主人公は権威ある賞レース「ホーミー1GP」の優勝を目指し、努力の毎日!
優勝すれば暮らしに困ることはなく、溢れんばかりの称賛と喝采を浴び続ける最高の日々が待っている!
ホーミーを極めた先に待っているのは……?
科学も、農耕も、為政も、ホーミーに比べたら塵も同然!
だってホーミーだもん!
ホーミーだけやって生きていこう!
ホーミーを楽しめるだけの学があってよかったね!
ホーミーができない人は弁えて生きていくのが自然だよね!
※あらすじの通り、あまり真面目な小説ではございません。
その点はご理解ください。
道路はない。その代わりに潰れた自動車の屋根を渡って移動する。自動車が何故「自動車」と呼ばれるのか。その由来は知っているが、意図はわからない。
雨季に入り、最近運び込まれたばかりのこの新しい車も、サンダルの底を通して足裏にざらつきが伝わってくるほどに錆びついている。尤も、錆びついていないものの方が珍しいのだから、早くも景観に馴染んだとも言える。
毎年、雨季の始まりには子供がよく死ぬ。雨水を帯びた錆鉄は滑りやすく、幼い子供は自動車の屋根から足を踏み外し、下に積まれたスクラップに身体を打ちつける。傷口が膿み、熱が出て、数日後には動かなくなる。落ちたその日に死ぬこともある。そうした子供の数は、雨季が終わる頃には誰も覚えていない。
昔はまだ墓があったそうだが、今は場所を使い果たしてしまった。そのため、死体はなるべく町の中心から離れた場所に山として積んでいる。無論、その底辺はスクラップである。遺体を運ぶたびに山は少しずつ高くなるが、遠くから眺めても、ほかの廃棄物の山と大した違いはない。
町は有毒ガスと悪臭に包まれている。雨が止んでも地面は乾かず、泥とも油ともつかない黒い液体が、鉄板の継ぎ目からいつまでも滲み出している。
それでも、人間はそこで暮らしている。
我々の最大の関心はホーミーだ。
何を食べるかより、どんな音を出せるか。どこに住むかより、どの倍音を維持できるか。町中のあらゆる場所からホーミーが聞こえてくる。早朝、廃車の中で練習する男。水を汲みながら喉を鳴らす女。声変わり前の子供に低音を出させようとする父親。咳の止まらない老人でさえ、昔はどの音域まで出せたかを何度も繰り返している。誰もがホーミーを練習している。
ときおり、ある家から笛のように高い倍音が聞こえると、隣の家からさらに細い声が応じた。互いの姿は見えないまま、二つの音がしばらく重なる。私はそういうとき、用事の途中でも立ち止まった。例に漏れず、私も練習をしている。
母は病弱であった。悪魔でもあった。
生まれながらに喘息を患っていた母は、ホーミーが下手だった。そのため単純な労働に従事せざるを得ず、長年にわたって汚染水の処理を行い、少しずつ身体をすり減らしていった。
四女の出産を機に、母は血の病を患った。ぶつけた覚えのない青痣が増え、傷口から出た血がなかなか止まらなくなった。廃棄物の上に廃棄物を積み上げてできたこの町には、病の名を確かめる手段も、治療する手段もなかった。
母は次第に起き上がることさえ苦になり、汚染水の処理もホーミーもできなくなった。父は衰弱しきった母を「番としての恥」であると一蹴した。
その数日後、父は自殺した。
それが母のせいだったのか、父自身のせいだったのか、今となってはわからない。ただ、その日を境に母は変わってしまった。私たちへの暴力が始まり、何かがうまくいかなければ、決まって私たちの責任になった。
母は私のホーミーを聞くたびに怒鳴り、練習をやめさせた。ところが練習をしなければ、今度は怠けていると責めた。昨日許されたことが今日は許されず、今日咎められたことが明日には推奨された。
私は、母が私たちの喉を妬んでいるのだと考えた。そう思うと、昨日と今日で言うことが違うのにも、いちおうの理由がついた。もっと小さな頃には、母が私の声を聞いて笑ったこともあった。そのときの私がどんな音を出していたのかは、どうしても思い出せない。
長男である私は、家事や出稼ぎ、妹たちの世話を行う義務があった。母にとって、私への暴力は権利だった。生まれてきた意味を考えたのは、一度や二度ではない。母を殺そうと考えたこともある。眠っている母の顔を見下ろし、どうすれば苦しまずに済むのか、あるいはどの程度苦しませるべきなのかを考えたこともあった。
だが、考えることは私の権利でも、実行することは私の権利ではなかった。まだ幼い四女には母の存在が必要であったし、この地区で孤児として生きることは到底不可能に思えたからだ。
たとえスクラップ同然であっても、大人が家にいるという事実は重要だった。母が寝床から動けなくなったあとも、よその大人が訪ねてくると、妹たちはまず母のいる方を見た。
何度考えても、得られる結論は一つだった。この生活を変えるのはホーミーしかない。ホーミーができないために変えられてしまった私たちは、ホーミーができることで未来を変える必要があった。
勉強や労働など、ホーミーと比べるまでもない。例えば、爪を剥ぐことで官能的なロングトーンを発声できる方法が編み出されたとしよう。そのとき私が惜しむのは、手足の指が合わせて二十本しかないことだ。
泣く暇があればホーミーを発し、嘆く暇があればホーミーを発する。人間はホーミーを作るための管のようなものである。肺から押し出された息が声帯を震わせ、口の中で形を変えられ、低い声から細く鋭い音を浮かび上がらせる。ひとつの身体に、いくつもの声が収まっている。
そのことを思うたび、私は自分の喉に触れてみたくなった。これほど精緻な音を生み出せるというのは、ほとんど奇跡に近い。だからこそ、その奇跡を十分に引き出せない人間には、弁解の余地がないのである。疑うべくもなく。
私の一日は、まだ空が暗いうちに始まる。
妹たちを起こさないようトタンの小屋を出て、三台の自動車を渡り、横倒しになった貯水槽の中へ入る。側面には大きな穴があり、雨の日にはそこから水が流れ込む。足首まで浸かることも珍しくないが、貯水槽は比較的よい練習場だった。声を出すと、丸い壁が音を返してくる。返ってきた音には、わずかに遅れて自分の息の癖が混じっていた。
声を出す。
最初は低く、長く。次に舌の位置を変え、口腔内の容積を縮める。倍音が際立ち、基音の上にもう一つ、細く澄んだ音が浮き上がる。
私には苦手な音域があった。第四倍音から第五倍音への推移である。第四倍音を強調した状態から舌根を後退させると、第五倍音の輪郭が必ず濁ってしまう。呼気圧を一定に保ち、共鳴する場所だけを移せばよい。理屈はわかっていたが、私の喉はそれに従わなかった。
七秒。低音を出し、倍音を切り替える。
失敗する。もう一度。失敗する。
舌根を少し持ち上げ、軟口蓋の緊張を解く。
失敗する。
この音を、私は三年前から安定して出せないでいる。初めて挑戦したときは、二週間もあれば習得できると思っていた。第七倍音などは、練習したその日に出せたのである。しかし第五倍音だけは違った。
一度だけ、うまく出せたことがある。二年前の雨季だった。
何かの拍子に舌の位置が変わり、これまで経験したことのない透明な音が響いた。低い声が続いているのに、その上に、低い声とは別のもののように澄んだ一音があった。貯水槽の内壁に音が薄く張りつき、少し遅れて耳へ戻ってきた。私は舌を動かすまいとした。顎も唇も、できるだけそのままにしておこうとした。
しかし、息は続かず、音は消えた。
それ以来、一度も再現できていない。
この二年間、私はあの数秒間について考え続けている。舌の先端はどこに触れていたのか。顎はどの程度開いていたのか。肺にはどれほど空気が残っていたのか。あの日の湿度はどうだったか。食事は何を摂ったか。前夜は何時間眠ったか。思い出そうとすると、肝心の音よりも、音が消えたあとの貯水槽の静けさの方が鮮明によみがえった。
それでも、あの音が美しかったことだけは確かだった。聞いていたのは私一人で、記録にも残っていない。しかし、音が消えたあとも、もう一度聞きたいという気持ちは消えなかった。
夜明けを知らせる鐘が鳴る。これが練習の終わりを告げる合図である。私は最後にもう一度試みたが、第五倍音は濁った。貯水槽の中で、私の声は鐘の余韻に紛れて千切れた。
町の中央には大きな掲示板がある。地区のホーミー技量順位が記されている。
月に一度、住民は技量測定を受けることができる。測定は公開で行われ、結果は数日中に掲示される。上位に入れば食料の配給量が増え、住居の割当ても改善される。下位に落ちれば、それらを失うこともある。
技量と人格は必ずしも一致しない。しかし、人格などという曖昧なものに、誰が食べるべきかを決定させるわけにはいかないのである。
ホーミーには客観的な優劣がある。持続時間、倍音の分離精度、高次倍音への移行、基音の安定性、呼気効率。それらを比較すれば、どちらが優れた人間であるかは概ね判断できる。
芸術性という観点もあるにはあるが、美しい声を出せる者は通常、技術的にも優秀だった。したがって大きな問題にはならなかった。
測定場で聞いて美しいと思った声の持ち主が、予想よりずっと低い順位になることもある。そういうときは、私の耳に聞き取れない欠点があったのだろうと思った。
私の順位は二十七位だった。同年代の中では比較的上位だったが、満足できる結果ではない。このままではホーミー1GPへの出場資格を得ることさえ夢のまた夢である。
次の測定の日、私は朝から何も食べなかった。消化器官に血流が集中すると発声の精度が落ちるという説があり、私はそれを信じていた。立ち上がると目の前が暗くなったが、喉の状態は悪くなかった。
測定場は、かつて何らかの工場だった建物を利用している。屋根の半分が崩落しており、雨の日には中央に水が溜まる。測定場には、測定場にしかない水草が浮いている。それが装飾の役割を果たしており、この場の厳格さを誇示していた。壇上には審査員が三人座り、その後ろには前回のホーミー1GP優勝者の肖像が掲げられている。額は廃材を切り揃えた立派なものだった。
その男自身も会場の隅に座っていた。実際に見るのは初めてだった。肖像画では大きく口を開いていたが、本人はじっと口を閉じ、崩れた屋根の向こうを見ていた。優勝した人間には、もはや他人の技量を聞く必要さえないのだろう。私はそれを羨ましく思った。
順番を待ちながら、ほかの出場者の発声を聞いていた。ひどいものもあれば、非常に優れたものもあった。私の前に出た少年は、まだ十二歳だった。
肋骨の中心が浮き出るほど痩せており、首の周囲には湿疹が広がっていた。足の爪のいくつかは半ば剥がれ、変色している。彼は壇へ上がるたびに顔をしかめていた。南の居住区に住む子供で、父親が昨年の夏に死んだと聞いている。母親がどこにいるのか、何を食べているのか、私は知らなかった。
彼が口を開いた。
低音が鳴り、次いで倍音が立ち上がった。
私は背筋を伸ばした。
美しかった。
基音は驚くほど安定しており、その上に第六倍音から第十倍音までが次々と明瞭に現れた。倍音が切り替わるたびに音色がわずかに変化し、複数の金属片が、触れ合うことなく互いを鳴らしているようだった。
少年は目を閉じ、細い腕を身体の両側に垂らしていた。足の痛みなど感じていないように見えた。最後の音が消えると、彼は薄く笑った。あれほどの声を出せたのだから、嬉しくないはずがなかった。
私は彼の舌がどのような位置にあるのか想像した。しかしわからなかった。あれほど痩せた身体から、どうしてあんなに豊かな音が出るのだろう。私は自分の身体を見下ろした。私も十分に痩せていた。にもかかわらず、彼のような声は出せない。
不公平だと思った。
測定を終えた少年は審査員から賞賛され、何も言わずに頭を下げた。壇を降りるとき、また足をかばっていた。私はその後ろ姿を眺めていた。
できれば彼のことを好きになりたかった。彼は私と同じように貧しく、父親を失っていた。おそらく私以上に苦労している。それなのに彼のことを考えると、胸の内側に重いものが溜まっていった。なるべく考えないようにした。
私の順番になった。
壇上へ上がり、審査員の合図を待つ。息を吸い、低音を出す。舌を動かして第四倍音を強調した。よい調子だった。
そのまま第五倍音へ移行する。
音が濁った。
私は即座に舌を戻し、第四倍音を保った。もう一度移行する。また濁る。一瞬、呼気圧が乱れ、基音が揺れた。私は発声を中断した。
審査員は何も言わなかった。記録係が紙に何かを書きつけた。
三日後、順位が発表された。三十一位だった。
私は掲示板の前に長い時間立ち、自分の名前の横にある数字を見ていた。二十七が三十一になった。四つ順位を落としたのである。私は四人分、後ろへ押し戻されたのだ。
私は順位表で自分より上に新しく並んだ名前を覚えた。帰り道、忘れないよう何度も口の中で繰り返した。踏鞴製鉄のように、自分に名前を打ち付けていた。不気味なほどに正確に言えた。私は、第五倍音だけが出せなかった。
結果を聞くと、母は笑った。
「お前も私と同じだね」
私は何も言わなかった。母は私の顔を見たまま、しばらく笑っていた。
その晩、私はいつもより長く練習した。第五倍音は出なかった。
帰宅すると妹たちは眠っていた。四女は寝床から半分身体をはみ出し、冷たい鉄板に頬をつけていた。私は彼女を寝床に戻して布を被せた。そのとき、首筋に小さな傷があるのに気づいた。赤く腫れており、縁がわずかに湿っていた。
指でそっと触れると、四女は寝返りを打った。目を覚まさなかったので、痛みはないのだろうと思った。私は安心して、自分の寝床へ戻った。
雨季が終わり、乾季が来た。死体の山には新しい死体が積まれ、古い死体は下の方で潰れていった。潰れている様子を見たことはないが、見る必要もなかった。
町の北側では大きな火災があった。廃油に火が移り、辺り一帯を焼いたそうだ。消火用の水が足りず、住民たちは火が収まるまで離れた場所から眺めていた。火災のあった地区には、よい練習場がいくつかあった。私はそのことを惜しく思った。
翌年の雨季には母の病状が悪化した。身体中に紫色の斑点が現れ、歯茎から血が出るようになった。母は一日の大半を寝床で過ごすようになり、以前ほど私を殴らなくなった。私はそのことを喜んだが、母の前では喜ばないようにした。
妹たちは少しずつ大きくなっていた。長女は、私に代わって汚染水の処理場で働き始めた。帰ってくると、袖口に乾いた汚泥がついていた。次女は食料を調達し、三女は家事を手伝った。
四女はまだ幼かったが、最近になってホーミーの練習を始めた。私が帰ってくると、覚えた音を聞かせたがった。発声を終えるたび、何かを待つように私の顔を見た。
初めて彼女の声を聞いたとき、私は驚いた。基本的な発声ができていなかったのである。喉に余計な力が入り、声が不規則に途切れる。あれでは基音すら安定しない。
私は彼女に何度もやり直させた。同じところでつまずくので、口の開き方を見せ、息を吐く長さを数えてやった。四女は途中で泣き始めた。
私は困った。泣くために喉を酷使しては、明日の練習に支障が出るではないか。私はできるだけ優しく、そのことを説明した。しかし四女はますます激しく泣き、吸い込む息まで細かく震えた。仕方がないので、その日の練習は終わりにした。
私はひどく落胆した。幼い頃から正しい発声を身につけていなければ、後から矯正することは難しい。彼女には才能がないのかもしれなかった。
その可能性については、なるべく考えないようにした。
私自身の第五倍音も、依然として不安定だった。出せる日もあったが、出せない日の方が多い。出せる日には練習を中断するのが惜しくなり、同じ音を何時間も繰り返した。喉が腫れ、翌日は出せなくなる。出せない日には、せめて一度だけでも出したいと思い、何時間も繰り返した。やはり喉が腫れ、翌日も出せなかった。
休息が重要であることは理解していた。しかし休むためには、まず十分に練習したという実感が必要だった。私にはその実感がなかった。
眠る前、私は必ずその日の練習について考えた。今日は何を習得したか。昨日より何が上達したか。何ができるようになったか。答えのない夜が続いた。
ある日、以前の練習記録を読み返してみた。一年ほど前から、同じようなことばかり書いてあった。
「第五倍音の濁り」
「舌根の位置を調整」
「基音の不安定化」
「第五倍音の濁り」
私は愕然とした。一年を費やして、何も変わっていないのである。
この一年に何があっただろう。母の病気が悪化した。長女が働き始めた。四女がホーミーを習い始めた。雨季が終わり、また始まった。多くの人が死んだ。
それだけだった。
私は恐ろしくなった。簡単な感情ではなかった。荒野で獣に追われることと大差がない感情であった。このままでは来年も同じことを繰り返すのではないか。再来年も、その次の年も。私の喉は永遠に第五倍音を出せないままなのではないか。
呼吸が浅くなり、じっとしていられなくなった。私は寝床を抜け出し、練習場へ向かった。夜中だった。雨が降っており、家の前の鉄板は濡れていた。足を滑らせ、とっさについた掌を切った。掌に錆の粒が貼りついたが、練習場に着くまで立ち止まらなかった。
声を出す。
失敗する。
もう一度。
失敗する。
喉が焼けるように痛んだ。額から流れた汗が唇に触れ、塩辛かった。低音を出すたび、息に血のような味が混じった。私はそのまま練習を続けた。
その夜、第五倍音は出なかった。
翌朝、私は声を失っていた。
それから何年かが過ぎた。正確な年数は覚えていない。練習記録をつける習慣をやめてしまったためだ。
私は以前より上手くなっていた。第五倍音も、ほとんど濁らせずに出せるようになった。いつ習得したのかはわからない。昨日より澄んだ日が何日かあって、やがて失敗する日の方が珍しくなった。あれほど苦しんだことが不思議に思えるほどだった。
しかし、新しい問題が生じていた。第九倍音が弱いのである。
第八倍音から第九倍音への推移に際して、私の声はどうしても痩せてしまう。基音の振幅を維持しようとすると倍音の明瞭さが失われ、倍音を強調すると基音が不安定になる。第五倍音を克服したことで、自分の技術の未熟さが一層はっきりとわかるようになった。私は以前より長い時間練習するようになった。
労働はほとんどしなくなっていた。地区の順位が上がり、多少の食料を受け取れるようになったためだ。妹たちも働いていた。母は相変わらず寝床に横たわっていた。以前ほど困窮してはいなかったが、雨が降れば屋根から水が漏れ、食料はしばしば腐っており、四女は慢性的な咳に苦しんでいた。
四女の咳を聞くたびに、私は母の喘息を思い出した。このままでは四女もホーミーが下手な人間になるかもしれない。私は四女に、咳をしないよう言った。
四女は困った顔をした。何か言おうとして口を開き、それからまた咳をした。
私はどうすればよいのかわからなかった。
ある日、中央広場で地区の順位が更新された。私は四位になっていた。
掲示板の前には人が集まり、私の名前を指さす者がいた。知らない人間が握手を求めてきた。私はそれに応じた。大変に嬉しかった。ここが私の居場所であると。
四位であれば、次回のホーミー1GPに出場できる可能性がある。ホーミー1GPは町で最も権威のある大会である。優勝者には最上級の住居と、十分な食料、そして何より、一生涯にわたる尊敬が与えられる。住居だけは、次の優勝者に明け渡す決まりだった。
労働をする必要はない。生活のために時間を費やす必要もない。技術さえあれば、生きていけるのである。
私は帰宅すると、妹たちに順位を伝えた。長女は泣いた。次女も泣き、三女は私に抱きついた。四女は何が起こったのかよくわからないようだったが、皆が喜んでいるので、同じように笑った。
母の寝床へ行き、順位を伝えた。母はしばらく私を見ていた。それから目を閉じた。
私は、母の臆病さが少し羨ましかった。
その晩、我が家では久しぶりにまともな食事が出た。長女がどこかから肉を手に入れてきたのである。誰もすぐには食べ始めず、妹たちは肉のある皿を囲んでしばらく話していた。長女はひと切れを四女に渡し、四女はそれをなかなか口に入れずにいた。私が先に食べ始めると、皆も食べ始めた。
肉は柔らかく、噛んでも鉄や油の味がしなかった。私は食べながら、第九倍音を安定させる方法を考えていた。
幸福な夜だった。
翌朝はいつもより早く目が覚めた。薄暗い町のあちこちからホーミーが聞こえていた。私より下手な者もいた。私より上手い者もいた。私は早く練習場へ行きたかった。
私は優勝しなくてはならない。
一位でなければならない。
ホーミー1GPへの出場が決まったのは、それから二か月後のことだった。大会は数年に一度開かれる。今回は前回から四年ぶりだった。
予選までの間、私は町の東側にある大型の廃船で寝起きした。横倒しになった船の機関室は反響が美しく、低音の練習に適していた。食料は妹たちが運んでくれた。
毎朝、喉の状態を確かめる。よい日にはもっと上手くなれると思い、悪い日にはすべてを失う気がした。頬が落ち、鎖骨が浮き出し、喉仏が以前より大きく見えるようになった。磨いた金属板に映るその顔を、私は気に入っていた。長年の研鑽によって、不必要なものが削ぎ落とされた顔に見えたからだ。
大会の三日前、長女が訪ねてきた。母の容体が悪いという。私は話を聞き、何か必要なものがあるか尋ねた。妹は首を振った。ただ、母が私に会いたがっているらしかった。
私は困った。大会の直前に移動すれば疲労が蓄積する。それに、母の咳は喉によくない。私は大会が終わったら必ず帰ると約束した。
妹は頷いた。持ってきた食料の包みを足元に置き、しばらくそこに立っていた。私は包みを受け取った。妹は帰っていった。
そのあと、私はしばらく発声しなかった。母の顔が思い浮かんだからだ。母はもう、私を殴ることもできない。私はそのことを考えていた。
やがて練習を再開した。第九倍音は美しく響いた。第十倍音も出せたが、まだ長くは保てなかった。
ホーミー1GPの会場は中央広場に設けられていた。町中から人々が集まっていた。雨季の終わりで、空気は湿っていた。
私は予選を通過した。準決勝では、第十二倍音を鮮明に響かせる男がいた。高く澄んだ音だったが、基音にはわずかな揺れがあった。私は準決勝も通過した。気づけば決勝に立っていた。左隣に立つ男のことは、ほとんど覚えていない。私は自分のホーミーだけを見つめていた。
私は後攻だった。先に発声した男のホーミーがどの程度だったかも、記憶していない。
私の番が来た。
低音は微動だにせず、その上に鋭い倍音が立ち上がった。舌の動きは滑らかで、呼気は驚くほど安定していた。
第五倍音。
第六倍音。
第七倍音。
第八倍音。
第九倍音。
物を手から離せば落下するように、倍音がひとつずつ現れた。苦労して探り当てていた舌の位置へ、今は何も考えずに移ることができる。貯水槽で一度だけ聞いた、あの澄んだ音も、その中にあった。かつては息が切れるまで手放せなかったものが、今は次の音へ移るための、ごく短い通り道になっていた。どの音にも濁りはなかった。
私は自分の声が好きだった。あれほど美しい声を聞いたことがなかった。
発声が終わると、しばらく静寂があった。次いで歓声が上がった。審査員が立ち上がった。
私の優勝が決まった。
私は頭を下げた。本当にそれだけだった。
優勝者には、町で最も気品ある住居が与えられる。かつてスクラップの積み上げに使われていた巨大なクレーンの操縦室を改造したものである。
その部屋へ上がる前に、前回の優勝者とすれ違った。彼は小さな荷物を持って、鉄製の階段を下りてきた。測定場の隅にいたときと同じ、無表情な顔だった。私は彼に頭を下げた。彼も頭を下げた。声を聞けるかと思ったが、彼は何も言わなかった。
階段の途中で振り返ると、男はもう自動車の屋根を渡っていた。似たような上着を着た人間が何人もいて、ほどなく見分けがつかなくなった。
部屋には清潔な寝具があり、十分な食料があり、濾過された水があった。水を一口飲むと、鉄の味がしなかった。私は残りも飲み干した。
床は平らだった。
歩いても足元が揺れないのである。
壁には金属板が張られ、外気の流入を防いでいた。雨水は天井から専用の管を通って排出され、室内に入ってくることはない。窓には透明な板が嵌め込まれていた。私はその板を見たことがあったが、これほど大きなものは初めてだった。
優勝した翌日、妹たちが訪ねてきた。四女は平らな床の上を走り回った。途中で急に向きを変えても、足を滑らせなかった。長女は、こんな立派な部屋に入ったことがないと言った。
母は来なかった。起き上がれないらしい。私は母に食料と濾過された水を送るよう手配した。その程度のことは、今では簡単にできた。
私は労働をする必要がなくなった。誰も私の能力を疑わず、子供たちは私の発声を真似る。長年の努力は報われたのである。
私は幸福だ。
その日の夕方、私は窓のそばに立った。そこからは町全体を見渡すことができた。
下にはスクラップヤードが広がっていた。錆びた自動車の屋根が幾重にも重なり、薄く濁った夕日を受けて褐色に光っていた。ところどころに雨水が溜まり、油膜が鈍い虹色を描いている。山の斜面から突き出た鉄骨には、布切れやクモの巣のように電線が絡みついていた。
遠くに廃船の船体が見えた。長い間、私が練習していた場所である。そのすぐ隣には、初めて第五倍音を出した貯水槽があった。あれほど離れていると思っていた二つの場所は、上から見るとほとんど隣り合っていた。
毎朝歩いていた道も見えた。自動車の屋根はところどころ重なり、上からはどこで次の車に移れるのかよくわからなかった。母の働いていた汚染水処理場も見えた。家のあった場所は、ほかの住居と区別がつかなかった。屋根に使われた鉄板の色を頼りに探したが、似たような建物がいくつもあった。
町の中央広場は、思っていたよりずっと小さかった。数日前、町じゅうの人間が集まった場所は、車体の山の間に空いた、わずかな隙間だった。私はそこで自分の名を呼ぶ人々を見たはずだった。けれど今は、広場を横切る人影を数えることさえ難しかった。
遠くには、死体の山があった。その周囲にも廃棄物の山が続いていた。ところによって赤黒く、ところによって灰色で、夕日を受けた斜面だけが妙に明るかった。
人の住む場所と、死体を積む場所と、使えなくなった物を積む場所との境は、ここからではよくわからなかった。その先にも、誰のものとも知れない廃棄物の山が続いていた。
窓の下縁は、肘一つ分ほど塗装が剥げていた。私はそこに肘をついた。
前回の優勝者も、ここに立っていたのだろう。彼が四年間ここから眺めていたものを、私はいま眺めていた。測定場の隅に座っていた彼を思い出した。あのとき彼は、何も聞こえていないような顔をしていた。
風が吹くと、幾枚もの鉄板がかすかに鳴った。その下からホーミーが聞こえた。いくつもの基音が重なっていて、誰の声なのかはわからなかった。
私は、貯水槽で第五倍音を出せずにいた頃のことを思い出した。あのとき、世界のどこかには必ず第五倍音を自在に出せる人間がいた。それが私には耐えがたかった。いま下で聞こえている声にも、かつての私と同じところでつまずく者がいるのだろう。姿は見えず、誰の声なのかもわからなかった。
いま私は、その音を何の苦労もなく出せる。
私はとうとう、この町で一番上手くなった。
窓に収まる町を、もう一度見た。
やがて、広場のそばで何かが倒れる音がした。人影がいくつか集まったが、何が起こったのかは見えなかった。少しすると、人々はまたそれぞれの方へ散っていった。
広場の端には掲示板があった。数字はここからでは読めなかった。
薄暗くなっても、ホーミーは止まなかった。
私は窓を閉めた。
町の声が遠のいた。部屋には私の呼吸の音だけが残った。
試しに、低音を出してみた。舌を動かし、第四倍音から第五倍音へ移る。
濁りはなかった。
私はもう一度出した。
やはり、完璧だった。
イー。イー。イー。イー。
最後の4文が言いたかっただけ