戦火の片隅で   作:ルナビス

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第六話 「帰ってきた場所」

 戻ってきた返事は、リナが期待していたものとは違った。

 

『あそこにいるのだけだと思うなよ。こっちは、機体を下げるたびに次が出てきた』

 

 先ほど分岐を通った、友軍機の操縦士だった。

 ユリウスがつないだ通信を聞きながら、リナは作業道の奥を見張った。岩の陰から、敵はまだ出てこない。

 

『戦車も何両も来てる。谷沿いの道路を押してきて、その横を歩兵が上がってくるんだ。砲撃をしのげば済むと思ってたら、陣地の脇まで来てやがった』

 

『どこまで見た?』

 

 アレックスが聞いた。

 地図に、相手が最後にいた陣地と、敵の進んできた道が示される。分岐よりずっと北だった。そこから味方が下がってきた道を、リナは目でたどった。

 

『この辺りだ。数は出せん。SMWも戦車も、見えてた連中だけじゃないはずだ』

 

『歩兵は山側にも回っているのか』

 

『ああ。道路だけ見てると横からも来る。そっちも気をつけろ』

 

 リナは、作業道を挟む斜面へ視線を上げた。

 岩も、低い木も、さっきと同じだった。その間を人が通れるかどうか、今度はそこが気になった。

 

『航空機は?』

 

『俺たちは見てない。そもそも上のことまで見てる余裕はなかったがな』

 

『分かった。助かったよ。あとはこっちで引き受ける』

 

『こっちこそ。置いてきた車列を頼む』

 

 通信の向こうで別の声が呼び、男は短く答えて切った。

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 

『航空機は控えてるんでしょうか。こっちの対空部隊を警戒して』

 

 ユリウスの言葉に、アレックスが応じた。

 

『かもしれないな。だが、こっちが航空支援を出したらどうなるかは分からん。来ないと決めてかかるな』

 

『了解。報告を方面軍へ回します』

 

『隊長。これ、俺たちだけで道を押さえてる場合か?』

 

『だから車列を急がせる。ヘロン3、南へ下がるときに使える場所を見ておいてくれ。ヘロン2と5は、山側の歩兵にも注意』

 

『了解。リナ、岩の上も見て。あたしは入口を押さえとく』

 

『了解です。』

 

 返事をしてから、リナはライフルを少し上げた。

 早く帰りたいと思っていた。

 けれど、帰る道を使うために、まずここにいなければならない。

 

 

     *

 

 

 最初のトラックが曲がり角から出てきたとき、リナは思わず前へ身を寄せた。

 泥にまみれたタイヤが、削れた路面をゆっくり越えてくる。その後ろにも、明かりを落とした車が続いていた。

 止まらないで。

 先頭が分岐へ入るまで、そう思って見ていた。

 

『ヘロン5、作業道は?』

 

 隊長の声に、慌てて正面へ目を戻す。

 

『動きはありません』

 

 言いながら、さっきまで見ていなかったことが気になった。

 岩の両側をもう一度確かめる。ミレイユ機の銃口は、入口へ向いたままだった。

 

 車列が抜けたあと、工兵の車が下がってきた。土嚢の兵士たちも荷台へ乗り込み、最後の一人が扉を叩く。

 エンジン音が遠ざかると、分岐は急に広くなった。

 誰も走っていない道路を、今度は第四小隊だけが見張った。

 

 やがて、ユリウスから連絡が入った。

 

『後退部隊と車列、前方拠点への収容を確認。工兵も到着しています。残留の報告はありません』

 

 リナは肩を下げかけた。

 続けて入った呼び出しに、ユリウスが応じる。方面軍からだった。短いやり取りのあと、アレックスへ命令が伝えられた。

 

『ヘロンは分岐を離脱し、前方拠点へ帰投。補給と点検を済ませ、次の指示まで待機です』

 

『了解。輸送班が待っている方だな』

 

『はい。受け入れ側にも連絡します』

 

『やっとかよ』

 

『ノア、まだ着いてないって』

 

『分かってる。先に言っただけだ』

 

 リナも、ほんの少し口元を緩めた。

 あの作業灯の下まで戻ればいい。来るときに通った道だ。

 

『ヘロン4、先に南へ。ヘロン2と5は平場を出ろ。俺とヘロン3が見ている』

 

 ユリウス機が動き出す。

 リナはライフルを下げずに、ミレイユが振り返るのを待った。

 

『リナ、あたしから――』

 

 道路で何かが弾けた。

 白い光が走り、土嚢の端が吹き飛ぶ。続いて北の角で発砲が重なった。

 アレックス機が上体を低くし、道路脇へ滑り込む。

 

『北から撃ってる!』

 

 ノアの支援火器が応じた。

 リナの肩が座席へ押しつけられる。機体を下げたのは自分なのに、何が起きたのか、音の方が一拍遅れて分かった。

 

『帰るって言ってんのに!』

 

 ミレイユの声が鋭くなる。

 

『ヘロン2と5は、そのまま南へ抜けろ。ヘロン3、撃ちすぎるな。俺が出る』

 

 アレックスが道路の北へ銃口を向けた。

 ミレイユ機が道路へ下りる。リナもその後ろに続き、排水溝をまたいだ。着地の衝撃が脚から伝わってくる。

 前方にユリウス機。その手前の曲がり角で、ミレイユが機体を返した。

 

『リナ、あたしの後ろまで来て! 山側を見てて!』

 

『了解っ!』

 

 リナはその脇を抜け、少し南で振り向いた。来た方向が正面に戻る。

 ミレイユは道路の山側に寄り、分岐を見ていた。リナはそこより後ろから、道路沿いの斜面へライフルを向ける。

 

『下がる道、見てるよ。隊長たち来て!』

 

 ノアが射撃を止め、こちらへ下がってきた。

 その後ろを、アレックス機が追う。二機が角を越えてから、ミレイユも後ずさった。

 誰かが撃ち、誰かが動く。さっきまで通していた車列の最後尾に、今は自分たちがいた。

 

 

     *

 

 

 北の道路で、また銃火が瞬いた。

 ミレイユが撃ち返す。その間にも、山側の木々の間を、小さな影が動いていた。

 

『斜面にも歩兵! リナ、そっちを見て!』

 

 リナは銃口を山側へ向けた。

 分岐の方から、人影が木の陰を渡ってくる。道路を下がる自分たちを追うように、斜面を伝っていた。

 その一人が、木の根元で膝をついた。

 肩に担いだ筒が見える。

 

『ミレイユさん、上! 発射器!』

 

 ミレイユ機が道路側へ身を引いた。

 筒の先が、その動きを追う。

 リナからは、まだミレイユ機の肩が重なっていた。

 このままでは撃てない。

 谷側へ一歩ずれ、銃口を上げる。射線からミレイユ機が外れた。

 

 リナは引き金を引いた。

 

 着弾とともに、兵士の姿が土煙に消えた。

 筒が斜面を転がって落ちる。

 煙が薄れ、木の根元に残ったものが見えた。

 リナは息を止めた。

 

 さっきまで、動いていた。

 ミレイユを狙っていた。だから撃った。

 自分が撃った。

 

『リナ、下がって!』

 

 返事をしようとして、口だけが動いた。

 画面から目を離せなかった。

 

『リナ! 止まるな!』

 

 ミレイユが北へ撃ち返している。

 下がるはずの機体が、自分を待って止まっていた。

 

『あたしを見て! 南へ下がるんだよ!』

 

『……りょ、了解っ!』

 

 リナは後方の映像を確かめ、機体を動かした。

 木の根元が画面から外れる。

 それでも、見えたものは頭から消えなかった。

 

『ヘロン1へ、ヘロン2とヘロン5は後退する! 次の角で援護して!』

 

『了解。ヘロン3、二機を通してから撃て』

 

『任せろ』

 

 リナは後方の映像で角を確かめた。

 ミレイユより先へ下がる。曲がった先にノア機が待っていた。

 

『そのまま抜けろ!』

 

 リナとミレイユが射線から外れると、ノアが北へ撃った。

 アレックスはさらに南の曲がり角から山側を警戒し、ユリウスが前方拠点へ受け入れを求めていた。

 

 止まらずに動けた。

 けれど、さっきの手が、目の前の画面にまだ残っているようだった。

 

『リナ。返事して。ついてこられる?』

 

『……はい』

 

『次は、呼んだらすぐ返事。聞こえてるか分かんないから』

 

『はい。すみません』

 

『謝るのはあと。足元、見て』

 

 リナは映像を確かめた。

 道はまだ続いていた。

 

 

     *

 

 

 前方拠点からの援護射撃が聞こえたときも、リナはまだ北を見ていた。

 道路脇の陣地から、分岐へ続く尾根を撃っている。ユリウスの誘導に従って、その射線を避け、五機は集積場へ入った。

 後方で銃声が続いた。ここまで来れば聞こえなくなると思っていた音だった。

 

 作業灯の下には、先ほど通したトラックが並んでいた。

 兵士が荷台から降り、別の兵士が担架を運んでいる。第四小隊の輸送車は斜面沿いに残っていたが、積み込みを促す人はいなかった。

 

『ヘロン、五機とも帰投。点検を頼む』

 

 アレックスが告げた。

 リナは指示された場所で機体を止め、ライフルを安全な向きへ下げた。

 操作は終えられた。終えてから、手をどこに置けばいいのか分からなくなった。

 

 ハッチを開くと、冷たい空気が顔に触れた。

 外へ出たところで、膝がわずかに揺れる。手すりを握り直してから足場へ下りた。

 ミレイユが下で待っていた。

 

「リナ、こっち。通り道、空けよ」

 

「はい」

 

 整備兵が二人の横を駆けていく。

 リナはミレイユについて、仮設の待機室へ入った。長椅子には誰かが脱いだ上着が置かれ、床に泥の足跡が重なっていた。

 壁際へ座ると、ミレイユが水を渡してくれた。

 

「飲める?」

 

「……はい」

 

 ふたを開けたが、口へ持っていく前に止まった。

 

「ミレイユさん」

 

「ん?」

 

「あの人、あたしが」

 

 続きを言おうとすると、喉の奥が詰まる。

 ミレイユは隣に腰を下ろした。すぐには何も言わなかった。

 

「……見てたよ」

 

 リナは容器を両手で挟んだ。

 見ていたのなら、何を言えばいいのだろう。

 撃たなければミレイユが撃たれていた。それは、引き金を引く前から分かっていた。

 だから撃った。

 分かっていたのに。

 

「止まって、すみませんでした」

 

「うん。あそこでは止まってほしくなかった」

 

 ミレイユの声は低かった。

 

「でも、今は座ってていいから」

 

 リナは頷いた。

 水を一口飲む。冷たいはずなのに、味も温度もよく分からなかった。

 外で重い足音がした。反射的に肩をすくめると、ミレイユが扉の方を見た。

 整備のために、機体を動かしているだけだった。

 

「まだ乗るんですか」

 

 聞いてから、何を聞いているのか自分でも分かった。

 

「あたしも、次はまだ聞いてない」

 

 ミレイユは扉から目を戻した。

 

「来たら呼ぶ。勝手に行かないから」

 

 リナはようやく、水の容器を膝へ下ろした。

 

 

     *

 

 

 アレックスとユリウスが待機室へ入ってきたのは、そのあとだった。

 ノアも一緒だった。入口で靴底の泥を落としかけ、諦めて空いている椅子へ座る。

 

「俺のは補給が先だ。あと、左脚を見てもらってる」

 

「動きが悪いのか?」

 

「さっきから引っかかる。整備に言った。撃たれたせいかは、まだ分からん」

 

「分かった。終わるまで休んでくれ」

 

 アレックスはリナを見た。

 

「セルヴァ。怪我はないか」

 

「ありません」

 

「……気分が悪くなったら言ってくれ。軍医もいる」

 

「……了解しました」

 

 普段のように答えたつもりだったが、隊長は少しだけ目を留めた。

 それ以上は聞かず、ユリウスと部屋の隅の机へ移る。

 

 リナには、その地図を覗く余裕がなかった。

 机へ置かれた端末の明かりと、二人の声だけが届いた。

 

「方面軍から追加は?」

 

「回廊の別の区間でも、地上部隊と接触しています。ただ、報告に時刻のずれがあります。同じ部隊を重ねて数えている可能性も」

 

「それでも、ここ一か所をつついて引く動きじゃないな」

 

「私もそう思います」

 

 紙を広げる音がした。

 

「敵の航空戦力は、まだ分からないか」

 

「今のところ。こちらの対空部隊が抑えているのか、投入を待っているのかも判断できません」

 

 アレックスの返事は、すぐにはなかった。

 リナは容器の縁を指でなぞった。

 

「向こうが本気で回廊を取りに来てるなら、ここも今夜だけの待機場所じゃ済まなくなる」

 

「前へ戻す場合も、ここの防衛に回す場合も、五機そろって動けるようにしたいですね」

 

「ああ。ノアの点検結果が出たら、俺にも回してくれ。補給の順番は俺から掛け合う」

 

「寝られるうちに、交代で寝かせませんか」

 

「そうしたいんだがな」

 

 椅子が小さく鳴った。

 

「次がいつ来るかだけでも、はっきりしてくれれば」

 

 それは命令ではなく、ぼやきだった。

 ユリウスも、すぐには答えなかった。

 

 リナは顔を上げた。

 隊長もまだ、手袋を外していなかった。

 

 隣でミレイユが背もたれへ身体を預ける。その肩へ触れそうになって、リナは少しだけ座り直した。

 外では、また車が動き始めていた。

 帰ってきた。

 けれど、ここから先を誰も決められずにいた。

 

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