冒険者になってから、およそ二か月が経った。
地方都市リーヴェルの朝は、今日も賑やかだ。
石畳の通りには荷馬車が行き交い、焼きたてのパンの香りが漂っている。
その中を、一人の少女が軽い足取りで歩いていた。
黒髪を左右で結んだハーフツインテール。右と左で色の異なる青と金の瞳。
イリス・アストレア、十歳。
彼女は今、冒険者ギルドへ向かっていた。
この二か月、イリスは薬草採取や荷物運び、町の周辺での簡単な依頼をこなしてきた。
時には魔物と遭遇することもあったが、無理に戦うことはせず、危険だと判断すれば引き返した。
最初の依頼でフォレストウルフと戦ったときの恐怖は、今でもよく覚えている。
だからこそ、油断はしない。
ローザから教わった言葉を胸に、毎日少しずつ経験を積んでいた。
「おはようございます!」
ギルドの扉を開け、イリスは元気よく挨拶した。
「あら、イリスちゃん。おはよう!」
受付の女性が笑顔で迎えてくれる。
最初の頃は緊張していたこの場所も、今ではすっかり馴染みのある場所になっていた。
「今日は依頼を受けに来たんですけど……」
「ああ、そうそう。ちょうどよかったわ。イリスちゃんにお話があるの」
「私に、ですか?」
受付嬢は一枚の書類を取り出した。
「実はね、イリスちゃん、緑級への昇級条件をほとんど満たしているのよ」
「……えっ?」
イリスは思わず目を丸くした。
「本当ですか!?」
「ええ。依頼の達成数も十分だし、報告も丁寧。問題行動もないもの」
「よかった……!」
胸の前で小さく拳を握る。
緑級になれば、受けられる依頼の種類も増える。
つまり、それだけ報酬を得る機会が増えるということだ。
ローザの治療費を稼ぐためにも、昇級は嬉しい知らせだった。
「それで、あと何をすればいいのでしょうか?」
「残っているのは、共同依頼の達成ね」
「共同依頼……?」
「ほかの冒険者と協力して、指定された依頼を達成するの。冒険者は一人で行動することもあるけれど、仲間と協力する力も必要だから」
「なるほど……」
イリスは納得して頷いた。
確かに、今までの依頼はほとんど一人でこなしてきた。
誰かと一緒に戦った経験は、まだない。
「では、一緒に依頼を受けてくださる方を探さないといけませんね」
「そうね。ちょうど同じ条件を残している子が――」
「ちょっと待った!」
突然、背後から元気な声が響いた。
振り返ると、一人の少女が立っていた。
赤みがかった茶色の髪を高い位置で結んだポニーテール。琥珀色の瞳は好奇心に満ちている。
イリスより少し背が高く、いかにも活発そうな少女だった。
「あんた、今、共同依頼の話してたよね?」
「えっ? はい、そうですが……」
「だったら、あたしと組まない?」
あまりに突然の申し出に、イリスはぱちぱちと瞬きをした。
「……ええと」
「あ、ごめん。まだ名前も言ってなかった!」
少女は胸を張る。
「あたしはリオ! リオ・クラウゼル! 十一歳、白級冒険者!」
「私はイリス・アストレアです。十歳になります」
「十歳!?」
リオが目を見開いた。
「えっ、あんた、あたしより年下なの!?」
「はい。そうですが……」
「へえ……!」
リオはイリスを上から下まで眺めた。
「もしかして、フォレストウルフを倒したっていう子?」
「……え?」
「聞いたことあるんだよね。十歳で冒険者になって、最初の依頼でフォレストウルフを倒した女の子がいるって」
「そ、それは……確かに私ですけど」
イリスは少し困ったように笑った。
「でも、あのときは本当に怖くて……。運がよかったところもあります」
「ふーん……」
リオはじっとイリスを見つめる。
そして、にっと笑った。
「決めた! やっぱりあんたと組む!」
「ええっ?」
「あたしも緑級に上がりたいんだけど、共同依頼がまだなの。ちょうどいいでしょ?」
「それは、そうですけど……」
「なに? あたしじゃ不満?」
「い、いえ! そんなことはありません!」
慌てて首を振るイリス。
その様子を見て、リオは楽しそうに笑った。
「じゃあ決まり!」
受付嬢が二人のやり取りを微笑ましそうに眺めていた。
「ふふっ。それなら、ちょうどいい依頼があるわよ」
そう言って、一枚の依頼書を差し出す。
『街道付近に出没するゴブリンの討伐』
リーヴェルから少し離れた街道沿いの雑木林で、ゴブリンが目撃されているという。
数は三、四体ほど。
まだ大きな被害は出ていないものの、商人や旅人が襲われる前に対処してほしいという依頼だった。
「ゴブリンか……」
リオが依頼書を覗き込む。
「どう? イリス。いけそう?」
「そうですね……」
イリスは依頼内容を慎重に読み返した。
複数の魔物を相手にするのは、これまでの経験から考えても簡単ではない。
けれど、今回は一人ではない。
「リオさんは、どんな魔法を使うんですか?」
「あたし? 炎魔法!」
リオは得意げに答えた。
「火の玉を飛ばしたり、炎の矢を撃ったりできるよ。近づかれるのはちょっと苦手だけどね」
「それなら、私が前に出て戦います。リオさんには後ろから援護していただく形で、どうでしょう?」
「へえ、あんた、前衛なんだ?」
「はい。剣術と風魔法を使います」
「いいじゃん! 相性よさそう!」
リオは嬉しそうに拳を握った。
「よーし! さっそく行こう!」
「はい!」
こうして、二人の初めての共同依頼が始まった。
◇◆◇
街道沿いの雑木林までは、徒歩で一時間ほど。
二人は並んで歩きながら、互いのことを話していた。
「へえ、イリスっておばあちゃんと二人暮らしなんだ」
「はい。小さい頃から、ずっとお世話になっています」
「魔法も教えてもらったの?」
「そうです。剣術も、おばあちゃんに教わりました」
「剣術まで!? すごいおばあちゃんだね!」
「ふふっ。私の自慢のおばあちゃんです」
イリスは嬉しそうに微笑んだ。
「リオさんは、どうして冒険者になったんですか?」
「あたし? 強くなりたいから!」
即答だった。
「強くなって、いろんな場所に行って、すごい魔法使いになるの!」
「素敵ですね」
「でしょ?」
リオは得意げに笑う。
「イリスは?」
「私は……」
イリスは少しだけ言葉を選んだ。
「おばあちゃんが病気なので、治療費を稼ぎたいんです」
「……そっか」
リオの表情が少し変わった。
「じゃあ、頑張らないとね」
「はい」
「だったら、今日の依頼も絶対成功させよう!」
リオは前を向き、元気よく拳を突き上げた。
イリスはその横顔を見て、小さく笑った。
「……ありがとうございます、リオさん」
「もう! さん付けなんていらないって!」
「えっ?」
「あたしたち、これから一緒に戦うんでしょ? リオでいいよ!」
「ですが……」
「ほら、呼んでみて!」
イリスは少し戸惑ったあと、口を開いた。
「……リオ」
「うん!」
リオは満足そうに頷いた。
「それでよし!」
イリスもつられて笑った。
誰かと並んで依頼に向かう。
それだけのことが、なんだか新鮮だった。
◇◆◇
雑木林に到着すると、二人は足を止めた。
「この辺りだね」
「はい。足跡を探してみましょう」
イリスは地面に目を向ける。
柔らかな土には、小さな足跡がいくつも残されていた。
「……ありました」
「ほんとだ!」
リオが身を屈める。
「こっちに続いてるね」
「ええ。ただ、足跡が複数あります。慎重に進みましょう」
「わかってるって!」
リオはそう答えたものの、少しだけ声を落とした。
二人は足跡を辿りながら、木々の間を進んでいく。
やがて――
「……いた」
リオが小声で呟いた。
少し開けた場所に、三体のゴブリンがいた。
緑色の肌をした小柄な魔物たちが、木の枝や石を手にして歩き回っている。
イリスは木の陰から様子を窺った。
「三体ですね」
「うん。どうする?」
「私が先に出ます。リオは距離を取って、援護をお願いします」
「了解!」
リオは右手を構えた。
イリスも静かに魔力を集中させる。
淡い光が集まり、その手に一本の剣を形作った。
「……わあ」
リオが目を輝かせる。
「それがイリスの魔法?」
「はい。光剣です」
「すっご……! あとで詳しく教えて!」
「ふふっ。依頼が終わったら、ですね」
イリスは微笑み、前を向いた。
「では、行きます!」
地面を蹴る。
風魔法による加速。
一瞬で距離を詰めたイリスは、先頭のゴブリンへ光剣を振るった。
「ギャッ!」
ゴブリンが倒れる。
残る二体が驚いて振り返った。
「イリス! 右!」
リオの声。
右側のゴブリンが石を振り上げていた。
イリスは身を捻り、その一撃をかわす。
「――《火球》!」
背後から炎の球が飛来した。
しかし。
「っ!?」
炎がイリスのすぐ横を通過する。
思わず足を止めたイリスの目の前で、火球が地面に着弾した。
乾いた土が弾ける。
「ご、ごめん!」
リオの焦った声が響いた。
「大丈夫です!」
イリスはすぐに答えた。
けれど、ほんの一瞬の隙を突かれ、ゴブリンが迫ってくる。
「くっ……!」
光剣を構え直す。
正面から振り下ろされた石を受け流し、横へ踏み込む。
そのまま剣を振るい、二体目を倒した。
残る一体が距離を取る。
「イリス!」
「はい!」
今度は互いの位置を確認した。
イリスは左へ回り込み、ゴブリンの注意を引く。
リオは十分な距離を確保し、右手を突き出した。
「今度こそ――《火球》!」
炎の球が一直線に飛ぶ。
ゴブリンは逃げようとしたが、間に合わなかった。
「ギャアッ!」
炎を受けたゴブリンが倒れる。
やがて、辺りは静かになった。
「……終わった?」
リオが息を吐く。
イリスは周囲を見渡した。
「三体とも動きません。ですが、依頼書には四体いる可能性も書かれていました」
「あ、そっか」
「もう少し周囲を確認しましょう」
「うん!」
二人は慎重に周辺を調べた。
しばらく探索したものの、ほかのゴブリンは見つからなかった。
足跡も確認し、少なくともこの付近に別の群れがいる様子はない。
「これなら、報告できそうですね」
「やったー!」
リオが両手を上げた。
しかし、すぐにイリスへ向き直る。
「……あのさ」
「はい?」
「さっきはごめん。あたしの魔法、危なかったよね」
リオは少し気まずそうに目を逸らした。
「イリスが動く方向、ちゃんと見てなかった」
「……私も、リオが魔法を撃つタイミングを確認していませんでした」
「でも、あたしが――」
「次は、声を掛け合いましょう」
イリスは柔らかく微笑んだ。
「そうすれば、きっともっと上手に戦えます」
リオは一瞬きょとんとした。
そして、にっと笑った。
「……うん!」
差し出された拳。
イリスは少し戸惑いながらも、自分の拳を軽く合わせた。
「次はもっと上手くやろうね、イリス!」
「はい、リオ!」
◇◆◇
夕方。
二人は冒険者ギルドへ戻っていた。
「ゴブリン三体の討伐を確認しました。周辺の調査報告も問題ありません」
受付嬢が書類に目を通す。
「それでは――」
イリスとリオは、思わず顔を見合わせた。
「イリス・アストレアさん。リオ・クラウゼルさん」
受付嬢は笑顔で告げる。
「お二人とも、緑級への昇級を認めます。おめでとうございます!」
「……!」
「やったあああっ!」
リオが歓声を上げた。
イリスも思わず胸の前で両手を握る。
「ありがとうございます!」
受付嬢から、新しい冒険者証が渡された。
そこには、緑級を示す印が刻まれている。
イリスはそれを大切そうに見つめた。
冒険者になって二か月。
ようやく、一つ上のランクへ進むことができた。
「ねえ、イリス!」
隣からリオが顔を覗き込む。
「はい?」
「次の依頼も、一緒に受けない?」
イリスは目を瞬かせた。
「……私と、ですか?」
「ほかに誰がいるのよ!」
リオは笑った。
「今日、結構楽しかったし! あたしたち、相性いいと思うんだよね!」
「……ふふっ」
イリスの頬が緩む。
「私も、楽しかったです」
「じゃあ、決まり!」
「はい!」
イリスは嬉しそうに頷いた。
「これからも、よろしくお願いします。リオ」
「こちらこそ! よろしく、イリス!」
二人は顔を見合わせて笑った。
こうしてイリスには、初めての冒険者仲間ができた。
◇◆◇
「おばあちゃん、ただいま帰りました!」
家に戻ったイリスは、いつもより弾んだ声で挨拶した。
「おかえり、イリス。今日はずいぶん嬉しそうね」
椅子に座っていたローザが微笑む。
「はい! 聞いてください!」
イリスは鞄から冒険者証を取り出した。
「緑級に昇級しました!」
「あらまあ!」
ローザの表情が明るくなる。
「おめでとう、イリス。頑張ったわね」
「ありがとうございます!」
イリスは嬉しそうに笑った。
「それから……今日は、もう一ついいことがあったんです」
「なあに?」
「友達ができました!」
ローザは少し驚いたように目を丸くした。
「まあ、そうなの?」
「はい! リオっていう、一つ年上の女の子なんです。炎魔法が得意で、とっても元気な子で……!」
イリスは今日の出来事を夢中になって話した。
初めて誰かと一緒に依頼を受けたこと。
上手く連携できず、少し危なかったこと。
それでも二人で力を合わせて、依頼を達成できたこと。
そして、また一緒に冒険しようと約束したこと。
ローザはその話を、穏やかな笑顔で聞いていた。
「……よかったわね、イリス」
「はい!」
イリスは大きく頷いた。
冒険者になってから、毎日が新しい経験の連続だった。
怖いことも、難しいことも、たくさんある。
それでも。
今日からは、一緒に笑い合える仲間がいる。
イリスは胸の前で、新しい冒険者証をそっと握った。
明日が、少しだけ楽しみになった。
――十歳の少女の冒険は、まだ始まったばかりだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『聖剣使いイリス』をよろしくお願いいたします。