ヨコシマアーカイブ   作:十郎五郎

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第2話

ギィ……ガチャン。

 

ゲヘナ学園・風紀委員会本部の重厚な扉が開き、その中から陸八魔アルがトボトボと疲れ果てた足取りで出てきた。

 

正面口に立っていた歩哨の風紀委員が、呆れたような視線を向ける。

アルはズレた眼鏡を直すと、歩哨に向かって腰を九十度に折り曲げ、深々とお辞儀をした。

 

「お、お世話になりました……」

 

「……もう二度と来るんじゃないぞ」

 

まるで刑務所から出所してきたかのようなやり取りを交わし、アルは再び肩を落として歩き出した。

 

重い溜息を吐きながらしばらく歩き、風紀委員会の本部建物から少し離れた曲がり角に差し掛かった、その時だった。

 

「くふふ〜。お勤めご苦労さま、アルちゃん♪」

 

「ひゃあっ!?」

 

聞き慣れた小悪魔めいた笑い声とともに、物陰からひょっこりと小柄な少女――浅黄ムツキが姿を現した。

突然の幼馴染の出現に、アルは心臓が飛び出るかと思うほど跳び上がって驚いた。

 

「ム、ムツキ!? い、いきなり脅かさないでよ!」

 

そして、ムツキの言った『お勤めご苦労さま』というフレーズの意味にハッと気づき、アルは顔を真っ赤にしてブンブンと両手を振って抗議した。

 

「ち、違うわよ! 『お勤め』って、人聞きが悪いこと言わないで! 私はただ重要参考人として事情聴取されただけで、別にブチ込まれてた訳じゃないんだからっ!!」

 

必死に弁明するアルの周りを、ムツキは面白そうにクルクルと回りながら、いたずらっぽく目を細めてニヤニヤと笑う。

 

「またまた〜、隠さなくてもいいのに。噂で聞いたよ? 謎の男と一緒に街をド派手に吹き飛ばして、おまけにあのヒナを散々振り回して逃げ切ったんでしょ?」

 

ムツキはアルの肩にポンと手を置き、心底楽しそうに肩を揺らして揶揄った。

 

「いやあ、まさかここまでの大事件を起こしちゃうなんてさ。アルちゃん、もうすっかり『稀代のワル』だね〜♪」

 

「だ、だから私は巻き込まれただけなんだってばあああーーっ!!」

 

「冗談だよ、冗談♪ アルちゃんに、そんな大それたことができるわけないもんね。ほんと災難だったね〜」

 

お腹を抱えて笑うムツキに、アルは肩の力を抜いて、心の底から疲れ切ったような深い溜息を吐き出した。

 

「はぁぁ……本当にね……」

 

心底実感のこもったその呟きに、ムツキはぴたりと笑うのを止めた。

表情こそいつものニコニコとした笑顔のままだが、その瞳の奥からスッと温度が消え、どこかドス黒い殺気のようなものが滲み出る。

 

「――それでさ。アルちゃんをそんな目に遭わせた挙句、自分だけ逃げてアルちゃんを身代わりにした『クソ野郎』は、いったいどこに行ったのかな……?」

 

声のトーンは明るく弾んでいるのに、背後にはゴゴゴゴ……と目に見えるような怒りのオーラが渦巻いている。大切な幼馴染に泥を被せてトンズラした(とムツキが認識している)見知らぬ男に対し、ムツキは内心で腸が煮えくり返るほど怒り心頭だったのだ。

幼馴染のその分かりやすい静かなるブチ切れっぷりを察し、アルは慌てて手を振ってなだめた。

 

「あー、もう、そんなに怒らなくていいわよ。別に身代わりにされたわけじゃないの。……私が風紀委員会にいずれ捕まるだろうってことは最初から分かってたし、捕まってもそこまでの大事にはならないだろうとも思ってたから……」

 

「……ふーん?」

 

アルの言葉を聞いたムツキは、小首を傾げて気のない相槌を打ちつつ、内心で小さく眉をひそめた。

 

(なんか今の言い草、普段のアルちゃんらしくないなぁ……)

 

ムツキの知る陸八魔アルという少女は、アウトローに憧れつつも根はお人好しで、トラブルに巻き込まれればパニックになって右往左往するタイプだ。風紀委員会に捕まることを事前に予測し、しかも「大事にはならない」とタカを括って落ち着いているなど、普段の彼女からはちょっと考えにくい計算高さである。

 

そんなムツキの疑問をよそに、アルは遠い目をして、数時間前――ヒナを再び撒き、横島忠夫と別れた時の記憶を回想する。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

『サイキック猫だまし』で空崎ヒナの視覚と聴覚を奪い、行動不能にした直後のことである。

 

「アルちゃん、今のうちにずらかるぞ! 足跡と気配は俺が消すから、遅れずについてこい!」

 

横島は呆然としていたアルの手首を掴んで路地裏から飛び出すと、入り組んだ裏通りの雑踏へと滑り込み、迷いのない足取りで先導し始めた。

 

しかも横島は、ただ足早に移動するだけではない。

通りに面した露店や古着屋の軒先を通り過ぎる際、歩く速度を一切落とすことなく、陳列されていた手頃な上着や帽子、さらにはサングラスなどを流れるような手つきで次々と失敬していくのだ。

そして、駄賃とばかりにキヴォトスの流通通貨である『クレジット』を、レジの皿や商品棚へと放り投げていく。

 

(な、なんて鮮やかな手口なの……! 万引きなんだか買い物なんだか分からないけど、手癖が悪すぎるわ……!)

 

そのあまりにも手慣れた変装工作にドン引きしつつ、アルはふと重大な矛盾に気づき、前を歩く横島に小声で尋ねた。

 

「ちょ、ちょっと横島くん! あなた、さっきキヴォトスに来たばかりって言ってたわよね!? なのになんで、キヴォトスの『クレジット』なんて持ってるのよ!?」

 

すると横島は、失敬したばかりのジャケットを器用に羽織りながら振り返った。

 

「ん? ああ、これか? さっき霊波砲で街を吹き飛ばした時にな、吹っ飛んだ不良どもから『慰謝料』としてちょっとばかし貰っといたんだよ」

 

「…………」

 

悪びれもせず言い放つ横島。

つまり彼は、あの狂乱状態から正気に戻って「正当防衛だ」とブツブツ言い訳をしていたわずかな隙に、ちゃっかり気絶したスケバンやヘルメット団の懐から現金を回収していたのである。アルは顔を引きつらせてさらに一歩距離を取った。

 

(や、やっぱコイツ……いろんな意味でヤバいわ……っ!!)

 

そんなアルの冷ややかな視線などどこ吹く風で、横島は歩きながら一通りの着替えを済ませ、目深に被った帽子とサングラスで手際よく人相を変えた。

 

「よし、こんなもんだろ。ちょっとそこらで一息ついて、作戦会議と行くか」

 

横島はそう言うと、裏通りの角にあったあまり目立たない喫茶店のドアを開け、アルを伴って中へと入った。

 

店の奥まったボックス席に向かい合って腰を下ろすと、横島はサングラスを少しずらし、今後の身の振り方についてアルへと切り出した。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

運ばれてきたコーヒーをすすりながら、横島はアルから『キヴォトス』という街の成り立ちや勢力図について、より詳しい情報を聞き出していた。

数多の学園がそれぞれ独自の自治区を持ち、事実上の独立国家のように機能していること。それらを束ねる『連邦生徒会』という組織があること。そして今いるこの場所が『ゲヘナ学園』の自治区であり、さっきの空崎ヒナ率いる風紀委員会が治安維持を担っていること――。

 

ひとしきりの情報交換を終えると、横島はカップをソーサーに置いた。

 

「なるほどねえ……。つまり、あのちっこい風紀委員長の管轄は、あくまでこのゲヘナ自治区の中だけってわけか。なら話は早い。さっさとゲヘナの外へ出ちまえば、風紀委員会もそれ以上は越権行為になって追ってこれないだろ」

 

横島はアルからの聞き取りをもとに紙ナプキンにメモしたキヴォトス簡易マップのある一点を指差した。

 

「よし。ここを出た後は、とりあえずこの『ブラックマーケット』ってあたりに潜り込もうと思う」

 

「ぶ、ブラックマーケットぉ!?」

 

横島の口から出た思いがけない地名に、アルは思わず椅子から身を乗り出して声を上げた。慌てて口元を押さえ、周囲の客の視線を気にしながら、声を潜めて必死に説得を始める。

 

「ちょ、ちょっと横島くん、本気で言ってるの!? あそこはどこの学園の管轄にも属さない、連邦生徒会ですらアンタッチャブルな超無法地帯なのよ!? 違法な武器商人やマフィア、指名手配犯とか、スラム街の本当にヤバい連中が集まる吹き溜まりで、あんなところに行ったら――」

 

そこまで一気にまくし立てたところで、アルはピタリと言葉を止めた。

 

思い出されるのは、ここ数時間のあいだに彼が見せた所業の数々だ。

 

ロケット弾が飛んでくれば卑猥の妄言を叫び、力を得れば狂ったように笑いながら街の一区画を更地へと変え、気絶した不良たちからはちゃっかり追い剥ぎを働く。

さらに警察組織である風紀委員会の包囲網をプロの工作員顔負けの隠密術で翻弄し、ゲヘナ最強のヒナ相手に死んだふりからの卑怯な目潰しを食らわせて逃走、その道すがら露店で鮮やかに変装用の服を失敬する――。

 

(……あれ?……むしろ横島くんにブラックマーケット以上に相応しい場所なんてないんじゃないかしら……?)

 

まさに水を得た魚になりそうな予感しかしない。

すーっ、と急速に冷静さを取り戻したアルは、背もたれに体重を預け、呆れ半分に乾いた笑みを浮かべて頷いた。

 

「……うん、そうね。ブラックマーケット、すごく良いんじゃないかしら。きっと横島くんならすぐに馴染めると思うわ」

 

「おう、そうか? なら決まりだな!」

 

なぜ急にアルが手のひらを返して賛成してくれたのか、その真意に横島は最後までまったく気づかなかった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

自分の身の振り方をあっさり決めた横島だったが、そこでふと真顔に戻り、視線を向かいに座るアルへと向けた。

 

「――で、だ。俺はともかくとして、問題はアルちゃんがこれからどうするか、なんだよな」

 

「え? わ、私?」

 

「ああ。俺は今日この世界に突然降って湧いた人間だ。戸籍もなけりゃ家もねえから、うまく姿をくらませばそれっきりだけど、アルちゃんは違うだろ?」

 

横島は妙に落ち着いた、理路整然とした口調で言葉を続けた。

 

「さっきの風紀委員長……ヒナって言ったか? あいつ、アルちゃんの名前も、なんか計画してる会社のことも全部知ってたよな。つまり、この街の住人であるアルちゃんには、家やら学校やら友人関係やら、足がつく取っ掛かりが無数にあるってことだ。当局がその気になりゃ、それらを辿っていつだってアルちゃんを確保できる」

 

「うっ……そ、それはそうだけど……」

 

「ただまあ、さっきやり合ってみた感じ、あの風紀委員長は、俺を取り逃がしたからってアルちゃん捕まえて無事検挙、シロでもクロにするとか理不尽なことするような腐敗した組織のトップってわけじゃなさそうだった。なら、変に逃げ回って心証を悪くするより、自分から出頭した方がいい」

 

横島は身を乗り出し、言い聞かせるように指を立てた。

 

「いいか? 今回の騒動で街をぶっ壊した主犯はあくまで『横島忠夫』っていう謎の凶悪犯で、アルちゃんは不幸にもそいつに巻き込まれて人質みたいに連れ回されただけの『善良な一般生徒』だ。それを正直に風紀委員会に話すんだ。保護してもらう形にするんだよ。――でないと、アルちゃんが俺の一味だと勘違いしたさっきのスケバンやヘルメット団どもが、逆恨みして報復に来るかもしれねえからな」

 

自分ひとりにすべての罪とヘイトを被せ、アルを「巻き込まれた被害者」として安全圏へ逃がすための事後処理の提案。

自分を庇ってロケット弾の盾になってくれた少女に対する、横島なりの誠意であり、同時に修羅場を潜り抜けてきた知恵でもあった。

 

「…………」

 

向かいの席でそれを聞いていたアルは、何とも言えないような目をした。

 

(……なんか、警察とか当局とのやり取りに、随分と手慣れてるわね……)

 

出頭のタイミング、組織の腐敗度の見極め、供述のすり合わせによる罪状のコントロール、さらには敵対勢力からの報復リスクの計算まで。

どう考えても真っ当な一般人の知識ではなく、日頃から警察や自治組織とやり取りを繰り返している人間のノウハウである。

 

出会った頃なら「やっぱり本物の犯罪者じゃないの!?」と大騒ぎしていたところだが、ここ数時間で横島の生態を嫌というほど見せつけられてきたアルは、もはやあまり驚きもしなくなっていた。

 

「……ふぅ。そうね、確かに横島くんの言う通りかもしれないわ」

 

半ば悟りを開いたような遠い目で、アルは素直にコクリと頷いたのだった。

 

「で、さっき言ってた『便利屋』の計画ってやつだけどさ。具体的にはどんなもんなんだ? もしやっちゃってる悪事がヤバい内容なら、風紀委員に話す時の供述もすり合わせといたほうがいいしな」

 

横島がそう尋ねると、アルは少しバツが悪そうにポツポツと詳細を語り始めた。一体どんな悪事をしているのかと身構えていた横島だったが、話を聞いてみると「ちょっとカッコいいワルに憧れて、裏社会のビジネスを真似てみようとしている」という、微笑ましい(しかし少しズレた)内容だった。

 

「……なんだ、そんくらいなら大したことねえな」

 

拍子抜けしたように笑うと、横島はスッと表情を引き締め、先輩風を吹かせるようにアルへと言い含めた。

 

「いいかアルちゃん。とにかく余計な嘘をつくな。いらん嘘ついても、プロの取り調べではすぐボロが出る。かといって、自分の不利になるようなことを自分からペラペラ喋る必要もねえ。……基本は『聞かれたことだけ、簡潔に答える』。これ鉄則な」

 

「ハイ……ハイ……」

 

妙に説得力のあるアドバイスに、アルは素直にこくこくと頷いた。警察沙汰の場数だけは踏んでいる男の言葉だけに、妙な重みがある。

 

アルの今後についての現実的な話し合いも一段落し、カップを片付けた横島は「それじゃ、そろそろ行くか」と席を立って喫茶店の出口へ向かおうとしたその瞬間、横島はふとテーブルに両手をついて、アルに向かって深く頭を下げた。

 

「……本当に助かったよ、アルちゃん。右も左もわかんないこの街で、君がいなかったら俺は初っぱなから流れ弾でハチの巣にされてお陀仏だった。命の恩人だ、ありがとな」

 

「あ、頭を上げてよ横島くん……! 私だって、ただ成り行きで……」

 

面食らったように慌てるアルの前で、横島は顔を上げると、どこか寂しげな、しかしどこかすっきりした笑みを浮かべた。

 

「もう俺なんぞと関わりになりたくねえだろうけどさ……。一応、これでも厄介事には慣れてるから。もしこれから先、何かとんでもねえことに巻き込まれたりしたら、頼ってくれ。力になるからさ」

 

そう言って、横島はポケットから何かを取り出した。

手のひらに載せられていたのは、ほんのりと不思議な緑色の光を帯びた、ビー玉のような珠だった。

 

「これ、俺の手製のお守りみたいなもんだ。……いらねえなら捨ててくれていいから」

 

横島はそれをアルの手にそっと握らせた。

喫茶店を出て、雑踏の残る裏通りをしばらく一緒に歩した後、二人はそれぞれの進むべき方向へと分かれた。

 

「それじゃあな、アルちゃん。元気でな!」

 

「う、うん……! 横島くんも、気をつけてね……!」

 

背中合わせに歩き出し、それぞれの道を歩み始める。

帰り道、アルはふとポケットから、横島に渡された緑色のビー玉を取り出してじっと見つめた。

 

(……あの不審人物から渡された以上、絶対マトモなものじゃないわよね……)

 

手のひらの上でうっすらと発光するソレからは、キヴォトスの『神秘』とはまったく違う、異様な気配が漂っている。

しかし、今日一日を振り返ってみれば、あの胡散臭い男はなんだかんだで自分を巻き込まないように立ち回り、最後にはこうして身の安全まで真剣に考えてくれたのだ。

 

(まあ……持っててお守りになるっていうなら、持っておくくらいなら……悪くないか)

 

少し複雑な笑みを浮かべながら、アルはそっとそれをポケットの奥深くにしまい込んだ。

 

――そして、その数時間後。

横島の読み通り、あるいは予期していた通り、アルが帰宅したことを自宅を張っていた風紀委員が確認。

連絡を受けた空崎ヒナが急行してアルの身柄を確保、そのまま本部へと連行し、厳重な取り調べが行われることとなるのである。

 

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