第22話:不機嫌な特異点と、スパゲッティ化する修学旅行
アウレリア連邦国が誕生し、理不尽な魔力階層や身分差別、特権階級による搾取の構造がすべて物理的・社会的に初期化されてから数ヶ月。
首都アルタ・レガリアの跡地周辺や各都市は、民主的な選挙制度と厳格なペナルティ(業のペンダントによる監視)のおかげで、かつての狂気が嘘のように穏やかな日常を取り戻していた。
しかし、牧桜雅(18歳)にとっては、その「平和」そのものが最大の退屈であり、ストレスの温床だった。
相変わらずの悪癖で、アイリが用意した特等席のソファの縁に足をかけ、神の下唇に見立てた(あるいは時折現実の神が遊びに来た際の罰ゲーム用)クッションを足指の間に挟んでホールドしながら、微小な重力子を退屈しのぎに弄んでアンニュイなため息をつく。
≫《オウガさん。心拍数および脳波の乱れを観測。現在の退屈指数が許容限界値の99.8%を突破しました。このままだと周囲の床や壁の原子配列がランダムに崩壊し、半径十メートルの空間がエントロピーの限界を迎えます》
≫《あーし的には! たまには外に行って、新しいジャンキーなファストフードとか開発したい気分なんだけどなー! 南方大陸のあたり、なんか新種の肉とかありそうじゃん?》
≫《……た、確かに、最近少し平和ボケしている気はしますわね。ですが、外に出てまた過激な暴力と破壊を繰り返すのは、教育上よろしくありませんわ!》
脳内で三匹の異形(アオイ、アイリ、ミツキ)がそれぞれ異なるベクトルでガヤを飛ばす中、桜雅は気だるげに鼻をほじりつつ、ポケットから一通の「手紙」を放り投げる。
その手紙を持ってきたのは、アイリの異空間学校(マイクロ・コスモス)で現在生徒たちの指導的立場に追われている代表の少女――かつて黒目奴隷として絶望に染まっていた少女だった。
「――というわけで、オウガ。生徒たちの社会学習、および集団行動の協調性を養うため、全校生徒参加の『修学旅行』を実施したい。行き先は、かつて連邦国が管理していなかった未開の古代遺跡――『南方大陸の迷宮都市・エル・カグラ』を希望する」
「……は? 修学旅行かよ。わざわざ古代遺跡の迷宮(ダンジョン)を歩かせるとか、頭のネジがブラックホールの向こう側に吹っ飛んじまったのか。めんどくせぇ」
桜雅は片肘をつき、気だるげに目を細める。足先では微小な重力子が心地よい振動を刻み、床のコンクリートを絶妙な浮遊感で包み込んでいた。三半規管がふんわりと浮くような奇妙な不快感が、かえって心地よい。
≫《解析結果:集団移動に伴うリスク、治安の不確定要素、および引率における無駄なカロリー消費の確率……九十九パーセント。反対します、オウガさん》
≫《えー、堅いこと言わないのアオイちゃん! せっかくみんな外の広い世界を知る前に、あーし特製の安全・快適・ボッタクリ価格ゼロの楽しい思い出を作ってあげたいじゃん!》
≫《……アイリの言うことも一理あります。あの子たち、ずっと亜空間の学校と安全な施設にこもりきりでしたから。外の空気を吸わせるのも、教育の一環としては……その、悪くはないかと》
ミツキのツンデレ混じりの賛同意見に加え、アオイの分析する古文書の情報――「かつて宇宙から飛来したとされる『本物のバグデータ(未解明の超高密度エネルギー)』の痕跡がある」という一節が、桜雅の脳裏にふとよぎる。
めんどくさい。だが、どうしようもない退屈を紛らわせるための「新しいおもちゃ」としては、悪くない――。
「……勝手にしろ。ただし、俺の昼寝の邪魔をするなよ」
こうして、史上最大にして最も迷惑な「全校生徒を引き連れた修学旅行」が強行されることになった。
*
翌朝。異空間学校の校庭には、新緑の制服に身を包んだ少女たちが整列していた。全員がアオイのスパルタ教育とミツキの温かな庇護のもとで基礎教養を叩き込まれ、かつての生気を失った奴隷の面影は微塵もない。その眼差しには、外の世界に対する微かな期待と、学園長である桜雅に対する絶対的な信頼が宿っていた。
移動手段としてアイリが用意したのは、全長百メートルを超える超大型の『重力推進バス(見た目はオンボロの路線バス)』だった。当然、車内は重力制御によって「絶対安定重力空間」に保たれている。
窓際の特等席にふんぞりかえり、相変わらずの悪癖で椅子の下に足を投げ出して不機嫌そうに窓の外を眺める桜雅。その足先は、バスの底板の分子結合を微細な重力子で書き換え、時速二百キロメートルの超高速走行を完全な無風・無振動で成立させていた。
「……おい、アイリ。なんか前方の空気が妙に歪んでねぇか?」
「え? あー、あれね。西の荒野の端っこにある、昔からの旧体制かぶれの自警団崩れが占拠してる検問所だよ。なんでも『通過税』と称して、通る奴らからごっそり金品を巻き上げるのが伝統だったとか」
バスの進行方向の地平線に、かつての特権階級の残党が築いた威圧的なゲートが見えてくる。
重力バスが急停車すると、検問所の門から派手な装飾をまとった役人風の男が、ふんぞりかえった態度で闊歩してきた。
「止まれ! この先は我が『貴族連合・復興委員会』の管理地だ! 怪しげなガラクタ車輌め、通行したければ全財産の九割と、そこにいる黒目娘どもを全員差し出していけ! さもなくば――」
男が権威を示すように大口を叩きかけたその瞬間、車内の空気が一段と重くなった。肺が圧迫され、血液の逆流による微弱なブラックアウト感が車内を走る。
≫《警告:対象の脳内および言動から検出される論理破綻率、百パーセント。……排除推奨値、最大》
≫《あはは、出たよー。懲りないねぇ、こういう脳みそがツルツルのバカって》
≫《……オウガ様、またあの人たちの悪い癖が。しっかりお仕置きしてあげてください》
桜雅はゆっくりと席から立ち上がった。ポケットに両手を突っ込んだまま、気だるげにため息をつく。足元で、微小な特異点がキィィィンと高周波の唸りを上げた。
「……お前、さっきから何言ってんだ?」
「なんだと、貴様ッ! 我々はな、この世界の古い秩序と格式を――」
「うるさい」
桜雅が足先を軽く床にトントンと叩いた。
瞬間、空間そのものが歪み、すさまじい重力波が検問所の中央へと奔流のように叩きつけられた。
「なっ……なんだ、これ……っ!? 身体が、縦に――伸びる……!?」
役人の男が絶叫を上げる間もなく、彼の身体を取り巻く空間の重力勾配が数万倍に跳ね上がる。足元と頭部にかかる重力の差(潮汐力)が極限まで達し、男の肉体はピザ生地の如く、あるいは細長いゴム紐のように縦へと引き延ばされていく。
バキバキバキッ! という乾いた音と共に、男は文字通りの『スパゲッティ』へと変換され、周囲の頑丈な石造りのゲートごと分子レベルの塵へと崩壊した。
ドッと崩れ落ちる瓦礫の山。その向こうには、恐怖で腰を抜かした残党の兵士たちが情けない声を上げてひれ伏している。
「……さて」
桜雅は何事もなかったかのように鼻をほじりながら、振り返ってバスの中の生徒たちを見た。青ざめるどころか、「オウガ先生すごーい!」「さすが私たちの支配者様!」と、なぜか黄色い歓声を飛ばす少女たち。教育の方向性が完全にバグっている気がするが、桜雅は気にしない。
≫《分析:生徒たちの精神的依存度および好意度、上昇傾向にあります。教育効果としては……まあ、悪くはないかと》
≫《ねぇ、オウガ、お土産買う時間減っちゃうから急ごうよー!》
≫《……まったく、暴力で解決するしか脳がないんですから。でも、嫌いではありません》
消滅した検問所の跡地を重力波の余波でキレイに更地にしながら、重力バスは荒野を滑るように走り抜け、南方大陸の古代遺跡リゾート都市――『エル・カグラ』の上空へと到達した。
移動手段はもちろんバスでも列車でもない。
アイリの異空間から一斉に放り出された少女たちは、アオイの精密な重力制御によって誰一人風圧を感じることなく、時速300キロメートルの超高速カプセル(重力波バリアコート済み)に包まれ、都市の中央広場へと射出された。
数秒後。南方大陸の青空を突切るように降ってきた「流れ星(実態は生徒たちの群れ)」は、着地寸前で全開となった微小な重力ブレーキにより、地面すら傷つけずにふわっと全員が着地を果たした。
エル・カグラの現地住民や冒険者たちは、空から突如として大勢の少女たちが降ってきた光景を見て、文字通り腰を抜かした。
現地住民A:「な、なんだあいつら……!? 空から忌み子の群れが降ってきたぞ……!?」
現地冒険者B:「ばっか、やめろ! あの先頭を歩いているジト目のガキ、足元から空間が歪んでいる……!噂の、触れたら分子レベルでスパゲッティにされたあげく塵にされるガキだぞ……っ!」
現地商人B:「悪事で蓄えた金や証文を塵にされ者や、悪徳を働いたら塵になるペンダントも強要され怯えて暮らす為政者や大商人も多数いるとか……とにかく関わらない様にした方がいい……」
観光(という名の強制ダンジョン踏破)を始めた少女たちを放置し、桜雅は一人で都市の地下深くに眠る古代迷宮の最深部へと足を踏み入れていた。
*
そこには、数百年もの間、誰も倒せなかった神話級の巨大ゴーレム「ティタノ・ギガース」が待ち構えていた。高さ50メートルの岩石と魔力鋼で構成された巨人が、侵入者である桜雅を見下ろし、地鳴りのような咆哮をあげる。
「……侵入者ハ、全テ……粉砕スル……」
桜雅は面倒臭そうに耳をほじり、ポケットに手を入れたまま、足先を軽くカツリと鳴らした。
「うるせえ。こっちは生徒の修学旅行の付き添いで機嫌が悪いんだよ。……お前のその無駄にでかい体積、まとめて時空の歪みに変換してやる」
次の瞬間、桜雅の足元から放たれた微小な重力波の暴力が、迷宮全体の空間を数センチ単位で圧縮。
ゴーレムは体積そのものを保てず、潮汐力(スパゲッティ化現象)によって縦方向に引き伸ばされ、音もなく粉々の砂粒と綺麗な真珠色の高密度魔石へと変貌した。
迷宮の崩壊を最小限に抑えつつ、一瞬で最深部をクリアした桜雅。
その背後では、アオイが冷静に報酬の魔石を回収し、アイリが「お土産用のゴーレムクッキー作ろー!」と能天気にはしゃぎ、ミツキが「……オウガ様、たまにはこういう派手じゃない仕事もカッコいいですわよ」とツンデレな賛辞を呟く。
終わらない修学旅行の夕暮れ。
南方大陸の夕陽が、エル・カグラの白い街並みを黄金色に染め上げる。
解放感からアイスクリームを頬張りながらはしゃぐ少女たちの笑顔を眺めながら、桜雅は広場の縁石に腰掛け、足指で器用に石ころを重力浮遊させて遊んでいた。
「……まあ、たまにはこういうガヤガヤした景色も、悪くはねえか」
不機嫌な特異点は、今日も今日とて脳内の賑やかなツッコミをBGMにしながら、最高に愉快で退屈な日常のページをめくっていくのだった。