泥まみれの英雄たち   作:初時雨

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第38話 馬を休ませる場所

補給所へ戻って二日後、僕はミラから輸送予定の表を渡された。

「次の便の時刻を、ロウと相談して決めてみて。最後はオルドさんが確認するから」

 僕は嬉しくなった。

 自分で考えた予定を、仕事で使えるかもしれない。僕は前回の記録を見て、休憩の場所と長さを書き込んだ。坂の手前で一度。谷を下りたところでもう一度。途中の井戸には水があるはずだった。

 案を持って馬小屋へ行くと、ロウは馬の蹄を手入れしていた。

「また同じ道です。今度は休憩を多めに入れました」

 ロウは紙を受け取り、指で井戸の印を押さえた。

「そこは空だ」

「え?」

「先月から水が出にくい。荷を運ぶ連中には有名な話だぞ」

「地図には井戸があるって」

「井戸はある。水があるとは限らん」

 僕はまた紙を見つめた。

 ロウは馬の脚を地面へ戻し、少し離れた木立を指した。

「こっちの牧草地で休める。水は桶で持っていけばいい。ただし、一頭あたり必要な量を考えろ」

「どのくらい?」

「馬の大きさと仕事で変わる。今日は俺が教える」

 僕は帳面を出した。

 ロウは少し呆れたように笑い、馬を一頭ずつ紹介してくれた。足の速い栗毛。坂道に強い黒毛。重い荷を引けるが疲れやすい芦毛。

 

「全部、同じ馬じゃないんだね」

「お前もテオも同じ人間だが、持てる荷の重さは違うだろ」

 言われて、僕は笑った。

 夕方、修正した予定をミラへ渡した。ミラは僕の紙を見て、首を傾げた。

「これだと、帰りが夜になるよ」

「馬を休ませると、どうしても」

「なら、途中の中継所で一泊させればいいじゃない」

「でも、宿泊の食糧が増える」

「増えるね。だから書くの」

 ミラは備考欄を指した。

「予定を短く見せても、本当の時間は短くならないよ」

 

 僕は一泊分の飼葉と食事を書き足した。数字が増えるのを見るのは、少し嫌だった。でも、足りないまま出発する方がもっと嫌だった。オルドは僕らの表を見て、何か所かに印をつけた。

 

「この便は急がん。それなら一泊にしろ」

 僕は頷いた。

 そのあとで、補給長が何気なく言った。

「予定を守るために馬を壊すな。次の便が出せなくなる」

 僕は、ロウが汗をかいた馬の鼻先を拭いていた姿を思い出した。帳面の備考欄へ、もう一行だけ足した。

『帰った馬が、次も働けること』

 

◇

 

 荷車が戻らなかったのは、雨が強くなった夜だった。夕方までに帰着するはずの一台が、暗くなっても門をくぐらない。テオは門の下で何度も道を見ていた。

 

「遅いな」

 僕も隣に立った。

 遠くでは雷が鳴っている。土の庭には、すでに水たまりができていた。オルドは伝令を呼び、荷車の出発時刻と最後に目撃された場所を確かめた。

 

「中継所は出てる。旧街道の手前だな」

 ミラが帳面を開いた。

「積み荷は空袋と道具。帰り便です」

「御者は?」

「ロウさんと、若い兵が一人」

 僕は胸が冷たくなった。

 昼にロウへ挨拶したばかりだったからだ。

「探しに行きます」

 言ってから、自分でも驚いた。

 オルドは僕を見た。

「暗い中でお前が出ても、探す者が一人増えるだけだ」

「でも、何かあったら」

「だから、こちらから動くんだ。順番がある」

 オルドは地図を広げ、見張り台へ連絡を送る道を指した。

「まず、道沿いの小屋を確かめさせる。雨が弱まらなければ、車を探すのは明け方だ」

 僕は唇を噛んだ。

 以前、兄さんは何かあるたび危ないから待てと言った。今も、ただ待つのはつらかった。ミラが僕の前へ紙を置いた。

「最後に荷車を見た人と時刻を、ここへ書いて」

「僕が?」

「できるでしょう」

 僕は頷いた。

 門番、荷を受け取った中継所の兵、戻ってきた伝令。それぞれの話を聞く。誰がいつ見たのかを分けて書くと、少しずつ分かってきた。ロウの荷車は、夕方の激しい雨が始まる前に中継所を出ている。

 旧街道には、雨宿りできる小さな石造りの小屋が二つあった。

「もし雨を避けてるなら、この小屋かもしれない」

 僕は地図の印を指した。

 オルドが覗き込み、近くの兵へ言った。

「最初の巡回はここを見ろ。無理に谷へ下りるな」

 兵は頷き、雨具を持って門を出た。

 深夜、短い伝令が戻った。

 荷車は小屋の近くにいた。

 車輪が泥にはまり、ロウたちは無理に動かさず、馬を屋根の下へ入れて待っていたらしい。

「二人とも無事か」

 オルドが尋ねる。

「はい。夜明けに引き上げられます」

 僕は大きく息を吐いた。

 膝から力が抜け、椅子へ座り込んだ。ミラが冷めた麦茶を僕の前へ置いた。

「怖かった?」

「うん」

「私も」

 彼女は笑わなかった。

 僕は地図の小屋へ指を置いた。

「探しに行ってたら、僕も迷ってたかもしれない」

「そうね」

 ミラは帳面を閉じた。

「ここにいて、できる仕事があったでしょう」

 その通りだった。

 外へ走り出すことだけが、人を助ける方法じゃない。でも、夜が明けてロウの顔を見るまでは、やっぱり安心できなかった。

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