不機嫌な特異点と脳内ツッコミ過多な日常   作:小桜紫雨

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第12話

第12話:不機嫌な特異点と重力学舎の絶叫

 

北東の首都圏へと続く街道は、相変わらず無機質な白砂に覆われていた。

 

一歩、また一歩と大地を踏みしめるたびに、牧桜雅の足元からは肉眼では捉えられない超高密度の重力波が滲み出す。その余波だけで、舗装された硬い石畳は砂の城のように脆く崩壊し、粉々の塵へと帰していった。

 

≫《オウガさん。前方の空間座標、熱源反応20、質量密度――あ、消えましたね。今のは微小な潮汐力による分子結合の切断です。環境への配慮ゼロですね》

≫《いーじゃんいーじゃん! 門前払いくらうよりよっぽどスッキリするし! ねえオウガ、次も派手にやっちゃってよ!》

≫《……馬鹿を言わないでくださいアイリ。オウガ様が不要な体力を消耗なさったら、あとでわたくしが作る特製スタミナ鍋の味が落ちてしまいます。……それに、外に放置されているあの人たち、あまりに無能すぎて見ているだけで頭痛がしますわ》

 

脳内で勝手に喋り続ける三匹の異形――アオイ、アイリ、ミツキの声を聞き流しながら、桜雅は気だるげに息を吐き出した。

 

この土地に来てからも、まともに筋の通った人間に出会ったことがない。格式だの身分だの、都市の格だのと言っては、弱者から金銭や魔力、体力を搾り取り、平然と人間扱いをしない理不尽が、この世界の空気のように蔓延している。

 

「……虫唾が走るな」

 

ぽそりと吐き捨てた桜雅の言葉に、ミツキの優しい、しかし容赦のない棘を含んだ念話が返ってくる。

 

≫《同感ですわ、オウガ様。このアウレリア正統王国の仕組みそのものが、宇宙のバグ――いいえ、単なる腐敗の塊です。徹底的に叩き潰して、あの亜空間の学校の教材にしてやりましょう》

≫《教材って、お前また生徒たちに小難しい物理の補習テスト増やす気だろ……。あの女達はこの前まで文字も読めなかったんだぞ?》

≫《だからこそ、基礎から徹底的に叩き込むのです。知力こそが最大の武器なのですから》

 

そんな他愛のない、しかし容赦のない脳内会話を交わしながら進む視線の先に、異様な威圧感を放つ巨大な要塞都市が姿を現した。

 

――【覇道重圧圏】に属し、王国全土の防衛網を統括する高位防衛都市『ラディア・レガリス』。

とりわけ『重力』の魔法体系を独占する最高峰の学院が置かれた、鉄と黒曜石で築かれた堅牢な城塞都市である。

 

そのラディア・レガリスの統括重力学院――最高峰とされる学舎の最上階にある観測室は、いまや地獄のようなパニックに包まれていた。

 

「ば、馬鹿な……っ!」

 

銀糸の刺繍が施された高価なローブを纏った老魔導士――重力学院の最高責任者であるガリレオ・フォン・レガリスが、目の前で明滅する魔力観測盤にしがみつくようにして絶叫した。

 

「ウンブラ・ヴェラの要塞と外壁、そして門とが、一瞬にして『消滅』しただと!? 戦闘の痕跡すらない……! あるのは、極限まで圧縮された空間の歪みを示すエラー波形のみ……!」

 

「閣下! 南西の街道より、一人の男が歩いて接近中との報告が! 護衛の魔導士や騎士団が迎撃に向かって――が……」

 

「が、どうした!?」

 

「……一瞬で、全員の重力が数百倍に跳ね上がり、地面に激突して埋没しました。誰も、何が起きたかすら理解できておりません!」

 

観測室の窓ガラスが、突如としてバリバリと耳障りな音を立てて亀裂を入れた。

爆発音ではない。衝撃波でもない。

 

ただ、都市の外から――遥か遠方を歩く「一人の少年」が放つ微小な重力子の余波が、この堅牢な要塞都市の空間歪曲結界を内側から致命的に狂わせ始めているのだ。

 

≫《オウガさん。前方の都市、対魔結界の出力は標準値の約4,000倍ですが、構造の基盤が3次元空間のテンソル計算ミスだらけですね。言ってしまえば、足し算もまともにできない小学生が組んだレゴブロックのようなものです》

≫《つまり?》

≫《指先一つで、形を保ったまま消し飛ぶということです》

≫《よし、やるか……》

 

桜雅がふっと鼻で息を吐き、右手の人差し指を軽く宙に向けた。

 

瞬間――。

ラディア・レガリスを取り囲む高さ30メートルの黒曜石の防衛壁が、音もなく粉微塵に霧散した。

壁の内部に配置されていた迎撃用魔導砲、対空陣地、そして城壁上の見張り台までも含め、すべての物質が「重力レンズ」の不可視の干渉を受け、一瞬にして光の屈折の彼方へと消え去る。爆風すら起きない。あまりにも静かで、あまりにも暴力的な物理法則の書き換え。

 

「なっ……あ…………」

 

観測室の窓からその光景を目の当たりにしたガリレオは、掠れた声を漏らし、その場に崩れ落ちた。

彼らが何十年もかけて研究し、神の奇跡として崇めてきた「重力魔法」の極致が、目の前の少年の一挙手一投足によって、まるで砂遊びの泥細工のように簡単に踏みにじられたのだから無理もない。

 

ラディア・レガリスの正門跡地――そこにはもはや門も壁もなく、ただ白砂の広がる冷たい更地が広がっていた。

その中央に、ポケットに両手を突っ込んだ桜雅が、気だるげな足取りで静かに佇んでいる。

 

「――よう。ここが、重力魔法とやらの特等席か?」

 

桜雅の足元で、微小な特異点が小さく黒く、美しく明滅する。

恐怖に顔を引きつらせながらも武器を構えようとする騎士や魔導士たちを冷ややかな視線で捉え、桜雅は退屈そうに首を鳴らした。

50人にも及ぶ魔導士たちが一斉にこの王国での最高峰の重力魔法を行使するが桜雅は鼻くそを穿りながら迎え撃つ。

桜雅は鼻の中に1本の長い鼻毛を見つけ抜いた。

 

「ぶ、ぶぶ、ぶぇーーーーくしん!」

 

その瞬間、騎士や魔導士たちに、自身が行使した数百倍の重力が襲い掛かり地面に激突して埋没した。

 

≫《オウガ、見て見て! あそこの震え上がってるおっさん、パンツの色が派手な水色だよ! 危機感ゼロー!》

≫《アイリ、そういう下品な解析を口に出さないでください。……ですが、オウガ様。あの学院の地下書庫、どうやら王国の根幹に関わる『隠しデータ』が眠っているようですわ》

≫《へえ……》

 

桜雅は片方の口元を歪め、不機嫌かつ愉快そうな笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、全部引っぺがすとするか。この腐った世界の理ごとわりごと、まとめてな」

 

王国が誇る最高峰の防衛網を、一歩の足音と指先の特異点で無力化した少年は、混乱の渦巻く学院の中枢へとその身を滑り込ませた。

 

幾重にも張り巡らされた重力結界は、宝飾で飾り立てられたハリボテの段ボール細工にすぎず、猫ですら素通りできそうな代物だった。

桜雅は立ち止まることすらせず、足の親指を軽く立ててから、それをぽんと倒す。

 

それだけで、結界のすべてと学院の構造体に無数の亀裂が走った。

 

「あ~あ……これで終わりかよ。次で結界は完全に消滅させるから、書庫の書籍と魔力炉の女たちの確保をよろしく」

 

≫《はい、かしこまりました。書籍50万冊、黒目の女性36名の存在を確認しています》

 

学院の中枢――重力学舎の地下深くへ足を踏み入れた桜雅の足音は、硬質な石壁に乾いた反響を残していた。

 

地上での圧倒的な蹂躙劇が嘘のように、地下回廊は静まり返っている。だが、その静けさは平和なものではなく、極限の恐怖によって息を潜めた者たちの気配で満ちていた。壁面に刻まれた幾何学模様の魔力回路は、桜雅が放つ微小な重力波の余波によって各所でひび割れ、青白い光を明滅させては消えていく。

 

≫《オウガさん。地下3階の空気圧、および魔力濃度が急激に低下しています。……どうやら、防衛システムのコアがこちらの質量干渉を感知して自壊を始めているようですね》

≫《自壊って、勝手に自爆する気かよ。せっかくの収穫がパーになったら面倒だな》

≫《心配いりませんわ、オウガ様。アイリが空間の出入り口を完全に固定しました。中のデータも、保管されている書籍も、一滴の水すら漏らさず回収可能です》

≫《あーしに任せとって! 書籍50万冊なんて余裕のよっちゃんよ! パラパラめくる暇があったら全部亜空間の図書室にブチ込んじゃうんだから!》

 

脳内で軽妙に掛け合う異形たちの声を背景に、桜雅は目的の場所へと歩みを進めた。

その視線の先にあるのは、アウレリア正統王国が長年にわたって秘匿してきた「真実の書庫」――そして、魔力炉の代わりとして不当に繋ぎ止められていた36名の黒目女性たちが囚われている監禁区画である。

 

重い鉄製の扉の前に立った桜雅は、面倒臭そうに片手を掲げた。

鍵など不要だ。物理的な構造の分子結合そのものを緩め、扉をただの砂の塊へと変える。

 

「――っ! な、なんだ……お前は……!」

 

扉の奥、書庫の管理者である老齢の魔導官が、青ざめた顔で杖を突きつけて後ずさった。その足元には、恐怖で震える36名の黒目女性たちが怯えたようにうずくまっている。誰もが痩せ細り、王国の歪んだ魔力システムの犠牲としてすり潰されかけていた者たちだ。

 

桜雅はその光景を一瞥し、冷ややかに吐き捨てた。

 

「……虫酸が走る」

 

その一言だけで十分だった。

桜雅が足先で床を軽く弾いた瞬間、地下書庫全体を覆っていた強固な重力結界と、囚人たちを縛り付けていた魔力の枷が音もなく砕け散った。爆風はない。ただ、空間の密度がわずかに変わっただけで、すべての理不尽な強制力は消滅した。

 

≫《オウガさん、素晴らしいコントロールです。魔力の枷のみをピンポイントで粉砕しました。対象の肉体への負荷はゼロです》

≫《ふーん、やるじゃんオウガ! ねぇねぇそこのお姉さんたち、安心して! もうクソみたいな魔晄炉行きは終わりだからさ、あーしの空間で美味しいご飯が待ってるよ!》

≫《アイリ、少しは言葉を選びなさい……ですが、よくやりましたわ、オウガ様。あの者たちの精神ケアは直ちに亜空間の学校の養護施設で引き受けます》

 

救出された36名の女性たちは、何が起きてのか理解できていない様子で、ただ呆然と桜雅を見上げていた。やがて、彼女たちの背後にアイリが生成した漆黒の扉が静かに開き、温かな光を放つ。

 

「……立てる奴から順に入れ。中には食い物も、まともなベッドもある」

 

桜雅が気だるげに顎をしゃくると、先頭の一人の女性が震える足で立ち上がり、迷いなくその扉へと歩みを進めた。それに続くように、残りの者たちも次々と異空間の光の中へと吸い込まれていく。全員の移動が完了したのを確認したアイリが、得意げに親指を立てる。

 

≫《はい、全員無事に回収完了! これで黒目の女の子たちの総数は……ウンブラ・ヴェラで保護した12名と合わせて1,559名だね!》

≫《1,559人か……大所帯だな》

 

桜雅はわずかに眉をひそめつつ、書庫の壁一面に並ぶ膨大な古文書の山に目を向けた。

アオイが瞬時に全冊のデータをスキャンし、冷徹な分析結果を桜雅の脳内に流し込む。

 

≫《オウガさん。回収した古文書の中に、この王国の成り立ちと『バグ』の正体を示す核心データが含まれていました。――やはり、この世界の物理法則や魔力システムは、親宇宙のブラックホール中心から漏れ出た情報素粒子の「誤作動」によって人工的に構築されたものです》

≫《つまり、この国そのものが不出来なエラー品ってことか》

≫《その通りです。上層階級が保持している「失われた上位魔法」とやらは、単にエラーの恩恵を受けて勝手に肥大化した特権に過ぎません。そして、そのエラーを維持するために、下層の労働や黒目の人間が搾取構造に組み込まれている仕組みです》

 

桜雅は片方の口元を歪め、不機嫌な笑みを浮かべた。

筋が通らない。あまりにも滑稽で、あまりにも醜悪だ。

 

「なら……この学舎ごと、そのエラーを初期化してやるとするか」

 

桜雅が足元に微小な特異点を展開し、重力波の出力を徐々に引き上げる。

空間がミシミシと悲鳴を上げ、地下書庫の天井から砂塵がパラパラと落ちてきた。

 

≫《オウガ様、出力上昇を確認。この階層の崩壊まであと15秒です。……脱出ルートの計算は完了していますので、いつでもどうぞ》

≫《おう。じゃあ、退屈な地下室とはおさらばだ》

 

桜雅が踵を返し、崩壊し始める回廊を歩き出したその背後で、王国最高の知性と権威の象徴であった重力学舎の地下書庫は、音もなく、しかし完璧にその形を失って砂の底へと沈み込んでいったのだった。

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