第27話:不機嫌な特異点と、はんなり京都祭典
放課後のチャイムが、次元のひずみを超えて遠くかすかに揺れて消えていく。
牧桜雅が構築した平成初期の学校風マイクロ・コスモス――その一角に佇む旧校舎の校長室にて、窓の外に目をやると、局所重力の定数エラーから解放された魔大陸の空が、穏やかな群青をたたえていた。
「――で? 王国をまるごと分子単位で更地に初期化してやった恩返しに、祭りを開く? 京都風の祭りを?」
ソファの深みに沈み込み、投げ出した右脚の足指でローテーブルの端を器用にホールドしながら、桜雅は怠惰に鼻を鳴らした。
目の前では、京都弁を操る慇懃無礼な魔王――レーヴ・フランベール王国のリュシアン・ド・ヴァロワが、雅やかに扇子をパサリと開いて笑みを浮かべている。
≫《オウガさん、魔王リュシアンの言語・文化モジュールに、地球の京都における伝統行事関数が完全移植されています。葵祭、祇園祭、時代祭に都をどり……一体どこのパラレル世界線からこの膨大なアーカイブを拾ってきたのですか》
黒い球体の姿をした情報担当が、ステータス画面と解析数値を脳内に浮かべながら冷淡な音声を響かせる。
≫《うけるー! 京都の祭りじゃん! あーし、巨大な山車のてっぺんでパリピっぽく爆音鳴らして踊り狂いたいんだけどー!》
黒い扉の空間生成担当が軽いテンションで境界を歪め、その隣で黒いスライムの物質製造担当が、ふんわりと呆れたような溜息を吐いた。
≫《……オウガ様。またあの魔王たちが、面倒なイベントを持ち込んできましたね。ですが……救出された黒目の少女たちやナノちゃんが、少しでも安らげるのなら……悪くはないかと》
「……勝手にやれ。俺を巻き込むな」
吐き捨てつつも、桜雅は脳裏で幼女ナノや生徒たちが目を輝かせる姿を勝手に思い浮かべてしまい、素直になれない自分に小さく舌打ちをした。
◇
数日後、レーヴ・フランベール王国の旧都大通りは、突如として出現した異世界の伝統――「葵祭」と「祇園祭」の熱気に包まれていた。
王朝風の衣装を纏った厳かな行列が静々と進み、極彩色の装飾が施された巨大な山車が威容を誇る。
しかし、ここは物理法則のバグっていた魔大陸だ。本来なら自重と慣性で石畳を軋ませ、倒壊しかねない巨大な山車の底部には、桜雅が気まぐれに配置した「局所的引力相殺フィールド」が組み込まれていた。何トンもの質量を持つ巨大構造物が、地上わずか数センチの空間をふわりと浮遊し、空気抵抗を極限まで削減された状態で滑らかに滑空していく。
「おまっ、山車が宙に浮いとるやないか! 重力制御の無駄遣いにもほどがあるで、ほんま!」
見物客の喧騒に混じり、シュヴァルツ・オストライヒ帝国の魔王ハインリヒが、コテコテの大阪弁で豪快に突っ込みを入れる。
その横では、アイリが亜空間から生成した屋台のベビーカステラを口いっぱいに頬張りながら、ナノが黒い瞳をキラキラと輝かせていた。
≫《オウガ、あそこの黒目ちゃんたち、めちゃくちゃ楽しそうじゃん! ほらほら、写真撮って撮ってー!》
「勝手に撮っとけ。首が疲れる」
桜雅は面倒臭そうに頭を掻き、縁石に腰掛けたまま、行儀悪く足指でスリッパの先端を弄んだ。
夕暮れ時。祭りの熱狂が心地よい静寂へと変わる頃、王国の中庭特設舞台では「都をどり」の艶やかな舞が始まっていた。
その舞台裏のテントでは、ミツキとナノが総出で仕込んだ特製の「京風出汁のお吸い物」と、ふんわりとした黄金色の出汁巻き玉子が振る舞われている。
「オウガ様、お疲れ様でした。……熱いので、お気をつけくださいね」
ミツキが少し頬を染めながら差し出した漆器の椀を、桜雅は無言で受け取る。
一口すすると、昆布と鰹節の極上の旨味が、重力波の連続行使で微小なストレスを抱えていた脳の髄まで優しく染みわたっていった。
「……悪くねぇ」
ぽつりと呟いた桜雅の足元に、ナノがトコトコと歩み寄り、小さな手をポンと置いた。見上げれば、満面の笑みを浮かべる少女の瞳に、美しい夕涼みの星屑が映り込んでいる。
≫《オウガさん、全13魔王国巡りツアーの第3の目的地までの空間ルート解析が完了しました。次は――ドスを利かせた博多弁を操る公国ですね》
冷徹なアナウンスを頭の隅で聞き流しながら、桜雅は小さく息を吐き、不機嫌な面持ちのまま、この理不尽な日常の重心を確かめるように整えた。
◇
マイクロ・コスモスの静かな夜
祭りの余韻が静まり返った夜。
桜雅が創り出した平成初期の学校風マイクロ・コスモス――その中庭には、空間錬成によって建てられた昭和の木造校舎風の縁側付き平屋が鎮座していた。
ノスタルジックな庇の下で、長椅子に深く腰掛けた桜雅が片目を半開きのまま呟く。
「……で? 葵祭が終わったと思ったら、今度は何だ」
足元から「とんとん」と小さな振動。
見下ろすと、黒目の幼女ナノが、小さなお盆を両手で大切そうに抱えて見上げていた。お盆の上には、澄んだ香りを立てる白味噌の汁椀と、小ぶりの香ばしいおにぎりが並んでいる。
「がくえんちょう、あつあつの……おみそしる……つくったの」
「……」
桜雅は手を使わず、右足の足指でナノの頭をぽんぽんと優しく撫で回した。ナノは嬉しそうに目を細め、ちょこんと縁側に腰かける。
椀を取ると、白味噌の上品な甘みと大根の優しい香りが広がる。
≫《オウガさん、その味噌汁の熱力学定数は完璧です。ナノさんとミツキさんが、分子レベルで熱伝導率を均一化しました。火傷しない絶妙な58.5度を正確に維持しています》
黒い球体が脳内にデータを提示する。
≫《てかさー! 白味噌の味噌汁って甘くて超ウマくない!? あーし、これにちょっと七味とか振りたくなるんだけど!》
≫《……静かにしなさい。オウガ様が召し上がっている最中です。……七味なら、わたくしが用意してあります。山椒の効いた、京都の老舗のものです》
竹筒の七味入れが手元へふんわりと浮遊してきた。
パラリと振りかけ、一口啜る。上品な甘みと山椒のピリッとした痺れ、出汁のコクが口いっぱいに広がった。
「……チッ。美味すぎるだろ、ふざけんな」
不機嫌な呟きに対し、脳内の異形たちは一斉に『素直じゃないんだから』と温かい反応を返す。
だが――平和な時間は長く続かない。
翌日、レーヴ・フランベール王国の旧都大通りにて、再び「都をどり」の特設大舞台が設置された際、時空を揺るがす“お約束”という名の狂気的な因果律が収束した。
「――で、そろそろこの退屈な舞いも終わりだろ。さっさと宿に引っ込んで寝かせろ」
桜雅が足指でスリッパの先端を弄びながら呟いた瞬間、舞台の幕がガタガタと大きく揺れ動き、轟音とともに吹き飛んだ。
そこに現れたのは――王国No.2の執行部長(魔導士団長)を含む幹部たち、そして着付けの途中ではだけた衣装を纏った……あるいは完全な一糸まとわぬ姿の、総勢3,300名の黒目女性たちだった。
「お、おい……」
桜雅の口から乾いた声が漏れる。
≫《オウガさん、全方位360度、半径20メートルが完全に全裸の黒目女性で埋め尽くされました。生体熱源3,300個……魔大陸伝統の“全裸ハプニング”のフラグ回収完了です》
≫《うけるー! まさかの都をどり全裸乱入編じゃん! カメラのシャッター切りまくりたいわー!》
≫《……オウガ様。またです。またあの、どうしようもないお約束が発動してしまいました……!》
「お、おおお、特異点様っ! 我が王国の伝統たる都をどりのフィナーレに際し、全住民による総身全霊の感謝の舞をお納めくださいましーっ!」
王国若頭が全裸のままスライディング土下座をかまし、女性たちが一斉に大混乱のフォーメーションを組み始める。
「やかましいっ! 誰がこんなもん頼んだ!」
桜雅は足癖全開で、足元の大気を局所的に重力圧縮――。
ドォン!
コンクリートのような高密度に圧縮された空気波が全方位へ放たれ、重力レンズ効果が空間を歪める。衝撃で宙に浮き上がった3,300名の女性たちは、舞い散る衣装の布切れへ精密に包み込まれ、絶対的な重力制御によって完璧なバランスで「強制着付け」された。
「ひぃっ!? 空がねじれましたわぁ!?」
「さすが特異点様、お着付けのセンスも一級品ですわ!」
頭を押さえて深呼吸する桜雅。
「……もうやだ、この世界。帰りたい」
≫《オウガさん、まだ次の魔王国が11個残っていますよ。毎回これが発生した場合、精神的負荷は推定で約12.5倍に跳ね上がります》
「ふざけんな、次からは目隠しして更地にしてやる」
ヤケクソ気味に吐き捨てる桜雅の足元で、ナノは全裸騒動のどさくさに手に入れたみたらし団子を嬉しそうに頬張っていた。
◇
深夜のお菓子作りと学園長の日常
全裸騒動の夜。家庭科室兼「臨時校長室」には甘い香りが漂っていた。
「……だから、砂糖の分量が多すぎるんだよ。脳が溶けるだろ」
エプロン姿で不機嫌そうに泡立て器を握る桜雅。その足元ではナノが椅子にちょこんと座り、ふっくらと焼き上がっていくスポンジケーキをじっと見つめている。
≫《オウガさん、そのパティシエ顔負けの厳格な温度管理とメレンゲの泡立て……物理学的に完璧なシフォンケーキが錬成されつつありますね》
≫《うけるー! 学園長自ら深夜のお菓子作りとかギャップ萌え死ぬんだけどー!》
≫《……オウガ様。普段は面倒そうになさるのに、生徒たちやナノちゃんが美味しそうに食べる姿を想像すると、つい腕を振るってしまうのですね。不器用な方ですこと》
「……うるせぇ。ただの化学実験の延長だ。分子構造の結合テストだよ」
悪態をつきつつも、桜雅の手つきは驚くほど繊細だった。
切り分けたケーキにフレッシュなイチゴとクリームを添え、ナノへ差し出す。
「ほら、さっさと食って寝ろ。夜更かしは成長に響くぞ」
「がくえんちょう、ありがと……。とっても、あまいにおい……」
教室の向こうからは、救出された3,300名の少女たちが静かに眠りにつく息遣いが聞こえてくる。
理不尽な重力操作で更地を作り続ける男の日常は、このささやかで温かなマイクロ・コスモスの真ん中に、しっかりと揺るぎない重力を降ろしていた。
「……チッ。ま、悪くはねぇか」
桜雅はポケットの中で足指を軽く動かし、静かな夜空へ向かってフッと小さく息を吐いたのだった。