戦火の片隅で   作:ルナビス

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第四話 最初の引き金

 夜の工業地帯は、思っていたよりも暗かった。

 

 街灯の半分は消え、工場の建物は黒い塊のように並んでいる。

 

 遠くで何かが爆発した。

 

 遅れて、低い音が届く。

 

 リナは反射的に肩をすくめた。

 

『ヘロン5、速度を落とせ』

 

 ノアの声だった。

 

「りょ、了解!」

 

『俺より前に出るな。ここから先は射線が通る』

 

 リナはスラスター出力を下げた。

 

 機体が減速し、地面を滑って停止する。

 

 普段の訓練では、停止位置が多少ずれても叱られるだけだった。

 

 今は、数メートル先に何がいるかも分からない。

 

『ヘロン4、現地警備隊の位置は?』

 

 アレックスが尋ねる。

 

『工業区画南端へ後退中です。避難車両三台が南側道路から東側の検問線を目指しています』

 

『敵は?』

 

『確認済み四機。さらに二機の可能性あり。北側の建物に遮られており、識別できていません』

 

『了解。南側道路への射撃制限は継続する。避難車両の位置を確認するまでは、あの道路へ射線を通すな』

 

『了解しました』

 

『ヘロン2、先行して北側を確認。ヘロン3と5は西側を警戒。ヘロン4は東側の避難経路を見てくれ。俺は中央を押さえる』

 

『了解!』

 

 ミレイユの機体が前へ出た。

 

 スラスターが短く噴射し、五メートルの機体が道路を滑るように加速する。

 

 交差点へ到達する直前、姿勢を変え、倉庫の陰へ飛び込んだ。

 

 直後、激しい発砲音。

 

『接敵! 前方二機!』

 

 リナは画面を見た。

 

 敵機を示す赤い表示が二つ、素早く移動している。

 

『一機はライフル、もう一機は……あ、こいつ近接装備じゃん』

 

 ミレイユの声が少し弾んだ。

 

 再び銃声。

 

『向こうが撃ってきた! 反撃するよ!』

 

『了解。位置は維持しろ。深追いするな』

 

『分かってる!』

 

 短い間隔で、散弾銃の発砲音が響いた。

 

 ミレイユの機体が倉庫の角から身を乗り出し、接近してきた敵機に散弾を浴びせている。

 

 敵機が後退する。

 

『隊長、追っていい?』

 

『まだだ。位置を維持しろ』

 

『……了解!』

 

 リナは、いつの間にか息を止めていることに気づいた。

 

 ゆっくり息を吐く。

 

 手元の表示を確認する。

 

 右腕ライフル、正常。

 

 左腕ショットガン、正常。

 

 弾薬残量、異常なし。

 

 機体損傷、なし。

 

 リナの機体は、基本装備を中心とした標準的な構成だった。

 

 近距離用のショットガンも備えているが、この距離で敵を正確に狙うなら、使うべきはライフルだ。

 

 装備にも、機体にも、異常はない。

 

 なのに、指先だけが落ち着かなかった。

 

『ヘロン5』

 

 ノアが呼んだ。

 

「はい!」

 

『俺が右を見る。お前は左の通路だ。奥に何か見えたら、撃つ前に報告しろ』

 

「了解しました!」

 

 リナは機体を動かした。

 

 建物の角まで移動する。

 

 左側の通路を確認する。

 

 何もいない。

 

 奥に停められた貨物車両。

 

 道路脇の空き箱。

 

 散乱した金属片。

 

 訓練で見たような標的は、どこにもなかった。

 

「ヘロン5、左側、異常ありません」

 

『了解。引き続き監視』

 

 しばらく、何も起こらなかった。

 

 十秒。

 

 二十秒。

 

 遠くでは発砲音が続いている。

 

 ミレイユが交戦している。

 

 自分は、ただ待っている。

 

 こんなことでいいのだろうか。

 

 何かしなければいけないのではないか。

 

 リナがそう思ったとき。

 

 通路の奥で、何かが動いた。

 

「あっ……!」

 

 灰色の機影。

 

 敵機だ。

 

 建物の陰から、ゆっくりと姿を現す。

 

 右腕にはライフル。

 

 こちらには、まだ気づいていないようだった。

 

 リナは照準を合わせた。

 

 敵機まで、およそ六十メートル。

 

 訓練なら、外す距離ではない。

 

 指が射撃トリガーへかかる。

 

 けれど。

 

 あの中には、人が乗っている。

 

 そう考えた瞬間、指が動かなくなった。

 

『ヘロン5、状況報告』

 

 ノアの声。

 

「……敵機、確認しました」

 

『位置は?』

 

「左側通路、奥……距離、およそ六十メートルです」

 

『武装は?』

 

「ライフルです」

 

『こっちを見てるか?』

 

「……いえ、まだ」

 

『了解。監視を続けろ。勝手に撃つなよ』

 

 ノアは、それ以上何も言わなかった。

 

 リナは照準を維持した。

 

 敵機が一歩、前へ出る。

 

 その足元に、何か小さな影が見えた。

 

 人だった。

 

 作業服を着た男が、建物の入口から飛び出してくる。

 

 敵機の足元を通り、道路を横切ろうとしていた。

 

「民間人!」

 

 リナは叫んだ。

 

「敵機の足元、民間人がいます!」

 

『確認した。撃つな!』

 

 ノアの声。

 

 その瞬間、敵機の頭部がこちらを向いた。

 

 ライフルが持ち上がる。

 

 リナは反射的に機体を後退させた。

 

 発砲音。

 

 建物の角が砕け散った。

 

「っ!」

 

 機体の警告音が鳴る。

 

 装甲への破片衝突。

 

 軽微な損傷。

 

 それでも、リナは一瞬、何をすればいいのか分からなくなった。

 

『ヘロン5! 遮蔽へ戻れ!』

 

 ノアが叫んだ。

 

 リナは操縦桿を倒した。

 

 機体が急加速し、建物の陰へ滑り込む。

 

 次の銃撃が、さっきまでいた場所を通り抜けた。

 

『セルヴァ、聞こえるか!』

 

「は、はい!」

 

『損傷は?』

 

「軽微です! 行動可能です!」

 

『よし。敵から目を離すな。俺が援護する』

 

 ノアの機体が移動した。

 

 大型の機関砲を構え、敵機の進路を押さえる位置につく。

 

 だが、すぐには発砲しなかった。

 

『民間人はまだいるか?』

 

 リナは映像を拡大した。

 

 先ほどの男は、建物の入口から奥へ走り込んでいた。

 

「建物へ退避しました! 道路上には見えません!」

 

『了解。こっちからも確認した。敵機を下がらせる』

 

 ノアの機関砲が火を噴いた。

 

 短い連射。

 

 敵機の上半身付近を狙った弾丸が装甲を叩き、火花を散らす。

 

 敵機が慌てて後退する。

 

 ノアは民間人の退避した建物へ射線が重ならない位置から、敵機の進路だけを押さえていた。

 

『ヘロン5、左側から動けるか?』

 

 リナは画面を見た。

 

 敵機はノアの射撃を避けるため、建物の陰へ移動しようとしている。

 

 先ほどの民間人は、もう道路上にいない。

 

「……動けます!」

 

『敵の右脚を狙え。無理に追うな』

 

「了解!」

 

 リナは機体を前へ出した。

 

 ノアの位置を確認する。

 

 標的の背後に民間人はいない。

 

 射線も重ならない。

 

 右腕のライフルを構えた。

 

 敵機がこちらに気づいた。

 

 ライフルを向けようとする。

 

 訓練なら、もう撃っている。

 

 撃て。

 

 撃たなければ、向こうが撃つ。

 

 リナは射撃トリガーを引いた。

 

 銃声。

 

 反動。

 

 敵機の右膝付近に火花が散る。

 

 弾丸が関節部の装甲を削り、内部の駆動機構が露出した。

 

 リナは続けて引き金を引いた。

 

 二発目が同じ箇所を捉える。

 

 関節から火花と白い煙が噴き出し、敵機の姿勢が大きく崩れた。

 

 機体は建物の壁へ衝突し、そのまま膝をついた。

 

 衝突の拍子に右腕が壁へ叩きつけられ、保持していたライフルが地面へ落ちる。

 

 リナは照準を維持した。

 

 もう一発。

 

 撃てば、確実に動きを止められる。

 

 けれど。

 

『ヘロン5、射撃停止』

 

 アレックスの声だった。

 

『敵機は武装を落としている。攻撃動作も止まった。撃つな。監視を維持しろ』

 

「……了解しました」

 

 敵機の胸部装甲が開いた。

 

 中から、人影が這い出してくる。

 

 操縦士だった。

 

 片腕を押さえながら、地面へ降りようとしている。

 

 うまく立てないのか、その場に膝をついた。

 

 自分と、同じくらいの年齢に見えた。

 

 リナは、その姿をしばらく見ていた。

 

『ヘロン5、こちらヘロン1。聞こえるか』

 

「……はい」

 

『共和国軍に敵操縦士の位置を伝えた。収容は向こうに任せる。お前はヘロン3と合流しろ』

 

「了解しました」

 

 機体を動かす。

 

 倒れた敵機が、モニターの端へ流れていく。

 

 リナは、振り返らなかった。

 

 

     *

 

 

『敵二機、北側へ後退!』

 

 ミレイユの声が響いた。

 

『こっちは追えるよ!』

 

『追撃中止。東側の避難車列を優先する』

 

 アレックスが指示した。

 

『ヘロン4、状況は?』

 

『避難車両三台中、二台が東側の検問線を通過。最後の一台が道路上で停止しています』

 

『故障か?』

 

『不明です。共和国軍の護衛車両が接近中ですが、敵の射線に入る可能性があります』

 

 アレックスは地図を確認した。

 

 北側で後退した敵二機は、貨物分岐点へ向かう経路上にいる。

 

 敵にそこを取られれば、共和国軍の後退経路にも影響する。

 

 追撃する理由は、十分にあった。

 

 右肩の誘導ミサイルを使えば、後退する敵機を遠距離から攻撃することもできる。

 

 だが、その先には倉庫群があり、南側には避難経路がある。

 

 周辺の民間人の位置が完全には把握できていない状況で、誘導弾を撃ち込むわけにはいかなかった。

 

 アレックスはミサイルの使用を見送った。

 

『ヘロン2、北側の道路を監視。敵が戻ってきたら足を止めろ』

 

『了解!』

 

『ヘロン3、5を連れて東側へ。避難車両を確認』

 

『了解した』

 

『ヘロン4は共和国軍と連絡を維持。俺は中央の敵を抑える』

 

 命令が飛ぶ。

 

 各機が動き始める。

 

 リナはノアの後ろについて、工業区画の東側へ向かった。

 

 道路の先で、車両が一台停止していた。

 

 小型の民間輸送車。

 

 前部から煙が上がっている。

 

 その近くで、数人の人間が慌ただしく動いていた。

 

『あれか』

 

 ノアが呟いた。

 

『ヘロン5、周囲を警戒しろ。俺が確認する』

 

「了解!」

 

 ノアの機体が車両へ近づく。

 

 人々が一斉に顔を上げた。

 

 そのうち一人が、両手を振って何かを叫んでいる。

 

 外部音声が拾った。

 

『運転手が挟まってる! 動かせないんだ!』

 

 ノアが低く舌打ちした。

 

『ヘロン4、救助が必要だ。共和国軍の歩兵をこっちへ回せるか?』

 

『照会します』

 

 リナは周囲を見渡した。

 

 道路の先は暗い。

 

 建物が連なり、視界が悪い。

 

 遠くで発砲音が響く。

 

 アレックスたちはまだ戦っている。

 

『ヘロン5』

 

「はい!」

 

『東側を見てろ。絶対に目を離すな』

 

 ノアの声が、今までより低かった。

 

『俺は車両の方を見る』

 

「了解しました!」

 

 リナはライフルを構えた。

 

 暗い道路を見つめる。

 

 数秒後、センサーに反応が出た。

 

 今度は、ノアに呼ばれる前に通信を開いた。

 

「ヘロン5、敵性熱源確認! 東側道路、敵機一、接近中!」

 

『了解。距離を取れ。射線を確保する』

 

 ノアの機体が、車両と敵機の間へ移動した。

 

 敵機が姿を現す。

 

 リナは照準を合わせた。

 

 左腕には近距離用のショットガンもある。

 

 だが、避難車両のすぐ近くで散弾を使えば、標的以外へ被害を及ぼす危険がある。

 

 リナは右腕のライフルを選んだ。

 

 ただし、すぐには撃たない。

 

 味方の位置。

 

 民間車両。

 

 射線。

 

 全部を確認する。

 

「ヘロン5、右側から援護します!」

 

『了解。民間車両への射線を外せ』

 

「了解!」

 

 リナは機体を移動させた。

 

 短いブーストで道路脇へ回り込み、機体を停止させる。

 

 敵機の背後には工業区画の防護土堤がある。

 

 避難車両のいる方向へ射線は通らない。

 

 ノアの機体とも重ならない。

 

 今度は、撃てる。

 

「ヘロン5、射撃します!」

 

 発砲。

 

 敵機の肩装甲に命中。

 

 敵機がよろめき、ライフルをこちらへ向け直す。

 

 その間にノアが位置を変えた。

 

 民間車両を背後に置かない角度から、機関砲を短く連射する。

 

 敵機の周囲で火花が弾けた。

 

 敵機は慌てて建物の陰へ後退する。

 

『敵は下がった。ヘロン5、追うなよ』

 

 ノアが言った。

 

『こっちも救助が先だ』

 

「了解!」

 

 リナは照準を維持したまま、敵機が消えた通路を監視した。

 

 やがて共和国軍の歩兵が到着し、車両から負傷した運転手を救出した。

 

 リナは機体の中から、その様子を見守っていた。

 

 運転手は担架へ乗せられ、護衛車両に運び込まれた。

 

 走行不能になった輸送車は、その場に残すことになった。

 

 乗っていた人々は共和国軍の車両へ移り、検問線へ向けて退避していく。

 

 その中に、一人の少女がいた。

 

 泣いている。

 

 母親らしき女性が、何度も頭を撫でている。

 

 リナは、何も言えなかった。

 

 ただ、機体のセンサーを周囲へ向け続けた。

 

 今度こそ、見落とさないように。

 

 

     *

 

 

 午後十時十八分。

 

 第四小隊は、作戦区域から撤収した。

 

 共和国軍の増援部隊が貨物分岐点へ到達し、施設の確保を確認。

 

 敵部隊は北西へ後退。

 

 確認された敵機四機のうち、一機は行動不能。残る三機は撤退した。

 

 当初検出された未識別熱源二つについては、最後まで正体を特定できなかった。

 

 避難車両三台のうち、二台は自走して検問線を通過。

 

 残る一台は放棄されたが、乗員は共和国軍によって救出された。

 

 戦術的には、任務達成だった。

 

 帰投中の無線は静かだった。

 

 ユリウスは司令部との通信に集中している。

 

 アレックスは各機の状態を確認していた。

 

『ヘロン5、機体に異常はないか』

 

「はい。軽微な損傷だけです」

 

『了解。帰ったら整備班に確認してもらおう』

 

「……はい」

 

 少し迷ってから、リナは口を開いた。

 

「隊長」

 

『どうした』

 

「私……ちゃんと、できていたでしょうか」

 

 通信の向こうで、少し間があった。

 

『前半は報告が遅れたな。敵機を発見してから、こっちが確認するまで時間がかかってる』

 

「……はい」

 

『それに、最初に撃たれたときは遮蔽へ戻るのも遅れた。ああいう場面じゃ、少しの遅れが命取りになる』

 

「……はい」

 

『だが、東側では改善してた。民間車両を巻き込まずに敵を止められたのは良かった』

 

 リナは、右手の操縦桿を握り直した。

 

 褒められたことよりも、敵機を最初に発見したときの沈黙が頭に残っていた。

 

 照準の向こうに、人がいた。

 

 あの操縦席にも、自分と同じように誰かが座っていた。

 

 分かっていたことのはずだった。

 

 訓練でも、教科書でも、何度も教わってきた。

 

 それなのに。

 

 実際に引き金を引くまで、自分は何を考えていたのだろう。

 

『まだ直せるところはある。明日、一緒に記録を見よう』

 

「……了解しました」

 

 アレックスの声は、それ以上何も付け加えなかった。

 

 リナは正面モニターを見つめた。

 

 画面には、夜のレイネアが映っている。

 

 港の灯り。

 

 道路の街灯。

 

 住宅街の窓から漏れる、小さな光。

 

 出撃したときと、同じ景色だった。

 

 けれど、リナにはもう、まったく同じものには見えなかった。

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