上司と部下は嘗ての研究室で教授と学生の関係に戻った。
「コアへのダイレクトエントリーシステムか。相変わらず、とんでもない発想ばかりだな。私は最後まで反対したことを述べておく」
「わかっています。しかし、これ以外に手がなかったんです。人類の存亡のために」
「だからと言って自分を犠牲にする必要があるのかね」
缶コーヒーを飲み干してカタンと机に置く。窓の外より広大なキャンパスを眺めた。この光景も最後と思われる。この世に定められた運命による試練が待ち受けた。きっと極々限られた資格のある者達しか生き残ることはできない。仮に勝算なき戦いだろうと常に希望を抱いて立ち向かわなければならない。希望という病に侵されようと構わない。
「シンジを守るためには仕方がなかった。夫には悪いですが」
「あいつのことだ。君を執念深く追ってくるに違いない」
「それもそれで悪くありません。ただ、シンジが不幸になることだけは避けたい。したがって、冬月先生にお願いしたんです」
「もう老い先短い。半世紀は生きてしまった」
「だからじゃありませんか」
フッと息を吐いた。まったく彼女には敵わない。研究室においてトップクラスの優秀を誇った。それでいて周囲を良い方向へ巻き込むことに長けている。まさか、心の根っこまで暗い男を魅了した末に子供を授かるとは予想外だった。
そんな彼女は私の命が枯れるまで利用しようとしている。教育者とはかくあるべきだ。知恵を乞う者に無限の叡智を授ける。時には共に学ぶことを通じて際限なき戦いに身を投じた。いつしか人類が存続していくために世界を欺くことを覚えている。世紀の大悪党になったつもりか。
「それじゃ…おさらばです。冬月コウゾウ先生」
そんなことを言うんじゃない。
また会えるはずだ。
「この年齢になって孫ができるとはな。碇シンジ君か。母親と似ている…」
あれから何年が経過したのかわからない。世界は大激動に襲われた。
人類の半分が無くなった史上最悪の災害と言われている。一般的には巨大隕石の衝突と処理されたが真実はまったく異なった。厳重に蓋をされている。世の中には知らない方が良いこともある。
「おはよう。おじいちゃん」
「おぉ。おはよう」
「いつもより早起きだね。緊張しているんじゃない?」
「緊張も何もない。老人という生き物は早起きと相場が決まっている」
余計なことを考えることはやめた。今日は大事な日であるから早起きしている。第三新東京市で彼を一生懸命に男手一人と育てた。彼が欲する物は全て与える。独り身には随分と堪えたがとても良い子だった。もう立派な中学生だが未だに可愛いもの。孫はいくつになっても変わらない。
「今から作るから。コーヒーでも飲んで待っててね」
「急がんよ」
二人して規則正しい生活を送っていた。早起きして行うは朝食の準備である。人工の液卵と再生肉を一緒に焼いていった。恥ずかしい話だが家のことは一任している。誰から学ぶでもなく一人で自発的に取り組んだ。明日から一人暮らしとなっても構わないぐらい。いいや、最後まで育て上げる。実の母親から雷を落とされかねない。現に地下深くで眠っていた。我が子の帰りを待ち遠しく思っている。
なんだか感慨深いがひとまずホットのコーヒーを啜った。コーヒーの銘柄に特段のこだわりは持たない。庶民には庶民の味があるんだ。新聞は政府の失策や国連の無駄な討議を盛んに報じている。これも世界規模の情報戦略であるが幸せに生きるためには致し方ないことだ。新聞ほどつまらない読み物はないが暇つぶしにちょうどいい。時折に朝食の準備をチラチラとみた。
「今日からあそこで働くんだよね。おじいちゃんの仕事を手伝う」
「確かに私の職場だが、君にしかできないことをするんだ。主役はシンジ君だよ」
「いいんです。わかっているから。父さんは僕を利用するために召集した。人類がどうとか大層なことをいうけど」
「碇ゲンドウはそうかもしれない。他の大人も同じかもしれない。だが…」
座椅子から立ち上がる。彼はハムエッグをお皿によそっていた。一連の動作が終わってから優しく頭をなでる。何歳になっても頭を撫でてもらうことは嬉しいはずだ。中学生の多感にして思春期を迎える頃らしく反抗すると思いきや受け入れる。これが親ぐらいならば跳ねのけた。たとえ血のつながりが無くても、事実上の祖父と孫の関係ならば、素直に受け入れられる。
「私はシンジ君を大切に思っている。いつまでも元気で幸せに生きてほしい。自分に自信を持つんだ。世界の全ての人間が君を否定しようと私だけは最期まで味方する。それが家族だろう」
「うん…ありがとう。朝ごはんにしよう」
「そうだな。腹が減っては何とやらだ」
昔ながらのちゃぶ台に洋風の朝食が並んだ。しっかりと朝ごはんを食べてから出勤である。定年退職という概念は存在しなかった。人手不足は言わずもがな、専門知識と専門技能を持つ者は希少であり、経験もある老人は引退を許されない。
何よりも今日から碇シンジ君と一緒に働くことができた。仕事用のカバンには分厚い冊子が入っている。彼の普段着と化している白シャツとスラックスは綺麗に折りたたまれた。その上にカードキーが置かれる。身元を証明する写真に写るは全体的に引き締まった真面目な顔だった。デジタルの大型モニターに投影すると一層も映える。
「第三の少年。エヴァンゲリオン初号機のパイロットだ」
「お迎えは必要ですか。ここまでは相応に遠いはずですが」
「必要ない。冬月が連れてくる」
「資料によりますと、幼少期から一緒に暮らしているとか。よろしいのでしょうか」
「何がだ」
今日入ってくる新人受け入れを進めていった。運命の定められた少年がトップの実の息子とは出来過ぎている。それも幼少期に事実上の蒸発と捨てた子どもが戻ってきた。あまりにも都合よく召喚している。良心のある大人は怒りを覚えて当然だ。そんなものはとうに尽きている。良心を抱いて人類を救うことができるのか。
ここは人類が予め決められた運命に伴う試練を乗り越えるために設けられた。親と子の究極的な私情の持ち込みは厳に禁じられる。相手は子どもだからと手を緩めてはならない。何事もシビアに進めた。失敗は一度でも許されない。一度の失敗が滅亡を招いた。それ故に司令たる男は我が子の帰還を欠片も喜ばない。ただの駒としか見ていなかった。
「いえ、何でもありません」
「余計な詮索はしない方がいい。自分の職務を果たせ」
「承知いたしました」
現場単位の責任者が退室してから机の上に置いた写真立てを見る。写真は時間を閉じ込めることができた。最愛の人が笑っている。若い自分は不慣れなので引きつっていた。今となっては良い思い出である。そして、絶対に取り戻すべき世界だった。この世に権力も財産も要らない。ただ最愛の人を欲していた。実の息子を捨ててまでひたすら求めている。人類の存亡をかけた戦いに勝利することは手段の一つに過ぎなかった。
「冬月め…勝手なことをする」
ちょうど最新の情報が届けられる。現行世界の終わりと新たな世界の構築を司った。その少年は幼少期から常時監視されている。たった一つの願いのためだけに教育と育成のプログラムが組まれた。もはや、鳥籠と言うべき狭い世界を生きている。
「なぜ、ユイは先生に託した。一人で生きるとの辛さを知ることは試練の一つだが」
(お前は己と同じ境遇を子どもに味合わせようとするのか)
「冬月!」
誰もいなかった。手元の内線電話が鳴る。
「碇司令。副指令と初号機パイロットがお見えです」
続く
ウルトラ不定期更新です~