雨が降り始めた三日目、補給所へ伝令が駆け込んできた。北の巡回隊へ送る干し肉と塩の荷が、道の途中で止まっているという。
僕は倉庫の地図を広げた。
「西の橋を通れば、今日中に届けられるはずです」
オルドがこちらを向いた。
「地図にはそう書いてあるな」
「じゃあ、荷車を回した方が」
「お前、橋を見たことは?」
「……ありません」
オルドは僕へ外套を投げた。
「なら、見に行け。ただし、勝手に荷車を動かすな。テオと一緒に行って、橋の状態を報告しろ」
僕らは小さな馬に荷を持たせず、歩いて出た。雨は細かかったが、道に残った車輪の跡には水が溜まっていた。
「こんな日に外へ出すなんて」
テオがぼやく。
「僕が地図の話をしたからかな」
「そうだろうな。けど、現物を見ないと決められないのは本当だよ」
彼は先を歩いた。僕も足元に気をつけてついていった。
橋へ着くと、僕は驚いた。
地図には太い一本の線で描かれていたのに、実際の橋は人が二人並べばいっぱいになるほど狭い。木の板は何枚か新しく替えられていたが、中央が沈み、下から水音が聞こえる。
「荷車は通れないね」
僕が言うと、テオは頷いた。
「一台なら落ちないかもしれない。でも、失敗したら馬も荷も川へ落ちる」
僕は反対側の道を見た。
橋の向こうには、さらに急な坂が続いている。
「橋を越えても、大変そう」
「雨が降ったら車輪が滑る。帰りだって同じだ」
地図には坂の勾配まで描かれていなかった。帰り道、テオが僕へ尋ねた。
「屋敷では、地図を見て仕事を決めてたの?」
「見たあとに、誰かへ聞くことが多かったよ。ゴードン爺さんとか、兵の人とか」
「じゃあ、今も同じだな」
僕は少し笑った。
軍へ来たら、もっと大きな地図で立派な計画を立てるものだと思っていた。実際には、靴の中へ雨水が入り、橋の板を確かめるところからだった。補給所へ戻ると、ミラが乾いた布を投げてくれた。
僕は報告の紙へ、橋の幅、沈んだ板、坂道の泥を順番に書いた。
「西の橋は使えません」
オルドは紙を見た。
「代わりは?」
僕は地図の南側を指した。
「大回りですが、石畳の旧街道があります。ただ、そっちはまだ見ていません」
「よし」
オルドは顔を上げた。
「『使える』とは書くなよ。『確認が必要』と書け」
僕は慌てて文字を直した。
荷はその日のうちには動かなかった。
少し悔しかった。
でも、橋を通れないと分かったことで、馬を危ない場所へ送らずに済んだ。
テオが僕の肩を軽く叩く。
「ほら、今日は空振りじゃなかっただろ」
僕は頷いた。
地図の上にある一本の線にも、そこを歩いた人にしか分からないことがある。僕は橋の横へ、小さく『雨天・荷車不可』と書き込んだ。
◇
翌朝、僕はオルドに呼ばれた。机には、昨日歩いて確かめた橋の報告と、旧街道の地図が並んでいる。
「西の橋は使わん。荷は旧街道から回す。荷車二台だ」
僕は頷いた。
「僕もついていっていいですか」
「記録係としてな。御者のロウについて、出発と到着の時刻を覚えてこい」
オルドは僕の顔を見た。
「荷が遅れると思ったら、勝手に道を変えるな。まずロウと相談しろ」
ロウは、髭の濃い中年の御者だった。荷を積み終えると馬の脚を一つずつ確かめ、それから車輪を回し、木の軸へ油を差した。
「荷を積む前にやれば早いのに」
僕が言うと、ロウは鼻を鳴らした。
「積んだときと空のときでは、軸にかかる重さが違う」
僕は帳面へ『積載後、車輪点検』と書いた。
テオが覗き込む。
「何でも書くなあ」
「忘れるから」
「それは正しい」
テオは笑った。
旧街道は石畳の部分こそ走りやすかったが、谷へ下りる曲がり道が多かった。僕は地図の端に書かれた距離を見て、昼には向こう側の中継所へ着けると思っていた。
ところが、二刻ほど進んだところで馬車が止まった。
「休ませる」
ロウが手綱を緩める。
「まだそんなに走ってないよ」
「荷が重い。坂を下るときも、馬は踏ん張ってる」
僕は馬の腹が大きく動いているのを見た。鼻先には細かい汗がついていた。ロウは水を少しずつ飲ませ、脚を撫でてから、ようやく出発した。
午後、旧街道の先に別の荷車が停まっていた。その車輪が外れ、道を半分塞いでいる。向こうの御者たちは板を当てて直していたが、僕らの車が通れる幅はなかった。
「迂回しよう」
僕が言うと、ロウが首を振った。
「斜面の草地へ車輪を入れたら、戻せなくなる」
「でも、このままだと遅れる」
「遅れても荷は残る。転べば荷も馬も失う」
その言葉に、僕は返すものがなかった。結局、道が開くまで一刻ほど待った。中継所へ着いたころには、太陽が山の向こうへ隠れかけていた。僕は到着の時刻を記し、地図に線を引いた。
朝の計算では昼前に着くはずだった。
実際には半日近く遅れた。
ロウは荷を下ろしながら言った。
「今日は何がいちばん時間を食った?」
「車輪が壊れてた荷車」
「ほかには?」
「馬の休憩」
「そうだ。どっちも地図には書いてない」
僕は帳面の余白へ書いた。
『距離だけで時間を決めない』
今度からは、出発する人にも話を聞いておこうと思った。