言葉を切った。

 

 「それで本当に解決するのか。キミたちは、現場に立った者として、どう感じる?」

 

 四人は互いに顔を見合わせた。彼女たちの脳裏に蘇ったのは、時間が巻き戻る直前に見た光景だった。

 

 奇妙な形の祓杭によって封じられたモノリス。その周囲に張り巡らされた結界。そして、封印された空間そのものが裂け、内側から何かが這い出てこようとする光景。

 

 あれは、単なる想像や不安が生み出した幻ではなかった。

 

 「それはもう、試みたことがあるわ。多分だけど」

 

 ススルーシィが言った。

 

 「というと?」

 

 「結末は、知っている」

 

 アルクシアが短く答え、クゥも続いた。

 

 「戻される時に、封印された場所から何か出てくるのが見えたぞ!」

 

 ラクリオンの表情から、気さくな笑みが薄れた。

 

 「……その祓杭は」

 

 彼は、しばらく考え込んでいた。四人が語った光景の意味を、頭の中で照らし合わせているようだった。

 

 「心当たりがあるの?」

 

 ススルーシィが問いかける。

 

 「うん。ただ、そうなると、キミたちが見たのは本当に未来視のようだね。なら、封印はやめよう」

 

 ラクリオンは、迷いなく結論を下した。

 

 「祓滅。それ以外にない」

 

 封印では解決しない。すべてを祓い終えたときに時間が戻るのだとしても、封じ込めるという選択肢の先に、さらなる異常が待ち受けているのなら、別の方法を探さなければならない。

 

 彼女たちが目指すべきは、時間を巻き戻す仕組みを含めて、この事件そのものを終わらせることだった。

 

 「よし、そうと決まれば……キミたちには今回、申し訳ないが厳し~い役回りを任せよう」

 

 「歓迎」

 

 アルクシアは、即座に答えた。

 

 ススルーシィも不敵に笑う。

 

 「試練なら歓迎するけど?」

 

 彼女は武者修行の途中でこの島を訪れた身だ。危険な任務を引き受けることに、ためらいはない。むしろ、正体の分からない強敵が待っているのなら、退く理由などなかった。

 

 「少し待っていてくれ」

 

 ラクリオンは席を立ち、会議室を出ていった。

 

 数分後、彼は厳重なケースを手に戻ってきた。部屋の窓と扉を閉め、周囲に人の気配がないことを確かめてから、ケースを机の上に置く。

 

 その扱いは、先ほどまでの気さくな態度とは明らかに異なっていた。

 

 「これが、キミたちが見たであろうものだ」

 

 ケースの中に収められていたのは、イスルンの加護を宿す希少な霊石から作られた祓杭だった。

 

 「界錨(アンカー)という。時空の改変や、存在そのものを消し去るような異常の影響を受けないように作られている」

 

 ラクリオンは、もうひとつの祭具を取り出した。厄除に似た形をした計測器で、表面には細かな目盛りと、通常の祭具とは異なる印が刻まれている。

 

 「こちらは観時器(ログ)。教皇ヴェヌスが創造した祭具だ。幻覚や結界、過去改変や存在消滅といった影響を受けず、常に正しい数値を測ることができる」

 

 四人は、机の上に並べられた二つの祭具を見つめた。

 

 時間が巻き戻るという異常が、本当に起きているのなら、それを観測できる手段が必要になる。何が起きたのか分からないままでは、対策の立てようもない。

 

 「まずは観測しろってことかしら?」

 

 ススルーシィが尋ねた。

 

 「そうだ。この界錨を設置してから、わざと回帰現象を起こしてほしい」

 

 ラクリオンの声から、いつもの気軽さが消えていた。

 

 「その結果、キミたちがどれほど危険な目に遭うかは分からない。それでも、やってくれるだろうか?」

 

 アルクシアは、ためらうことなく答えた。

 

 「無問題」

 

 そして、もうひとつ付け加える。

 

 「ネブラ、勇敢」

 

 彼女の脳裏には、鉱山で結界を維持し続けていたフォルティたちの姿があった。彼女たちが今も危険にさらされているのなら、いつまでも安全な場所で考え込んでいるわけにはいかない。

 

 クゥも、スティレイトも、異を唱えなかった。

 

 ススルーシィは界錨を見つめたまま、ゆっくりと口角を上げた。未知の異常。繰り返される戦い。そして、その先に待ち受けているかもしれない、封印すら破って現れる何か。

 

 それらを前にしても、彼女の闘志は衰えていなかった。だし、今度の戦いで必要なのは、敵を倒す力だけではない。時間が戻る前に何が起き、戻ったあとに何が残るのか。世界が隠そうとするものを、正確に見極めなければならない。

 

 四人は教皇から二つの祭具を受け取り、次の任務へ向けて準備を始めた。

 

 今度こそ、繰り返される朝の正体を暴くために。

 

 

 

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