薄暗い地下通路を駆け抜けながら、背後で炸薬の仕掛けを点検していた工作班の少女が、不安げにリーダーの背中へ声をかけた。
「リーダー……良かったんですか? 横島に、ホントのこと黙ったままで……」
通路の分岐点に差し掛かったところでリーダーは足を止め、壁の影からチラリと後方の敵影を伺いながら、呆れたように振り返った。
「じゃあお前、アイツに言えるか? 『ウチのアジトが【便利屋68】に襲撃されてるからすぐ来てくれー!』ってよぉ?」
「いや……それは……」
部下たちはぐうの音も出ず、気まずそうに視線を落として口籠もる。
そう――カイザーがバンダナヘルメット団を始末するために雇い入れ、現在進行形でアジトを蹂躙している『とある企業』の正体。
それは、陸八魔アル率いるアウトロー集団、【便利屋68】だった。
「命の恩人って言ってたもんなぁ、横島……」
リーダーは重いため息とともに、自動小銃の銃口を床へと下げ、寂しげに目を細めた。
「そんな相手と真正面からドンパチやり合えなんて無体なこと……アイツにさせらんねぇって」
横島忠夫がこのキヴォトスという未知の世界に放り出されたばかりの頃。
ヘイローを持たない、銃弾一発で本当に死んでしまうただの生身の人間だった彼は、キヴォトスでは珍しくもない生徒同士の抗争に巻き込まれ、まさに命の灯火が消えかけていた。
そこに偶然居合わせたのが、陸八魔アルだった。
迫り来る敵のロケット弾を前に、震えながらもその華奢な身を盾にして横島を庇い、立ち塞がってくれた少女。
その瞬間、横島の奥底に眠っていた何かが目覚めたのか、なぜか彼の頭上にもヘイローが顕現し、不良を街ごと吹き飛ばしたと思ったら、ゲヘナ風紀委員長の空崎ヒナから苛烈な追撃を受けて、横島とアルは命からがら逃げ回ることになった――。
以前横島が誰に聞かせるでもなく、何の気なしに語っていたアルとの珍道中。
バンダナヘルメット団の殆どがそのエピソードを耳にしていたし、何なら、まさにその日その場所で横島を蜂の巣にしかけ、ヘイローを生やした横島の霊波砲で吹き飛ばされた不良の中に混ざっていた者すらいたのだ。
そんな相手が、今やカイザーに依頼されて自分たちを潰しに来ている。
横島が知れば、どんな顔をして、どちらの味方に立つべきか板挟みになって頭を抱えるか――考えるまでもなかった。
「……あのアホにはさ、全部終わったあとにサラッと言えばいいんだよ……」
リーダーは自嘲気味に口角を吊り上げ、起爆コードのスイッチを握り直した。
* * *
バンダナヘルメット団のアジトを深紅のコートを翻して進撃する陸八魔アル。
その顔はいつになく厳しい表情をしていた。
バンダナヘルメット団がこれといった抵抗を見せず、ひたすら後退を重ねて逃げの一手に徹していることもあり、便利屋68の進撃は文字通りの快進撃そのものだった。
「くふふ〜、楽勝じゃん☆ 大したことないね〜!」
両手に抱えたバッグから爆薬を取り出し、撤退していく敵の背後めがけて楽しげに放り投げる浅黄ムツキ。
無邪気な笑声を響かせ、派手な爆炎を上げさせてはいるものの――その瞳の奥は、一切笑っていなかった。
(……あっさりしすぎ。手応えがなさすぎるよ〜。いくら不意を突かれたとはいえ、裏で名の通ったバンダナヘルメット団がこんなに簡単に道を開けるわけないじゃん。……絶対、何か企んでるね?)
表面上は悪戯っぽくはしゃぎながらも、ムツキは周囲の壁や床に細かく視線を走らせ、トラップの匂いを敏感に嗅ぎ取っていた。
そんな二人の先頭を、猛烈な勢いで突き進んでいるのは伊草ハルカだった。
「死んでください死んでください死んでください!!」
完全に暴走モードへと突入したハルカは、散弾銃を狂乱の勢いでぶっ放し、通路のバリケードを力任せに粉砕しながら直進していく。
「あ、ちょっとハルカ、突っ込みすぎ……!」
後方から声をかける鬼方カヨコだったが、すでに怒声と硝煙の中に声は掻き消されていた。
ため息をつきながらハンドガンのスライドを引き、カヨコは周囲へ冷徹な観察眼を向ける。
バンダナヘルメット団の動きには、決定的な不審点があった。
(……逃げの一手に徹している割に、外へ抜け出そうとする動きじゃない。この通路の奥は、むしろ地下の深部……袋小路に向かってる)
先ほど通過した区画で、彼女は脱出用と思しきトンネルを一つ見つけ出していた。
となれば、答えは一つ。
連中には、まだ外部へ繋がる『別の脱出路』が確実に存在する。
そして、この手薄に見える通路自体が――。
(……まずいかも。あっさり追い詰めてるつもりで……寧ろ、こちらが引きずり込まれてる……?)
背筋を冷たいものが這い上がるのを感じながら、カヨコは銃口を低く構え、一段と警戒の度合いを引き上げていた。
* * *
逃げながらも時折足を止め、要所の物陰から的確に牽制射撃を放っては再び奥へと引いていく――。
バンダナヘルメット団の工作班による、徹底して時間を稼ぐための遅滞戦闘。それを崩そうと、便利屋68の一行は地下通路の奥へと追撃を続けていた。
だが、一瞬の隙だった。
ズガァァァンッ!!
重々しい破裂音とともに、アルの手にした狙撃銃の銃口から閃光が迸る。放たれた弾頭は、遮蔽物から身を乗り出してトリガーを引こうとした殿の一人の肩口を容赦なく捉え、その身体を壁際へと激しく叩きつけた。
「ぐあぁっ……!?」
「リーダーッ!?」
周囲の部下たちが血相を変えて悲鳴を上げた。
撃ち抜かれた少女へと駆け寄り、慌ててその身体を抱え起こすと、もはや牽制や遅滞戦闘の役目すら完全に頭から吹き飛んだかのように、悲壮な叫びを上げながら通路の深部へと脱兎の勢いで逃走を始めた。
硝煙の残る銃口をゆっくりと下げ、アルは冷ややかに言い放つ。
「……あいつがリーダーね。追うわよ」
外套の裾を翻し、一切の躊躇なく駆け出そうとするアル。
その普段とはまるで違う危うい気迫に、後方のカヨコが眉をひそめて鋭く声をかけた。
「待って、社長。様子がおかしい……!」
「リーダーを抑えれば、それでチェックメイトよ」
振り返りすらしない。
普段のアルなら「えっ!? な、何が!?」とすぐに狼狽えるはずの忠言を、氷のように冷たい声で切り捨て、アルは前進を止めなかった。
その横顔を、ムツキは無言で見つめていた。
(……文句は言わないけどさ。今日のアルちゃん、やっぱり変だよ〜)
見栄を張りながらも、いざとなれば情けなく怯えたり、部下の意見に右往左往してテンパり散らかすのがいつものアルだ。
だが、今回は違う。そもそも――カイザーから「バンダナヘルメット団の排除と、アビドスの制圧」という依頼を受け取った直後から、アルの様子はずっと異様だった。
疑念と焦燥を抱えたまま追跡を続ける便利屋の面々。
だが、通路の奥へと突入した直後、彼女たちの前に現れたのは――分厚い瓦礫と土砂によって完全に塞がれた、行き止まりだった。
あらかじめ天井の支柱を意図的に破壊し、わざと崩落させた痕跡がアリアリと残っている。
カヨコがハンドガンを構えたまま周囲を凝視し、怪訝な声を漏らした。
「……一本道だったはずなのに。どこへ消えたの……?」
追い詰めていたはずのリーダーたちの姿が、忽然と消え失せている。
その異様な事態に全員の背筋が凍りついた――まさに、その刹那だった。
ドゴォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波と爆音とともに、今しがた彼女たちが通り抜けてきたばかりの背後の通路が、天井ごと轟音を立てて崩れ落ちた。
濛々と立ち込める粉塵。通路の前後を完全に分厚い岩盤で断たれ、便利屋68の四人は、閉ざされた暗闇の地下空間へと完全に閉じ込められてしまったのだ。
「っ……!!」
崩落の仕込み位置、そして退路を塞ぐ完璧すぎるタイミング。
カヨコは額に冷や汗を滲ませ、瞬時に状況を悟った。トンネルの崩壊を招くような杜撰な誤爆などでは決してない。初めから彼女たちをここに誘い込み、閉じ込めて無力化するための、周到極まりない罠だったのだ。
「もー、アルちゃんがイケイケドンドンで突っ込むからさ〜。見事に生き埋めにされちゃったじゃん?」
暗闇の中、重苦しい空気を振り払うようにムツキがいつもの調子で茶化してみせる。
だが――。
「……そうね」
アルは静かに呟くと、ゆっくりと、退路を塞いでいる巨大な岩盤の壁へと向き合った。
そして、その銃口を無造作に瓦礫の隙間へと向ける。
アルの瞳が、暗がりの中で妖しく燃え上がった。
銃身に彼女の纏う「神秘」の燐光が流れ込み、銃口に収束された弾丸が、禍々しいほどの赤い光を宿して脈動する。
ズガァァァァンッ!!
放たれた一撃は、岩盤の継ぎ目へと正確に吸い込まれた。
次の瞬間、着弾点を起点として奔流のような赤黒い閃光が広がり、一拍遅れて内側から圧縮されたエネルギーが激烈に炸裂した。
ドォォォォンッ!!
爆風が吹き荒れ、通路を塞いでいた巨大な岩塊が、まるで紙屑のように前方へと吹き飛ばされる。
煙が晴れたそこには、人が問題なく通り抜けられるだけの十分な大穴がぽっかりと穿たれていた。
それだけではない。これほどの至近距離で爆破を起こしたにもかかわらず、周囲の支柱や天井の岩盤には余計な亀裂一つ入っておらず、連鎖崩落を起こす気配すら微塵もなかった。
信じられないほどの威力と、それを完璧にコントロールした精密極まりない破壊。
「……見落としがあったようね。戻りましょう」
アルは煙の晴れゆく穴を見据え、氷のように澄んだ声で告げた。
自分たちをここに誘い込み、欺瞞工作で退路を塞ごうとしたリーダーたち。彼女たちがまだこの瓦礫の向こう、遠くない位置に潜んでいることを確信したように、アルは迷いなく走り出した。
「は、はいぃっ! アル様!!」
ハルカが狂信的な勢いで真っ先にその背中を追いかける。
取り残された通路で、ムツキは煙の立ち込める穴を眺め、困惑を隠せない様子で眉をひそめていた。
(いつもなら『閉じ込められたぁぁ!?』って泣き言言ってるはずなのに……なんなの、今日のアルちゃん……)
普段のポンコツぶりとは程遠い、あまりにも冷徹で完璧な「アウトロー」としての立ち振る舞い。その異常さに違和感を拭いきれないムツキの肩を、カヨコが後ろからトンと叩いた。
「……話は後にしよう。今は社長を一人にしちゃダメだ」
「……うん、そうだね」
ムツキは小さく頷くと、得体の知れない胸騒ぎを振り払うように駆け出し、二人でアルの背中を追って瓦礫の穴へと飛び込んでいった。
* * *
通路の物陰に身を潜めていたリーダーと工作班の少女たちは、瓦礫の向こうから響いた轟音と、吹き飛んだ大穴から現れた人影を目にして息を呑んだ。
「……嘘だろ」
分厚い岩盤を吹き飛ばし、何食わぬ顔で煙の中から姿を現したアル。
その常軌を逸した突破速度と破壊力に、傷口を押さえたリーダーの顔から血の気が引く。
「くっそ……! わざわざ一発食らってまでおびき寄せたのに、無駄骨かよ……!」
退路を塞ぎ、時間を稼ぐはずだった作戦は完全に瓦解した。
ここまで手傷を負った状態で、あの規格外の火力を持つ集団を相手にすれば、もはや全滅は免れない。奥歯をギリッと噛み締め、リーダーは銃のグリップを握り直して正面衝突の覚悟を決めた。
だが――。
大穴から抜け出てきたアルは、周囲をろくに索敵しようともせず、周囲の暗がりへ視線を一度だけ滑らせると、銃口をスッと下ろした。
「……逃げられたようね。ここまでにしましょう」
あまりにも呆気ない、作戦終了の宣言。
「も、申し訳ありませんアル様ぁぁぁっ!!」
その言葉を聞いた瞬間、ハルカが涙と鼻水を撒き散らしながら絶叫した。
「私が無能だったせいです! ゴミクズの私がでしゃばったせいで敵を取り逃がしましたぁぁぁっ! 今すぐここで手榴弾を抱えて自決しますぅぅぅっ!!」
「いいのよ、ハルカ」
安全ピンに手を伸ばすハルカを、アルは静かに押し留めた。
「所詮は前哨戦よ。……それに、本番はアビドスなのだから」
『アビドス』という単語を口にした瞬間、アルの声音に微かな揺らぎが混ざった。
それは冷酷なアウトローの響きというよりは、あまりにも不本意で、できることなら今すぐにでも投げ出したいと願っているような、苦渋の色に満ちたものだった。
「……うん、そうだね。アルちゃんがそう言うなら〜」
ムツキはいつもの調子で軽やかに笑ってみせたが、その瞳の奥に渦巻くモヤモヤとした不信感は、いよいよ濃くなるばかりだった。
一方、最後尾にいたカヨコは――。
歩き出す直前、リーダーたちが息を殺して潜んでいる影へと、スッと視線を向けた。
視線が合致したような、凍りつくような刹那の間。
しかしカヨコは何事もなかったかのように視線を正面へと戻し、銃を収めて無言のままアルの背中を追って立ち去っていった。
* * *
遠ざかっていく便利屋たちの足音。
完全にその気配が消え去ったのを確認し、リーダーは壁に背中を預けてズルズルと座り込んだ。
「……どういうつもりだ、アイツら?」
肩の激痛に顔をしかめながら、リーダーが呆然と呟く。
すぐ隣で警戒を解いた部下の一人が、怪訝そうに眉をひそめて言葉を漏らした。
「……あの狂犬とメスガキはともかくとして、白黒頭の極妻みたいなヤツと、便利屋の社長……確実にウチらに気づいてましたよね?」
「ああ。思いっきり見逃されたな」
あからさまな手加減と、腑に落ちない幕引き。
すると、かつてゲヘナで横島がアルに命を救われた現場に居合わせていたもう一人の部下が、銃口を下ろしながら首を傾げた。
「……ていうかさ。アイツ、あんなヤツだったかな?」
「あん?」
「ウチらがゲヘナでドンパチやってて、横島を庇ってた時のあいつ……もっとこう、テンパり散らかしてて、情けなくて、何ていうか……横島と同類の匂いがするヤツだった気がすんだけどな……」
かつての記憶にある少女と、先ほど目の前で冷徹に銃を構えていた『便利屋の社長』。
あまりにもかけ離れたそのギャップに、暗い通路の中で少女たちはただただ不可解そうに顔を見合わせるしかなかった。
* * *
カランコロン、と柴関ラーメンの引き戸が鳴る。
昼下がりの店内では、対策委員会のホシノ、シロコ、ノノミ、アヤネがカウンターやテーブルでラーメンを啜り、セリカが甲斐甲斐しくホールを回していた。
「いらっしゃいませー!」
入ってきた客は、真紅のロングコートを纏った少女――陸八魔アルだった。キョロキョロと店内を見回しながら、セリカの前へと進み出る。
「……ええと、ここで一番安……お手頃なメニューは何かしら?」
言い直したアルに、セリカは答える。
「それでしたら看板メニューの柴関ラーメンは如何ですか? 一杯580円です」
「580円……」
アルは懐から財布を取り出し、中身をチラリと確認した。わずかに眉をひそめた後、財布を閉じてすました顔を作る。
「そう。じゃあそれを三つお願いするわ」
そう告げると、アルは店の扉を開けて外へ向かって手招きした。外で待機していたムツキ、カヨコ、ハルカの三人がゾロゾロと店内へ入ってくる。
(……四人なのに、三つ?)
セリカは内心で首を傾げつつも、奥のテーブル席へと彼女たちを案内した。
しばらくして、湯気を立ち上らせる熱々の柴関ラーメンが三杯、テーブルへと運ばれてくる。香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、三人は待ちきれない様子で割り箸を割った。
「いっただっきまーす! ……んんっ! なにこれ、すっごく美味しい!」
ムツキが目を輝かせ、カヨコも一口啜って「……うん、いい味してる」と小さく頷く。
ハルカに至っては「こ、こんなに美味しいものがこの世に……!」と涙目になりながら麺を頬張っていた。
そんな三人を見守りながら、一人だけ卓上のお冷のコップを両手で握りしめ、ちびちびと飲んでいるアル。
そんなアルにムツキが食べる手を止めて、声をかけた。
「アルちゃん、これすっごく美味しいよ? 本当に食べないの〜?」
「だ、大丈夫よ。私……仕事の前はあまり胃に物を入れないようにしてるの。集中力が乱れるから……」
コートの襟元を正し、いかにもハードボイルドなアウトローを気取るアル。
だが、その斜め向かいからカヨコがぼそりと呟いた。
(……そうだったっけ?)
(絶対今決めた思いつきだよね〜)
ムツキがケラケラと笑いながら即座に小声でツッコミを入れた――その瞬間。
グゥゥゥゥ〜〜〜〜ッッ!!
静かな店内に、アルのお腹の虫がこれ以上ないほど盛大で情けない音を響かせた。
アルの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
その音を聞いたハルカが、ガタッと椅子を蹴立てて立ち上がった。
「や、やっぱり……! アル様を差し置いて、私が食事をいただくなんて許されません! アル様、私のをどうぞ――あっ、でも、アル様に私なんかの食べかけをお出しするわけには……! ひぃぃ、どうすれば、切腹!? 切腹すればいいんですかぁぁぁっ!?」
「いいから! 大丈夫だから! ハルカは育ち盛りなんだからいっぱい食べなさいってば!!」
必死に押し問答を繰り広げ、わちゃわちゃと取り乱す二人。
そこへ、「お待たせしましたー」とセリカがもう一杯、湯気を立てる柴関ラーメンを盆に乗せて運んできた。
コトリ、とテーブルの空いているスペースにそれが置かれる。
「え……?」
便利屋の面々がぽかんと目を白黒させた。
「あの、私たち、三杯しか頼んでないんだけど……」
アルがおずおずと指摘すると、厨房の奥から柴大将がひょっこりと顔を出した。
「あー、すまないねぇ。ちょっと手元が狂って、麺を多めに茹でちまったんだよ。このままだと廃棄するしかないんだが……ウチのフードロス削減に協力してもらえないかい? もちろん、お代は要らないよ」
人の良さそうな気風のいい笑顔を見せる大将。
その意図を一瞬で察したムツキが、パッと顔を輝かせた。
「え〜っ、いいの!? じゃあ遠慮なくいただきま〜す! ちょうどお腹ペコペコだったんだよね〜!」
すかさず丼を引き寄せたムツキ。
しかし、彼女は手をつけることもなく、舌の根も乾かぬうちにわざとらしくポンとお腹を叩いてみせた。
「あ〜、でも急にお腹いっぱいになっちゃった〜! もう一杯は無理かも〜? ……ねぇ、アルちゃん。これ代わりに食べてくれない?」
わざとらしく、湯気の立つラーメンをアルの目の前へとスッとスライドさせる。
「え、あ……も、もう、仕方ないわね……!」
アルは居心地悪そうに視線を泳がせながらも、厨房の大将に向かってペコリと小さく会釈した。
そして、割り箸を割ってフーフーと息を吹きかけ、スープと麺を口へと運ぶ。
「…………っ!」
口いっぱいに広がる芳醇な出汁の旨味と、染み渡るような温かさ。
アルの瞳がパッと見開かれ、感動に震えた。
「……おいしい……」
先ほどまでの強がりなどすっかり吹き飛び、空腹に染み入る極上の一杯に、アルは夢中になって箸を進めるのだった。
* * *
柴関ラーメンの味を絶賛する便利屋の様子に、カウンターの対策委員会の面々も表情をほころばせた。自分たちが行きつけにしている店、しかもセリカが働く店を褒められて嬉しくないはずがない。
「おいしいですよね〜☆ ここのラーメンは本当に絶品なんですよ!」
「ふふ、喜んでもらえて何よりです」
ノノミやアヤネが自然と話しかけ、アルも人懐っこい笑顔でラーメン談義に応じる。
そんな和気藹々とした空気が流れる中、カヨコはふと、話しかけてきた少女たちの胸元の校章と制服のデザインに目を留めた。
(……この制服。まさか……)
カヨコは息を呑んだ。
これから自分たちがカイザーの依頼で襲撃し、叩き潰すことになっている標的――アビドス高等学校の生徒たちそのものだった。
標的と知らずに楽しそうに談笑しているアルの横顔を見つめ、カヨコは眉を寄せて耳打ちすべきか激しく迷う。
すると、隣でレンゲをもてあそんでいたムツキが、カヨコの視線に気づいてクスクスと意地悪そうに囁いた。
「面白いから、黙っていようよ〜」
「……アンタね」
カヨコは小さくため息をつき、口を噤むしかなかった。
やがて会話も一段落し、アルは財布からきっちり小銭を数えて会計を済ませる。
セリカが「ありがとうございましたー!」と伝票を受け取り、見送りの声をかけた。
食事の最中、仕事でアビドスに来たのだと話していたアルの背中へ、ノノミが手を振ってエールを送る。
「お仕事、上手くいくといいですね〜!」
アルは立ち止まり、振り返って晴れやかな笑顔を向けた。
「ええ、ありがとう。あなたたちも、学校の復興頑張ってね」
そして、扉の引き手に手をかけながら、さらりと告げた。
「それじゃあ――縁があったらまた、アビドスの皆さん」
涼やかな別れの言葉を残して、便利屋68の一行は柴関を後にした。
* * *
少し歩いて店から離れた大通り。
カヨコが隣を歩くアルへ、探るように視線を向けた。
「……気づいてたんだ、アイツらがアビドスだって」
「――当たり前よ」
さっきまでの人当たりの良い笑顔は完全に消え去っていた。
アルの横顔は、一切の感情を削ぎ落とした氷のように冷徹なものへと一変している。
「小鳥遊ホシノ、砂狼シロコ、十六夜ノノミ、黒見セリカ、奥空アヤネ……。僅か五人という少人数にもかかわらず、今の今まで学校を守り抜いてきた腕っこきたちよ」
冷たく言い放つアルの眼差しには、冷徹さと同時に、標的に対する確かな警戒と敬意が宿っていた。
「だからこそ、こっちも腕の立つ傭兵を雇ったのよ。……みんな、気合い入れていくわよ」
「了解、社長」
カヨコが端的に答え、背後でハルカが銃を握り直し、ムツキが楽しげに唇を吊り上げた。
* * *
一方、便利屋たちを見送った柴関ラーメンの店内。
対策委員会の面々もまた、先ほどの奇妙な来客たちのことを思い返していた。
「アルちゃん、か〜。……多分、あのアルちゃんだよね〜」
ホシノが天井を仰ぎながらポツリと呟いた。
「ん。横島の命の恩人」
シロコが短く頷く。
横島はバンダナヘルメット団に話していたのと同様、アビドスの面々にも、自分がキヴォトスに迷い込んで死にかけていた時の話を面白おかしく語っていたのだ。
「……出ました」
アヤネが端末を操作しながら、調査結果を読み上げる。
「便利屋68。陸八魔アルを社長とする、お金さえ貰えれば合法非合法を問わず何でも請け負う企業……とのことです。ゲヘナでも、かなりの問題児としてマークされているようですね」
「アイツらの仕事って……」
セリカが制服の裾を握りしめ、何となく察しているような重い口調でこぼし、ノノミも沈痛な面持ちをしていた。
八百長が露見したこのタイミングでアビドスに現れた無法者集団。
「まあ……横島くんたちの『後任』なんだろうね〜」
ホシノがあくび混じりに、しかし鋭い眼光を先ほどアルたちが去っていった方へと向けた。
「こりゃ今日にも『お客さん』が来そうだね〜」
「……横島さんはどうしましょう?」
「お使いをお願いして外してもらいましょう。ちょうど色々切れかけていたので渡りに船ですね~☆」
「ん。そうするべき。じゃないと最悪向こうに寝返るかも」
「シロコ先輩、流石にそれは……いや、でも横島さんだし……」
「うへ〜、いくら女の子大好き横島くんでもそれはない、って言い切れないんだよね〜」
招かれざる客への対応を話し合いつつ、ホシノの脳裏には、アルが先ほど店に入ってきた瞬間の姿が焼き付いていた。
手持ちが心許なく、安いメニューを探して挙動不審になっている――表向きはそう見えた。
だが、ホシノの目には、まるで違って見えていた。
(……あの子、店に入った瞬間、メニューじゃなくて店内を舐めるように見てた。まるで……『誰か』がここに居ないかを、真っ先に確かめるみたいに、ね)
望む望まないに関わらず、再会の時が迫っていた。