不機嫌な特異点と脳内ツッコミ過多な日常   作:小桜紫雨

9 / 22
第9話

第9話:不機嫌な特異点と壊れた空、地下の遺物

 

コミダ・プエルトの南西倉庫街。その地下数メートルの空間は、むせ返るような潮風と、長く放置された泥と鉄の臭いに満ちていた。

石造りの冷え切った通路に、重い足音が一つ響く。

桜雅が踏み出すたびに、足底の微小な重力子が床の石畳を砕き、乾いた破裂音を立てた。肺を圧迫するような重圧と、三半規管が僅かに狂う感覚が、この空間の物理法則がすでに歪んでいることを告げている。

 

≫《警告。前方の空間に人源反応、計四百四十二。戦闘員の武装レベルは中世の鉄器および低級魔術媒体。我が方の特異点展開による圧力に対し、耐久限界は推定三秒未満です》

「三秒も持たねえのかよ。相変わらず雑魚の壁は薄いな」

≫《雑魚の壁が薄いんじゃなく、オウガの出力が頭おかしいだけだよーだ。あ、そこの角に警備員がいるけど、おじさん、びっくりして目玉飛び出した顔してるし》

 

アイリの軽い声が脳内に響くのと同時、桜雅の前方で通路を塞いでいた鉄格子つきの重厚な扉が、音もなく内側へひしゃげた。

扉ではない。扉を支えていた周囲の石壁の分子結合が、重力レンズの歪みによって一瞬で引き延ばされ、砂埃となって崩れ落ちたのだ。

 

「なっ……! なんだお前は……っ!?」

 

黒ずんだ革鎧を着た私兵が剣を抜こうと身構える。

だが、抜いた瞬間から彼の受ける重力重量は通常の五十倍に跳ね上がっていた。

重力に耐えきれず、男の両足の骨がメキメキと音を立てて砕け、自らの重みで足元の泥水へと崩れ落ちる。

 

「ぐっ……あ……足が、潰れ……っ!」

「道を開けろ。足が邪魔だ」

 

桜雅は冷ややかな視線を一瞥すらもくれず、ただそこにある障害物を避けるように歩を進める。

その後ろから、ミツキの呆れたような、しかしどこか誇らしげな念話が割り込んだ。

 

≫《オウガ様、もう少し手加減というものを……。いえ、あのような下劣な人間どもには、これくらいの制裁が妥当でございますが……衣服の汚れにはお気をつけくださいませ》

「汚れたらアイリに新しいの作らせるからいい。それより、奥だ」

 

通路の突き当たり、地下の広大な大広間。

そこには、これまでと同様に、怯えきった様子で身を寄せ合う「黒い瞳の女性たち」がひしめいていた。数にして約三百名。

西の荒野の魔力枯渇を防ぐための「消耗品」として、この暗い地下に閉じ込められていた者たちだ。

 

部屋の主である商会の幹部らしき男が、青ざめた顔で腰を抜かしたまま叫ぶ。

「き、貴様……ここはエストゥピド商会の私有地だぞ! 国家警察も、貴族も、我が商会と繋がっている! タダじゃすま――」

 

男の言葉は、頭上から降り注いだ数ギガパスカルの重力圧によって永遠に途切れた。

床にぺしゃんこに押し潰されるわけではない。

周囲の空間だけがピンポイントで圧縮され、男の周囲の空気が凄まじい音を立てて収縮したのだ。

いわゆる、微小なブラックホールの周縁で見られる潮汐力の模倣。

男の身体が縦方向に無理やり引き延ばそうと歪み、文字通り失神して泡を吹く。

 

「うるせえ。喋るな。頭が痛くなる」

 

桜雅が吐き捨てるように言うと、アオイが冷徹にデータを提示する。

 

≫《対象の無力化を確認。地下牢に囚われていた黒目女性の生存率、百パーセント。全員、保護可能です》

「よし。いつものやつで回収しろ」

≫《りょーかい! あーし特製の空間転移ボックス、全開で飲み込みまーす!》

 

アイリの明るい声とともに、空間に黒い裂け目がいくつも生じ、女性たちは一人の怪我人も出すことなく、異空間内の学校施設へと次々に転送されていった。

ほんの数分前の絶望の底から、突如として別の空間へ放り出された女性たちは、目を丸くしつつも、迎えるアンドロイドたちの温かな手当てに安堵のため息を漏らす。

 

地下牢の空気が、急に静まり返った。

残されたのは、意識を失った商会の人間たちと、砕けた石畳、そして微かに揺らめく重力レンズの残滓のみ。

 

「ふう……これで当座の面倒事は片付いたか」

 

桜雅はポケットに手を突っ込み、やれやれといった様子で息をつく。

だが、その弛緩した空気は長く続かなかった。

 

≫《オウガさん、大変です! 先ほど粉砕したガレオン船の残骸から逃げ延びた関係者か、あるいはこの街の治安維持機構の最高司令部か……。港の方向から、通常の数百倍に達する魔力反応と、国家規模の迎撃部隊がこちらに向かって高速移動中です!》

 

アオイの警告音が、脳内で激しく点滅する。

視界の隅に浮かぶステータス画面には、赤色の警告文字が乱舞していた。

 

「ほう……? ようやくこの世界のまともな戦力か」

≫《オウガ様、相手は一筋縄ではいきません。都市全体を覆う結界魔術が起動しかけています。油断なさませぬよう》

≫《お、ついにボス戦じゃん! オウガ、派手にやっちゃいなよ! あーし、新しい武器の試作作っとくからさ!》

 

三者三様の声をBGM代わりに、桜雅は不敵な笑みを浮かべる。

白亜の貿易都市の地下で、特異点の気まぐれな暴力は、さらなる大きなうねりへと飲み込まれようとしていた。

 

桜雅は片足のつま先で転がっていた小石を軽く弾き飛ばすと、不機嫌そうに舌打ちを一つ鳴らして通路の出口へと身を翻した。

 

地上へと通じる階段を駆け上がり、コミダ・プエルトの南西倉庫街の薄汚れた石畳に出る。

足元から微小に共鳴する重力子が、周囲の空間に細かな波紋を広げ、大気の密度を歪ませていく。

 

港湾部の空気が、凄まじい地響きとともに震えた。

遠くの水平線ではなく、白亜の貿易都市の中央要塞から、漆黒の巨大な影が音速を超えて空を駆け上がってくる。

それは鳥型の幻想生物に魔導装甲を纏わせた「ハイガルーダ」の編隊であり、その先頭には都市全体を統括する都市長(ウルバニスタ)の専用迎撃艇が優雅かつ威圧的に浮かんでいた。

 

≫《警告。敵対勢力の総魔力反応、通常個体の約四百倍。都市全体を覆う対魔結界『アトラス・グリッド』が全解放され、空間座標の固定化が進行中です。オウガさんの重力子展開に一時的な干渉が発生する恐れがあります》

 

アオイの冷徹な分析が視界の端にポップアップとなって浮かぶ。

だが、桜雅は慌てるどころか、鼻で笑うように息を吐き捨てた。

 

「ふん。空間が固定されるなら、その固定ごとブチ抜けばいいだけの話だろ」

≫《あー、いいじゃんいいじゃん! 都市の結界なんて、おじさんの重力レンズで丸ごと赤方偏移の彼方に飛ばしちゃいなよ! あ, そうだ、今のうちに新しい武器の設計図送っとくねー》

 

アイリの能天気な声に続いて、脳内のステータス画面に文字通り無茶苦茶な超小型重力破砕砲の設計図が展開される。

それを視界の隅に追いやりながら、桜雅は冷ややかな瞳で空を仰いだ。

 

港の上空に展開した国家規模の迎撃部隊から、拡声魔道具を通じた怒声が響き渡る。

『――不逞の輩め! エストゥピド商会を襲撃し、我が都市の秩序を踏みにじった罪、万死に値する! すぐにその場でひれ伏せ!』

 

「……うるせえ」

 

桜雅がぼそりと呟いた瞬間、彼の足先から解き放たれた微小な特異点が、周囲の重力加速度を一気に数万倍へと跳ね上げた。

ドオッ! と遅れて発生したソニックブームが石畳を粉々に砕き、港の海面すらも重力に引き寄せられて数十メートルにわたり垂直に隆起する。

 

迎撃部隊の先頭にいたハイガルーダの群れは、その圧倒的な質量変化と空間の歪み(重力レンズ効果)の前に、翼の生体組織ごと分子レベルで引き裂かれていく。

パイロットたちが悲鳴を上げる間もなく、彼らの乗る重装甲艇はスパゲッティ化現象の如く縦方向に引き延ばされ、音もなく崩れ去った。

 

≫《敵戦闘員の戦闘続行能力、完全に喪失。都市長専用艇の耐久値も、あと一秒でゼロに収束します》

≫《オウガ様、あまり派手にやりすぎると、この世界の神様がまた面倒な顔をして降ってきますよ……? まあ、スカッとするのでもっとやっていただいても構いませんが!》

 

ミツキのツンデレ混じりの呆れた声が響く中、桜雅は揺らめく大気の向こう、恐怖で顔を引きつらせた都市長の姿を見据えた。

 

「面倒臭い奴らは、まとめて俺の足元にひれ伏させればいい」

 

不機嫌な特異点は、さらなる暴力的なまでの重力波を纏い、白亜の貿易都市の空を完全に掌握していく。

 

「あの鳥は食えるのか? 食ったら旨そうだから、神経抜きして血抜きもしないとな」

 

桜雅は次々とハイガルーダの眼と眼の間を射抜き、その正確な重力弾で中枢神経を破壊する。

 

「まあ、人間は食うと狂牛病やアルツハイマーの様な疾患も怖いし、そもそもどんな未知の病原体を持ってるか分からんからパスだな。害獣の駆除と同じで、ただのゴミ捨てだ」

 

コミダ・プエルトの上空を埋め尽くしていたハイガルーダの編隊が、桜雅の放つ微小な重力弾によって文字通り「ただの墜落する肉塊」へと変わっていく。

眼窩を正確に穿たれた巨鳥たちは、悲鳴を上げる間もなく中枢神経を破壊され、重力加速度に引かれて白亜の街並みへと真っ逆様に落ちていった。

 

ドオッ! と地表を揺らす重い衝撃音が連続して響く。

だが、桜雅はその惨状を一瞥すらもせず、ただ冷ややかに鼻を鳴らした。

 

「鳥の肉は悪くないが、こんな街中で血肉を散らされたら後片付けが面倒臭い。アイリ、今のうちに港の海水ごと全部回収しとけ」

≫《りょーかい! 落ちてくるハイガルーダの群れは全部あーしの亜空間クッションで受け止めて、後でミツキ用の焼き鳥ストックにしときまーす!》

≫《……あの、あのような凶暴な魔獣を焼き鳥にするのは構いませんが、もう少し衛生面や処理の仕方を選んでくださいませ。あと、オウガ様、上空からの視線にお気をつけください。都市長が乗る旗艦が、まだ空中で踏ん張っておりますよ》

 

ミツキの注意通り、数万倍の重力圧と空間歪曲(重力レンズ)の嵐の中にあっても、都市長(ウルバニスタ)の専用迎撃艇だけは特殊な対魔結界『アトラス・グリッド』の張力に守られ、かろうじて墜落を免れていた。

 

艇の甲板にしがみつき、青い顔で震える中年の男――コミダ・プエルトの最高責任者である都市長が、震える声で拡声魔道具を握りしめる。

『な、なんだお前は……! 貴様、本当に人間か……!? 空間そのものをねじ曲げ、我が都市の結界を紙細工のように……!』

 

「人間様に見えねえなら、その濁った目玉を今すぐ引き抜いて宇宙の塵にしてやろうか。……うるせえ、耳障りだ」

 

桜雅が足先の重力子をわずかに微調整した瞬間、都市長艇を包んでいた『アトラス・グリッド』の結界が、ピキリとガラスの割れるような音を立てて四散した。

結界の崩壊に伴う逆流エネルギーが、都市長自身の魔力を直撃する。

肺の空気が一気に押し出され、血管が逆流するようなブラックアウトの感覚に襲われた男は、そのまま甲板にへたり込み、大量の泡を吹いて失神した。

 

≫《警告。都市長専用艇の全機能、停止を確認。周囲の敵対反応、完全消失です。……それにしても、オウガさんの重力制御の精度がまた上がっていません? 宇宙規模の定数が勝手に書き換わってるんですけど》

「出力の加減なんて知るか。体が勝手に面倒臭がって効率のいい方法を選んでいるだけだ」

≫《そこを面倒臭がるなよ! せっかくのボス戦が、おじさんの秒殺劇でただのゴミ捨て場清掃になっちゃったじゃん! あーしとしては、もっと派手にブラックホールごっこをしてほしかったなー》

 

アイリの不満げな念話を脳内で軽くいなしながら、桜雅は片手でポケットを探り、退屈そうに首を鳴らした。

 

街の各所から聞こえていた国家警察(ポリシア・ナシオナル)の足音や怒声は、先ほどの圧倒的な重力波の余波を感じ取ったのか、すっかり鳴りを潜めていた。

白亜の貿易都市の港湾部は、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、ただ潮風の匂いと、粉々に砕けた石畳のざらついた感触だけが残されている。

 

「さて……これで邪魔者はいなくなったか」

 

桜雅は足元に転がっていた小石をもう一度つま先で軽く転がすと、南西倉庫街の地下へと続く入口の方へ視線を向けた。

そこには、先ほど救い出し損ねたわけではないが、まだ取り残されているかもしれない商会の残党や、あるいは隠された資産が眠っているはずだった。

 

≫《オウガ様、地下倉庫の最深部、先ほどまで商会の幹部たちが逃げ込んでいた隠し扉の奥に、通常の数十倍に達する高密度魔石の反応と……古い時代の遺物データを検知しました。どうやら、この都市の権力者たちが裏で隠蔽していた地下秘密文書庫があるようです》

「へえ……。裏金か、それともこの腐った世界の汚い歴史のデータか」

≫《両方ですね。あと、オウガさん、その文書庫の奥に、親宇宙のブラックホール中心から漏れ出た微弱な「情報素粒子」の波長が混ざっています。……これ、もしかするとこの世界全体の構造に関するバグデータの隠し場所かもしれませんよ》

 

アオイの冷徹な声色に、わずかに警戒の色が混じる。

桜雅は片方の眉をひそめ、やれやれといった調子で小さく息を吐いた。

 

「めんどくせえな。俺が求めてるのは、せいぜい美味い魚介類と、この世界を俺の足元にひれ伏させるための退屈しのぎの力だ。世界のバグだのなんだのは、神様の仕事だろ」

≫《その神様が仙台弁で頭ポリポリかきながら「やべ、世界のメモリ容量オーバーしたわー」とか言ってたんだから、当てにしちゃダメでしょ!》

≫《まったくでございます。オウガ様、面倒事はすべて力づくで解決するのが一番ですわ。さあ、その汚れた地下のゴミどももまとめて片付けてしまいましょう》

 

ミツキの少し物騒で、しかしどこか甘やかすような念話を背に受けながら、桜雅は再び地下へと続く階段を下りていく。

 

足を踏み出すたびに、足底の微小な重力子が床の石畳を心地よいリズムで砕いていく。

その背後では、アイリが生成した亜空間ボックスが、墜落したハイガルーダの群れや港の海水を次々と吸い込み、異空間内の学校給食用の巨大冷凍庫へと完璧に仕分けて格納していった。

 

「……ま、いいか」

 

桜雅は薄暗い地下通路の奥へと歩を進めながら、不機嫌な笑みを浮かべる。

この理不尽で退屈な世界を、自らの足先と重力波ですべて更地にしてやる――その歪んだ心地よさを噛み締めながら、特異点は次の獲物と秘密の核心へと歩みを進めていくのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。