基地へ戻ったときには、午後十一時を少し回っていた。
格納庫の照明が、帰投した五機の人型兵器を照らしている。
誘導灯に従って機体を整備架へ収め、動力系を停止する。操縦席のモニターが一つ、また一つと暗くなり、最後に通信接続の表示が消えた。
リナは、しばらくそのまま座っていた。
もう操縦する必要はない。
敵を探す必要も、味方の位置を確認する必要もない。
それなのに、操縦桿から手を離すまでに、少し時間がかかった。
ハーネスを外し、胸部の搭乗口を開く。
外から流れ込んできた空気は、思いのほか冷たかった。
リナは整備用の足場へ足を下ろした。
その瞬間、膝から力が抜けた。
「わっ……!」
「おっと!」
下で待っていた整備兵が、咄嗟に手を伸ばした。
どうにか手すりを掴み、転倒だけは免れる。
「大丈夫か?」
「あっ、はい……すみません」
「初陣だろ? まあ、そうなるわな」
整備兵は苦笑した。
「無理すんなよ。足元、ちゃんと見て降りろ」
「……ありがとうございます」
リナは慎重に残りの段を降りた。
床に両足がついた瞬間、ようやく自分の身体が地面へ戻ってきたような気がした。
不思議な感覚だった。
ついさっきまで五メートルの機体を動かしていたのに、自分の足で立つことが、こんなにも頼りなく感じられる。
手が少し震えている。
機体の中では、気づかなかった。
「セルヴァ、機体の異常は?」
整備兵が端末を構えた。
「あ、はい。左側の装甲に破片が当たりました。警告は軽微な損傷だけで、操縦には問題ありませんでした」
「左側な。ほかは?」
「ありません」
「分かった。こっちで確認する」
整備兵は記録を入力し、仲間へ声をかけた。
別の整備員が機体の左側へ回り込み、作業灯を当てている。
灰色の装甲には、細かな傷がいくつも残っていた。
リナはそれを見つめた。
ほんの少し、位置が違っていたら。
あの弾丸が建物の角ではなく、自分の機体に直接当たっていたら。
考え始めると、際限がなかった。
「リナ」
振り返ると、ミレイユが立っていた。
パイロットスーツの上着を腰に巻き、片手でヘルメットを持っている。
「お疲れ。ちゃんと帰ってきたじゃん」
「……はい」
「初陣にしちゃ上出来だと思うよ」
ミレイユはいつもの調子で笑った。
その頬には、小さな赤い傷があった。
「ミレイユさん、怪我……」
「ああ、これ?」
指で頬を触る。
「機体が揺れたときに、ヘルメットの内側で擦っちゃってさ。大したことないよ」
「でも、血が……」
「もう止まってるって。医務室で見てもらうし」
ミレイユは軽く肩をすくめた。
「それより、あんたの方がよっぽどひどい顔してる」
「……そんなにですか?」
「うん。なんか三日くらい寝てない人みたい」
「そこまでは……」
反論しかけて、リナは口を閉じた。
正直、自信がなかった。
ミレイユは一瞬、何かを考えたようだった。
それから、ぽんとリナの肩を叩いた。
「とりあえず報告終わらせよ。医務室寄って、そしたら飯!」
「……今からですか?」
「うん。あたしお腹すいた」
リナは時計を見た。
もう午後十一時を過ぎている。
「食堂、開いてるんでしょうか」
「夜勤用の軽食があるから平気」
ミレイユが歩き出す。
数歩進んだところで、振り返った。
「ほら、隊長のところ行くよ」
「あ、はい!」
リナは慌てて後を追った。
格納庫の中央では、アレックスが整備主任と話していた。
ノアも近くにいる。ユリウスは端末を操作しながら、司令部との通信を続けていた。
全員が揃っている。
それを見て、リナはようやく少しだけ安心した。
「五機とも帰投。各機の動力停止と武装の安全確認は進んでいます」
ユリウスが報告した。
「了解。損傷と弾薬の記録は整備班へ引き継いでくれ」
アレックスが答える。
「共和国軍からの連絡は?」
「避難車両の乗員は全員、検問線の内側へ移動しました。負傷した運転手も医療施設へ搬送されています」
「敵操縦士は?」
「収容を確認しています。詳しい状態はまだ届いていません」
「分かった」
アレックスは端末を閉じた。
「よし、全員お疲れ。詳細な振り返りは明日の十時にやる。今夜は医務室で確認を受けて、それぞれ休んでくれ」
「了解」
ノアが短く答えた。
「隊長、明日の訓練は?」
ミレイユが尋ねる。
「予定は変更だ。午前は戦闘記録の確認、午後は機体の整備状況次第だな」
「えー、せっかくリナが実戦経験積んだのに」
「だからこそ、先に記録を見るんだよ」
「はーい」
アレックスはリナへ目を向けた。
「セルヴァ」
「は、はい!」
「機体の損傷は報告したか?」
「はい! 左側装甲への破片衝突です。整備班に引き継ぎました!」
「よし。今夜はもう考えなくていい。明日、順番に確認しよう」
「……了解しました」
「それと、食事は取ってから寝ろよ」
横でミレイユが得意げに笑った。
「ほらね!」
「お前は毎回それだろ」
ノアが呆れたように言った。
「食べないよりいいでしょ?」
「限度ってもんがある」
いつものやり取りだった。
リナは二人の顔を見た。
数時間前まで、この人たちは銃撃の飛び交う工業区画にいた。
今は、夕食の話をしている。
それが少しだけ、不思議だった。
*
翌朝十時。
作戦報告室には、第四小隊の五人が揃っていた。
壁面のモニターには、昨夜の戦闘記録が映し出されている。
敵機の推定位置。
各機の移動経路。
発砲時刻と使用武装。
機体の損傷箇所。
そして、味方機の射線。
リナは、自分の行動記録を見ていた。
最初の敵機を発見してから、ノアへ報告するまでの時間。
ほんの数秒。
その数秒が、画面の上ではっきりとした空白になっていた。
昨夜は結局、ほとんど眠れなかった。
目を閉じると、工業区画の暗い道路が浮かんでくる。
建物の角が砕け散った瞬間。
敵機の右脚に弾丸が命中した瞬間。
そして、操縦席から這い出してきた人影。
思い出すのは、いつも同じ場面だった。
「まず、作戦全体の確認から始める」
アレックスが口を開いた。
「貨物分岐点は共和国軍が確保。避難車両三台の乗員も退避を完了した。主要目標は達成している」
地図に、第四小隊の進入経路が表示される。
「確認された敵機は四機。一機が行動不能、三機が後退。最初に報告された未識別熱源二つは、現段階でも正体が分かっていない」
ユリウスが補足した。
「敵の追加戦力だった可能性はあります。ただし、車両や他の熱源を誤って捉えた可能性もあり、現時点では断定できません」
「そういうことだ。分からないものは、分からないまま報告する」
アレックスは画面を切り替えた。
「次に各機の行動を確認する。まずはセルヴァからだ」
「はい!」
リナは背筋を伸ばした。
モニターに、左側通路の映像が映る。
暗い建物の陰。
ゆっくりと姿を現す敵機。
右腕にライフルを持った、灰色の人型兵器。
映像が止まった。
「ここだな」
アレックスが言った。
「セルヴァ。敵機を発見したとき、何を考えていた?」
リナは少し迷った。
「……撃とうと、思いました」
「ああ」
「でも、相手がまだこちらに気づいていなかったので……」
「それで?」
「……迷いました」
リナは膝の上で手を握った。
「その……あの機体にも、人が乗っているんだと思ったら」
言葉が途切れる。
アレックスは急かさなかった。
「引き金を、引けなくなりました」
室内が少し静かになった。
リナは視線を上げられなかった。
兵士なのに。
敵を前にして、撃てなかった。
それを、どう説明すればいいのか分からない。
「なるほどな」
アレックスは短く答えた。
「撃たなかったこと自体は、必ずしも間違いじゃない」
リナは顔を上げた。
「敵を発見したからといって、何でもすぐに撃てばいいわけじゃない。状況によっては監視を続けた方がいいこともある」
「……はい」
「ただし、今回は報告が遅れた」
アレックスは記録の一部を拡大した。
「その間、ノアは敵機がいることを知らなかった。お前だけが情報を持っていたんだ」
「はい」
「撃つかどうかを決める前に、まず見つけたことを知らせてくれ。そうすれば、こっちも判断できる」
「……了解しました」
「迷うことと、何も伝えないことは別だ。そこは覚えておいてくれ」
アレックスは映像を進めた。
敵機の足元を民間人が走る。
次の瞬間、敵機がライフルを構えた。
発砲。
建物の角が砕け散り、リナの機体が後退する。
映像が止まった。
「次はここだ。敵の発砲に対して、遮蔽へ戻るまで時間がかかっている」
「……はい」
「今回は破片による軽微な損傷で済んだが、次もそうなるとは限らない。敵の射線に入ったと判断したら、まず機体を守れ」
「了解しました」
「ノア、お前の方は?」
「ああ。俺の位置からは、最初は民間人が見えてなかった。リナの報告で気づいたが、退避を確認できる位置へ動くまで少し時間を食った」
「改善できそうか?」
「できる。次は互いに見えてる範囲をもう少し細かく伝える。必要なら映像も共有する」
ユリウスが端末に記録を加えた。
「情報共有の手順に反映します。市街地では建物による死角が多いため、各機の視界が一致しているとは限りません」
「頼む」
アレックスは頷いた。
「それから、セルヴァが敵機を止めた場面だ」
映像が切り替わる。
ノアの機関砲が敵機の動きを抑え、リナが側面へ移動する。
右腕のライフルが発砲。
一発目が敵機の右膝付近へ命中。
続く二発目で関節部が損傷し、敵機が崩れ落ちる。
映像の中で、敵機のライフルが地面へ落ちた。
リナは思わず目を逸らしかけた。
「射撃そのものは正確だった。射線の選択も悪くない」
アレックスが言った。
「ただし、行動不能になった敵が、必ずしも無力化されたとは限らない。今回も、攻撃停止を確認するまでは警戒を続ける必要があった」
「はい」
「その点はできていた。次も同じように頼む」
リナは小さく頷いた。
褒められているのだろう。
けれど、嬉しさはあまり湧いてこなかった。
画面の中では、敵機が何度でも同じように倒れる。
そのたびに、同じ箇所へ命中したことが記録されていた。
「次、ミレイユ」
「はいはい」
ミレイユが椅子に座り直した。
彼女の交戦記録が表示される。
倉庫の角へ滑り込み、敵機二機を発見。
短い噴射で距離を詰め、ショットガンで接近してきた敵機を牽制する。
その動きは、リナの目にも鮮やかに映った。
訓練中に見たときより、ずっと速く感じられる。
「接敵直後の位置取りは良かった。敵の側面を取れている」
アレックスが言った。
「ただ、そこから先へ動く前の報告が足りなかったな」
「……あー、やっぱり?」
「後方から見ると、どこまで出るつもりか分からなかった。味方が援護できる範囲も狭くなってる」
「でも、あの位置ならショットガンが届いたよ?」
「それは分かってる。だから位置取り自体を否定してるわけじゃない」
アレックスは映像を止めた。
「次にどこへ出るのか、短く伝えてくれればいい。お前の動きは速いからな」
「了解。次はちゃんと言う」
「頼むぞ」
「はーい」
ミレイユは少し口を尖らせたが、それ以上反論しなかった。
続いて、最後の避難車両の映像が表示された。
道路上で停止した民間輸送車。
その前へ移動するノアの機体。
後方で警戒するリナ。
「ここは良かった」
アレックスが言った。
「ノアが救助の手配を進め、セルヴァが警戒を引き継いだ。敵を発見してからの報告も早かった」
映像が進む。
東側道路から接近する敵機。
リナが射線を確認し、位置を変更する。
そして、発砲。
「民間車両を巻き込まない位置を選んだのも良かった。ノアも火力を使う角度を確認していたな」
「ああ。あそこで撃ち散らかしたら、何のために助けに来たのか分からねえからな」
「その通りだ」
アレックスは画面を閉じた。
「ユリウス、現地警備隊からの報告は?」
「運転手は重傷ですが、搬送時点では意識があったそうです。現在も治療を受けています。その他の乗員は退避を完了しました」
「分かった。引き続き状況を確認してくれ」
「了解しました」
アレックスは全員を見渡した。
「今回の任務は達成。ただし、改善点は多い。各自、今日中に記録を確認しておいてくれ」
「了解」
ノアが立ち上がる。
ミレイユも席を離れた。
ユリウスは端末に最後の記録を入力し、保存した。
リナも立ち上がろうとした。
しかし、アレックスから声がかかった。
「セルヴァ」
「はい!」
「何か聞いておきたいことはあるか?」
リナは少し迷った。
昨夜から、ずっと気になっていたことがあった。
けれど、それを尋ねていいのか分からなかった。
「……最初に撃った敵機の操縦士は、どうなったんでしょうか」
アレックスはユリウスを見た。
「確認できてるか?」
「はい。共和国軍が収容しています。右腕の負傷と打撲が確認されていますが、搬送時点では意識がありました」
「そうか」
「医療処置を受けた後、状態が安定すれば捕虜収容施設へ移送される予定です」
「……生きてるんですね」
リナが呟いた。
「はい。少なくとも、現在届いている報告では」
ユリウスが答えた。
リナは小さく頷いた。
それだけだった。
喜ぶべきなのか。
安心するべきなのか。
それとも、何も感じない方がいいのか。
自分でも分からなかった。
アレックスは、それ以上何も尋ねなかった。
「分かった。今日はもう下がっていいぞ」
「……はい。失礼します」
リナは敬礼し、部屋を出た。
廊下へ出ると、窓の向こうに青い空が広がっていた。
昨日、あれだけ銃声が響いていたというのに。
空は、何事もなかったように晴れていた。
*
午後。
リナは、基地に併設された医療施設へ向かっていた。
昨夜の帰投直後にも簡単な健康確認は受けていたが、初陣だったこともあり、翌日の追加診察が予定されていた。
医療施設は共同圏軍と共和国軍が利用する建物だった。
負傷者の受け入れ区画は分かれているが、戦闘が起これば双方の兵士がここへ運ばれてくる。
昨夜は夜間照明だけだった廊下も、昼間になると随分と印象が違った。
白い壁。
消毒液の匂い。
遠くで聞こえる医療機器の電子音。
リナは受付で身分証を提示した。
「セルヴァさんですね。少しお待ちください」
「はい」
廊下の椅子に座る。
すぐ近くの扉が開いた。
担架が運び出される。
その上には、包帯を巻いた共和国軍の兵士が横たわっていた。
看護師が何かを説明している。
兵士は頷き、それから天井を見つめた。
リナは、無意識に視線を逸らした。
診察では、身体に大きな異常は見つからなかった。
睡眠時間を尋ねられ、リナは正直に答えた。
何度も目が覚めたこと。
銃声を思い出すこと。
今朝になっても、手が少し震えること。
担当者は記録を取り、症状が続いたり強くなったりする場合は再び申し出るよう伝えた。
その説明を聞いている間も、リナはどこか落ち着かなかった。
怪我をしたわけではない。
機体も、ほとんど壊れていない。
それなのに、こうして診察を受けている。
廊下へ戻り、出入口へ向かって歩いていると、窓の向こうで人の動く気配がした。
隣接する管理区画へ続く通路だった。
共和国軍の兵士が二人。
その間を、片腕を固定した男が歩いている。
男は軍服を着ていた。
だが、その色はリナたちのものとは違っていた。
敵国軍の兵士だ。
負傷した捕虜についても、必要な治療は施される。医療施設の一部は、共和国軍が管理する傷病捕虜の診療にも使用されていた。
男は若かった。
短く切った髪に、疲れ切った表情。
片腕を身体の前に固定され、歩く速度も遅い。
通路の窓から、外を見ていた。
その視線の先には、基地の小さな庭がある。
背の低い木が並び、花壇の隅には白い花が咲いていた。
男は一瞬、足を止めた。
付き添いの兵士が何かを告げると、再び歩き出す。
リナは、その姿を見つめた。
あのときの操縦士だろうか。
右腕の負傷。
年齢も、同じくらいに見える。
けれど、顔を確認したわけではない。
確かなことは何も分からなかった。
ただ。
昨日、自分が撃った機体にも、ああして歩き、何かを眺める人間が乗っていたのだ。
そんな当たり前のことを、昨日までは考えていなかった。
訓練では、敵を撃破すれば点数が加算された。
うまく当てれば褒められた。
命中率が上がれば、自分の努力が認められた。
射撃が得意だった。
それは今でも変わらない。
では、昨日の射撃は。
何点だったのだろう。
リナは、そんなことを考えてしまった自分が嫌になった。
昨日の敵機は、動かなくなった。
任務は達成した。
けれど、その操縦士がこの先どうなるかは、何も分からない。
リナは窓から目を離した。
通路の向こうでは、誰かが名前を呼ばれていた。
医療施設は、今日も忙しそうだった。
*
医療施設から戻る途中、リナは格納庫の裏手でノアを見つけた。
取り外された装甲板を前に、整備兵と何かを話している。
近くには、交換用の部品が入った箱がいくつも並んでいた。
「あ、ノアさん」
「ん?」
「お疲れさまです」
「おう」
ノアは装甲板を軽く叩いた。
「お前の機体、思ったより損傷が少なかったぞ。昨日の破片で表面をやられただけだ」
「そうなんですか」
「ああ。内部まではいってねえ。点検も終わってる」
「ありがとうございます」
「礼なら整備班に言え。俺は見てただけだ」
近くの整備兵が苦笑した。
「見てただけの割には、ずいぶん注文が多かったですけどね」
「必要なことしか言ってねえだろ」
「そういうことにしておきます」
整備兵は工具を片づけ、別の機体のところへ歩いていった。
リナは少し笑った。
しかし、すぐに表情が戻った。
ノアが気づく。
「どうした?」
「……昨日、避難車両の運転手を助けましたよね」
「ああ」
「ああいうときって、迷わないんですか?」
ノアはしばらく答えなかった。
それから、少しだけ眉を寄せた。
「迷うさ」
「……そうなんですか?」
「当たり前だろ。こっちが救助に行って敵に撃たれりゃ、全員まとめて死ぬ。かといって放っといたら、助かるもんも助からねえ」
ノアは装甲板へ視線を戻した。
「昨日だって、俺たちの機体だけで運転手を引っ張り出せたわけじゃねえ。歩兵が来なきゃ、どうにもならなかった」
「……はい」
「五メートルの機体じゃ、できることにも限界がある。下手に触れば、壊れた車ごと潰しかねねえからな」
リナは、昨日の光景を思い出した。
停止した輸送車。
前に出たノアの機体。
救助を求めて手を振る人々。
あのときノアは、すぐに車両へ手を伸ばしたりはしなかった。
共和国軍の歩兵を呼び、自分は敵が近づかないよう警戒していた。
「だから、できるだけ準備する。逃げ道を作って、味方に援護させて、助けられる奴を呼ぶ」
ノアは言った。
「無理そうなら、別の手を考える」
「……はい」
「それでも失敗することはある」
その言い方が、少しだけ違って聞こえた。
いつもの皮肉も、冗談もなかった。
「昔、回収班にいたことがあってな」
「回収班?」
「ああ。戦場で動けなくなった機体を拾う仕事だ。まだ使える機体なら持って帰る。操縦士が生きてりゃ、そいつも連れて帰る」
ノアは小さく笑った。
「機体だけ回収して終わり、ってわけにもいかねえからな」
「……大変そうです」
「まあな」
ノアは工具を置いた。
「動かなくなった機体にも、いろいろある。中が空っぽのこともあれば、まだ返事があることもある」
リナは何も言わなかった。
「返事があるからって、必ず助けられるわけじゃねえ」
それきり、ノアは少し黙った。
格納庫の方から、金属を叩く音が聞こえる。
しばらくして、彼はいつもの調子に戻った。
「ま、いろいろあったんだよ」
ノアは再び装甲板へ目を向けた。
「お前も覚えとけ。助けられるときに助けるのは大事だが、自分まで動けなくなったら誰も助けられねえ」
「……はい」
「だから、昨日みてえなときは周りをよく見ろ。無理に前へ出るな」
「分かりました」
「それと」
「はい?」
「昨日はよく報告したな。東側の敵を見つけたとき」
リナは驚いた。
ノアから褒められるとは思っていなかった。
「……ありがとうございます」
「別に褒めてねえよ。事実を言っただけだ」
「それ、褒めてません?」
「うるせえ」
リナは笑った。
ノアも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「次も同じように頼むぞ」
「はい!」
「声はもうちょい小さくても聞こえるけどな」
「……すみません」
「だから謝るなって」
リナは、また少し笑った。
*
夕方。
リナは食堂で、一人遅い昼食を取っていた。
目の前の皿には、少し冷めた料理が残っている。
食欲は、あまりなかった。
それでも食べないわけにはいかないと思い、少しずつ口へ運んでいた。
壁際のテレビでは、昨日の戦闘について報じている。
『共和国軍の発表によると、北西工業区画への武装侵入は撃退され、共同管理施設の防衛に成功しました』
画面に、夜の工業地帯が映る。
炎上した車両。
破壊された壁。
道路に膝をついたまま動かなくなった、人型兵器。
リナは箸を止めた。
あの機体だろうか。
映像は遠くから撮影されていて、判別できなかった。
『一方、周辺の民間施設にも被害が発生し、現在も損害状況の確認が続いています』
画面が切り替わった。
壊れた店舗の前で、年配の女性が何かを話している。
『もう何度目か分からないよ。片づけても、また壊されるんだから』
女性は笑っていた。
けれど、目元は疲れ切っていた。
『今回の戦闘による民間人の被害については、引き続き確認が行われています』
続いて、別の映像。
敵対国側の報道機関が発表した内容の紹介だった。
そこでは、レイネアの共同管理区域はセレスタ共同圏軍が軍事利用する補給拠点として説明され、今回の作戦は、その補給活動を妨害することを目的としていたと報じられていた。
リナは少しだけ顔をしかめた。
同じ戦闘なのに、まるで違う出来事のように聞こえる。
自分たちは、民間人を逃がすために戦った。
それは間違いない。
けれど、敵にとって重要だったのは、貨物分岐点を確保することだった。
昨日の夜、あの場所にいた人々は、何を考えていたのだろう。
「気になる?」
突然、声がした。
顔を上げると、ミレイユが立っていた。
「隣、いい?」
「あ、はい」
ミレイユは椅子を引いた。
自分の食事を置き、テレビをちらりと見る。
「昨日のやつ?」
「はい」
「ふうん」
ミレイユはそれ以上テレビを見なかった。
リナは少し迷ってから尋ねた。
「ミレイユさんは、ああいうの気にならないんですか?」
「報道?」
「……敵側の言い分とか」
「気にならないわけじゃないけど」
ミレイユは料理を口に運んだ。
「戦ってるときは、そんなこと考えてる余裕ないからね」
「……そうですよね」
「でもさ」
ミレイユが少しだけ声を落とした。
「あたしらが撃つのって、機械だけじゃないんだよね」
リナは顔を上げた。
ミレイユはテレビではなく、自分の皿を見ていた。
「分かってるんだけどさ。あたし、戦うの嫌いじゃないんだよ」
いつもの明るい口調だった。
けれど、少しだけ違った。
「機体を動かして、相手の動きを読んで、うまく回り込んで……そういうの、結構好き」
「……はい」
「昨日だって、敵が近接装備で突っ込んできたとき、ちょっと面白いって思っちゃったし」
ミレイユは苦笑した。
「ノアには怒られそうだけどね」
リナは何も言わなかった。
「でも、だからって中の人間が死ぬのまで好きなわけじゃない」
ミレイユは肩をすくめた。
「ま、当たり前か」
リナは少しだけ考えた。
ミレイユは、戦闘になると楽しそうだった。
訓練中も、実戦でも。
自分には、まだ理解できない部分がある。
けれど、昨日格納庫へ戻ったとき、最初に声をかけてくれたのもミレイユだった。
「……難しいですね」
「何が?」
「その……戦うことが」
「そりゃ難しいよ」
ミレイユはあっさり答えた。
「簡単だったら、あたしも隊長に毎回怒られないって」
リナは思わず笑った。
「確かに……」
「ちょっと、そこは否定してよ!」
「あっ、すみません!」
「もう!」
ミレイユも笑った。
それから、リナの皿を見た。
「ほら、飯冷めるよ」
「あ、はい」
「食べられるときに食べとかないと。次いつ呼ばれるか分かんないんだから」
リナは箸を持ち直した。
しばらく、二人とも黙って食事を続けた。
食堂では、いつもと変わらない会話が飛び交っている。
整備班の誰かが新しい部品の納期に文句を言い、別の席では休暇の予定について話している。
テレビは既に、別のニュースへ切り替わっていた。
リナは、少しずつ冷めた料理を口に運んだ。
そして、ぽつりと呟いた。
「……私、両親を戦争で亡くしてるんです」
ミレイユの手が、少しだけ止まった。
「そっか」
「だから、誰かを守れるようになりたくて、軍に入ったんです」
「うん」
「訓練では、射撃が得意でした」
リナは皿を見つめた。
「標的に当てるのが楽しくて。いい成績が出ると嬉しくて……もっと上手くなりたいって、ずっと思ってました」
ミレイユは黙って聞いていた。
「でも昨日、初めて敵を撃って……」
言葉が途切れた。
何を言いたかったのか、自分でも分からなくなった。
ミレイユは急かさなかった。
ただ、リナが続きを話すのを待っていた。
「……私が撃った相手にも、家族がいるのかなって」
ミレイユは、しばらく黙っていた。
それから小さく頷いた。
「いるかもね」
リナは顔を伏せた。
「……はい」
「帰りを待ってる人が、いるかもしれない」
「……そうですよね」
「でも、あんたが撃たなかったら、こっちが撃たれてたかもしれない」
「……分かってます」
「うん」
ミレイユは、それ以上何も言わなかった。
少ししてから、リナが顔を上げた。
「……昨日の操縦士、生きてるそうです」
「そっか」
「はい」
「よかったね」
リナは、すぐには頷けなかった。
「……よかったんでしょうか」
ミレイユは少し考えた。
「少なくとも、死んじゃったよりはいいんじゃない?」
「……はい」
「あんたも帰ってきたし、向こうも生きてる。今回は、それでいいと思うよ」
リナはゆっくりと息を吐いた。
何も解決したわけではない。
自分の迷いが消えたわけでもない。
けれど。
それ以上の答えを、今すぐ出す必要もないのかもしれない。
リナは再び箸を取った。
少し冷めた料理は、さっきよりも味が分かる気がした。
*
同じ頃。
アレックスは司令部から戻り、格納庫の奥にある小さな休憩室へ入った。
室内では、ユリウスが端末を操作していた。
「まだ仕事してたのか」
「通信記録の照合が残っています」
「明日でもいいだろ」
「昨日の戦闘で、現地警備隊との通信が一度途切れています。原因を確認しておきたいので」
アレックスは椅子に腰を下ろした。
「機材の問題か?」
「今のところ、地形による遮蔽の可能性が高いです。ただ、断定できません」
ユリウスは画面を切り替えた。
昨夜の工業区画を示す地図が表示される。
建物の配置。
各機の移動経路。
通信が途切れた地点。
「この区域です。高い倉庫が並んでいて、共和国軍の中継設備も一部損傷していました」
「なるほどな」
「第四小隊の通信そのものは維持できています。ただ、現地警備隊からの情報が届くまでに遅れがありました」
ユリウスは画面の一部を拡大した。
「今回、避難車両の位置確認が少し遅れました」
「それでも間に合った」
「今回は、です」
アレックスは何も言わなかった。
「もし、あの車両がもう少し北側にいたら。我々が射撃を開始した後に位置が判明していたら……」
ユリウスは言葉を切った。
「情報がない状態での判断は、どうしても不確実になります」
「……そうだな」
「次にあの区域で行動する場合は、共和国軍の中継設備だけに依存しない通信経路を準備するべきです。隊内の情報共有についても、改善できる点があります」
「必要なものをまとめてくれ。司令部に上げる」
「ありがとうございます」
ユリウスは少しだけ肩の力を抜いた。
「すみません。少々、神経質になっていますね」
「別にいいさ。お前が気にしなきゃ、誰が気にするんだ」
アレックスは笑った。
「ただ、ちゃんと寝ろよ」
「隊長も、です」
「そう返されると思った」
ユリウスも、ほんの少しだけ笑った。
「セルヴァの様子はどうでしたか」
ユリウスが尋ねた。
「今朝の報告か?」
「ええ。かなり緊張していたようでしたので」
「まあ、初陣だからな」
アレックスは椅子の背に身体を預けた。
「射撃も操縦も問題ない。あとは、周りを見ながら動くことと、報告すること。それを覚えてもらうしかないな」
「時間が必要ですね」
「ああ」
「十分な時間があればいいのですが」
アレックスは、すぐには答えなかった。
レイネアに来てから、半年。
その間にも、小規模な交戦は何度も起きている。
昨日のような出撃が、明日もないとは限らない。
「できる限りのことをするさ」
アレックスは言った。
「それしかない」
ユリウスは小さく頷いた。
休憩室の時計は、午後九時を過ぎていた。
窓の向こうでは、基地の照明が静かに灯っている。
「今日はもう終わりにしよう」
アレックスが立ち上がった。
「残りは明日でいい」
「……分かりました」
ユリウスは端末の記録を保存した。
「お先に失礼します」
「ああ。お疲れ」
扉が閉まる。
休憩室には、アレックス一人が残った。
机の上には、昨日の戦闘記録が置かれている。
負傷した共和国軍兵士の人数。
行動不能となった敵機。
撤退した敵部隊。
避難できた民間人。
そして、まだ確認できていない行方不明者。
貨物分岐点は守られた。
避難車両の乗員も救出された。
第四小隊の五人は、全員帰ってきた。
任務達成。
報告書には、そう記されている。
それは間違いではない。
だが、被害を受けた建物が明日には元に戻るわけではない。
負傷した人間が、すぐに仕事へ戻れるわけでもない。
敵もまた、失った機体を回収し、傷ついた兵士を数え、次の命令を待っているのだろう。
アレックスは端末を開いた。
明日の予定が表示される。
機体の整備確認。
戦闘記録の再評価。
共和国軍との連絡会議。
リナの追加習熟訓練。
最後の項目に目を留め、アレックスは少しだけ考えた。
それから、訓練時間を調整した。
できれば、次に出撃する前に、もう少し教えておきたい。
報告の仕方も。
味方との動き方も。
敵を見つけたとき、何を優先するべきかも。
伝えなければならないことは、まだいくらでもあった。
窓の向こうでは、港の灯りが静かに揺れている。
あの街では、明日も人々が仕事へ向かう。
学校へ通う子供たちがいる。
家に帰る兵士もいれば、帰らない兵士もいる。
アレックスは、もう一度戦闘報告書へ目を落とした。
任務達成の報告は、既に提出してある。
それでも、戦闘が終わったわけではない。
少なくとも、報告書に書かれた数行だけで片づくものではなかった。