第13話:不機嫌な特異点と底辺の崩落
ラディア・レガリスの瓦礫を背に、北東の街道へ足を踏み出した桜雅の足元で、不可視の重力波がアスファルトを微かに軋ませる。
地下書庫の残骸から回収された古文書の断片を、アオイの冷徹な電子音じみた波形が脳内で再構築し終えた。
≫《報告。解析完了。『極点特権圏』を構成する時空・因果・情報・星の各都市は、もはや独自の自立機能を失い形骸化しています。それらを支えているのは、底辺で搾取される『労働底辺圏』の圧倒的な魔力と生産力です》
≫《要するに、一番上で威張ってる連中は単なるハリボテってこと? 超ウケるんですけど。根っこから腐ってるってやつじゃん!》
≫《……要するに、下層のシステムを根本から断ち切れば、上位の傲慢な特権階級なんて勝手に自壊するということです。オウガ様、無駄な手間を省くためにも、残された労働底辺圏を効率的に初期化しましょう》
脳内で響く三匹の異形の解説を聞きながら、桜雅は気だるげに鼻を鳴らす。足先で微小な重力子が渦を巻き、硬質な石畳を砂の微粒子へと変えていく。不条理な序列で塗り固められたこの世界の構造そのものが、今の彼にとってはひどく退屈で、虫唾が走るほどに下らなく思えた。
「……めんどくさい仕組みだな。上の連中を一人ずつ叩き潰すより、土台ごと吹っ飛ばしたほうが早いってことか」
≫《肯定。極めて合理的です。残る労働底辺圏の属性――火、水、土、木、金の五つを連続して観測圏外へ除外します》
不機嫌な溜息をついた桜雅の視線の先には、王国全体の富と労働力を最底辺から搾取され続けてきた五つの巨大都市が外縁に広がっていた。理不尽な身分制度の根源を断つため、特異点の少年による無慈悲な都市破壊行脚が幕を開ける。
最初に向かったのは、火の魔力を司る鍛造と加工の中心地――『イグニス・ノヴァ』だった。
巨大な高炉から黒煙を吐き出すこの都市では、過酷な熱労働に耐えかねて慟哭する労働者や、黒目の女性たちが奴隷として酷使されている。桜雅が市門の前に姿を現すやいなや、防衛用の魔導兵器が火球を放つ。しかし、桜雅がわずかに指先を弾くだけで、周囲の重力加速度が数万倍に跳ね上がった。
≫《火工学院の防衛システム、質量崩壊を確認。分子結合が限界値を超えました》
≫《うわ、一瞬で真っ平ら! ピザみたいにペチャンコじゃん!》
高炉の熱気ごと街の防衛設備は重力波の圧力によって床へと押し潰され、ただの赤熱した鉄くずの山へと変わる。さらにアイリの空間転移によって、過酷な環境に置かれていた労働者や黒目女性たちが一瞬にして異空間へと保護されていった。
休む間もなく、桜雅は水の都市『アクア・ベルデ』、土の都市『テラ・ヴィヴァ』へと連続して跳躍する。
水利を独占し、農地で泥まみれの奴隷を虫けらのように扱う役人たちの庁舎の前に、桜雅は冷徹な視線を落とした。
「筋の通らない労働で回る街なんてのは、最初からバグってんだよ」
桜雅が足先に重力子のベクトルを前方に倒した瞬間、目に見えない重力波の衝撃が地表を凄まじい勢いで伝播した。水利都市の水門は一瞬にして逆流して水圧の底に沈み、農耕都市の大地は豆腐のように柔らかく陥没して、上層貴族の定めた理不尽な土地台帳ごと文字通り地中に埋没していく。
≫《土壌の負荷限界突破。農学院および水利学院の管理機能、完全停止を確認しました》
≫《すごーい! 地面がぐにゃぐにゃだよ、オウガの足技エグすぎ!》
≫《……暴力的ですが、この腐った構造を終わらせるには最も確実な手法です》
残された木工の都市『ヴィンタ・レア』と、交易・通貨を牛耳る金の都市『フロル・カンポ』も、もはや時間の問題だった。
ヴィンタ・レアでは巨大な森林帯を一瞬の重力圧縮で撫で払って木製の要塞を更地にし、フロル・カンポでは不正な金貸しや商会たちが築き上げた金庫の扉を分子レベルの振動で粉砕し、蓄えられた不当な富をすべて解放させた。
金色の硬貨や宝石が宙に舞い、商会会頭たちが絶望の声をあげる中、桜雅は額の汗を拭いもせず、冷ややかに吐き捨てる。
「金で命の価値を決める奴の顔を見るのも、もう飽きた」
≫《報告。労働底辺圏を形成していた五つの都市の機能が、完全に沈黙しました》
≫《ねえねえ、これで上の人たちはどうなっちゃうの?》
≫《……基盤を失った極点特権圏は、自重を支えきれずに自壊するでしょう。まさに自業自得です》
労働底辺圏を形成していた五つの都市が一斉に機能停止・消滅した衝撃は、アウレリア正統王国の心臓部である首都圏へ、想像を絶するタイムラグなしで波及した。
首都アルタ・レガリアの最中心部にそびえ立つ王立学院の最高観測塔では、幾重もの魔導陣がけたたましい警告音を上げて明滅していた。
≫《報告。労働底辺圏からの魔力供給および物資流出、完全断絶。下層の自重を支えていた基盤ベクトルが消失しました》
≫《うわっ、下からの支えがごっそり消えた! これってアレでしょ、積み木の一番下を引っこ抜いたら上の城が丸ごとドタバタ崩れるやつじゃん! 超ウケる!》
≫《……当然の帰結です。自立できないハリボテの権力が、自らの重みに耐えられるはずがありません。オウガ様、いよいよ最上層のお出ましですよ》
脳内で響く三匹の異形の分析と冷徹な歓声を聞きながら、牧桜雅は北東の街道の果てにそびえ立つ、白亜の輝きを失いかけた首都圏の壮大な城壁を見上げていた。
首都アルタ・レガリアを含む『極点特権圏』――時空、因果、情報、星の理を独占し、数百年もの間、一般民衆を虫けらのように踏みにじってきた特権階級の聖域。そこは今、崩壊の秒読みに入っていた。
「……勝手に自滅するなら、俺が手を汚す手間が減って助かるがな」
桜雅が足先に微小な重力子を収束させながら石畳を踏み鳴らした瞬間、微小な重力波の余波が地表を伝い、首都の外縁を囲んでいた神聖結界のひび割れを加速させた。
その直後、極点特権圏の都市群で容赦のない自壊が始まる。
時空の理を司る最高都市『アルタ・レガリア』では、空間の歪みを固定していた特異点アイテム【アイテムバック】の基盤がオーバーロードを起こし、保管されていた莫大な貴金属や古文書が空間の裂け目に吸い込まれて四散した。
因果の理を司る『ファトゥム・レギオ』では、確率の操作を無理やり維持していた【運命のサイコロ】の演算がエラーを起こし、王族や最高幹部たちの運のステータスがゼロに収束。歩くだけで足の骨が折れ、天井から剥落した石材が次々と貴族たちの頭蓋骨を正確に直撃するという理不尽なまでの因果応報が降り注ぐ。
情報の理を司る『レアル・ソブレナ』では、身分や階層の序列を管理していた【ステータスの水晶】が限界を超えた熱量を放ち、眩い光の爆発とともに粉々に粉砕。誰が貴族で誰が奴隷かという区別そのものがシステムから完全に消去され、パニックに陥った上級国民たちが混乱のなかで逃げ惑い始めた。
そして、星の理を司る『マジェスタ・アルタ』では、一日一度だけ任意の頭上に石を落とす【天石の杖】の制御がバグを引き起こし、王宮の大広間や最高学術区画の天井に向けて、何百トンもの高密度な天石が容赦なく降り注いだ。
「ひっ……! なんだ、この重圧は……! 我らが特権が、消えていく……!?」
白亜の宮殿のテラスで、豪華な衣装をまとった高位貴族や学院長たちが、重力異常による呼吸困難(ブラックアウト)で血を吐きながら次々と地面にひれ伏していく。下層からの魔力供給が途絶えた瞬間、彼らの誇る「失われた上位魔法」はただのガラクタと化し、自重を支えきれなくなった宮殿の柱が音を立てて折れていった。
――だが、崩壊する宮殿や都市の深部で、真に裁かれるべき地獄は別の場所にあった。
各都市の地下深くに隠された「魔力炉」。そこでは、文字や言語を奪われ、世界の歪みを維持するための生体バッテリーとして、黒い瞳の女性たちが過酷に酷使されていた。
労働底辺圏の魔力炉で虐げられていた12名、そして崩壊する極点特権圏の最深部で魔力を搾取され続けていた60名の女性たち。
「……面倒臭い。筋の通らねえガラクタどもめ」
桜雅は崩れかけた地下回廊へ歩みを進めると、足先の微小な重力波をコントロールし、彼女たちを縛り付けていた魔力の枷と鉄格子の分子結合だけを正確に粉砕した。ガリガリに痩せ細り、恐怖に震える彼女たちの前にアイリの異空間への扉が開き、ミツキの管理する温かな空間へと次々と吸い込まれていく。
逃げ惑う特権階級の群れと、救い出されていく無数の命を横目に、桜雅は崩落の中枢へと歩みを進める。
≫《観測完了。『極点特権圏』の全都市、構造的自壊率九十九パーセント。黒目女性の保護データも正常に転送されました》
≫《ねえオウガくん、あそこのテラスで高級貴族のおっさんが泥だまこいて這いずり回ってるよ! ざっこー!》
≫《……身の丈に合わない特権にしがみついた末路です。オウガ様、残る最後のゴミ掃除を始めましょう》
崩壊する白亜の都を背に、桜雅の足元で黒く小さな重力特異点が静かな唸りを上げる。筋の通らない理不尽な世界を根底から書き換えるため、特異点の少年の気だるげな足取りは、さらなる深部へと向かう。
「ミツキ、黒目女性達はこれで何名になったんだ?」
≫《これまでの1,559名に『極点特権圏』の四つの都市で240名、『労働底辺圏』の五つの都市で60名が加算され、合計1,859名になりましたわ》
「ずいぶん増えたな。アウレリア王国を完全に叩き潰したら2,000名を超えそうだな」
≫《オウガ様、本当に王国をまるごと殲滅するつもりなのですね……?》
ミツキのわずかな戸惑いを他所に、桜雅は冷徹かつ退屈そうに唇を歪めるのだった。
ここでいったん休憩代わりに、アイリの異空間学校に立ち寄ることにした。
アオイがアイテムの収納などに使っている「亜空間」が今いる空間の裏側に張り付いた副次的なポケットだとすれば、アイリの「異空間」は完全に独立した別の宇宙そのものだ。ここではアイリの気まぐれ一つで、外の世界とは全く異なる時間軸や物理法則を自在に設定できる。現在は外の数千倍の速度に引き伸ばされており、外で数日経つ間に、内部では何年もの教育や生活再建の時間が流れる仕組みになっている。
崩壊を始めた首都アルタ・レガリアの喧騒を背に、牧桜雅はふと足を止めた。
これまでの道中で救い出し、アイリの力によって保護した黒目女性たちの総数は、ついに1,859名に達している。一人ひとりの顔はまだ覚えていなくとも、その全員が理不尽なシステムによってすり潰されかけていた被害者であることに変わりはない。
「……少し、連中の顔を見ておくか。流石に人数が膨らんできたしな」
桜雅が気だるげに呟いた瞬間、隣に立っていたアイリがフワフワと跳ねながら手を叩いた。
≫《あーしに任せて! オウガ、今すぐ極上のお城に招待しちゃうから!》
≫《……やれやれ、外の現実から一時的に逃避するのも悪くありません。彼女たちの精神状態のケアも必要ですからね》
≫《オウガ様が行かれるなら、わたくしがお茶の準備を整えておきますわ》
アイリが指先をパチンと鳴らすと、周囲の空間がまるで水面に落ちた波紋のように歪み、音もなく一変した。
そこは、親宇宙の法則や時空とは完全に切り離された、別の次元に存在する独立した小宇宙。空間が切り替わった直後、桜雅の視界に飛び込んできたのは、見覚えのある「平成初期の公立学校」を模した巨大な木造校舎と、広々としたグラウンドだった。
グラウンドでは、先ほど救出されたばかりの黒目女性たちが、アイリの生み出したジャージ姿で元気に走り回ったり、アオイの厳しい監視のもとで国語や算数の基礎を学び直したりしている。最初は言語すら奪われ、怯えてうずくまっていた彼女たちだったが、ミツキが用意した温かい給食や、徹底した段階的教育の成果もあり、その表情には徐々に生気が戻っていた。
「おっ、オウガくん、いらっしゃーい! 見て見て、みんなすっかり漢字を覚えたんだよ!」
アイリがパタパタと駆け寄ってきて、桜雅の腕にしがみつく。その背後では、アオイがスライドプロジェクターの光を背に受けて、冷徹なトーンで授業の進捗を報告し始めていた。
≫《報告。異空間学校の教育進捗率は順調です。元奴隷の1,859名全員が、基礎的な言語能力および社会生活の適性を急速に回復しつつあります》
≫《……オウガ様、あまり生徒たちを甘やかさないでくださいませ。あの子たちはこれから自分の足で歩むのですから》
ミツキがツンとした態度を取りながらも、手際よく温かいお茶と、異世界産の極上肉を使ったサンドイッチを桜雅の前に差し出した。
桜雅は校舎の窓際に腰を下ろし、石畳に伝わる質量をコントロールしながら椅子を安定させ、静かに紅茶をすする。
「……外の面倒な雑音から離れると、やけに静かで調子が狂うな」
≫《それが本来の平穏というものです。もっとも、オウガ様が外をめちゃくちゃに破壊しているせいで、平穏の価値がよく分かりませんが》
≫《――、いいじゃん! ぶっ壊したほうがスッキリするし、あーし的には大賛成ー!》
≫《……まあ、王国の特権階級が自壊していく様を観測する分には、十分な娯楽になりますが》
脳内で繰り広げられる三匹の賑やかなガヤを子守唄がわりに聞きながら、桜雅は窓の外で無邪気に笑い合う少女たちの姿に目を細めた。
理不尽な世界を暴力と重力でねじ伏せる旅の途中で見つけた、この歪で温かな日常――。
「……さて、一服したら、残りのゴミ共を片付けに行くとするか」
カップを置いた桜雅の足元で、再び黒く静かな特異点が微弱な唸りを上げる。不機嫌な少年の休息は終わり、王国の息の根を止めるための最終幕が、静かに幕を開けようとしていた。