第17話:西の荒野と、蠢く古代の遺物
牧桜雅は、亜空間学校の中庭にある特等席の木製ベンチで、手元に持ち込まれた不気味なくらいリアルな地球の週刊誌のページをめくる指をふと止めた。周囲には、アオイの冷静な解析、アイリの能天気な煽り、ミツキの隠しきれない庇護欲が、いつものようにやかましく反響している。
≫《警告。西の荒野方面、深度千メートル下の地殻変動エネルギー値が急上昇中。かつて黒目女性から不当に奪った魔力を蓄積・循環させていた大規模魔力炉の残骸が、構造維持の限界を迎えて自律暴走を開始しました。このまま放置した場合、大気の歪みと二次的な時空エラーが発生します》
≫《あーあ、ついに地下のゴミ箱が溢れ出ちゃったよ。あそこの一帯、昔から壊れた玩具の不法投棄場だったもんね。お片付けの時間だよ、オウガ!》
≫《……人間どもが不当に搾取し、都合が悪くなれば後始末すら放置して逃げ出した黒い負の遺産。万死に値します。オウガ様、どうかお手を汚される前にお気をつけください》
乱雑に黒髪を掻き上げ、桜雅は面倒くさそうに悪態をついた。
「後始末もできねぇで、勝手に滅びた挙句にゴミだけ地下に埋めて残していった奴らが一番腹立たしい。……行くぞ。めんどくさいが、放置して俺の昼寝のジャマをされる方がよっぽど不快だ」
ベンチから立ち上がった瞬間、足元で微小な重力子が淡く明滅した。空間がわずかに歪み、周囲の光がレンズのようにねじ曲がる。次の瞬間、彼の姿は跡形もなく消え失せていた。
西の荒野、かつては豊かな緑と水に恵まれていたというその土地は、今や見渡す限りの白茶けた荒地と化していた。大地はひび割れ、植物の一本すら生えない。上空には熱の揺らぎが陽炎となって立ち込め、呼吸をするだけで肺の粘膜が乾燥し、微かな鉄錆の匂いが鼻腔を突く。
「ここが、例の不法投棄現場か」
荒野のただ中に降り立った桜雅は、足裏に伝わる地面の異様な軽さと、大気の不気味な気圧変動に眉をひそめた。地下深くから響く地鳴りのような超低周波音と重力波の逆流により、彼の周囲数メートルの砂塵が意思を持つようにふわりと浮き上がり、そのままパウダー状へと粉砕されていく。
≫《観測データ照合完了。地上部への防衛反応、確認。……分類コード『自律駆動型古代巨兵・プロトタイプG』。地下の魔力炉から溢れ出たバグエネルギーを吸い上げて稼働している、空間機動兵器です》
≫《うわ、なんかデカいのがぞろぞろ出てきたよ! 見た目はパチンコの当たり台みたいな厳つい顔してるけど、動きが完全にエラー起こしてる挙動不振のゾンビじゃん!》
砂煙を巻き上げて進んできた、高さ十メートルを超える古代兵器群に対し、桜雅は冷ややかな視線を送った。
「前座のゴミに用はない」
桜雅がポケットから片手を抜き、右足を軽く地表へ踏み下ろした。
重力波ハッキングが発動し、最前列の古代巨兵たちが音もなく縦方向へと引き延ばされていく。ブラックホール近傍で生じる潮汐力――スパゲッティ化現象により、鋼鉄の巨兵たちは麺のように細長く変形し、一粒の砂塵すら残さず空間の彼方へと消し飛んだ。
≫《地上部隊の即時無害化を確認。……本命はこれより下、深度千メートル地点です。オウガさん、地殻の透過・空間接続を開始します》
≫《よーし、地下直通のエレベーター一丁上がり! ゲテモノ注意だから気をつけてねー!》
アイリの空間接続とアオイの重力レンズが連動し、桜雅の足元の大地が水面のように透明化。そのまま彼の身体は重力を無視して、地下千メートルの極深部へと滑らかに下降していった。
地下千メートル、そこに広がっていたのは、古代の愚行と理不尽がそのまま凝縮されたような異常空間だった。
空洞の中央に鎮座していたのは、全高数百メートルに達する巨大な黒曜石と未知の金属の結体――『旧式生体魔力炉・コア』であった。
かつて無数の黒目女性たちから魔力を強制搾取し、この大陸の都市機能を支えていた悪夢の遺物。女性たちが解放され、供給源を失ったその炉は、内部に残留した数千年分の狂ったバグデータを暴走させ、ドクンドクンと不気味な心臓のように脈動していた。
血管のように巡らされた導管からは、黒濁した魔力の泥が溢れ出し、周囲の空間を腐蝕させている。脈動のたびに、空間にクラック(亀裂)が走り、高周波の絶叫のような異音が大気を揺らしていた。
≫《解析完了。……『旧式生体魔力炉・コア』。内部に残存する感情エネルギーとバグデータが暴走し、臨界点を突破。放置した場合、数日以内にこの大陸の三分の一を巻き込む大規模な空間崩壊を引き起こします》
≫《うわっ、ゲロ吐きそうな色してる! 昔の偉い奴らって、こんなグロい機械を地底に埋めて平気な顔して生活してたわけ? マジで悪趣味なんですけど!》
≫《……かつて数多くの不当な苦痛を強いてきた歪んだ理の結実。オウガ様、こんな不潔な遺物、一瞬たりとも存在させるべきではありません!》
脈動する巨大魔力炉の前に立ち、桜雅の瞳の奥が氷よりも冷たく沈み込んだ。
自分たちの欲望のために他者の生命と尊厳を搾取し、用が済めば地下深くにゴミとして放置して逃げ去った古代の特権階級たち。その筋の通らなさ、無責任さに、桜雅の胸の内で不快な怒りがふつふつと煮え立つ。
「自分たちで撒いた種も刈り取れねぇで、ゴミを地下に埋めて知らんぷりか。……どこまでもどこまでも、反吐が出るほど身勝手な奴らだ」
桜雅が不機嫌そうに息を吐き出し、ゆっくりと右手を開いた。
「アオイ、アイリ、ミツキ。……この場所の空間定義を全部書き換える。あの気味の悪い塊ごと、分子の一個に至るまで綺麗サッパリ消し去るぞ」
≫《了解。重力特異点の限定展開を承認。事象の地平面(イベント・ホライズン)の局所生成シミュレーションを開始します》
≫《オウガの本気消去アタック入ります! 地下掃除のスケールじゃねえええ!!》
≫《わたくしたちの魔力と理をすべてオウガ様へ捧げます。……あの忌まわしい過去の残骸を、どうぞ粉砕してくださいませ!》
桜雅の手のひらの中心に、光すら届かない「漆黒の極小点」が誕生した。
半径数ミリの微小ブラックホール。
次の瞬間、桜雅はその右手を巨大な魔力炉に向けて一気に突き出した。
「消えろ、ゴミが」
ドッ―――!!!!
音すら置き去りにする圧巻の重力波が解放された。
暴走していた巨大魔力炉の表面に、幾何学模様の歪みが発生する。数分後に空間崩壊を起こすはずだった巨大な金属と黒曜石の塊が、桜雅の放った「圧倒的な質量の暴力」に囚われ、悲鳴をあげる暇もなく内側へと圧縮され始めた。
ギチギチギチ、メリメリメリッ……!
数百メートルの巨大構造物が、スパゲッティのように細長く引き延ばされながら、桜雅の指先が示す「特異点」に向かって渦を巻いて吸い込まれていく。
導管から溢れ出していた黒い泥も、時空のクラックも、古代の呪詛の記憶も――物理法則の暴力の前にあらゆる存在定義を奪われ、文字通り「情報パラドックス」の彼方へと消滅していく。
「質量ゼロ、体積ゼロ、エネルギー定義・無効化。……エラーデータの消去完了」
アオイの静かな宣告と共に、桜雅が右手を固く握りしめた。
カツン、と小さな乾いた音が響き、地下千メートルを埋め尽くしていた巨大魔力炉は、跡形もなく完全に消滅した。
空間の歪みは完全に修復され、後にはただの「自然な岩盤と土砂の空洞」だけが取り残された。しかし、悪夢の元凶を消し去ったその直後のことである。
地下からの上昇を終え、地上へ戻りかけた桜雅の足裏に、再び不穏な振動が伝わってきた。それは先ほどの地殻変動とは異なる、圧倒的な質量が移動する際の大地全体の悲鳴だった。
「……おいアオイ。地下の片付けが終わったと思ったら、今度は地平線の向こうから嫌な音が聞こえるぞ」
荒野の果てを睨みつける桜雅の視線の先で、地平線全体が漆黒の津波のように盛り上がっていた。
無数の咆哮、地鳴りのような足音、樹木がなぎ倒される破壊音。大気を揺らすのは、隣接する巨大原生林から雪崩れ込んできた暴走した魔物たちの群れ――『スタンピード』であった。
≫《警告。西の荒野に隣接する暗黒原生林より流出した魔物群の総数、およそ七万頭。先ほど実施した地底魔力炉の消滅に伴う地脈の急激な位相ズレが引き金となり、生存本能を刺激された個体群が一斉にパニックを起こして北上しました》
≫《うわっ、マ!? 七万ってマジ!? パチンコ台の玉でもそんなに一気に出てこないよ!? 画面埋め尽くすレベルの大行進じゃん!》
≫《……恐ろしい数です。ですがオウガ様、三大食肉モンスター(豚・牛・鶏)の割合は、日頃からオウガ様が定期的に間引きを行っていたため全体の二環程度に留まっております。残りは硬くて不味い甲殻類や害獣系ですわ》
桜雅は面倒くさそうに黒髪を掻きむしり、舌打ちを一つ鳴らした。
「チッ、不味いゴミが七万頭押し寄せてきたところで何の足しにもならねぇ。……だが、あの約一万四千頭の肉塊(食肉系)を放置して腐らせるのは、筋が通らねぇな」
「筋の通らないこと」を何よりも嫌う桜雅の目が、一瞬で冷たく冴え渡る。
「アオイ、ターゲットの選別と自動識別。肉質の良い三大食肉系――オークの上位種、ミノタウロス、巨大ガルーダ種のみをロックオンしろ。不味い害獣どもはまとめて分子分解だ」
≫《了解。『選別重力捕獲シミュレーション』を開始。食肉用ターゲット一万四千二百頭、その他の有害魔物五万五千八百頭を識別完了》
≫《よっしゃー! 害虫バスター兼、超巨大精肉店の開店だよーっ!》
≫《ふふ、生徒たち二千人以上の胃袋を美味しく満たす大チャンスですわね、オウガ様!》
桜雅が右手をゆっくりと掲げると、上空数千メートルの大気が歪み、巨大な重力レンズが結成された。
「――潰れろ、ゴミども」
指先をスッと振り下ろす。
ドォン――――――ッ!!!!
重力波の衝撃が大地を叩きつけた。
食肉対象外の五万五千八百頭の魔物――巨大甲虫、毒蜘蛛、狂乱した魔狼の群れが一瞬にして「事象の地平面」の圧迫を受け、骨も肉も、一滴の体液すら撒き散らすことなく、一瞬で微小な高密度粒子へと圧縮され消滅した。
大地には、足跡一つ残らない綺麗な更地が広がる。
そして残された一万四千二百頭の食肉モンスターたち――『ハイオーク』『オークジェネラル』『ミノタウロスロード』『ワイルドガルーダ』の群れ。
彼らは何が起きたのか理解できず足を止めたが、逃げ出す暇すら与えられない。
「ミツキ、解体用の重力波メスを連動させろ。……脳幹を一撃で破壊し、恐怖による肉の強張りを防ぐ」
≫《承知いたしました! 『絶対安楽死・重力鍼』発動。苦痛とストレスを与えることなく、一瞬で意識を絶ちますわ》
無数の目に見えない重力針が、一万四千頭の魔物たちの眼窩から脳幹へと寸分の狂いもなく刺し貫かれた。
咆哮すらあげることなく、巨大なミノタウロスやオークたちが、まるで糸の切れた人形のように一斉にドサリと崩れ落ちる。
七万のスタンピードは、わずか数十秒で「静寂な精肉工場」へと塗り替えられたのだった。
「アオイ、心臓の微弱運動を利用した『重力脈動血抜き』だ。一滴残らず血液を抜き取れ。血が残れば肉が不味くなる」
≫《了解。全個体の動脈系に対し、局所的な逆斥力を付与。……『超音波重力脱血』を開始します》
ドクン、ドクン、と横たわる一万四千頭の巨体から、重力制御によって浮き上がった血の流星が空中に湧き出した。
赤黒い体液は空中で一箇所に集められ、アオイの重力圧によって極小の血晶石へと凝縮・消滅していく。獣臭さの元となる血液が、体細胞の末端に至るまでカンペキに絞り出された。
≫《全個体、脱血率100%を達成。肉質の劣化および臭みは完全にゼロです》
≫《次はあーしの出番だね! 亜空間学校の地下特設解体エリアへ直通転送ポータル、オープン!!》
アイリが生成した空間の扉が巨大な口を開け、一万四千頭の肉塊が吸い込まれていく。
亜空間内に作られた巨大な無菌真空解体室。
そこでは、ミツキの指揮のもと、重力波の刃が縦横無尽に走り抜けていた。
サクッ、サクッ、ギチィッ!
皮の剥ぎ取り: 微小な斥力で皮下組織と肉をきれいに剥離。
内臓の摘出: 消化管を傷つけることなく、一括で重力隔離ポータルへ排出。
部位分け: ロース、バラ、モモ、ヒレ――そして、桜雅が密かに最も執着している特選部位の回収が始まる。
「……ミツキ、ハラミとホルモンの処理を間違えるなよ。横隔膜の繊維方向と、豚タン、牛タンの皮剥ぎは寸分の狂いも許さねぇ。あと、あのミノタウロスどものジューシーなホルモン(腸の各部位)と、首周りの脂の乗った牛ネック、豚トロも余さず確保しろ」
桜雅のこだわり抜いた要求に、ミツキはわずかに頬を赤らめつつも、プロ顔負けの鋭い眼光で重力波を操作した。
≫《……もう、相変わらず変なところばかり細かいんですから。ですが、オウガ様のご希望とあらば完璧にやり遂げますわ。横隔膜の肉厚な繊維、弾力抜群の牛タン、豚タン、そして複雑な構造のホルモン各種も、独自の重力洗浄で一滴の臭みも残さず下処理します!》
≫《ひゃー! オウガってば相変わらず内臓系とタン塩のチョイスがシブいよねー! でも、あそこのコリコリしたホルモンを炭火でカリッと焼いたら絶対ビール……じゃなくて特製茶が進むやつじゃん!》
≫《……解析終了。牛豚鶏ハラミ、各種ホルモン、牛ネック、豚トロ、豚牛タンの収得率、いずれも100%を達成。すべて極上の状態へと固定保存しました》
絶妙な歯ごたえと脂の旨味が凝縮されたそれらの内臓・希少部位は、ただの「肉の塊」とは一線を画す芸術品のように、亜空間の専用冷蔵区画へと積み上げられていく。その他の一般的なロースやカルビなども、伯父直伝の正確すぎるプロの解体手順が、重力波の演算によって一瞬で全頭数に適用された。
≫《ひゃー! 牛肉の霜降りが綺麗すぎる! ミノタウロスロードのA5ランク特上カルビ、山積みだよ!》
≫《ふふ、皮も骨も別用途に加工済みです。オウガ様の完璧な指示通り、一切の無駄がございませんわ》
「ここからが本番だ。……ただの肉じゃ面白くねぇ。美味い熟成肉(ドライエイジング)に仕立てる」
解体された数千トンにおよぶ肉の山に対し、桜雅は重力波の微小共鳴を施した。
「アオイ、肉の周りの時間を物理的に歪めろ。熟成に必要な温度、湿度、酵素によるタンパク質の分解速度を重力加速度で一千倍に加速する」
≫《了解。『時空局所加速・重力熟成フィールド』を展開。温度2度、湿度85%、酵素の自己分解反応を三週間分、現実世界の10秒間で再現します》
じわじわと、肉の表面が重力波の波紋に包まれる。
肉の酵素がアミノ酸へと分解され、旨味成分であるイノシン酸とグルタミン酸が爆発的に凝縮されていく。不要な水分だけが重力圧で緩やかに飛ばされ、肉質は驚くほど柔らかく、芳醇なナッツのような熟成香を放ち始めた。
≫《重力熟成(ドライエイジング)完了。旨味成分、通常時の最大値(8.4倍)に到達。最高のコンディションです、オウガさん》
≫《うわあああ! 匂いだけでお腹空いて倒れそう! これで亜空間学校の給食、半年分以上のアゲアゲ肉祭り確定じゃん!!》
≫《……んふふ、オウガ様。素晴らしい手際ですわ。これで生徒さんたちも栄養満点の美味しいお肉をお腹いっぱい食べられますね》
荒野に静寂が戻っていた。
七万のスタンピードという、国家が一つ滅びかねない未曾有の災厄は、桜雅の手によって「二千人分の極上熟成肉」へと姿を変え、亜空間の巨大冷凍庫へと収められた。
桜雅は額の汗を拭う素振りすら見せず、ポケットに手を突っ込んで息を吐いた。
「……ふぅ。これでしばらくは、肉が足りねぇとか言ってアイリが騒ぐこともねぇだろ」
≫《あーしはいつだって美味しいお肉が食べたいだけだもん! さ、オウガ! 帰ったら早速ミツキちゃんに『熟成ミノタウロスの特上極厚ステーキ』と新鮮なホルモン炒め焼いてもらおうよ!》
≫《……アイリ、オウガ様が一番最初にお召し上がりになるのは当然ですわ。わたくし特製の特製醤油タレと岩塩を添えて、最高の焼き加減でお出しいたしますからね、オウガ様》
≫《……念のため補足。生徒たちの夕食メニューは『熟成オークの特製生姜焼き』と『ハイガルーダのジューシー唐揚げ』に決定しました。栄養バランスも完璧です》
桜雅は「フン」と鼻を鳴らし、歪んだ大気の向こう側――温かな声の聞こえる亜空間学校へと足を向けた。
「……早くしろ。腹が減って倒れそうだ。筋の通った美味い肉を食わせろよ」
不機嫌そうな言葉とは裏腹に、その足取りはどこか軽やかだった。