アレックスが端末を伏せた。
「待っていても、すぐには決まりそうにないな。一度、交代で休もう」
ノアが椅子の背から身体を起こした。
「ようやく、その気になったか」
「俺だって座って待つのは飽きたよ」
リナは膝の上の水を見下ろした。まだ半分以上残っている。
休むと言われても、どうすれば休めるのか分からなかった。機体を降りて座っている今も、頭の中だけがずっと動いていた。
アレックスがこちらを見る。
「ここはレディファーストということで、女性二人を先に休ませるか」
「そういうのは遠慮なく乗っかるよ」
ミレイユが立ち上がった。
リナも続こうとして、隊長を見た。
「あの、次の指示は」
「来たら起こす。呼ばれるまで待機室に座ってる必要はない」
「……了解しました」
「仮眠室は廊下の奥だそうです。空いているところを使っていいと」
ユリウスが扉の方を示した。
ミレイユが扉を開け、リナを振り返る。
「行こ。横になれるうちに」
「はい」
リナが廊下へ出ると、ミレイユも後に続いた。
扉が閉まり、待機室の話し声が遠くなった。
*
仮眠室の明かりは、入口の一つだけがついていた。
折り畳み式の寝台に薄い毛布が載っている。リナたちが入ったとき、部屋には誰もいなかった。
「奥、使っていいよ」
ミレイユが入口に近い寝台へ腰を下ろした。
リナは隣の寝台へ座る。靴を脱ごうとして、いったん手を止めた。
「脱いで平気。起きてから履けばいいんだから」
「はい」
見られていたことが、少し恥ずかしかった。
靴を脱いで寝台の下へ揃える。それからも、リナは座ったままだった。
ミレイユが毛布を広げる音がする。
待機室では飲み込めた言葉が、静かな部屋では、いつまでも喉の近くに残っていた。
「ミレイユさん」
「ん?」
「次も、ああいうことがあったら」
そこで言葉が止まる。
ミレイユは毛布を膝に置いた。
「あたしが狙われたら、ってこと?」
「……誰かが、です」
自分が狙われる場合もある。
そう付け加えようとして、やめた。
「また撃つんですよね」
「そりゃ、あたしは撃つよ」
返事は早かった。
「死にたくないなら撃つしかないけどね」
「分かってます」
思ったより強い声が出た。
ミレイユの手が止まる。
リナは膝の上で指を組んだ。
「撃たなかったら、どうなってたかくらい……分かってます」
怒るつもりではなかった。
助けてもらった。帰ってきてからも、ずっと隣にいてくれた。
そんなことを言いたいわけではない。
「だから、撃ったんです。でも」
木の根元が浮かんだ。
口を閉じても、そこだけは消えなかった。
「また、あれを見るんだと思うと」
ミレイユは、すぐには答えなかった。
リナも顔を上げられなかった。
「……うん。今の言い方は、きつかったね」
「いえ」
「分かってないって言いたかったんじゃないよ」
寝台が小さく軋んだ。
ミレイユが、こちらへ身体を向けていた。
「あんたが撃ってくれたの、分かってる。あたし、道路の方を見てたから」
リナは頷いた。
「でも、そのあと動かなくなったでしょ。呼んでも返事ないし」
「聞こえては、いました」
「うん。今は分かる」
ミレイユが息を吐いた。
「あのときは、何が起きたのか分かんなかった。機体が止まったままで、あんたからも返事がないからさ」
無線越しに呼ばれた声を思い出した。
早く返事をしなければと思っていた。なのに、口を開いても何も出なかった。
「あたしも焦ったんだよ。置いていけないし、あそこで二人とも止まってるわけにもいかないし」
「すみません」
「謝ってほしくて言ってるんじゃなくて」
ミレイユは言いかけて、眉を寄せた。
「……こういう話、うまくないな、あたし」
リナはようやく顔を上げた。
いつもなら、ミレイユの方から次の言葉が出てくる。今は二人とも、何を言えばいいのか探していた。
「さっき、止まってほしくなかったって言ったのは、本当」
「はい」
「でも、戻ってきてまで、早く切り替えろって言うつもりはないから」
リナは毛布の端をつまんだ。
「……すぐには、無理です」
「うん」
それだけ返ってきた。
納得したわけでも、楽になったわけでもなかった。ただ、これ以上うまく説明しなくてもよさそうだった。
ミレイユが靴を寝台の下へ押し込み、横になった。
「あたし、先に寝ちゃうかもしれないけど」
「寝てください」
「眠れなかったら、起きててもいいからね。あたしに合わせなくていい」
リナも身体を横たえた。
寝台は硬かった。操縦席より楽なはずなのに、肩の力が抜けない。
目を閉じかけて、また開いた。
天井の継ぎ目を見つめる。
隣から、毛布を引き寄せる音がした。
*
二人が出ていったあと、待機室には端末の小さな音だけが残った。
アレックスは空いた椅子を引き寄せ、脚を伸ばした。
ユリウスが受け取った連絡を確認し、画面を伏せる。
「隊長。一つ、聞いてもいいですか」
「どうした」
「セルヴァを、ハルトと組ませた理由です。初陣なら、ヴァレンの方が向いていたのでは、と思ったんですが」
ノアが顔を上げた。
アレックスは伸ばした脚を戻す。
「ノアと組ませることも考えた。ただ、セルヴァは訓練でハルトの動きに慣れ始めていたからな。初陣では、その組み合わせを続ける方が動きやすいと判断した」
「訓練で合わせたことを、そのまま使えるように、と」
「ああ。ハルトも、セルヴァがどこで迷うか、どこまでなら援護できるかを少しずつ掴んでいた。今回は、それを優先した」
「そもそも、最初の訓練でハルトと組ませたのは、何か狙いがあったのか?」
ノアが聞いた。
「お前の方が合わせやすいとは思ってたよ。ただ、ハルトにも、お前以外と組んだときの動きに慣れてほしかった」
「まあ……確かに、俺が大体合わせてたからな」
「ああ。相手が変われば、同じタイミングで援護が来るとは限らない。そこを、訓練で確かめておきたかった」
ノアは少し考えてから、頷いた。
「あいつ、声をかけた時点で、こっちも動いてるつもりだからな」
「セルヴァは、その声を聞いてから動く。ハルトには返事と位置を確かめてほしかったし、セルヴァにも、見えないときは見えないと言ってほしかった」
訓練の映像を見直したあと、二人は位置を変える前に声をかけるようになった。
互いに聞き返すことも増えた。アレックスは、それを見ていた。
「それに、お前ならセルヴァが困る前に手を貸すだろ。最初は、あいつが自分でどこまで判断できるかも見たかった」
「俺が過保護だってのか」
ノアが微妙な顔をした。
「先に気づいてしまうだろう、とは思ってた」
「……訓練なら、口出すなって言われりゃ黙ってるぞ」
「そうだな。次の訓練では、その辺も先に話しておく」
ノアは背もたれへ身体を戻した。
ユリウスが、伏せた端末の縁へ指を置く。
「組ませた理由は分かりました。今夜も、二人で援護し合って下がれています。ただ、撃ったあとのセルヴァの様子は気になりました」
「帰ってからも、返事が少し遅れてた」
アレックスは机に置いた自分の手を見た。
「初めて人を撃ったんだろうな。あの様子だと」
「俺と組んでても、撃ったあとは同じだったかもしれねえな」
ノアが、二人の出ていった扉を見た。
「ただ、ハルトもどう声をかけりゃいいか、困ってるんじゃねえか」
「そう見えたか」
「いつもなら、もう少し喋るだろ、あいつ」
アレックスは、リナの隣に座っていたミレイユを思い返した。
リナが水の容器を握ったまま黙っている間も、ミレイユは隣にいた。
「あのとき、何度も呼びかけていましたから。ハルトも、まだ気になっているんでしょうね」
ユリウスが言った。
「ああ」
アレックスは手袋を外し、机へ置いた。
「二人とも、休んだあとで話を聞こうと思ってる。何が見えていたかだけじゃなくて、今、どうしてほしいかも」
「セルヴァは、大丈夫です、としか言わないかもしれませんね」
「そうだな。さっきも、短い返事だけだった」
ノアが鼻から短く息を吐いた。
「まあ、聞きすぎるなよ。あいつ、聞かれりゃ全部答えなきゃならねえと思うぞ」
「難しい注文だな」
「お前が隊長だろ」
アレックスはわずかに口元を緩めた。
「そうだったな」
ユリウスの端末が鳴った。
三人の視線が集まる。
「整備からです。ヴァレン機は、もう少しかかるそうです」
「結果が出たら教えてくれ。次の配置は、任務と機体の状態を見て決める」
「了解です」
アレックスは机に広げていた地図を畳んだ。
廊下の奥は静かだった。
二人とも、少しでも眠れていればいいと思った。