不機嫌な特異点と脳内ツッコミ過多な日常   作:小桜紫雨

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第一章 商業国ガナンシアス共和国蹁
第2話


第2話:草原と、理不尽なまでの極点

 

目の前に広がっていたのは、見渡す限りの緑と、どこか生臭いほどの生命力に満ちた森だった。

人工的なコンクリートの匂いは消え去り、代わりに土と草木の匂いが鼻腔をくすぐる。どこにでもあるような、しかし地球のそれとは微妙に生態系の違う異世界の草原。

俺――牧桜雅は、湿った風に制服の裾を揺らしながら、鬱陶しそうに舌打ちをした。

 

「……で、当面の拠点(ねぐら)はどうすんだよ」

 

俺の問いかけに即座に反応したのは、脳内で冷ややかに気配を揺らす黒い球体――アオイだった。

 

≫《オウガさん。周囲の環境解析を開始します。この惑星の全容を把握するため、私の本体の一部を微細なナノスケールに分散し、大気圏外および地殻深部へと散布します》

 

アオイの冷静な声に続いて、黒い球体の表面が波打ち、目に見えないほどの無数の微粒子が霧のように周囲へと溶け出していく。

 

≫《それ、あーしも手伝っちゃおっか? ほら、拠点用のスペースくらい、あーしの空間生成でパパッと快適なマンション風にしといてあげるって! 温泉付きがいい? それとも絶景のペントハウス?》

 

間髪入れずに割り込んできたのは、黒い扉――アイリの軽い調子の念話だ。彼女はすでに空間を切り取る準備を整えているらしく、脳内では無邪気な笑い声が響いている。

 

≫《ちょっとアイリ、勝手にふざけた空間を作らないでちょうだい! オウガ様が暮らすのですから、最低限の防衛機能と、清潔感のある居住スペースが最優先ですわ。……べ、別に貴方と一緒に住みやすい部屋にしようとか、そういうわけじゃありませんからね!》

 

最後に、黒いスライム――ミツキのツンとしたお嬢様ボイスが割って入る。彼女はすでに周辺の土壌や植物の物質構成を解析し始めていた。

 

≫《アオイの散布した情報端末が惑星全体のネットワークに同期するまで、約二、三日を要する見込みです。……それまでの間、オウガさんはこの草原で待機、および周辺の警戒をお願いします》

 

アオイの淡々とした結論を聞き、俺は深く息を吐き出した。

二、三日野宿か。めんどくさいことこの上ないが、文句を言っていても事態が好転するわけではない。

 

「……仕方ねえ。まず、自分のステータスとやらを確認しておくか」

 

俺がそう呟くと、アオイの権限によって、視界の隅に半透明のウィンドウが淡い光を放って展開された。

 

≫《ステータス画面を表示します。――なお、異世界における世界干渉の制限により、主の基礎数値は一時的に下方修正(リミッター)がかけられています》

 

そこに映し出された数値を見て、俺は思わず片眉をひそめた。

 

【牧 桜雅(マキ オウガ)のステータス】

 

LV: 1/(999+)

 

HP: 9,800/(999,999,999+)

 

MP: 9,200/(999,999,999+)

 

筋力: 120 /(850,000,000)

 

耐久: 135/(920,000,000)

 

敏捷: 110/(780,000,000)

 

魔力: 190/(999,999,999+)

 

≫《ふっ、なんですかこのショボい表面上の数値は! この惑星の一般的な知的生命体の平均値がせいぜい「2桁」、優れている個体でも1つか2つが「100」を超える程度だそうですが……主の表向きの数値、それに合わせてかなり可愛らしく調整(偽装)されていますわね》

 

ミツキがクスクスと意地悪そうに笑う。

アオイの補足によれば、この世界の強力なモンスターでさえ上位種で二百から三百、伝説級の個体でも五百を超える程度らしい。それに比べれば、リミッターがかかっているとはいえ、俺の表向きの数値(百ちょっと)ですでにこの世界の基準からすれば規格外の化け物ということになる。

 

「……まあ、いいんじゃねえの。最初から無双して無駄に目立つのは鬱陶しいし、弱い者虐めみたいな茶番に付き合う気も起きねえよ」

 

俺が肩をすくめると、アイリがけたたましく声を上げた。

 

≫《えー、つまんないの! せっかくの異世界なんだしさ、一撃で山を吹き飛ばすくらいの派手なことしようよオウガ! ねぇ、せっかく暇だしさ、魔法の練習でもしよっか!》

 

「魔法、ねえ……」

 

この世界の魔法体系には、火、水、土、風、光、闇、雷、氷、無の九つの属性が存在するらしい。しかし、アオイの解説によれば、俺自身の体内で巡る魔力は十分に高いものの、この世界の「既存の魔法」を直接行使することはできないという。俺の肉体と精神の基盤には、すでにあの三つの異形――親宇宙のブラックホールの理が深く根付いており、性質は似て非なるものだからだ。

 

≫《既存の魔法式を直接詠唱しても、主の内部で重力特異点に相殺されます。ただし、私の制御下で周囲の魔力粒子を物理法則の素材として再構築することは可能です》

 

「要するに、魔法をそのまま使うんじゃなくて、俺の『重力と物理』の力で無理やりねじ曲げて出力しちまえってことだな」

 

≫《流石の理解の早さです、オウガさん。……では、手始めに「火」の属性粒子をサンプルとして抽出します。空間上の熱量を一点に収束させてください》

 

アオイの指示に従い、俺が右手を軽く突き出すと、周囲の空間からかき集められた魔力が赤黒い炎となって手のひらに渦巻いた。

ただの炎ではない。アオイの重力制御によって、その小さな炎の密度はすでに通常の数万倍にまで圧縮されていた。

 

「……これで、どうする」

 

≫《その炎を、ライフル弾のサイズにまで極限圧縮。さらに、私の計算する超高精度な螺旋回転ベクトルを付与します。……発射タイミングは、主の意志に委ねます》

 

≫《うわっ、それ絶対やばいやつじゃん! オウガ、手加減しとかないと足元の草木どころかこの星の裏側まで貫通しちゃうよ!?》

 

アイリの軽い警告を無視し、俺は指先の炎に意識を集中させた。

圧縮された炎の塊は、もはや光すら歪めるほどの高密度な熱量と質量を帯び、ギチギチと空間を軋ませる異様な音を立てている。

 

「……行くか」

 

俺がほんの軽く、指先を前方の空間に向けて押し出した。

 

空間を引き裂くような轟音すら置き去りにし、ライフル弾ほどの大きさしかなかった圧縮火球が、凄まじい螺旋回転を描きながら一直線に放たれた。

それは直線的な「飛翔」などという生易しいものではない。通った軌道の周囲の空間が重力波によって縦に引き裂かれ、大気そのものが真空と化して崩壊していく。

 

着弾地点は、はるか彼方の地平線にそびえ立つ、巨大な山脈だった。

 

――数秒の静寂。

 

直後、山脈の中央が、まるで音もなく消し飛んだ。

爆発の炎や衝撃波が遅れて広がるよりも早く、山そのものの体積が「存在しなかったこと」にされるかのように、ぽっかりと巨大な空洞が口を開け、そのまま全体が崩落していく。

 

「……おい」

 

俺は自分の指先を見つめ、思わず呆れたような声を漏らした。

威力が強すぎた、なんてレベルの話じゃない。ただの火属性の基礎魔法のつもりで圧縮した結果がこれだ。物理法則の暴力を少し履き違えただけで、一瞬で地形の生態系を書き換えてしまった。

 

≫《主。出力計算にわずかな誤差が検知されましたが、標的の消滅を確認しました。……周囲の環境マニュアルデータに対し、約十三パーセントの修正が必要です》

 

アオイが冷徹に、まったく反省の色を見せない分析を告げる。

 

≫《ひゅー! やるじゃんオウガ! 今の、完全に惑星の歴史の1ページに刻まれちゃった系のやつじゃん! 山がまるごと消えたんだけど! ねぇ、次は雷で同じことやろうよ! 絶対楽しいって!》

 

アイリが目を輝かせてはしゃぎ回る。

 

≫《ば、馬鹿ねアイリ! こんな大真昼間から派手に山を消し飛ばしてどうするんですか! 魔王軍とか変な奴らに見つかったらどう責任をとるつもり……っ! って、オウガ様、今のはちょっとやりすぎですわ……! わたくしの物質製造能力でも、あんな規模の地形修正は面倒くさいのですからね!》

 

ミツキのあきれ混じりの叱咤が脳内を駆け巡る中、俺は崩れ落ちた遠方の山脈は見なかったことにして視線を逸らした。しかし、レベルだけだが、今のたった一撃で一気に115まで跳ね上がっていた。

 

≫《――解析結果。敵性個体、即死。なお、余波により標的背後の山脈が消滅。地形改変レート、異常値を記録。周囲の生態系に甚大な影響を与えました。山脈での魔石や素材の回収をアイリと速やかに行います》

 

ステータスの表の数値など、あの山の現状を見れば何のあてにもならないことは明白だった。

しばらくはアイリの空間の中で、自分の出力を細かく制御する方法を叩き込まなくてはならない――そう強く思いながら、俺は大きく息を吐き出した。

 

◇

 

ある程度の出力制御ができるようになり、三つの異形からも合格点をもらった俺は、本格的に異世界での生活基盤を整えるため、再び草原へと足を踏み出していた。

 

この辺りは、この世界でも比較的上位の強力なモンスターがうろついているらしい。

どうせなら、生き抜くための最初の糧として、まともな肉を調達したいところだ。

 

「おいアオイ、この辺りで食える手頃なモンスターの反応を探せ。牛肉系でも豚肉系でもいい、美味そうなやつを引っ掛けろ」

 

俺が脳内で命じると、黒い球体アオイの冷徹な声が即座に応じた。

 

≫《了解しました。周囲の生態系データベースをスキャン――。北西方向、約二キロメートルの森林帯付近に、三大食肉モンスター群の一つ、大型の「オークジェネラル」および「ワイルドブル」の生息反応を検知。食用としての脂質・タンパク質含有量は極めて良好と推測されます》

 

≫《おっ、いいじゃん肉! どっちを狩る? 脂の乗った豚肉系か、それともガッツリ赤身の牛肉系か、あーしの空間でスライスしといてあげよっか?》

 

アイリの軽薄な問いかけを無視し、俺はポケットに手を突っ込んだまま、目的の方向へと歩き出した。

 

「……行くか。異世界の初メシを、わざわざ不味くして食う趣味はねえからな」

 

幼い頃から、斜里の伯父さんに鮭からトドまで狩猟や解体の手ほどきは叩き込まれている。

基本は眼と眼の間を狙撃して延髄を破壊する弾道で狙撃すること、その後吊るしてしっかり血抜きをすることだ。肉に血が回らないように処理をしなければ意味がない。

 

俺が淡々とそんな狩猟の基本を脳内で反芻していると、アオイの冷徹な声が割り込んできた。

 

≫《主。北西の森林帯における「オークジェネラル」および「ワイルドブル」の個体群が、約一キロメートル圏内に接近。――なお、ターゲットの肉質を保護するため、過剰な重力特異点の展開による消滅は非推奨です。眼窩(がんか)への物理的貫通、および延髄の破壊に特化した弾道ベクトルを計算します》

 

≫《おっ、アオイにしては珍しく実用的な提案じゃん! オウガ、あのデカブタとウシ野郎の首を綺麗に持って帰って、今夜は盛大にバーベキューといこーぜ! ねぇ、あーしの特製亜空間グリル使っちゃう?》

 

アイリがキャッキャとはしゃぎながら、空間生成の準備を始める。

 

≫《……ふん、野蛮な食欲ですこと。でも、異世界の未精製な食材をそのまま食べるよりは、わたくしの物質製造能力で適切な香辛料や調理器具を準備した方が、衛生学的にもはるかによろしいかと……。べ、別にオウガ様のために美味しいたんぱく質を補給してあげようなどと考えているわけではありませんからね!》

 

ミツキのツンデレ混じりの呆れ声を聞き流しながら、俺は目の前の鬱蒼とした木々の隙間に目を凝らした。

 

ざわ、と風が揺れ、異世界の湿った草木の匂いの中に、獣特有の生臭い体臭が混じり込んでくる。

 

――いた。

 

木々の間から姿を現したのは、人間をゆうに超える巨体を誇る「オークジェネラル」だった。筋骨隆々の醜悪な巨体に、粗末ながらも鉄板の鎧を巻き付け、手には丸太のような太い戦斧を握りしめている。その背後には、同じく巨大な角を生やした猛牛型の肉用モンスター「ワイルドブル」が荒い鼻息を荒げていた。

 

三大食肉モンスターに数えられるだけあって、その肉付きと筋肉の密度は確かに一級品だ。

 

≫《主、射程圏内です。標的の眼窩および脳幹の位置を固定完了。私の計算する重力加速弾道を使用すれば、血で汚さず、一撃で確実に仕留められます》

 

アオイが脳内でターゲットの三次元座標をぴたりとロックオンする。

 

俺は足を止め、右手を軽く前方に突き出した。

大げさに魔法の詠唱などする必要はない。俺の意志と、背後に巣食う三つの異形の解析力が合わさるだけで、この世界の物理法則など容易にねじ伏せられる。

 

「……一瞬で終わらせる」

 

俺が小さく呟き、指先を軽く弾いた。

 

目に見えない超高密度な重力の弾道が、音すら置き去りにして空間を貫く。

銃声の代わりに響いたのは、大気が限界まで圧縮され、一瞬で弾け飛んだ鋭い破裂音のみだった。

 

オークジェネラルの眼窩に、肉眼では捉えられないほどの極小の重力弾が正確無比に直撃する。

出血も、無駄な苦悶の余裕すらも与えられない。オークジェネラルの巨体は、脳幹を粉砕された瞬間、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 

背後にいたワイルドブルも、時間差で放たれた同様の重力弾によって、同じく眼窩を正確に射抜かれ、音もなく地面へと沈み込む。

 

どちらも、肉に血が回る暇すらない完璧な即死だった。

 

≫《対象の無力化を確認。肉組織への血流の侵入、および致命的な汚染は一切なし。――非常に効率的な狩猟完了です、主》

 

アオイが淡々と、まるで機械的な検品作業のように結果を告げる。

 

≫《ひゅー! さすがオウガ、狙い違わず一発じゃん! これなら極上のステーキが作れそうね! ねぇ、早く解体しちゃお? あーし、お腹ぺこぺこなんだけど!》

 

アイリが目を輝かせながら、亜空間への収納スペースを広げる。

 

≫《……ふん、まあ、見事なものね。これなら、わたくしが極上の香辛料を調合してあげる価値もありそうですわ》

 

ミツキのツンとした声を聞きながら、俺は倒れ伏した巨大なモンスターの巨体に歩み寄り、鮮やかな手つきで解体と血抜きの作業に取り掛かった。

 

異世界の広大な草原の片隅で、ひねくれ者の高校三年生による、妙に手慣れた豚牛鶏肉の解体作業が静かに進んでいくのだった。

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