アビドス高等学校・対策委員会の教室。
埃っぽく乾いた風が吹き込む静寂を、アヤネの叫び声が切り裂いた。
「――っ、敵影確認! 多数の武装勢力がこちらに接近中です!」
アヤネが眼鏡を押し上げ、状況説明をする。
「主力は日雇いの傭兵部隊のようですが……その先頭に、傭兵たちを率いる別の小規模集団が確認できます!」
「うへ〜、珍しいこともあるもんだ。あんなに雇うの、結構値が張るはずなんだけどね〜」
ホシノがいつもの気の抜けた調子で伸びをしながら、よっこらしょと立ち上がる。
「これ以上の接近を許すと危険です! 先生、戦闘指揮をお願いします!」
アヤネの切迫した要請に、先生は「わかった」と力強く頷いた。
「今日はアビドスに駐留しているバンダナヘルメット団のみんなは出払っているし、タダオも買い出しに行っていて不在だ。手薄な状況だけど、力を合わせて乗り切ろう!」
「了解。先生、指示を」
シロコがアサルトライフルのマガジンを叩き込み、セリカとノノミもそれぞれの愛銃を手に駆け出していく。
ホシノたち前線メンバーが教室を飛び出し、アヤネもまた通信機器と支援ドローンを起動して後方支援の態勢へと入った。
先生もタブレット端末を起動し、即座に戦術指揮へ入ろうとした――その時、先生の胸の内を、ふとした違和感が襲った。
敵の接近を察知してから、全員が武装を整えて迎撃態勢を完了するまでの流れがあまりにもスムーズすぎる。
確かに、アビドスが頻繁に襲撃を受けるのは日常茶飯事であり、彼女たち一人ひとりが並外れた戦闘力を持つ精鋭であることは事実だ。だが、それを差し引いても初動が早すぎた。
まるで――初めから敵が襲来することを完全に把握していたかのようではないか。
それに、もう一つ。
(……タダオの買い出しの件も、引っかかる)
つい先ほど、ホシノとノノミは「備品が切れかけているから」と、横島一人にかなりの量の買い出しを頼んで送り出していた。
ただ単にタイミングが悪かったと言えばそれまでかもしれない。しかし――まるで意図的に、横島をアビドス校舎から遠ざけようとしていたのではないか、と先生は感じていた。
「先生! 間もなく接敵します!」
アヤネの緊迫した声に引き戻され、先生はハッと意識を切り替えた。
「――了解!」
思考を振り切った先生は、アヤネとともに前線指揮を執るべく廊下へと駆け出していった。
バタバタと遠ざかっていく足音。
やがて――対策委員会の教室には、誰一人いなくなった。
カーテンが乾いた風に揺れる、静まり返った部屋。
誰もいなくなった長机の上。
そこには、買い出しに出た横島に持たせたはずのびっちりと書き込まれた買い物メモが、ぽつんと置き去りにされていた。
* * *
アビドス高等学校、正門前。
砂混じりの風が吹き抜ける中、アビドス対策委員会と便利屋68が対峙していた。
重々しい沈黙と、張り詰めた睨み合い。
アサルトライフルを構えたシロコ、仁王立ちで構えるホシノ、すでに臨戦態勢を完了しているノノミとセリカ。
その一切の動揺を感じさせない佇まいに、ムツキは首を傾げながら疑問を口にした。
「あれれ〜? なんだか準備万端って感じだね〜。ここは、『お前たちはさっきの……!?』って驚くところじゃないの?」
「……気づいてたのは、どうやら向こうも同じだったみたいだね」
カヨコが鋭い視線で前方を見据える。
「まあ、ただでさえ人気の途絶えたアビドスに、見慣れない余所者が急に現れれば不審に思われて当然か……」
相手が完全に自分たちの正体と目的を見抜いていたのだと悟った瞬間、列の端にいたハルカの情緒が限界を突破した。
「す、すみません……! すみませんアル様っ!! やっぱりさっき遭遇した時に、あの場で全員始末しておくべきだったんですぅぅぅっ! 私がグズで無能なばっかりに、アル様のお手を煩わせるような事態に……っ! か、かくなる上はぁぁぁっ!!」
「ちょ、ハルカ! 待って!」
カヨコの制止も耳に入らず、ハルカは散弾銃を抱え込み、狂乱の叫びを上げながら単身で吶喊していった。
統率を乱す痛恨の暴走――だが、アルは動じなかった。
深紅のコートの裾を翻し、狙撃銃を構え直すと、カヨコの制止を上書きする。
「……いいえ、このまま行くわ!」
アルの真紅の瞳に鋭い光が宿る。
「下手に立て直そうとして隙を見せるより、こちらから一気に戦端を開いて流れを掌握する! 総員、攻撃開始ッ!!」
「うわぁ〜、アルちゃんが号令かけちゃった! いっけぇ〜☆」
「……了解!」
アルの檄に応じ、ムツキが笑いながら爆弾をばら撒き、後方に控えていた日雇い傭兵たちが一斉に引き金を引いた。
「来るよ〜、みんな!」
ホシノの号令とともに、シロコとセリカのライフルが即座に撃ち返される。
激しい銃火と爆風が校門前を包み込み、アビドスと便利屋68の全面衝突の幕が切って落とされた。
* * *
便利屋68の基本戦術は、シンプルでありながら極めて合理的かつ苛烈だった。
カヨコが前線指揮官として的確な指示を飛ばし、それを受けたハルカが驚異的なタフネスと狂乱の突破力で前進する――ハルカという規格外の突撃槍を前面に押し出す陣形だ。
「ハルカ、右から回り込んで」
「は、はいぃぃっ! カヨコ課長!!」
ハルカがショットガンを乱射しながら砂煙を突き破って突進してくる。
その猛進を押し止めようと、シロコとセリカが遮蔽物から身を乗り出して迎撃のトリガーを引こうとするが――。
「社長、あそこの遮蔽物に狙撃手。ムツキ、中央へ牽制を」
「任せなさい!」
「はーい☆ 特製プレゼントだよ〜ん!」
カヨコからの支援要請に寸分の狂いもなくアルとムツキが応える。
アルの放つ精密狙撃がセリカの足元を砕き、同時にムツキが放り投げた時限爆弾がシロコの目前で炸裂して射線を遮る。
反撃の手を封じられた隙に、ハルカが更にもう一段前線を押し上げる。
そして前線がこじ開けられた瞬間、後方に控えていたアルがすかさず日雇いの傭兵部隊をその間隙へと浸透させ、火網を何重にも張り巡らせてアビドスをじわじわと侵食していった。
さらに、防衛ラインを保とうとホシノが盾を押し出せば、絶妙なタイミングでムツキが死角から爆弾を投擲。轟音と粉塵で視界を奪われた一瞬の隙を突いて、再びハルカが散弾銃を轟かせながら前進する。
個々の技量や戦闘力で言えば、明らかにアビドス対策委員会の方が上だった。
だが――ハルカを核とした便利屋の完成された連携と、それを押し広げる傭兵たちの圧倒的な物量差が、ジリジリとアビドスを追い詰めていく。
「くっ……! 次から次へと……キリがないわね!」
「うへ〜、あの子たち、連携がエグいよ〜!」
数的不利の壁が重くのしかかり、戦況の天秤は確実に便利屋68側へと傾きつつあった。
* * *
後方の指揮拠点でタブレット端末の戦術マップを見つめる先生と、通信機材に張り付くアヤネの顔には、濃い焦燥の色が浮かんでいた。
校門前から徐々に後退を余儀なくされ、密集した敵が、まるで網を絞るようにアビドスの防衛線を侵食していく。
「ホシノ先輩の前線が押し込まれています……! シロコ先輩たちも左右からの十字砲火で釘付けにされて、身動きが取れません!」
アヤネの悲痛な報告を聞きながら、先生は冷や汗を拭い、敵の布陣を鋭く分析していた。
(初手のあの子……ハルカの吶喊。一見ただの暴走に見えたあの突出を、指揮官が一切慌てることなく起点にして、完全に戦場の勢いをかっさらっていったのが重く響いているな……)
突撃したハルカの隙を埋めるように即座に支援射撃を重ね、こじ開けた穴へ傭兵を流し込む。味方の特性、強み、そして欠点すらも完璧に把握していなければできない芸当だ。
敵ながら見事な指揮だと舌を巻く。だが、感心している場合ではなかった。
完全に主導権を奪われたこの状況を、正攻法の戦術で押し戻そうにも――如何せん、こちらには頭数が圧倒的に足りない。
(まともに押し返そうとすれば、こちらの戦力がすり潰されるだけだ。この悪い流れを断ち切るには……戦場全体を一発ぶん殴るような、敵も味方も予想できない衝撃をぶち込んで、盤面をひっくり返すしかない)
常識的な戦術の範疇を軽々と踏み越え、ハッタリと奇策で混沌を作り出す一手。
それはまさに――。
(……そういうのは、タダオの十八番なんだけどね)
脳裏に浮かぶのは、赤いバンダナを巻いた調子のいい少年の顔。
だが、その肝心の切り札は、今この場にいない。
戦況を打破するために最も欲している手を図らずも自分たちで遠ざけてしまったという皮肉な状況に、先生はタブレットを握りしめたまま、思わずといった様子で苦い息を漏らした。
「……参ったな」
ぽつりとこぼれたその呟きが、重く響いた。
* * *
激しい銃撃が飛び交う最前線。
巨大な防護盾に無数の弾丸を受け止めるホシノもまた奥歯を噛み締めていた。
盾の隙間から覗く戦況は、完全に相手のペースだ。
ハルカの暴力的な突進を軸に、カヨコが冷静にこちらの打つ手を見切り、アルの狙撃とムツキの爆撃がこちらの反撃の芽をことごとく摘み取っていく。
まともに押し返すには頭数が足りず、この窒息しそうな攻勢を破るには、戦場全体の空気を力任せにぶっ壊すような予測不可能な一撃が必要不可欠だった。
そして――後方の先生と同じその結論に辿り着いた瞬間、ホシノの口から、張り詰めた戦場に似つかわしくない特大の愚痴がぽろりとこぼれ落ちた。
「いやあ〜……横島くんを命の恩人とこんな形で再会させるのもな〜、と思ってお使いに行かせたらさぁ……。まさか、横島くんが一番いてほしい状況に陥るとか……そんなことある〜!?」
盾の裏で天を仰ぎ、情けない声を上げるホシノ。
隣の遮蔽物からマガジンを交換していたシロコが、「ん、裏目に出た」と短く呟いた。
「うへ〜、どうしよ〜。いっそ今すぐ『ごめん戻ってきて!』って泣きついちゃう?」
盾に銃弾の雨を受け止めながら、ホシノがヘラヘラと冗談めかして言った。
だが、その軽口にすかさず待ったをかけたのは、すぐ隣で身を屈めていたシロコだった。
「……ん、やめたほうがいいと思う」
シロコはアサルトライフルのボルトを前進させ、視線を敵陣の奥――紅いコートを翻す少女へと向ける。
「横島の話でしか知らないけど……あの陸八魔アル、聞いてたのとだいぶ雰囲気が違う。もっと情けなくて、お人好しで、横島みたいなのだって聞いてた。……でも、今は完全に違う人間の顔をしてる。今あの二人を合わせたら、良くないことになる気がする」
「じゃあ、どうするんですかシロコ先輩!?」
遮蔽物の隙間から応射しながら、セリカが焦燥を滲ませて怒鳴る。
「このままじゃ押し切られちゃうわよ!」
「ん、私にいい考えがある」
シロコは短く息を吸い込むと、通信を後方の先生とアヤネにも繋ぎ、淡々と、しかし確信に満ちた声で自らの策を口にし始めた。
* * *
硝煙渦巻く前線で、カヨコはふと眉をひそめた。
(……アビドスの迎撃体制が変わった?)
違和感は明白だった。
先ほどまでは、防衛の要である小鳥遊ホシノが巨大な盾を掲げて中央に居座り、突進してくるハルカを何とか削ってこちらの侵攻を力任せに止めようとしていた。それをカヨコの的確な指示とアルの狙撃、ムツキの爆破でフォローし、アビドスの抵抗をジリジリと圧殺していたのだ。
だが、今の戦線からホシノの姿が完全に消えていた。
前線ではシロコとセリカの二人が左右から攻撃を仕掛けてハルカの足を鈍らせようとし、ノノミは持ち前のミニガンで傭兵部隊との弾幕の張り合いに徹している。
ホシノという壁がいなくなったことで、勢いづいたハルカはさらに深く前線を押し込んでいた。
一見すれば、防衛線が崩壊しかけているようにも見える。
だが、カヨコの直感が警報を鳴らしていた。
(……奇襲狙いか)
では、標的は?
突出して暴れ回るハルカの背後を突くか。
あるいは――ハルカを操縦し、前線指揮を執りながら後方のアルたちとの連絡線となっている、自分か。
カヨコがそこまで思考を巡らせ、ハンドガンの銃口を自らの死角へと振り向けようとした――まさにその刹那。
「――よっ、とおおおおっ!!」
頭上を覆い尽くす影とともに、砂煙を切り裂いて巨大な鉄の盾がカヨコの視界を埋め尽くした。
ホシノの魔手がカヨコに届くと思われたその瞬間、
ズガァァァァンッ!!
空気を切り裂く鋭い破砕音とともに、後方から放たれた一筋の弾道がホシノの懐へと直進した。
アルによる後方からの精密狙撃。
ホシノは空中で咄嗟に盾の角度を変え、その一撃を真正面から受け止めた。
キィィィン、と甲高い金属音が響く。
だがその一瞬、ホシノの脳裏を稲妻のように思考が奔った。
(……なんで、私、わざわざ盾で防いだ?)
ヘイローを持つキヴォトスの生徒にとって、銃弾一発など大したダメージにはならない。ましてやホシノほどの規格外の強者であれば、肉体で受けてそのままカヨコを叩き潰すことすら容易なはずだった。
にもかかわらず、身体が、本能が、「盾で防ぐ」という選択を強制していた。
その違和感の正体に、ホシノはすぐさま気づく。
盾の中央に突き刺さったアルの弾丸。それが禍々しい赤い光を帯びて脈動し、盾に喰らいついた弾丸からアルによって込められた「神秘」の密度を爆発的に膨れ上がらせていた。
(ヤバ……ッ!)
直後に訪れる現象を予期し、ホシノは歯を食いしばって両腕に力を込め、盾を抱え込むようにして衝撃に備えた。
ドォォォォォンッ!!
圧縮された赤いエネルギーが至近距離で炸裂した。
凄まじい爆風と衝撃波に煽られ、アビドス最強の盾が、砂煙の彼方へと派手に吹き飛ばされる。
「ホシノ先輩ッ!?」
砂塵の向こうへ転がっていくホシノを目撃し、シロコが血相を変えた。遮蔽物を飛び出し、救出のために無防備に駆け出してしまう。
その致命的な突出を、カヨコが見逃すはずもなかった。
「ハルカ! 仕留めて!」
「は、はいぃぃっ!!!」
カヨコの指示を受け、ハルカが瞬時に疾走。
突出したシロコの至近距離へ肉薄し、抱えた散弾銃の引き金をゼロ距離で引いた。
ドガァァァンッ!!
散弾の嵐をモロに浴びたシロコが、くぐもった呻き声を上げて砂利の上へ崩れ落ちる。
「シロコ先輩ッ!!」
セリカが悲鳴を上げながら猛ダッシュで飛び込み、被弾したシロコを掴んで強引に後退させ始めた。
「逃がさない……!」
完全に血が上ったハルカは、カヨコの指示を待つことなく単身で追撃を開始する。
大ダメージを受けた二人を一気に殲滅しようと、カヨコもまたハルカに追随して詰め寄ろうとした――だが。
「――よそ見は、ダメだよッ!!」
爆炎を突き破り、泥まみれになりながら即座に態勢を立て直したホシノが猛烈な勢いで強襲してきた。ショットガンの連射と重厚な突進がカヨコの進路を強引に塞ぐ。
「くっ……!」
カヨコはホシノに足止めされ、ハルカは単身で突出。後方に陣取るアルたちからも、砂煙と瓦礫に遮られて前線の微細な変化までは目が届かない。
暴走モードのハルカは、背を向けて逃げるシロコとセリカしか見えていなかった。
だからこそ、シロコとセリカ二人が後退していく先の地面が――そこだけ色がわずかに濃く、まるでつい先ほど掘り返されて埋め戻されたばかりのようになっていることに、誰一人として気づくことができなかった。
「死んでくださ――」
ハルカが銃口を持ち上げ、その射程に二人を捉えた――まさにその瞬間。
ズボォッ!!
「!?」
けたたましい音とともに足元の地面が突如としてごっそりと抜け落ちた。
ハルカの身体が、すっぽりと深く掘られた落とし穴の中へと吸い込まれる。
「今よッ!」
「ん!」
逃走していたはずのシロコとセリカが、示し合わせたように完璧な反転を見せた。
いつの間に準備していたのか、シロコの手には土木工事用のスコップが、セリカの手には地面を力強く打撃して深く締め固めるタンピングランマーがガッチリと握られていた。
「ん! ん! ん!」
シロコが無表情のまま、凄まじい高速ピストンで周囲の土砂をハルカが嵌まった落とし穴の中へザクザクと投げ入れていく。
「食らいなさいッ! アビドスエイリアンの術ッッ!!」
ガガガガガガガッ!!
セリカが唸るランマーを押し当て、シロコが放り込んだ土砂を猛烈な振動と圧力でガッチガチに締め固めていく。
「うわああぁぁぁ!? 体が、抜けな――んぐぅぅぅっ!?」
ものの数秒。
砂煙が晴れたそこには、カチカチに押し固められた地面から、首から上だけを虚しく覗かせて目を回しているハルカの姿が取り残されていた。
戦場の、風向きが変わった。