第16話:不機嫌な特異点と、死ぬほど暇な海の幸
アウレリア連邦国が誕生し、世界中から理不尽な搾取構造や旧態依然とした身分制度が綺麗さっぱり更地にされてから数日。やるべきことを見失った牧桜雅は、アイリが生成した異空間学校の窓際で、文字通り「死ぬほど暇な放課後」を味わっていた。
「……退屈だな」
ポツリと零した桜雅の言葉に、脳内の三つの異形が即座に反応する。定位置である親宇宙のブラックホール中心から漏れ出た彼女たちの意識が、桜雅の脳内を心地よく(あるいは五月蠅く)揺さぶった。
≫《オウガさん。現在の心拍数72、脳波はアルファ波優位ですが、皮質コルチゾール値の低下に伴う『極度の退屈による脳内機能低下』が観測されています。このまま放置すると、貴方の足癖の悪さが周囲の無関係な建造物や神の下唇へ向かう確率が98.4%に達します》
機械的かつ冷徹な響きを返すのは、黒い球体の姿をしたアオイだ。相変わらず感情の起伏がゼロに等しいが、仕事の正確性だけは宇宙の真理並みに信用できる。
≫《ねーねー、オウガ! 退屈ならさ、最近保護した女の子たちの中に「お寿司食べたーい!」って泣いてる子が続出してるんだけど! 海の幸、取りに行こうよ海の幸! あ、あーし特製のワサビ生成アタッチメントもバージョンアップしといたからさ!》
天井からぶら下がるように浮遊する黒い扉――アイリの能天気な声が、脳の側頭部を軽やかに引っ掻く。この底抜けに危機感のないギャル型異形は、いつでもどこでも楽しそうに現場の空気を脱色していく。
≫《……た、確かに、子供たちの栄養バランスを考えれば、良質なミネラルやタンパク質、DHAが豊富な海の幸を取り入れるのは教育的観点から必要です。け、決してわたくしがマグロの大トロを食べたいわけではありませんからね!》
ツンと澄ました気高い響きを交えながら、頬を赤らめるような気配を漂わせる黒いスライム――ミツキのツンデレボイスが、絶妙なスパイスとして脳内に広がる。
「……寿司、か」
桜雅は面倒くさそうに黒髪を掻き上げ、窓の外に広がる異世界の空を睨んだ。異世界に転移させられてからというもの、肉系のガッツリした狩猟ばかりだった。オークやミノタウロス、ワイルドブルの重厚な肉も悪くはないが、日本人としてのDNAがふと「酢飯と魚介の酸味と脂の融点」を激しく欲したのだ。
「この世界の海って言ったら、なんかこう……触手が三本くらい生えたヌメヌメした巨大生物しかいないイメージなんだが」
≫《ご安心ください、オウガさん。私のソナー解析によれば、大陸の西側に広がる未開の深海域には、親宇宙のブラックホール周辺環境にも匹敵する高圧エリアが存在します。そこには、地球の常識を遥かに超越した『神話級』の美味なる海洋生物が生息しています》
「アオイがそこまで言うなら、不味かったらお前の演算コアを足指で挟んで潰すぞ」
≫《脅迫のロジックとしては妥当ですが、味覚センサーの精度には絶対の自信があります。座標、深度4,000メートル直下。質量約120トンの『クレーテーの牡牛(海の巨牛種)』、および周辺に群生する『超巨大鋼鉄ガニ』を捕捉。さらに、海底火山脈の周辺には、極上のウニに類似した甲殻棘皮生物の群落を確認しました》
「よし。じゃあ、サクッと漁りに行くか」
足を踏み出そうとした瞬間、ふと自分の思考の癖に気付いて桜雅はわずかに顔を顰めた。
(……なんだこの「足を踏み出した」っていう気色悪い地の文のテンプレは。どこから湧いて出たんだ、この文体は)
≫《エラー検知。オウガさんの独り言の文法構造に、親宇宙のバグデータが干渉しています。無視して進行してください》
アオイの無機質なツッコミを背に、桜雅は亜空間の扉を押し開け、一足飛びに西の未開海域へと転移した。
――西の未開海域・深海漁
一瞬の静寂ののち、桜雅が降り立ったのは、激しい荒波がうねる西の未開海域――の、はるか上空であった。眼下に広がるのは、鉛色に淀んだ巨大な海原だ。潮風が桜雅の制服の裾を激しく揺らすが、足元の微小な重力子が共鳴しているため、彼の体は微動だにしない。
海岸線に立った桜雅は、気だるげにため息をつき、右足のつま先に微小な重力子を収束させる。
「――面倒くせえ。まとめて締める」
桜雅の足先から放たれたのは、空間の体積や固有振動数を無視して空間ごと伸縮させる『重力波』の暴力であった。
ドォッ! と音すら置き去りにする超音速の衝撃波が海面を直撃した瞬間、数千メートルの幅を持つ海面が――まるで旧約聖書のモーセの奇跡の如く、文字通り真っ二つに裂けた。
「「「…………」」」
海水が左右の壁のようにそそり立ち、海底の泥土が剥き出しになる。その深海の底で、神話級モンスターである『クレーテーの牡牛』が、圧倒的な重力圧によって一瞬で身動きを封じられていた。
≫《素晴らしい。重力加速度980万Gによる瞬間締め・血抜き完了。細胞の死後硬化を完全に回避し、鮮度は理論上の最高値を叩き出しています。オウガさん、マグロの中トロに相当する部位の切り出しを》
≫《やっば! あの巨体が豆腐みたいにスパッといってる! さすがオウガ、物理法則の使い所を間違ってる男の鑑だね! はい、これ『寿司握り職人アタッチメント・極』ね!》
アイリが空間の裂け目から投げ込んできたのは、なぜか昭和の職人が使いそうな木製の寿司下駄と、完璧に温度管理されたシャリの塊であった。
桜雅は舌打ちを一つしながらも、足先の微小重力操作で切り出した神話級の深海肉とウニの身を正確無比に宙へ浮かせ、職人顔負けの素早さでシャリの上に叩き込んでいく。
≫《……あ、あの、オウガ様? シャリを握る時の指の圧力が、なぜかピンポイントで微小特許レベルの均一性を保っているのですが……なにその無駄に洗練された手つきは》
「うるさい。寿司を握る時くらい、筋の通った職人っぽくやらないとネタが泣く気がしただけだ」
≫《照れてる照れてる! オウガのくせに職人魂に目覚めちゃってらー!》
≫《……ま、まあ、生徒たちの給食として振る舞う分には、合格点を差し上げてもよくってよ》
異空間学校の特設大宴会
数時間後。
異空間学校の中庭特設会場には、総勢2,279名の少女たちの歓声と、香ばしい酢飯の香りが満ち溢れていた。
「す、すごい……これが、海のエリートの味がするお寿司……!」
「口の中でトロが溶ける! ウニが甘い!」
「オウガ様、ありがとうございます!」
救出された少女たちが目を輝かせて絶品の寿司を頬張る中、桜雅は特等席の木陰に腰掛け、冷めた緑茶をずずっと啜っていた。その傍らで、ミツキがチラチラと桜雅の口元を見つめ、不満そうに頬を膨らませている。
「ちょっと、オウガ様。頬にワサビがついてますよ。まったく、少しは落ち着いて食べたらどうなんですか」
「……ん」
ミツキが差し出した清潔なハンカチで口元を拭われながら、桜雅は気だるげに目を細めた。
≫《オウガさん。摂取カロリーおよびタンパク質の充足率、100%に到達。生徒たちの生存確率も最大値に跳ね上がりました》
≫《はい、次は何処の海域を割る? それとも宇宙の端っこでも行っちゃう?》
「……やだね。当分は、この静かで面倒くさい日常を邪魔する奴を、足の裏で踏み潰すだけで十分だ」
桜雅はポケットに手を突っ込み、賑やかに騒ぐ脳内の三つの異形の声を心地よいBGMがわりに聞きながら、平和すぎる昼下がりへと再び目を閉じるのだった。
――終わらない「職人のこだわり」
だが、彼の「職人としてのこだわり」は、まだここで終わっていなかった。
「……なあ、アイリ、ミツキ。俺の言葉、ちゃんと鼓膜(あるいは脳幹)に届いてたか?」
再び静寂を取り戻した特設会場の木陰で、桜雅は緑茶の湯呑みを握りしめたまま、不機嫌そのものの低い声を出した。
≫《え? なになにオウガ? シャリの酢加減が足りなかった? それともあーしの『職人ハチマキ(発光機能付き)』の光量が足りなかった感じー?》
≫《なっ……! わ、わたくしのシャリの調合に落ち度があったとでも仰りたいのですか!? 完璧に計算された分子バランスですのに……!》
脳内でギャギャーと騒ぐ二匹を、桜雅は足先の微小重力で軽く圧迫して黙らせる。
「違う。俺が食いたかったのはな……もっとこう、しぶくて、筋が通っていて、噛むほどに旨味が溢れる『本物の寿司ネタ』なんだよ」
桜雅は指を一本ずつ折り曲げながら、絶対的なこだわりを列挙し始めた。
「まず、黒マグロの赤身だ。大トロの脂に逃げない、赤身特有の濃厚な酸味と鉄分の香気。次に、コリコリとした歯ごたえと上質な脂が乗ったシマアジ。それから、重力波で表面に繊細な隠し包丁を入れることで甘みが爆発するアオリイカ。サクッとした食感と貝特有の甘みがたまらない平貝(タイラギ)。ねっとりと舌に絡みつく白ボタンエビ……。そして極めつけは、川の宝石とも呼ばれるあの鮮やかな黄金色、プチッと弾けて濃厚な旨味が広がる黄金イクラ(ブラウントラウトの卵)だ」
息もつかずに語り尽くした桜雅のこだわりに対し、脳内の三つの異形が一瞬だけ静まり返る。
≫《……オウガさん。貴方のフェチズムとこだわりが、解剖学の領域を超えて高級江戸前寿司の領域へと完全に転移しています》
アオイの冷静すぎる分析が脳内に響く。
≫《ていうかオウガ、黄金イクラってブラウントラウトでしょ!? それ、海の魚じゃなくて清流の川魚じゃん! どんだけネタの指定が細かくてワガママなのさーっ!》
≫《……だ、ですがオウガ様。そこまでお気持ちがはっきりしておられるのなら、わたくしたち重力知的生命体として、そのすべてを最高の状態で揃えてみせるのが理(ことわり)というものですわ!》
ミツキがツンと胸を張る気配を見せると同時に、アオイが機械的なアナウンスを入れた。
≫《座標検索完了。大陸の北西に位置する神聖清流水域、および深海熱水鉱床周辺の極限環境エリアに、目的の成分波長を持つ超稀少モンスターを捕捉しました。——これより『特撰江戸前ネタ一式』の回収ミッションを開始します》
「最初からそうしろ。行くぞ」
桜雅はポケットに両手を突っ込んだまま空間を歪め、一瞬で未開の原生自然圏へと躍り出た。
――特撰六種のネタと黄金イクラ
数十分後。
空間を割って戻ってきた桜雅の手には、足先の重力制御によって分子レベルで締められ、完璧な温度管理のもと切り出された『特撰六種のネタ』が並んでいた。
黒マグロの赤身: 深海の重力圧で極限まで旨味が凝縮された身。
シマアジ: 清冽な海流で鍛え上げられた極上の歯ごたえと脂。
アオリイカ: 重力波の極小刃で千本削ぎが施された甘み。
平貝: 貝柱の繊維一つひとつが引き締まった食感。
白ボタンエビ: 氷点下の深海でトロリととろける濃厚さ。
黄金イクラ: 神聖な清流の主から重力抽出された、キラキラと金色の輝きを放つ宝石。
「……ふん。これだ」
桜雅は職人顔負けの素早い手つきでシャリとネタを合わせると、まずは黄金イクラの軍艦を口の中へ放り込んだ。
プチッと弾けた瞬間、ブラウントラウト特有の臭みのない、出汁のように濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。続けて、黒マグロの深い赤身をひとくち。酸味と酢飯の相性が完璧な調和を奏でた。
≫《ど、どうですかオウガ様……! わたくしの精製した海苔と、特製の出汁醤油の加減は……!?》
おずおずと尋ねるミツキに対し、桜雅は冷えた緑茶を一口すえると、気だるげに口元を緩めた。
「……悪くねぇ。これなら、文句の付けようがねぇな」
――汁物と焼き物、そして終わらない晩餐
「……で、次は汁物と焼き物ってか? どこまで贅沢な胃袋してんだよ、オウガは!」
極上の江戸前寿司と黄金イクラを平らげ、特等席の木陰で冷茶を啜っていた桜雅の口から出た言葉に、脳内のアイリが呆れ返ったような、けれど心底面白がるような声を上げた。
桜雅は湯呑みを弄びながら、至極不機嫌そうに、だがブレないこだわりを口にする。
「寿司で冷えた腹を温めるすまし汁だ。ダシはイシ蟹の力強いコクと、毛蟹の繊細な甘み、それに幻と呼ばれるドウマン蟹(トゲノコギリガザミ)の濃厚な蟹味噌と濃厚な旨味を重ね合わせた究極のトリプルカニ出汁。具材もその身を贅沢に入れる」
≫《イシ蟹に毛蟹にドウマン蟹の合わせ出汁すまし汁……!? どんだけ甲殻類の旨味を重ね掛けする気ですかーっ! 出汁の濃厚さで汁の分子構造が結晶化しちゃうレベルだよそれ!》
「うるさい。それと、焼き魚だ。ただの鮭じゃねぇぞ。一万匹に一匹の確率と言われる幻の鮭児(ケイジ)、季節外れゆえに脂が超絶に乗った時不知(トキシラズ)、そして皮目がパリッと香ばしく身の赤い旨味が凝縮された最高の紅鮭。この三種の切り身を、外はカリッと、中はジュワッと重力圧で極限のジューシーさを閉じ込めて焼き上げるんだ」
桜雅の我儘すぎるフルコースの追加注文に、アオイの機械的なアナウンスが瞬時に脳内を駆け巡る。
≫《……オウガさん。貴方の要求する『甲殻類極致出汁すまし汁』および『至高の鮭三種焼き』のスペックを試算しました。いずれも地球の通常流通では遭遇確率がコンマ数パーセント未満の稀少個体、および沿岸・内陸の極限生態系モンスターの体内にしか存在しない特殊なタンパク質・油脂構成です》
≫《……だ、ですが! オウガ様がそこまでお出しの効いた温かいお汁と、脂の乗った最高のお魚を欲しておられるのです……わたくしたちが用意できないはずがありませんわ!》
ミツキがツンと澄ましつつも、既にその手元では重力分子調理プラントの火加減を完璧に制御し始めている。
≫《アオイさん、すぐに淡水・海水混在域の極限モンスターから『幻の蟹三種』と『極上鮭三種』の特定波長を抽出してください! わたくしが、一滴の雑味も許さない最高純度のすまし汁とお塩を効かせた絶品焼きを完成させて差し上げますわ!》
≫《了解。座標特定。重力波によるピンポイント捕獲・極小分子ろ過・急速加熱処理シーケンスを同時並行で実行します。オウガさん、足の指先で私の球体を突くのはやめてください、加熱のパラメータが微少にズレます》
「早くしろ。出汁が冷めたら意味がねぇだろ」
足先でアオイの球体を転がしながら不機嫌に促す桜雅の前で、空間の裂け目が静かに開いた。
数分後。
桜雅の目の前の木製テーブルには、湯気がふわりと立ち上るお椀と、香ばしい皮の焦げ目が食欲をそそる三種の切り身が並んでいた。
蓋を開けた瞬間、お椀から立ち上ったのは、イシ蟹の力強い磯の香りと毛蟹の上品な甘み、そしてドウマン蟹の濃密な味噌のコクが完璧に調和した、黄金色に澄み渡る至高の香り。
一口啜れば、上品でありながらも暴力的なまでのカニの旨味が全身の細胞にしみわたる。
「……ふぅ。腹に染みるな」
続けて、重力圧力で遠赤外線加熱された鮭児の切り身を口へ運ぶ。噛んだ瞬間に皮がパリッと弾け、身の中から全身に脂の乗った極上の旨味がじゅわっと溢れ出した。間髪入れずに時不知のトロけるような脂と、紅鮭の濃厚な赤身の旨みを堪能する。
≫《ど、どうですかオウガ様……! カニの雑味を重力波で極限まで取り除いたすまし汁と、お塩の粒子の大きさをミクロン単位で整えた鮭の塩焼きは……!》
おずおずと尋ねるミツキに対し、桜雅は残りのすまし汁を一気に飲み干すと、気だるげに目を細めて満足そうに息を吐いた。
――そして至高の緑茶へ
「……文句のつけどころがねぇ。最高の締めだ」
≫《やったぁー! オウガのワガママフルコース完全攻略ー! ねぇねぇ、次は食後のデザートに「黄金に輝く巨峰」とか「重力圧縮マンゴー」とかいっちゃうー!?》
≫《アイリさん、調子に乗らないでください! オウガ様が本当にお求めになる前に、わたくしが完璧な食後の日本茶を淹れますから!》
脳内で繰り広げられるいつもの賑やかなガヤを聞き流しながら、牧桜雅は我儘を満たした心地よい満腹感に身を委ね、平和で退屈な異空間学校の昼下がりへと再び沈みかけた――その時。
日本茶の香りに包まれるはずだった特等席で、桜雅はおもむろに顔をしかめた。
「……なんか違う」
≫《は? 何がですかオウガ様。宇治の最高級茶葉を厳選し、お湯の温度もアミノ酸(テアニン)が最も抽出される70度に正確にコントロールしてありますけれど?》
ミツキが不服そうに頬を膨らませるが、桜雅は首を横に振る。
「茶葉の格がどうこうじゃねぇんだよ。今俺の脳裏と舌が欲しているのは……もっとこう、歴史と職人の狂気的な執念が練り込まれた別格の液体だ」
≫《ほう? ほうほう? オウガの言う「別格の液体」とは一体……?》
アイリが目を輝かしながら身を乗り出すと、桜雅は面倒くさそうに片手で黒髪をかき上げ、恐ろしいこだわりを語り始めた。
「――『静岡茶 手摘み手揉み玉露』だ」
≫《す、すずめ……? いや鳥じゃなくてお茶ね!? っていうか静岡茶って、地球の日本特有のブランドじゃん!》
≫《オウガさん。地球の本州・中部地方に位置する静岡県特有の気候風土、および「遮光覆下栽培」によってカテキンの渋みを抑え、旨味成分を極限まで蓄えさせた最高峰の緑茶……ですね? さらにそれを、機械ではなく人間の手で優しく、かつ絶妙な力加減で揉み上げる「手揉み製法」の茶葉を要求しておられると》
アオイが冷静にデータを引き出す横で、桜雅はさらに条件を重ねる。
「そうだ。ただの玉露じゃダメだ。新茶の時期に、一葉一葉を職人の手で丁寧に摘み取った『手摘み』。そして、銅鍋の上で熱と圧力を絶妙に調整しながら、針のように美しく、旨味の芯を閉じ込めるまで何時間もかけて揉み上げられた『手揉み』の極み。急須から注がれた瞬間は鮮やかな翡翠色で、口に含んだ瞬間に圧倒的な旨味が広がり、後味に爽やかな甘露の余韻を残す――そういう筋の通った一杯じゃなきゃ、俺の舌と精神は満たされねぇ」
≫《……あのですね、オウガ様。ここは異世界なんですよ!? 地球の日本が誇る伝統工芸レベルの茶葉なんて、この世界のどこに――》
≫《……ふふっ。ミツキさん、甘いですね。忘れていませんか? 私たちは宇宙の真理を司る重力知的生命体です。地球の文化データなんて、親宇宙のアーカイブの片隅にいくらでも保存されていますよ》
アオイの冷徹な一言に続き、アイリがパッと両手を叩いた。
≫《てことはさー! この異世界の原生林のどこかに、静岡の気候と完全に一致する「天空の茶畑エリア」を重力操作で無理やり創り出して、さらに魔力で品種改良した最強の茶樹を育て上げればいいってこと!?》
「話が早いなアイリ。ついでに、その辺の職人を驚かすレベルの『熟練の手揉み職人ロボットアタッチメント』も用意しろ。俺が納得するまで揉み続けさせてやる」
≫《オウガ様のその理不尽なまでのこだわり、嫌いじゃないですけど……! わかりましたよ、そこまで仰るなら、わたくしたちの全重力リソースを使って、究極の一杯を再現して差し上げますわ!》
ミツキが闘志を燃えたぎらせた瞬間、アオイの索敵とアイリの空間生成が同時に発動した。
数分後――。
桜雅の手元の湯呑みには、立ち上る湯気とともに、鮮やかな翡翠色を湛えた『静岡茶 手摘み手揉み玉露』が注がれていた。
一口含んだ瞬間、極上の旨味と芳醇な香りが口いっぱいに広がり、トゲのあった神経がスルスルと溶けていく。
「……ふう。……文句なしだ」
≫《やったぁー! オウガのワガママ茶道編、完全勝利!》
≫《……ふん、当然の結果です。ですが、次にまた変な茶葉を要求されたら、その時は重力波でオウガ様の足の指を縛り上げますからね!》
脳内での賑やかなガヤをBGMに、牧桜雅は異世界の空の下、冷めない玉露の余韻に浸りながら、再び穏やかなまどろみの中へと身を委ねるのだった。