第24話:不機嫌な特異点と更地まみれの凱旋
「は……? 更地って、お前、この我がシュヴァルツ・オストライヒ帝国の歴史ある王城を粉々に吹き飛ばす気かおい!?」
シュヴァルツ・オストライヒ帝国の魔王ハインリヒは、それまでの豪快な笑みを一瞬で消し去り、目を見開いて桜雅の顔を凝視した。
城内を見渡せば、重力異常のあおりを受けて分厚い石柱には亀裂が走り、床は緩やかに斜めへと傾いている。自重に耐えかねた建築構造が、悲鳴を上げるように微小な摩擦音を響かせるボロ家状態だ。いつ全壊してもおかしくない危機的状況ではあるものの、「更地にする」というあまりにも破天荒かつ極端すぎる打開策を提示され、魔王や家臣のコンラートたちは揃って額に冷や汗を滑らせていた。
「うるせぇな。このまま放置して自重で勝手にペチャンコになるか、お前らのその分厚い脳みそごとスパゲッティ化して宇宙のチリになるかの二択だろ。だったら、一度きれいにリセットして物理法則から組み立て直した方が手っ取り早い」
桜雅が退屈そうに鼻を鳴らすと、間髪入れずにアオイの機械的な声が脳内に割り込んできた。
≫《オウガさん、魔大陸全域における広域時空スキャンおよび重力勾配の解析が完了しました。……残念ながら、この魔大陸の重力バグは大陸全体を一括で『理の書き換え』によって上書き・修正することが不可能です》
(あ? なんでだ。一括で重力定数を正常値へ戻せば済む話だろ)
心の中で吐き捨てると、アオイは淡々と複雑な重力波形グラフと数値を桜雅の網膜上へ直接投影しながら解説を続けた。
≫《魔大陸は13の王国ごとに固有の固有振動数と局所重力結界(グラビティ・ドメイン)を形成しており、それらが複雑に相互干渉し合うことで歪んだ平衡を保っています。大陸全体を一括で書き換えようとした場合、相殺波形同士が壊滅的な干渉爆発を起こし、魔大陸そのものが完全に空中分解して1,000メートルの垂直落下を起こします。したがって――この天空の孤島を正常化するには、13の国を一つずつ巡り、国ごとに個別の重力錨(グラビティ・アンカー)を打ち込み、環境を正常化(更地化および物理法則の再構築)していく必要があります》
≫《うけるー! つまり魔大陸全国ツアー決定じゃん! あーし、各国の脳筋グルメ食べ歩き旅行みたいで超楽しみなんだけど!》
≫《……アイリ、そのような浮かれた理由ではありません。ですが、オウガ様……一国ずつ丁寧にお救いしていくというのは、確実で安全な道筋ですね》
脳内の異形たちによる賑やかな念話を聞き流しながら、桜雅はやれやれと肩をすくめた。
「そういうことだ、大阪弁の親父。一発で魔大陸全体を直そうとすると、お前らの国ごと粉々になって消滅するらしい。面倒だが、お前らの国を筆頭に13の国を一つずつ回って正常化してやることになった」
「なっ……! 13国すべてを回って、我が国のように救ってくれるんか!? なんてありがたい……! お兄ちゃん、本物の救世主やでぇ!」
ハインリヒが感動のあまり暑苦しい涙を流しながら猛ダッシュで迫ってくるが、桜雅は冷ややかな手つきで制した。
「近寄るな、暑苦しい。……それと、道中にあったあの標高2,000メートル級の大瀑布と温泉湖だがな」
「む? あの大滝と温泉のことか?」
「ああ。あれは結構気に入った。だから『天空の滝』と『天寿湖』って名付けて、この国を再構築した後も残してやるつもりだったんだが……アオイの計算だと、この国の領域ごと一度完全リセット(更地化)しないと重力バグが抜けないらしい」
≫《はい。あの水域も重力バグの歪みによって保持されているため、領域全体のリセットプロセスから除外することはできません。物理的に一度消失します》
アオイが残酷な物理的事実を告げると、桜雅は忌々しそうにチッと短く舌を鳴らした。
「チッ……仕方ねぇ。アオイ、あの滝と温泉の流体力学データ、鉱物濃度、水温、重力勾配、地形の分子構造まで完璧に精密スキャンしておけ。一寸の狂いもなく完全再現して叩き直す」
≫《了解です、オウガさん。全波形および空間位相データを0.0001ナノメートル単位で記録完了しました。寸分違わぬ再現が可能です》
「よし。……で、話を戻すが、この傾いた王城の更地化だ」
騎士団長である特使のコンラートが青ざめながら割って入った。
「た、確かに城やインフラの崩壊は深刻ですが、更地にしてしまったら我々の玉座や公文書、代々の歴史的財産が――」
≫《オウガさん、魔王軍のデータバンクおよび公文書はすべて旧式の紙媒体か魔導水晶ですね。バックアップを取らずに更地にしたら、国家の歴史そのものが消滅してエラーを吐きます》
アオイの冷静な指摘が、桜雅の脳内に真っ当な警告を飛ばす。
「……チッ。手間の増えることばかり言いやがって。おい、アイリ」
≫《はーい! オウガ、呼ばれた気がしたから亜空間クローゼットをフル稼働させてみたよ!》
桜雅の合図と共に、アイリが生成した空間の扉がパカッと開き、シュヴァルツ・オストライヒ帝国の玉座や公文書、さらには貴重な備品の一切合切を、重力慣性を完全に無視した真空パック状態で安全に丸ごと収納・隔離した。
「よし、これで中身のデータは退避完了だ。……邪魔ながらくたは、一掃してやろうぜ」
桜雅が履き古したスニーカーのつま先で、コツンと地面を軽く蹴った。
その瞬間――世界から一切の音が消え失せた。
次の瞬間。
音速すら置き去りにした局所的な重力波の収束が、シュヴァルツ・オストライヒ帝国の傾いた王城、そして国土全域のバグった地形を包み込んだ。物質の体積も固有振動数も強度も関係ない。空間そのものが数ミリ単位で引き伸ばされ、圧縮され、そして一瞬で粒子へと還元されていく。
厳格な石造りの壁も、重厚な鉄の門扉も、傾いていた巨大な山肌も、まるで豆腐のように脆く崩れ去り――数秒後には、見事なまでに平らで清らかな更地が広がっていた。
「「「…………っっっ!?」」」
ハインリヒも、コンラートも、集まった数千人の兵士も国民たちも、全員が言葉を失って口をポカンと開けたまま、目の前に広がる圧倒的な平原を呆然と見つめていた。一滴の土埃すら舞わない、完璧すぎる更地である。
「な、なんやこれ……一瞬で城も地形も消えたぞ……? いや、消えたどころか、完璧に整地されとる……!? 大工仕事や工事のレベルを越えて、神の業やないか……!」
ハインリヒが脚の力を失ったように、ヘナヘナとその場に座り込む。
その広大な更地の上で、桜雅はすかさずアオイに記憶させたデータを展開した。
「アオイ、さっきの滝と湖のデータを出力しろ。重力定数は正規の値に固定だ」
≫《グラビティ・アンカー固定。地形および流体データの復元を開始します》
ドォォォォン……!
空間が物理法則に従って再構成され、更地の一角に標高2,000メートルから叩きつけられる圧巻の『天空の滝』と、極上の湯気を立ち上らせる澄み切った『天寿湖』が寸分狂わず見事に再現された。正規の重力下で流れる豊かな水と温泉は、以前よりもはるかに清らかで美しい輝きを放っている。
「……ふん、上出来だな」
再現された滝と温泉湖を眺め、桜雅は満足げに小さくうなずいた。
そこへ、腰を抜かしていたハインリヒが猛ダッシュで駆け寄ってきた。
「凄すぎるでぇ、桜雅殿! ほんまにあの素晴らしい大滝と温泉まで元通り……いや、前よりすごくなって復活しとるやないか! よし決めた! 我が国の命の恩人に敬意を表して、この滝と湖はこれから『桜雅の滝』と『桜雅湖』って名付けることにするわ!」
「あ?」
桜雅は即座に眉間を激しく寄せ、冷ややかな殺意を込めた視線を魔王に突き刺した。
「勝手に人の名前つけてんじゃねぇよ、キモい。俺が『天空の滝』と『天寿湖』って決めたんだ。余計なマネすんな」
「ええ~!? なんでや! ええ名前やんか『桜雅の滝』! 救世主の名前を残すのは歴史のロマンやで!」
「却下だ。自分の名前がついた観光地なんて面痒くて近づけるか。もう一回言わせるな、『天空の滝』と『天寿湖』だ。文句あるなら、お前をその滝壺に沈めてスパゲッティにしてやろうか?」
「ひ、ひぃぃっ! わ、分かった! 分かったから足指で俺の唇を挟もうとするな! 『天空の滝』と『天寿湖』で決定や!」
桜雅の冷徹な脅し(と、なめらかすぎる足癖の構え)に、魔王ハインリヒは涙目で降参の手を上げた。
(……フフフ、表向きは『天空の滝』と『天寿湖』にしといて、国中の公文書や歴史書にはコッソリ【別名:桜雅の滝・桜雅湖】って書き残したるからな……!)
などと、魔王が内心でコッソリ企んでいることなど、桜雅は知る由もない。
≫《うけるー! あのオッサン、絶対に後でコッソリ名前変えようとしてる顔じゃん!》
≫《……ふふ、オウガ様への愛着が溢れていますね。ですが、今は無事に復元できて何よりです》
気を取り直した桜雅は、気だるげにポケットから片手を抜き、真っ平らな空間を指し示した。
「おい、ぼんやりしてんじゃねぇよ。更地になったんだ、次は家を建てるぞ。……アイリ、資材を寄こせ」
≫《はーい! お任せあれ! 有史後から現在までの建築資材、木造ハーフティンバーから耐震レンガ、モルタルまで、ぜーんぶ取り揃えてるよ!》
アイリの能天気な掛け声とともに、亜空間から大量の木材、屋根瓦、モルタル、そして便利な現代的ツールが次々と地面に並べられていく。
桜雅は一般の魔法使いとは違い、重力の定数や分子間の結合力を自在に操る「理の書き換え」によって、木材を寸分の狂いもなく噛み合わせ、モルタルを重力圧で一瞬にして完全硬化させ、数分足らずで頑丈かつ機能的なハーフティンバー様式の家屋を次々と組み立てていった。
一階は商いを行う店舗、二階以上は豊かな生活を守る住居。街路に面した窓や美しい屋根瓦が、陽光を浴びて整然と並んでいく。
「なっ……!? 大工仕事のレベルを遥かに超越している……!? 釘も使わずに、一瞬で木と石が噛み合っていくぞ……!?」
コンラートが目をむいて驚く中、街の一角にはあっという間に、以前よりもはるかに頑丈で美しく、防火対策の屋根瓦が光る真新しい店舗兼住居の街並みが蘇っていった。
「す、すごい……! 家が、私たちの家が綺麗になってる……!」
「これで寒さに震えて夜を越えなくてすむぞ……!」
避難していた黒目の女性たちや国民から、大きな歓喜の声と惜しみない拍手が沸き起こる。黒目ゆえにこれまで虐げられてきた女性たちも、桜雅がもたらした圧倒的な「理の改変」と庇護のもとで、安堵の涙を浮かべながら互いの手を握り合っていた。
ハインリヒは泥と汗にまみれた顔を袖で拭うと、桜雅の前にガシッと歩み寄り、その両手を力強く握りしめた。
「学園長……! いや、桜雅殿! 迷惑料どころか、我が国を丸ごと救ってくれた大恩人や! ワシらは、あんたに一生頭が上がらん……! 何でも言ってくれ、この命に代えても恩返しするさかいに!」
「……うっせぇ、手を離せ、暑苦しい。俺がやったのは、単にこのガタガタした歪みが視界に入ってイライラしたからだ。勘違いするな」
桜雅は冷淡に腕を振り払おうとしたが、その頬はどこか気恥ずかしそうに僅かに引きつっていた。
≫《オウガさん、心拍数が少しだけ跳ね上がっていますね。典型的な『ツンデレ・ヒーロー』の波動を観測しました》
アオイの冷静な茶化し念話を、桜雅は脳内で徹底的に無視した。
その時、更地の中心に作られた仮設の大型食堂テントから、えもいわれぬ芳醇で香ばしい匂いが漂ってきた。
「がくえんちょう、みんな……ごはん、できたよ。きょうは、あたたかいオニオングラタンスープと、こうばしいパンだよ」
小さなエプロンをつけたナノが、両手でスープの入った大きな木鉢を抱えてトコトコと歩いてくる。
その背後では、ミツキがテキパキと調理場を仕切り、特製グラニュールと極上の牛肉を使ったシチューを大鍋でグツグツと煮込んでいた。
「おっ、いい匂いがするじゃねぇか。……おい、脳筋ども、飯の時間だ。突っ立ってねぇで座れ」
桜雅の言葉を合図に、シュヴァルツ・オストライヒ帝国の魔王ハインリヒも、騎士団長コンラートも、そして救出された生徒たちや国民たちも、皆でひとつの大きな長テーブルを囲んだ。
ボロボロだった天空の王国は、不機嫌な特異点の手によって理不尽な重力バグから解放され、温かいスープの香りと賑やかな笑い声に包まれる平和な日常を取り戻しつつあった。
――だが、アオイの試算通り、これはまだ「13王国」の最初の一つに過ぎない。
残る12の魔王国には、京都弁を喋る慇懃無礼な魔王リュシアンをはじめ、クセが強すぎる脳筋魔王たちと、それぞれの領域を蝕む重力異常のバグが待ち構えている。
桜雅はマグカップの温かいスープを一口すむと、やれやれと言いながら晴れ渡った空を見上げた。
「……ま、13国巡りの更地ツアーも、せいぜい退屈しのぎには付き合ってやるよ」
不機嫌な特異点は、今日も今日とて、足指でクソ神人形の下唇を軽快にホールドしながら、次なる更地リセットの計画を頭の中で組み立てるのだった。