イタリア フィレンツェの高級ブランド街
璃華子は、片手にさまざまなブランドの紙袋を持ち、黒の平たいブーツで街を歩いていた。
髪をアップの団子に束ね、縁の濃い飴色の伊達メガネをかけている…よく見れば豹柄の様にマーブルだ。
黒のタックワイドパンツにゆったりとインされた、真っ白なシャツは第3ボタンまで開けられ、その隙間を埋めるように緑でまとめられたスカーフを巻いている。
パンツに通されているのは、SALVATORE FERRAGAMOの黒いベルト。そんなフェラガモの本店を目指し、璃華子はサンタ・トリニタ広場に面した、重厚な石造りの宮殿へ歩みを進める。
その一角に掲げられたフェラガモの紋章を見つけ、彼女は口に笑みを浮かべた。
イタリア出張中の大原璃華子はココ数日、イタリアを代表するブランドのブティックを、単なる1人の客として巡っていた。
今は、フィレンツェ発祥のブランドに絞り何軒か回っている最中である。GUCCIに、OFFICINE PANERAI 、EMILIO PUCCI……現在璃華子が立っているSALVATORE FERRAGAMO。
どの店も、璃華子が姿を見せるなり、スタッフ全員が彼女の存在に気づいた。
それものそのはず。
大原璃華子は、齢19の時、初めてミラノコレクション参加した。そこで業界関係者やメディアから高く評価され一躍有名となり、28になる今日まで毎度の如くミラノのコレクションに出続けているデザイナーなのである。
璃華子の来店に驚いた店員はすぐに上役を呼ぼうとするが、璃華子は落ち着いてそれを止め、必ず何かしら買い物を済ませて店を出て来るのが毎度のことであった。
そんな璃華子は、広大な店内の中、モデルを思わせるほど美しい店員を1人、隣に携えゆったりと散策していた。
他の店員は、1人だけつけて欲しいという璃華子の意向を汲み、担当する一人の店員を残して、それぞれ持ち場へと戻っていったのだ。
一足、シンプルなブラウンの靴が目に留まり璃華子は足を止めた。
「そちらのシルエットがお気に召したようでしたら、工房に確認してまいりましょうか」
「…いえ、きっとコレが良いんです」
璃華子は肩をくすめ、柔らかに笑った。
結局、璃華子は既製の靴を2足と、今璃華子が着用しているものと同じ形の茶色のベルトを1つ買うことにした。
会計を済ませ、店を出る際に店員から紙袋を受け取る。
手元の紙袋に視線を落とした璃華子は、嬉しそうに微笑みながら店員に話しかけた。
「ふふふ、わたし、仕事の時はほとんど毎度こちらの靴を履かせていただいてるんです」
「…‼︎まあッそれは大変光栄でッ……」
店員は顔をパッと明るくした。ところが次の瞬間には突然軽く頭を抑えフラッと倒れそうになる。
シュルッ!
細長い何かが咄嗟に飛び出し、店員の腰を捉え、倒れかけた身体を引き留める。
「おっと」
璃華子はすかさず歩み寄り、しなやかな腕で店員の身体を受け止めた。
「大丈夫ですか?」
店員は何が起きたのか理解できない様子で、目を瞬かせていた。
「!!…?…今…」
「ふふ、スカーフですよ。巻いていたもの解いて、失礼ながら手繰り寄せたんです」
璃華子は肩からそっと腕を離し、手元にあるスカーフを見せた。
璃華子が首元に巻いていた、シルクのスカーフだった。
店員は、スカーフと璃華子を交互に見た。そしてハッとすると咄嗟に璃華子の腕から離れた。
「‼︎ッ申し訳ございませんでした大原様ッ!」
「ああ!無理に動かないでください、少し休まれた方がいい」
「…いえ、お恥ずかしいことですが、緊張と高揚が故の、ただの軽い立ちくらみです。お気になさらず」
璃華子はサッとスカーフを首に巻き直し、軽く整える。少々冷や汗と赤みを帯びた店員の顔を覗き込み、困ったように眉を下げ、口を開いた。
「…そうでしたか、ふふ、恥を覚える必要はありませんよ。ですがどこか顔色がよろしくない。どなたかお呼びを?」
「いえソレに関しては色々と…少し動揺してしまったのです。まさか大原様ご本人に、こんなことまでしていただけるなんて……。感謝を……心配ご迷惑をおかけいたしました。もう大丈夫です」
「それはそれは…よかったです。安静に、お大事になさってください」
店員はハイ…と赤顔で答え、璃華子はそれをみて優しく笑う。
店員は改めて姿勢を整えると、床に置かれていた紙袋を丁寧に拾い上げ、璃華子へと差し出した。璃華子はその取っ手を、しなやかな指先で受け取る。
「大原様のお言葉は工房共々スタッフ皆にお伝えいたします。本日は誠にありがとうございました」
璃華子は店の外へと足を踏み出した。
店員はその背中が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けている。
璃華子は振り返って会釈を返すと、両手いっぱいの紙袋を携え、フィレンツェの街並みへと歩き出した。
璃華子が去った後のSalvatore Ferragamo 事務室
数時間前、璃華子の接客をしていた店員はオフィスで大勢に囲まれていた。
先ほど工房にも連絡を入れ、皆の喜びの返答があったばかりだ。
話が進むにつれ、同僚たちの驚きや歓声が絶え間なく上がる。
普段は落ち着いた空気の漂う事務室も、その夜ばかりは随分と賑やかだった。
璃華子が店を後にしてから、夜が更けるまで。
事務室には、楽しげな声がいつまでも響いていた。