湯気と香ばしい醤油の香りが満ちる『柴関ラーメン』の店内。
テーブル席とカウンターは、アビドス対策委員会、先生、そして横島とバンダナヘルメット団の面々でぎっしりと埋め尽くされていた。
発端は、カタカタヘルメット団を追い散らした直後のこと。
ホシノが「さてさて、横島くんが無事にシャバに出てきたことだし、出所祝いといきますか〜」と気の抜けた声で言い出し、全員で柴関へと繰り出すことになったのだ。
そんな賑やかな店内を、バイト着姿のセリカが忙しなくホールを駆け回っている。ちょうどバイトのシフトに入っていたらしい。
お冷を配り終えたセリカの背中に、カウンター席に陣取っていたバンダナヘルメット団の少女たちが、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべて声をかけた。
「お〜い、セリカちゃ〜ん。あーんで食べさせてくれよ〜」
「ウチはそういうお店じゃないの! 自分で食べなさいよ!」
すかさずピシャリと切り捨てるセリカ。だが、横島の薫陶を浴びて図太くなったヘルメット団が、その程度で怯むはずもなかった。
「痛たたたた! あーっ、さっきアビドスに駆けつけた時に受けた傷が痛むなぁ〜!」
「あたたたた! 腕が上がらねえや、自分じゃ箸も持てないなぁ〜!」
「セリカちゃんにフーフーしてもらって、あーんしてもらったら一発で治るんだけどなぁ〜!」
大根役者も真っ青のわざとらしい痛がり方で、肩や腕を押さえて大騒ぎする不良たち。
セリカは心底うんざりしたようにため息を吐き出すと、氷のように冷たいジト目を向けた。
「……アンタら、いよいよもって横島化が深刻ね」
吐き捨てるように放たれた痛烈な一撃。
その瞬間、絡んでいたヘルメット団の少女たちの表情から一切の冗談めいた色が消え去った。
「「「…………」」」
少女たちは、まるで人としての尊厳を根こそぎ踏みにじられたかのような悲壮な顔になると――無言のまま、愛銃を抜き放った。
そして、それぞれの銃口を深々と己の口へと咥え込み、カタカタ、ガチガチと激しく歯を震わせながら、虚空を見つめて絶望の呟きを漏らした。
「「「……た、耐え難し……ッ!」」」
「どういう意味だ貴様らあああーーっ!」
横島が立ち上がって猛烈に椅子を蹴り飛ばしながらツッコミを入れる。
その騒々しくもどこか気の置けないやり取りを横目に、先生はレンゲを口に運びながら、穏やかな笑みを浮かべた。
「ふふ、みんな本当に仲が良いんだね」
「仲良くなんかないわよ!」「誰がこんなヤツと!」とセリカとヘルメット団が同時に叫ぶ中、厨房の奥からチャッチャッと湯切りの小気味よい音が響いた。
暖簾をくぐって顔を出したのは、柴犬の獣人である柴関の店主――柴大将だった。
「セリカちゃん、せっかく友達がみんなで来てくれてるんだ。ちょっと早いが、もう休憩に入っちまいな」
「えっ、でも大将、まだ注文も残ってるし……」
「いいからいいから。あとは俺一人で十分回せるさ。ほら、行っておいで」
人の良さそうな笑顔で促され、セリカはしばし逡巡したものの、ぺこりと頭を下げてエプロンを外した。
「……もう、仕方ないわね」と呟きながら、ホシノたちの座るテーブル席の端へと腰を下ろし、輪の中へと混ざっていく。
セリカが席に着いたのを見届けた柴大将は、布巾で手を拭きながら、先生の元へとゆっくり歩み寄ってきた。
そして、隣でラーメンのチャーシューを頬張っている横島をチラリと流し見ると、眉間に複雑なシワを寄せ、極めて言いにくそうに口を開いた。
「……アンタが、横島の面倒を見てくれてるっていうシャーレの先生かい?」
「あ、はい。そうです」
「そうかい、そうかい……。いやぁ、その……なんだ……」
大将は視線を泳がせ、首の後ろをポリポリと掻きながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「まあ、その……確かにコイツの言動には、多少……いや、中々……というか、かーなり面食らうことも多いかもしれないが……。本当に、根は悪いヤツじゃないんだ……。だから、その……どうか大目に……できれば長い目で見てやってくれないかい……?」
これ以上ないほど歯切れの悪い、気まずさと申し訳なさが限界突破したようなフォロー。
「根は悪いヤツじゃない」と言いながらも、その前後に積み上げられた無数の言い淀みが、横島の普段の行いを雄弁に物語っていた。
先生は引きつりそうになる口元を必死に抑え、柔らかな笑みを作って頷いた。
「ええ、もちろんですよ……」
「そ、そうかい……!」
安堵したように厨房へ戻っていく柴大将の背中を見送りながら――先生の胸中には、言葉にできないモヤモヤとした感情が渦巻いていた。
(……あの見るからに人柄の良い大将に、あそこまで歯切れの悪い物言いをさせるって……)
隣で「大将! ニンニクマシマシで替え玉ァ!」と呑気に叫んでいる横島を見つめながら、先生は静かに胃のあたりを押さえるのだった。
* * *
柴関ラーメンでの賑やかな「出所祝い」から明けた翌朝。
アビドス高等学校・対策委員会の教室の机の上には、昨日の戦闘でカタカタヘルメット団から鹵獲した銃火器の数々がずらりと並べられていた。
やたら高性能な銃火器や闇でしか流通していないような違法武器が含まれており、ただのヘルメット団では到底入手できないものばかりだった。
「装備だけなら、ウチの連中みたいだな……」
横島の言葉に、教室の空気がスッと冷え込んだ。
バンダナヘルメット団の装備は、カイザーから掠め取った資金で雑多なヘルメット団とは比べ物にならないものを整えていた。
そして、カタカタヘルメット団が、同じような装備を身に纏ってアビドスを襲撃してきた――その事実が意味するものは、あまりにも明白だった。
「……ついに、カイザーの上層部にバレたってことかしら」
セリカが重々しく口を開く。教室全体に、不穏な影が落ちる。
だが、横島は顎に手を当てて考え込んだ。
「いや、まずは確認だ。俺がお勤めに入ってウチの連中が動けなくなったから、上に怪しまれないよう窓口の担当が適当な別のヘルメット団を雇って茶を濁したのか……それとも、マジでカイザーの上の連中に八百長を嗅ぎつけられたのか」
「うへ〜、まあ多分、後者だろうね〜」
パイプ椅子をギッコンバッタン揺らしながら、ホシノがのんびりと、しかし妙に冷徹な声で割り込んだ。
「こういう時は悪い方の想定で動いた方が怪我しないよ。カイザーからお金チューチュー作戦は、もう潮時ってこと。別のシノギを考えよ〜。幸いなことにさ、おじさんがプールしておいた種銭のおかげで、次の選択肢を選ぶ余裕はたっぷりあるしね〜」
やたらと「おじさん」の部分を強調してドヤ顔を決めてくるホシノに、横島は「はいはい、ファインプレーでしたねー」と半目で流す。
そのまま始まった緊急対策会議だったが――案の定、まともな着地点は見つからなかった。
シロコが銀行を襲うとぶち上げたと思えば、ノノミがスクールアイドルになると言い出し、セリカがそれらにツッコみ、ホシノが混ぜっ返す。
横島などエビの養殖ビジネスを立ち上げて出資を募るなどと、どこかで聞いたような詐欺を提案してくる始末。
埒が明かない議論の末、理性が限界突破したアヤネがちゃぶ台返しを発動させて、本日の会議はあえなく強制終了、お開きとなったのだった。
* * *
その日の夜。
柴関ラーメンでのアルバイトを終えたセリカは、人気のない夜の路地を一人、重い足取りで歩いていた。
昼間の会議の内容が、頭から離れない。
もし本当に、カイザーの上層部にあの八百長マッチポンプが露見していたのだとしたら――。
(……アタシたちアビドスは、美味しい収入源が途絶えただけで済むかもしれない。でも……)
セリカはぎゅっと拳を握りしめた。
実際にカイザーの前に立ち、矢面に立って取引をしていたのは横島であり、バンダナヘルメット団の少女たちだ。
企業のメンツを潰され、金を騙し取られていたと知れば、カイザーが真っ先に報復の矛先を向けるのは彼女たちに違いない。
(……あのヘルメット団のバカども、最近妙にアビドスに懐いて手伝ってくれてたのに……。目の敵にされて、消されたりしないかしら……。まあ、あのしぶとい横島さんがいるから大丈夫だとは思うけど……)
頭ではそう割り切ろうとしても、胸のざわつきは収まらなかった。
「――おーい、セリカー」
不意に、背後の暗がりから間の抜けた声がかけられた。
ピクッと肩を揺らし、セリカは足を止めて振り返る。
街灯の薄暗い明かりの下に立っていたのは、見慣れたヘルメットを被った一人の少女だった。
セリカはその姿を一瞬、ジッと凝視した。
首元には見慣れた赤いスカーフ。ヘルメット団の風貌。昼間や昨晩、柴関で軽口を叩き合っていたバンダナヘルメット団の姿そのものに見える。
「……なによ。急に声をかけるからびっくりしたじゃない」
セリカは呆れたような調子で口を開き、小さく息を吐いた。
「どうしたのよ、こんなところで――」
そう言いながら、セリカの手は目にも留まらぬ速さで自分の銃へと伸びていた。
バァンッ!
「ぎゃっ!?」
一切の躊躇なく引き抜かれたアサルトライフルが火を噴き、銃弾が少女の足元を派手に弾き飛ばした。
セリカは即座に踵を返し、夜の闇の中へ向かって全力疾走で逃走を開始する。
背後から、足元を撃たれたヘルメット団の少女が声を張り上げた。
「な、何すんだよセリカぁっ! いきなり撃つことないだろ!?」
肩越しに振り返ることなく、セリカは走りながら唾を吐き捨てるように怒鳴り返した。
「あんたに名前呼びされる筋合いなんてないわよ!!」
呼吸を乱すこともなく、セリカが鋭く言い放つ。
「友達のフリして近寄ってくるような怪しい奴、マトモに相手にするわけないでしょ!!」
刹那に感じた違和感だけで、セリカは相手が「友達」ではないことを見抜いていたのだ。
その言葉を聞いた瞬間、ヘルメット団の少女の態度が一変した。
先ほどまでの気の抜けた声は消え失せ、底冷えするような凶暴な舌打ちが路地に響く。
「――チッ、勘のいいヤツ!」
少女は乱暴に首元の赤いスカーフを引きちぎると、懐から無線機を取り出して怒鳴り散らした。
「バレた! 囲め、逃がすな!!」
バンダナヘルメット団に偽装し、セリカを油断させて拉致しようと目論んでいたカタカタヘルメット団の追手が、路地の闇の中から一斉に湧き出してきた。
夜の静寂を切り裂く乾いた銃声と、アスファルトを砕く甲高い弾着音。
セリカは全速力で入り組んだ路地へと飛び込んだが、敵の数は一人や二人ではなかった。建物の屋上、十字路の物陰、果ては路地の出口にまで、黒いヘルメットの影が次々と湧き出してくる。
「くっ……!」
多勢に無勢。四方八方から浴びせられる十字砲火の前に、遮蔽物へ身を滑り込ませるのが精一杯だった。
そして、至近距離で炸裂した榴弾の衝撃波が身体を吹き飛ばし、コンクリートの壁に背中から激突する。激痛と熱風に息が詰まり、手にしていた銃のグリップが汗と煤で滑った。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」
痛む身体を引きずり、セリカは這うようにしてゴミ集積所の死角へと身を縮めた。
だが、その激痛の中でセリカの思考を凍りつかせたのは、敵の圧倒的な物量――何よりも、その火力だった。
(なんなのよ、あいつらの装備……!)
先程の爆発音、あれはFlak41改のものだった。
明らかにチンピラ風情が持ち出せるような代物ではない。
その事実にセリカの脳裏には昼間の会議での懸念が思い出された。
そして何より、
(……あんなもの、あの窓口の担当者が横流しできるレベルじゃない……!)
つまり、カタカタヘルメット団の裏にいるのは、末端の窓口ごときではない。これほどの超重火器をチンピラにポンと貸し与えられる権限を持った、カイザーコーポレーションの明確な上層部。
(……やっぱり、八百長は完全にバレてたんだ……ッ)
確信が、冷たい絶望となって胃の底に落ちる。
その時、耳元でザッ、ザッ、と砂利を踏みしめる複数の足音が響いた。
「おい、足跡がこっちに続いてるぞ!」
「逃がすな、なんとしても捕まえろ!」
思考を巡らせる時間すら残されていなかった。負傷と疲労のせいで視界がチカチカと明滅し、指先に力が入らない。引き金を引き絞ろうにも、残弾すら怪しい。
(……ここまで、なの……?)
悔しさに唇を噛み締め、目を伏せかけた――まさにその瞬間だった。
ガコッ。
足元のすぐ傍、マンホールの鉄蓋が唐突に持ち上がった。
丸い穴の暗がりから、ヘルメットを被った少女がひょこりと顔を出す。
「オイ! はよこっち来いッ!」
押し殺した、しかし焦燥に満ちた声。
セリカの思考が一瞬で警報を鳴らす。
(またカタカタヘルメット団の騙り……!? 地下水道に誘い込んで、袋のネズミにする気じゃ……)
理性が激しく警告を発していた。
しかし、セリカの本能は叫んでいた。こいつは、本物だ、と。
躊躇はコンマ数秒。セリカは痛む脚を振り絞り、マンホールの暗がりへと頭から飛び込んだ。
ガシャンッ、と即座に蓋が閉じられ、地下の生温い下水臭が二人を包み込む。
息を殺して壁に張り付いた直後――頭上の地上を、ドタドタと無数の足音が駆け抜けていく地響きが伝わってきた。
『おい、こっちだ! 早く来いッ!』
『オイ、本当にこっち行ったのかよ!?』
『うるせえ! 見失ったくせにエラそうなこと言ってんじゃねえ、追うぞ!!』
怒号と罵声が頭上を通り過ぎ、やがて遠ざかっていく。
完全に足音が途絶えたのを見計らい、暗がりの中に潜んでいたもう一人のバンダナヘルメット団が、プッと吹き出した。
「ケケッ! 自分らが同じ手口食らったら、あっさり引っかかってやんの。ウケる〜」
「……え?」
セリカが目を丸くすると、マンホールから引っ張り上げてくれた少女が、ヘラヘラと笑いながら肩をすくめた。
「先頭で怒鳴り散らしてあいつらを先導してたヤツ、ウチの潜入班。見当違いの袋小路に誘導してやったのよ」
「悪いねセリカちゃん。アンタがあいつらに絡まれたあたりから状況は掴んでたんだけどさー、いかんせん人数差と武器の差がヤバすぎてね。どうやって割り込むか頭捻ってたら、助けに入るのに出遅れちゃったわ」
あまりにも軽すぎるノリで「ごめんね〜」と手を合わせる少女たち。
だが、その軽薄さの裏で、彼女たちが自分を救うために命がけの陽動と潜入を即座に仕掛けてくれたことは明白だった。
「……文句なんて、言うわけないでしょ」
セリカは荒い息の下から、小さく首を横に振った。そして、ハッとして顔を上げる。
「それより……その、潜り込んでる子は大丈夫なの!? あんな大勢の中に一人で……もしバレたら……!」
「ヘーキヘーキ! 潜入班は適当なトコで雲隠れする手筈になってっから。あいつらみたいな単細胞を撒くなんて楽勝よ」
「そうそう。アタシらが誰の舎弟やってると思ってんのよ? 逃げ足とハッタリに関しちゃ、横島直伝なんだからさ」
ケラケラと笑う彼女たちの姿に、セリカの胸の奥がきつく締め付けられた。
痛む身体を引きずりながら、セリカは項垂れ、ぽろぽろと目端に涙を滲ませた。
「……やっぱり、カイザーの偉いヤツにバレてたみたい」
「あん?」
「ごめん……っ。私たちアビドスの都合に付き合わせたせいで……アンタたちまで、カイザーに目を付けられることになっちゃって……っ! 私たちのせいで……!」
声を震わせ、今にも泣き崩れそうになりながら本気で頭を下げるセリカ。
普段は勝気でツンツンしている彼女が、自分たちの身を案じて涙をこぼしたのだ。
その殊勝すぎる姿を前にして、バンダナヘルメット団の少女たちは一瞬、ポカンと目を白黒させて固まった。
「…………」
「…………」
無言で見つめ合うヘルメット団たち。
そして――彼女たちはすっとセリカから半歩下がり、顔を寄せ合ってヒソヒソと小声で囁き合い始めた。
『……おい。これ、今優しくしたらワンチャンある流れじゃね?』
『これは遂に、【美味しくな〜れ、萌え萌えキュン♡】が通る奇跡のフラグじゃねえの!?』
『いや待て、焦るな。ここはあえてコッチからオーダーを出さずにだなぁ……恩義を感じたセリカちゃんが「どうすればあいつら喜んでくれるかな……」って赤面しながらあれこれ悶々と考え込む姿を見物するのが、一番乙ってもんだろ!』
『うわっ、お前天才かよ! 悪魔的だわ、横島の薫陶が生きてるわー!』
「…………」
地下水道特有の反響のせいで、ゲス極まりない企みが筒抜けだった。
セリカはしばらくの間、「え……?」と涙を浮かべたままキョトンとしていたが――状況と会話の内容を脳が処理し終えた瞬間。
その瞳から涙がスッと引っ込み、額に青筋がピキピキと音を立てて浮き上がった。
引きつった笑顔のまま、セリカの唇がわなわなと震える。
「……アンタたちさぁ……」
「へ? あ、いやセリカちゃん、これはその――」
「少しでもアンタらのこと、友達だと思った私が……大馬鹿だったわぁぁぁぁぁッッ!!!!」
セリカの怒声とともに叩き込まれた渾身のローキックが、下水道の薄暗い空間に気持ちのいい炸裂音を響かせた。
セリカ激怒のローキックを叩き込まれた少女たちが「ぎゃっ!?」「すんませんッ!」と情けない声を上げていた――その時だった。
ズガァァァァァンッ!!
頭上のマンホール越しに、空気をビリビリと震わせる凄まじい衝撃音が響き渡った。
続いて降ってきたのは、先ほどまで血気盛んにセリカを追い詰めていたカタカタヘルメット団たちの、この世の終わりみたいな断末魔の絶叫だった。
『ひぎゃああああっ!? 盾っ、盾が突っ込んでき――ぎゃべぇっ!?』
『逃げ――助けてぇぇぇぇっ!!』
地上で巻き起こっている一方的な破壊劇の音に耳を澄ませていたバンダナヘルメット団の一人が、ニヤニヤと楽しげに口笛を鳴らした。
「お、こわ〜いおじさんがおいでなすったね」
「……おじさん?」
セリカは、ポカンと目を丸くした。
「え、ちょっと……ホシノ先輩を呼んだの!?」
「おう。アンタが襲われたの見た瞬間、即座に無線飛ばしたからな。ホシノだけじゃねえぞ。アビドスの他の連中も、シャーレの先生も横島も全員呼んでる」
あまりにも事も無げに返された事実に、セリカの顔が引きつった。
「ぜ、全員……!?」
ただでさえ規格外の戦闘力を誇るアビドス対策委員会。
そこに神懸かり的な戦術指揮を執るシャーレの先生と、悪知恵の権化であり、なんだかんだでガチンコもかなりデキる横島まで加わっているのだ。
地上から響いてくる「た、助けてくれぇぇぇ!」「命ばかりはぁぁぁ!」という悲鳴の激しさに、セリカは額にタラリと冷や汗を流し、思わずドン引き気味に呟いた。
「う、うわぁ……。あんな目に遭わせてくれた連中だけど……流石にちょっと、可哀想になってきたわ……」
その呟き通り――。
セリカが傷つけられた怒りで完全にリミッターの吹き飛んだアビドスの面々と、先生の精密な指揮、そして霊波砲をぶっ放す横島によって、カタカタヘルメット団は、文字通り塵一つ残さない勢いで完膚なきまでに叩きのめされたのだった。
* * *
カタカタヘルメット団を徹底的に叩きのめした激闘から一夜が明けた。
アビドス高等学校の保健室で手当てを受け、一晩泥のように眠ったセリカは、擦り傷や打撲の痛みこそ残るものの、元気に動ける程度には回復していた。
朝の陽光が差し込む対策委員会の教室に、包帯を巻いたセリカを交えたアビドスと先生、そして横島が集まる。
教室の教壇の前に立った横島は、いつになく真面目な顔つきで腕を組んでいた。
「全員揃ったな。……セリカちゃん、体はもう大丈夫か?」
「え、ええ……アヤネちゃんの手当てのおかげで、もうピンピンしてるわ。それより、話って何よ?」
横島はポケットからスマートフォンを取り出すと、机の上にコトリと置いた。
「昨日の夜、アビドスに戻ってきた直後にな、ブラックマーケットに残ってるバンダナヘルメット団のリーダーから緊急の連絡が入ったんだ。アビドスにもすぐ伝えろって言われたから、その通話の録音を聞いてくれ」
横島が画面をタップすると、スピーカーからノイズ交じりの焦燥感に満ちた少女の声が再生された。
『――横島!? おい、聞こえてるか!? ちょっとこっち立て込んでっから手早く済ませるぞ!』
背後で荷物を乱暴にダンボールへ放り込むような物音と、怒号が響いている。
『ついさっき、あのカイザーの窓口担当のロボがウチに泣きついてきてさ! ……やっぱウチらがやってた八百長のシノギ、完全に上にバレたみたいだわ!』
教室の空気がスッと冷え込む。録音の中のリーダーは、息を乱しながらまくし立てた。
『しかもその上ってのがシャレになんねえ! カイザーローンだのPMCだののアタマ張ってる、グループ全体でも上から数えた方が早いくらいの特大の重役らしくてさ! 現場のトカゲの尻尾切りで誤魔化せるレベルじゃねえんだよ!』
『……おいおい、マジかよ』という昨晩の横島の低い合いの手が入る。
『てな訳で、当初から決めてたプラン通り、窓口の担当者は偽造ID持たせて高飛びさせた! ウチらのブラックマーケットのアジトも足がつく前に破棄して全員雲隠れする! ……あ、あと横島! お前がいると何かと目立ちすぎてヤバいから、しばらくコッチには絶対に帰ってくるなよ! ほとぼりが冷めて落ち着いたらこっちから連絡すっから! じゃあな、生き残れよ――!』
ブツッ、ツーツーツー……。
一方的に捲し立てられた通話が切れ、教室には鉛を流し込んだような重苦しい沈黙が落ちた。
カイザーグループの中枢、PMCまで動かせる本物の大幹部。
現場の窓口を抱き込んで小遣いをせしめるような小手先の裏技が、完全に通用しなくなった瞬間だった。夜逃げせざるを得なくなったヘルメット団の切迫した状況と、自分たちに迫りつつある巨大な影の輪郭が、生々しく浮き彫りになる。
再生を止めたスマートフォンをポケットに仕舞い、横島は深く長いため息をついた。
「――てな訳なんだが。……さて、これからどうするかねぇ……」
ポリポリと頭を掻きながらこぼした横島の呟きが、静まり返った教室に虚しく反響した。
教室を満たす鉛のように重い沈黙。その息苦しさを察したのか、ホシノがふっと気の抜けた笑みを浮かべ、わざと茶化すような調子で口を開いた。
「うへ〜。わざわざ敵の窓口担当を高飛びさせてあげたんだ〜? 毎月キックバックまで回してあげてたし、横島くんってば意外と情に厚いというか、優しいねぇ〜」
深刻な事態を和らげようとする、ホシノなりの気遣い混じりの軽口。
だが、横島は腕を組んだまま、事も無げに答えた。
「まあな、あんな中間管理職のチンケな駒、あんまり追い詰めると勝手に夜逃げしちまうかもしれねえからな」
「……え?」
「いきなり蒸発されたら、嫌になって自分からトンズラこいたのか、上層部にバレて始末されたのか、判別がつかなくなって裏取りが死ぬほど面倒くさいんだよ。だから『何かヤバいことが起きたら、とりあえず俺たちに泣きつけば助かる』ってキッチリ躾しておけば、向こうから勝手に危険を知らせに来てくれて手間が省けるだろ」
淡々と語られる、あんまりにもな言い草。
「ま、その分だけ毎月小遣いを握らせなきゃならんから維持費は嵩むが……必要経費ってやつよ。現に今回だって、そいつが泣きついてきたおかげで『カイザーの誰が出張ってきたのか』って最高クラスの情報を即座に掴めただろ?」
「…………」
打算とリスク管理の極致のような悪徳除霊事務所仕込みのセオリーを聞かされ、ホシノは引きつった笑いのまま一歩後ずさった。
「うへ〜……全然優しくなかったよ〜……。おじさんもまだまだお勉強が足りないなぁ〜……」
「いや、お前はもうこれ以上闇に染まるなよ……充分すぎるくらいドス黒くなっとるわ……」
横島が渋い顔で呆れたようにツッコミを入れると、張り詰めていた教室の空気がふっと緩み、セリカやアヤネの強張っていた肩からも微かに力が抜けた。
ホシノといつもの調子で不毛なジャレ合いを繰り広げ、結果として場の重苦しい空気を和らげることには成功していた。
そして横島はその緩んだ空気の為か、僅かに感じていた違和感をすっかり失念してしまっていた。
さっき再生したリーダーからの録音。荷物をまとめる物音や焦った怒声の背後に、ほんの一瞬だけ混ざっていたノイズ。
あれは――銃声と、戦闘音だったのではないか、と。
* * *
ブラックマーケットの暗がり深くに構えられた、バンダナヘルメット団の地下アジト。
ツーツーツー……と通話の切れたスマートフォンを乱暴にポケットへ突っ込むと、赤いバンダナを巻いたリーダーの少女は、肩をすくめて周囲の部下たちを見回した。
「さて。窓口担当者改め『アンディ・スティーブンス氏』には、無事に新しい自分へと生まれ変わっていただいたところで……この現状をどうしようかねぇ?」
彼女は横島への通話で、一つだけ意図的に伏せていたことがあった。
ズガガガガガッ! ドォォォォンッ!!
通路の奥から響いてくる、激しい重火器の掃射音と金属扉を吹き飛ばす爆発の轟音。
そう――バンダナヘルメット団のアジトはまさに現在進行形で、カイザーが報復のために差し向けたと思われる『生徒たちで構成されたとある企業』の強襲を受けていたのだ。
横島に余計な気を遣わせず、何より厄介ごとの火種である彼を巻き込ませないための、リーダーなりの配慮だった。
「出る杭は打たれる、ってか? ったく、人気者はつらいねぇ」
リーダーがわざとらしくやれやれと首を振ってみせると、張り詰めていた部下たちの表情がふっと緩み、引きつりながらも「ハハハ……」と乾いた笑い声が漏れた。
「まあ、できることを精一杯がんばりますか!」
パンッ、と両手を打ち鳴らし、リーダーの目つきが鋭い指揮官のものへと切り替わる。
「全員、傾注ッ! 連中に嗅ぎつけられた緊急脱出用トンネル『トム』は破棄! 工作班の数人はアタシについて来い。『ディック』に敵を誘い込んだあと、閉じ込めて時間を稼ぐぞ! 残りは全員、手荷物をまとめて『ハリー』から脱出! 以上だ、かかれッ!!」
「「「了解ッッ!!」」」
号令一番、少女たちは一斉に散開した。
脱出班が機密書類と必要最小限の物資を抱えて『ハリー』へと疾走する中、リーダーは自動小銃のボルトをジャキリと引き、選抜された工作班の少女たちを従えて、迷いなく駆け出していった。