第11話
第11話:不機嫌な特異点と壊れた門~害虫の行方
首都アルタ・レガリア、王立学院の最高観測塔。
その静謐なドーム内に、冷ややかな金属音と奇妙な電子音が狂ったように鳴り響いていた。
「な、なんだこれは……! 商業国ガナンシアス共和国の貿易都市コミダ・プエルトの魔力炉の反応が、一瞬にしてゼロに――いや、質量そのものが消失しただと!?」
一人の高位魔術師が、青ざめた顔で巨大な水晶盤にしがみついている。盤面には、観測可能な限界を超えた「無限大(エラー)」の数値が赤く点滅し、幾重にも張り巡らされた対魔結界の紋様が、まるでガラスの破片のように次々とひび割れていく。
アウレリア正統王国の誇る『時空・因果・情報・星』の四大上位属性を統べる者たちにとって、それは世界の理が根底から踏みにじられる恐怖の光景だった。
地殻変動ではない。空間の分子結合そのものが、一定の周波数で極限まで圧縮されている――まるで、世界の理そのものが、ひとりの少年の歩みに踏みつけられているかのように。
「馬鹿な! そんなことがあってたまるか! 我らアウレリア正統王国の最高位魔術が、あんなちっぽけな座標一点の乱れに屈するというのか――ッ!」
王国の特権階級が積み上げてきた格式と序列。
失われた上位魔法を権威の支えとし、下層の命を「魔力炉の代わり」として搾取し続けてきた冷徹なシステム。その絶対の自信が、今まさに、北東から近づくひとりの少年の足音によって音を立ててきしみ始めていた。
観測機器の針が振り切れ、けたたましいエラー音が執務室に鳴り響く。画面に表示されたのは、無限大を示す不気味な記号――『エラー(特異点)』の文字だけだった。
その頃、首都圏へ続く街道の半ば。
白亜の舗装路を踏みしめる度に、牧桜雅の足先からは肉眼で見えないほどの微小な重力波が滲み出していた。一歩ごとに石畳が粉末状へと崩れ去り、まるで地面そのものが彼の不機嫌な機嫌を映し取るかのように、細かな亀裂を帯びていく。
≫《オウガさん。歩幅が大き過ぎる上、力が入り過ぎです。私の解析ユニットが、貴方の足音が奏でる微小地震波だけでキャパシティオーバーを起こしかけています》
冷徹な電子音を思わせる声が、桜雅の脳内に直接響く。親宇宙のブラックホール中心からやってきた重力知的生命体――アオイだった。
「……五月蝿い。あのクソみたいな王国のシステムを知った後だ。歩く速度くらいこっちの勝手だろ」
ふんと鼻を鳴らし、桜雅は気だるげに黒髪を掻き上げる。
その背後、あるいは思考の隙間から、もう二つの声がすかさず割り込んできた。
≫《あーし的には、もっとドカンと空から隕石でも落として派手に暴れた方がスッキリすると思うけどねー! ほら、そこの道端に生えてる雑草だって、オウガの重力圧ですでにモヤシみたいにペチャンコじゃん!》
能天気なギャルじみた口調で笑うのは、空間生成を担当するアイリだ。彼女の言葉通り、桜雅の周囲数メートル圏内では大気の密度が異常値を示し、陽炎のような重力レンズ効果が周囲の景色をぐにゃりと歪めていた。
≫《……バカね、アイリ。無駄に派手にやればいいってもんじゃないわ。オウガ様が背負っているのは、あの理不尽な世界で踏みにじられた1,511名の命と未来よ。……もっと、こう、計画的かつ絶対的な絶望をあの高慢ちきな王侯貴族どもに味あわせなきゃ、わたくしの気が済まないわ》
ツンとした気高い声音で呆れたように告げるのは、物質製造と保護を司るミツキ。彼女はそう言いながらも、亜空間の学校ですっかり懐いた少女たちの健康管理データを脳内で確認し、愛おしげな溜息をひとつ零す。
「どいつもこいつも、俺の頭の中で勝手に喋りやがって……」
桜雅はわずかに顔を顰め、しかし否定はしない。
彼の足元では、相変わらず微小な重力子たちが規則正しく鼓動を打っていた。
元より退屈しのぎのつもりだったが、この世界の人間どもは揃いも揃って「筋の通らないこと」ばかりを好む。都市と学院の格差で人を縛り、黒目の女性を魔力炉の代わりとして使い潰す。そのおぞましい構造が、桜雅の神経を逆撫でしてやまない。
≫《オウガさん、周囲の魔力障壁の波長を解析完了しました。首都アルタ・レガリア、および特権都市群は、対人用の心理誘導結界と物理硬化結界を常時展開しています。……ま、低次元のゴミクズ共が作ったハリボテですが》
「相変わらず口が悪いな、アオイ」
≫《事実を述べているだけです。おや、前方の検問所にいる衛兵たちの心拍数が上昇していますよ。どうやら、あなたのその不機嫌そうな顔面にビビッているようですね》
≫《あはは、おじさんたちの顔が真っ青でウケる! ねぇオウガ、今度はどんな風にこの壁を更地にするの? ドカンといく? それとも綺麗にペチャンコ? それとミツキがさっきから不機嫌で怖ぁーい》
≫《ッ……うるさいですわね! わたくしはただ、筋の通らない理不尽に怒っているだけです!》
三匹の異形が脳内で繰り広げられる軽妙な口論をBGMがわりに、桜雅は鼻を鳴らす。
すべてが、桜雅の嫌う「筋の通らないモノ」の形をとってそこに存在している。
北東の地平線に薄く影を落とし始めた、アウレリア正統王国の外縁にある地方都市部。その外縁を囲む大きな市門が見えてくる。そこでは、国の格式を示す純白の制服に身を包んだ兵士たちが、通行人や下層の民に対して高圧的な態度で身分証の提示を求め、わずかにでも不審な点があれば容赦なく泥水に突き飛ばすという、いつもの「理不尽な日常」が繰り広げられていた。
通行人たちは、桜雅の黒髪と特異な雰囲気にちらりと視線を向け、しかしその冷徹な質量を感じ取ってか、慌てて目を逸らして足早に遠ざかっていく。
「……ま、小難しい理屈はどうでもいい」
桜雅はふっと冷ややかな笑みを浮かべてポケットに両手を突っ込み、そのまま前方の市門へと歩を進める。
アウレリア正統王国の外縁に位置する地方都市『ウンブラ・ヴェラ』。
物流と風の都市として知られるこの街には、物流学院がそびえ立ち、大気の流れを操る風属性の魔術師たちが集い、物資と情報の集積地としてそれなりの活気を誇っていた。
しかし、その街を守るはずの市門の前で、門兵たちは今、底知れぬ恐怖に震え上がっていた。
「み、身分を証明する物を……て、提示しろ!」
震える声で話しかけてきたのは、国の格式を示す純白の制服に身を包んだ若い門兵だ。先ほどまで下層の民に対して高圧的な態度をとっていた威勢の良さはどこにもなく、ただ目の前に立つ少年の足元から漂う「不可視の質量」に本能を怯えさせていた。
桜雅は面倒臭そうに鼻を鳴らすと、首から下げていたドッグタグを無言で放り投げた。門兵が慌てて両手でキャッチし、その刻印に目を凝らした瞬間、血の気が一気に引いていく。
「ゴ、ゴールド級……ッ!?」
金属が放つ重厚な輝きに、門番だけでなく、周囲で様子を窺っていた他の衛兵たちまでもがその場に膝をつきかけた。
≫《オウガさん、相手の心拍数が限界値を超えていますよ。これ以上威圧すると、心臓麻痺で勝手に倒れかねません。……まあ、雑魚の自業自得ですが》
≫《あはは、おじさんたちの顔、見事に真っ青! ゴールド級のドッグタグを見ただけでチビりそうじゃん! ねぇオウガ、このまま踏み潰しちゃっていいの?》
≫《……バカね、アイリ。ここで騒ぎを起こせば、王国の連中に無駄な警戒を与えるわ。今回はおとなしく通ってあげるのが賢明よ、オウガ様》
脳内で繰り広げられる三匹の異形の勝手なガヤを、桜雅はいつものように聞き流す。
アオイの分析によれば、この世界の冒険者制度における『ゴールド級』とは、一つの都市に一人いるかいないかという例外的な存在であり、怪物級モンスターを単独で複数討伐した実績を持つ者にしか与えられない階級だった。もっとも、桜雅がギルドで放出した素材の物量からすれば、仮ではなく正式な階級であっても何らおかしくはないのだが。
「……で、通れるのか?」
桜雅が冷ややかに問いかけると、門番は青い顔で激しく首を縦に振り、ガタガタと震える手で道を開けた。
「も、もちろんデス! ゴールド級様のご通行に、異存などあるはずがございません……っ!」
周囲の通行人たちが道を大きく開け、恐怖に満ちた視線を向けながら這うようにして遠ざかっていく。
そのおぞましいまでに歪んだ格式の序列を肌で感じながら、桜雅はふっと冷ややかな笑みを浮かべていた。
足先の重力子が微かに唸りを上げ、ウンブラ・ヴェラの石畳に極小の足跡を刻み込む。
1,500名を超える少女たちの未来と、腐った王国のシステムを根底から叩き潰すため、不機嫌な特異点は静かに街の中心へと歩を進めようとした――その時だ。
兵士達の横を通り過ぎる時、白亜の巨大な門柱に、一匹の黒い虫が止まっているのを桜雅は見つけた。
「おい、門番」
ピクリと門兵の肩が跳ねる。
「は、はいっ!」
「せっかく綺麗な白い外壁なのに、黒い虫が止まってるぞ。俺が取ってやるからそこで待って、あとで処分してくれ」
「は、は、は、はいっ! 宜しくお願い致します!」
桜雅は面倒臭そうに片足を上げ、器用に靴を脱ぎ捨てると、その足指で門柱に張り付いていたそれを素早くホールドした。
――次の瞬間。
ゴキッ、ガガガガッ……!
桜雅の足先から放出された微小な重力波が、その質量を無限大に引き上げると同時に、周囲の空間分子結合を一気にハッキングした。
それはドミノ倒しのようだった。重力の奔流が白亜の門柱を起点として放射状に走り抜け、街を取り囲んでいた巨大な白い外壁へと伝播していく。唸りを上げるような重力波の余波が空間を切り裂き、わずか数秒のあいだに、ウンブラ・ヴェラを一周していたはずの白い門も壁も、すべてが分子レベルの塵へと消え去った。
瓦礫すら残らない。ただ白い砂埃だけが、静まり返った大気の中に舞い上がっている。
静寂。
鳥の羽ばたき一つ聞こえない圧倒的な無音の中、桜雅は片脚立ちのままひょいとバランスを取り、足指で挟んだそれを、顔面を真っ青にして固まっている門番の目の前につきだした。
「ほら、こんなデカいのが門にくっ付いていたぞ。まあ、その門も今は無くなっちまったけどな」
十数名の門兵たちはその場で腰から崩れ落ち、恐怖のあまり完全に腰を抜かしていた。
「ほら」
動けなくなっている若い門兵に向かい、桜雅は足指で捉えたそれをさらにぐいと突き出す。
「あばばばばばばば!!」
ガタガタと震え、引きつった悲鳴とともに恐怖で大きく開け放たれた門兵の口の中に、桜雅は迷いなくそれをポトリと落とした。
≫《プルートゥス……ではなく、あのですね、オウガさん。一般人を脅して失禁させるのは趣味の領域としても、わざわざ街の防壁ごと分子分解する必要がどこにありました? 私の計算ユニットが、無駄な物理演算のせいで軽く湯気を吹いているのですが》
≫《あはははっ! 最高じゃん、それ! 門が消えた瞬間のビビり散らしたおじさんたちの顔、全景撮影しとけばよかったぁ! Gを口の中にポトリとか、センスの塊すぎて惚れ直すわ!》
≫《……ちょっと、アイリ! 何を喜んでいるのですか! 汚らしいものをそんな素足で掴むだけでも不潔極まりないというのに、よりによって他人の口に押し込むなんて……ああもう、オウガ様のそういう倫理観のネジが盛大にブッ飛んでいるところ、本当に救いようがありませんわっ!》
脳内で繰り広げられる三匹の異形の勝手なガヤを、桜雅はいつものように聞き流し街の中へと歩を進めた。
街は時間が止まった様に人々の動きが止まっていた。
桜雅は都市の中枢部まで行き、この街の要塞をあっさりと塵にし、無事に黒目の女12名を救い出しアイリの異空間へと保護を完了した。
「次の街は何処にしようか? アオイ、何処が良いか教えてくれ」
≫《……やれやれ。貴方のその行き当たりばったりな破壊衝動に付き合わされる私の身にもなってください、オウガさん。ですが、物流と魔力の効率的な結節点を逆算するならば、次は西へ七十キロメートルほど進んだ先にある高位防衛都市『ラディア・レガリス』あたりが適当かと。あそこには重力学院が併設されており、私の解析ユニットにとっても多少は知的好奇心を刺激するデータが存在するはずです》
「おう! じゃあそこにするか。ありがとな」
後にこの街はGに滅ばされた街として知れ渡り伝説となるのだが、それはまた後のお話しだ。