境界寄生体   作:P-PEN

9 / 17
第九章 成長する晶洞

 

 

 

 

 明日の道標の小隊を見送った祓魔使たちは、再び地下の晶洞へと足を踏み入れた。だが、現場に到着した一行は、すぐに異変を目の当たりにすることになる。

 

 「これは……晶洞が育っているわ。見間違いじゃない」

 

 ススルーシィは、目の前に広がる空間を見渡した。

 

 以前は狭い通路に過ぎなかった場所が、今は明らかに広がっている。壁面から突き出した岩塊は新たな障害物となり、奥へ続く空間の形さえ変わっていた。単に彼らが見落としていたという程度の違いではない。時間が巻き戻るたび、この晶洞そのものが成長しているのではないか。そう考えれば、目の前の光景にも説明がつく。

 

 「以前の時より広くなってないか?なんか岩みたいに突き出たところもあるし」

 

 スティレイトが、変化した地形を見ながら呟いた。

 

 ススルーシィは答えず、奥へと視線を向ける。

 

 ――まさか、この場所そのものが……?

 

 時間を巻き戻す原因は、晶洞の奥にあるモノリスだと考えていた。しかし、もし晶洞全体が異変の影響を受けているのなら、モノリスだけを調べても全貌には届かないかもしれない。空間が広がること自体に何らかの意味があるのか、それとも、何かが晶洞を内側から侵食しているのか。現段階では判断できなかった。

 

 もっとも、彼女たちは前回の経験を無駄にはしていない。敵の性質を知り、教皇から必要な祭具を借り、今回の調査で何を優先すべきかも決めてある。未知の変化に驚きはしても、そこで立ち止まる理由にはならなかった。

 

 「ここ、変だぞ!」

 

 クゥが声を上げた。

 

 晶洞の奥には、黒い蝶の群れが幾つも浮遊していた。鬱黒揚羽。小さな一匹ずつならば対処できても、これほど密集していれば話は違う。翅から撒かれる穢れは周囲を侵し、数の力によって一体一体の脅威を補っている。

 

 その向こうには、布を纏った幽鬼たちが浮かんでいた。業透徒(ゴースト)――以前に遭遇した布怨徒よりも上位にあたる界非である。剣や鎌にも似た武器を手にし、明確な敵意を向けながら、何かを囁くように不気味な言葉を発している。

 

 しかも、それらは一体ずつではない。複数の群れが、晶洞の各所に陣取っていた。

 

 「不思議。洞窟、変化」

 

 アルクシアは、いつもの短い言葉で異常を指摘した。

 

 「数えきれないほどの界非……食べ放題だな!」

 

 クゥは、むしろ楽しそうだった。スティレイトは呆れたように息を吐き、左腕をわずかに動かす。彼女の腕に宿る異質な力が、戦いの気配に応じるように熱を帯びていた。

 

 ススルーシィは周囲を見渡し、仲間たちの位置を確認する。

 

 界錨を設置しなければならない場所は複数ある。そのうちの一つは、岩塊に埋もれるようにしていた。クゥがそこへ向かうことになり、スティレイトもまた、別の地点へ進むべく身構える。

 

 アルクシアは奥にいる鬱黒揚羽の群れへ目を向けた。

 

 「奥、アゲハ、片づけないと」

 

 彼女が優先したのは、敵の数を減らして安全な経路を確保することだった。界錨の設置に気を取られている間に、群れが襲いかかってくれば作業どころではない。まずは接近を妨げるものを排除し、仲間が動ける空間を作る。

 

 アルクシアは弓を構えた。

 

 狙いを定める動きに迷いはない。黒い翅が重なり合い、互いの輪郭さえ曖昧になるほどの群れ。その中から彼女は複数の標的を選び、一つずつ照準を合わせていった。

 

 放たれた矢は、暗がりを正確に貫いた。

 

 一射で一匹を落とすだけではない。連続して放たれる矢が、群れを構成する個体を次々と撃ち抜いていく。逃げようとするものも、翅を広げて仲間の陰へ潜り込もうとするものも、彼女の狙いから逃れることはできなかった。

 

 黒い蝶たちが、空中で次々と崩れていく。それまで視界を埋め尽くしていた翅の壁に穴が開き、奥の地形が一気に見通せるようになった。

 

 「数、ちょっと減らす」

 

 アルクシアは、淡々と言った。その声には誇示する響きも、戦果を誇る様子もなかった。ただ必要なことをした。それだけだというように、彼女は次の敵へ視線を移す。

 

 「おー、あれだけいたのに半分の蟲がいなくなったぞ!」

 

 クゥが感心したように声を上げる。

 

 「群れ、主、いる。主、倒す、散る。簡単」

 

 アルクシアはそう説明した。群れを構成する個体を一匹ずつ相手にするのではなく、集団としての性質を見極め、まとめて崩す。彼女の言葉は簡素だったが、やっていることは単純な力押しではない。

 

 「奥がよく見えるな。援護は任せてもらおう」

 

 スティレイトは、開けた視界を利用するように身構えた。

 

 「中々やるわね、人間。でも、調子に乗って踏み込み過ぎないようにしなさいよ」

 

 ススルーシィが声をかけると、アルクシアは彼女を振り返った。

 

 「心配?」

 

 「……っ!」

 

 「ススルーシィ、優しい」

 

 「ばっ……!バカなこと言ってないで集中しなさいよっ!」

 

 ススルーシィは、思わず声を荒らげた。

 

 からかわれたことが不服だったのか、それとも、実際に心配していたと見抜かれたことが不服だったのか。彼女自身にも、うまく説明できない。少なくとも、敵の群れを片づけたからといって、危険が消えたわけではない。ここで気を緩めれば、別の界非がその隙を突いてくる可能性がある。

 

 そして、彼女の懸念は杞憂ではなかった。

 

 スティレイトが次に狙いを定めたのは、黒い蝶の群れと、その向こうに浮かぶ業透徒だった。彼女は炎熱を伴う射撃を放ち、鬱黒揚羽の一群を焼き払う。炎に包まれた蝶たちは、翅を散らしながら次々と落ちていった。

 

 しかし、業透徒は同じようにはいかなかった。

 

 スティレイトの攻撃が命中したように見えた瞬間、幽鬼の身体が不自然に揺らいだ。刃を携えた布の塊は、炎を纏いながらも崩れず、こちらの攻撃を見切ったかのように身をかわしていく。

 

 「なに!?」

 

 スティレイトが眉をひそめた。ようやく燃え広がった布切れの内側が露わになる。そこには肉も骨もなく、ただ空洞が広がっていた。

 

 「がらんどうだ!」

 

 クゥが声を上げる。

 

 「上手く隠していやがる……」

 

 スティレイトは、燃える幽鬼を睨んだ。業透徒たちは、感情らしいものを一切見せなかった。身に纏った布が不気味に燃え広がっているというのに、苦痛を訴えることも、怯むこともない。ただ空洞の身体を揺らしながら、晶洞の中を漂っている。

 

 その姿を見て、ススルーシィは唇を引き結んだ。

 

 敵の数を減らすことはできる。道を切り開くこともできる。しかし、ここにいる界非は、以前に戦ったものと同じではない。時間が巻き戻るたびに晶洞が広がり、敵の群れが増え、さらに上位の個体が姿を現すのだとすれば、単純にすべてを倒すだけでは追いつかなくなる。

 

 それでも、彼女たちの目的は変わらない。ススルーシィは、岩塊の陰へ視線を向けた。埋もれた界錨の設置地点。そこへ向かうクゥの姿を確かめてから、彼女は再び敵の群れへと向き直る。

 

 「さあ、どこまで増えるつもりかしらね」

 

 不敵に笑いながら、彼女は爪を構えた。晶洞の奥で、モノリスは沈黙を保っている。その沈黙の向こうに潜むものを暴くまで、戦いを終えるわけにはいかなかった。

 

 スティレイトの炎が、業透徒の纏う布を赤く染めていた。だが、炎に包まれてなお、幽鬼たちは崩れ落ちない。空洞の身体を揺らしながら、穢れから鎌を作り直し、獲物を求めて動き続けていた。

 

 「すまない!撃ち漏らした!気をつけろよ、狩人!」

 

 スティレイトの警告が晶洞に響く。

 

 アルクシアは返事の代わりに弓を構え直した。彼女の周囲には、先ほどまでとは比べものにならない数の鬱黒揚羽が集まっている。翅の一枚一枚が黒い刃のように光を吸い、群れ全体が巨大な生き物のようにうごめいていた。

 

 対して、クゥは敵の密集地帯をまっすぐに見据えていた。

 

 「全力でカカッテクルガイイ!」

 

 彼女は大剣を構えると、岩塊の陰から飛び出した。常人ならば足を止めるほどの距離を、一息に駆け抜ける。重い剣を携えていることなど感じさせない身のこなしだった。狙いは、界錨の設置地点を塞いでいる岩と、その向こうに浮かぶ業透徒の群れ。敵を倒すだけではなく、進路を確保することも同時に果たそうというのだ。

 

 業透徒たちが鎌を振り上げた。

 

 クゥは怯まなかった。大剣を大きく横へ薙ぎ払い、敵の立つ場所をまとめて斬り裂く。幽鬼たちは穢れで作った鎌を交差させて受け止めようとしたが、刃と刃がぶつかった瞬間、鎌の方が砕け散った。

 

 「斥力!」

 

 剣圧が岩塊を打ち砕く。轟音とともに岩が弾け、砕片が周囲へ飛び散った。隠されていた設置地点が、ようやく姿を現す。

 

 業透徒は身を翻して攻撃を避けたものの、クゥの一撃は無駄ではなかった。岩を破壊し、進路を開き、界錨を打ち込める場所を確保したのだ。彼女はそのまま目的の地点へ向かい、界錨を設置する。

 

 「次は当てるぞー!」

 

 楽しげな声が、戦場に響いた。その声に応じるように、業透徒たちが動き出した。

 

 彼らの攻撃は、見た目ほど洗練されてはいなかった。鎌を振り回す動きも、指を突きつけて呪詛を放つ動きも、そこに人間らしい感情や駆け引きは感じられない。ただ、近くにいるものを見つければ襲いかかり、届かなければ穢れを飛ばす。その繰り返しだった。

 

 しかし、単純であることと、脅威でないことは別だった。

 

 業透徒の一体がクゥへ接近し、穢れで作った鎌を幾度も振るう。クゥは大剣を盾のように扱い、刃を受け流しながら身をかわした。別の一体はアルクシアへ狙いを定め、指先から呪詛を放つ。彼女は鏃で鎌を受け、加護を込めた投擲ナイフで呪詛を撃ち落とした。

 

 「挟撃、対処」

 

 短い言葉とともに、アルクシアは二方向からの攻撃をしのいだ。敵の動きは単調でも、その数が増えれば、逃げ場は狭くなる。彼女は足場と敵の位置を見極め、わずかな隙間を縫うように攻撃を避け続けた。

 

 一方、鬱黒揚羽の群れは、さらに広い範囲へと散っていた。

 

 黒い翅が一斉に震える。無数の鱗粉が空気を汚し、周囲へと降り注いだ。触れたものを侵蝕する穢れが、逃げ道を塞ぐように広がっていく。蝶たちはアルクシアへ殺到し、別の群れはクゥへと向かった。

 

 「界非、たくさん。大変」

 

 アルクシアはそう呟きながらも、冷静さを失わなかった。

 

 迫りくる翅の群れに対し、彼女は身をひねり、足を踏み替え、岩の陰を利用する。鱗粉が降り注ぐ場所を見切り、蝶の身体が重なってできた隙間を抜け、鋭い接近を紙一重でかわした。群れの数は多い。だが、数が多いからこそ、動きの間には必ず隙間が生まれる。彼女はその隙間を見つけることに長けていた。

 

 クゥもまた、岩塊を盾にして攻撃をやり過ごしていた。

 

 「此処を選んだのは正解だった!」

 

 彼女は岩の陰から敵を見据え、次の機会を窺う。敵の攻撃をただ受け止めるのではなく、地形を利用して被害を抑え、反撃の余地を残す。その判断は、無邪気な言動とは裏腹に、戦場で生き残るための確かなものだった。

 

 鬱黒揚羽たちは、思い通りに獲物を追い詰められないことに苛立つかのように、翅をざわめかせた。知性があるのかどうかさえ判然としない。それでも、群れの圧力は確実に戦場を覆い始めていた。

 

 その只中を、ススルーシィが進んでいく。

 

 彼女は界錨を携え、定められた地点へと向かった。周囲の敵を無視しているわけではない。誰がどこで戦い、どの敵がどれほどの脅威になっているかを見定めながら、任務に必要な行動を優先していた。

 

 界錨を打ち込む。金属と石が触れ合う硬い音が、晶洞に響いた。

 

 これで、ひとつ。

 

 ススルーシィは顔を上げ、最も近い業透徒の群れへと視線を向ける。先ほどから仲間たちが攻撃を重ねている相手だが、まだ完全には崩れていない。布の内側は空虚で、斬撃や炎だけでは仕留めきれない。ならば、別の手段を使えばいい。

 

 「さあ、私の恐ろしさをごらんなさいっ!」

 

 ススルーシィが右手を振るう。その爪から呪詛毒が弾丸の様に放たれた。

 

 彼女の力は単純に傷つけるだけのものではない。相手を形作る穢れそのものへ干渉し、それを奪い取ることができる。彼女は呪詛毒が命中した業透徒の群れへ意識を集中させた。逃れようとする幽鬼たちの輪郭が揺らぎ、布の内側に詰まっていた穢れが、目に見えない流れとなって彼女へ吸い寄せられていく。

 

 一体の業透徒が、音もなくほどけた。

 

 布切れがばらばらに散り、空洞の身体を支えていたものが失われる。幽鬼は悲鳴ひとつ上げず、ただ存在を維持できなくなって崩れ落ちた。

 

 ススルーシィは止まらない。

 

 さらに力を重ねると、もう一体の業透徒も同じようにほどけて散った。残った一体も、片腕を形作っていた穢れを失い、輪郭を大きく損なっている。それでも、幽鬼は恐怖を示さなかった。自分たちを構成するものが奪われているというのに、ただゆっくりと彼女の方へ振り向くばかりだった。

 

 「……流石に全部を喰うのには、密度が高すぎたわね」

 

 ススルーシィは、わずかに不満そうに口元を歪めた。

 

 敵の力を奪うほど、彼女自身の存在は強くなっていく。だが、どれほどの穢れでも無制限に取り込めるわけではない。今の一撃で十分な成果は得られた。残った一体を仕留めるにしても、無理にすべてを喰らい尽くす必要はない。

 

 彼女は、仲間たちの方へ視線を巡らせた。

 

 アルクシアは黒い蝶の群れを相手に、なおも射線を探している。スティレイトは炎を操り、敵の進路を塞いでいた。クゥは砕いた岩の向こうで、次の獲物を待ち構えている。

 

 それぞれが、自分の役割を果たしていた。

 

 「おお、ススルーシィ、でかい」

 

 アルクシアが、気配の変化に気づいて声を上げる。

 

 「ふふん。これくらいで驚いているようじゃ、まだまだね」

 

 ススルーシィは意味ありげに言ったが特に意味はない。とはいえ、奪い取った穢れは彼女の飢餓をある程度満たし、力を大きく押し上げている。戦場に満ちる敵の数は依然として多いが、それらすべてが彼女にとって脅威ではなくなりつつあった。

 

 けれど、晶洞の奥にあるモノリスは、依然として沈黙を守っている。

 

 界錨を設置することはできた。敵の群れを減らすこともできた。しかし、時間を巻き戻す現象がなぜ起こるのか、その原因はまだ明らかになっていない。晶洞が広がり続けている以上、戦いを長引かせれば状況がさらに悪化する可能性もあった。

 

 ススルーシィは強い敵と戦うことは好きだ。自分の力を試し、限界を押し広げることにも喜びを感じる。だが、彼女たちがここへ来た目的は、強さを誇示することではない。異変の正体を突き止め、次の時間逆行が起きる前に、確かな手掛かりを掴むこと。

 

 「さあ、次よ。いつまでも付き合ってあげると思わないことね」

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。