翌朝、ロウの荷車は泥だらけになって戻ってきた。馬は疲れていたが、脚に怪我はない。ロウも兵士も元気だった。
「よかった」
僕が言うと、ロウは濡れた帽子を脱ぎ、苦笑した。
「大げさだな。雨が止むまで待っただけだ」
「待ってたから心配だったんです」
「そりゃ悪かった」
ロウは馬の首を撫でた。
「でも、無理をしなかったから戻れた」
僕は頷いた。
昼、補給所の食堂はいつもより騒がしかった。テオがパンをちぎりながら、昨夜のことを話している。
「うちの新入り、雨の中を飛び出そうとしたんだって?」
「言っただけだよ」
僕が答えると、何人かが笑った。
「貴族のお坊ちゃんは勇ましいな」
奥の席から聞こえた声に、僕は手を止めた。以前にも同じようなことを言われた。でも、そのたび何となく笑ってやり過ごしてきた。
今日は笑えなかった。
「僕は、役に立てると思って……」
「そういうのが邪魔なんだよ」
年上の荷役係が言った。
「自分が何かしたいからって、こっちの手間を増やされちゃ困る」
僕は言い返せなかった。
オルドが止めてくれたから、僕は外へ飛び出さずに済んだ。もし行っていたら、あの人の言う通りだった。でも、何もしなかったわけじゃない。そこまで言いかけて、僕はパンを皿へ戻した。
「誰が最後に見たか、あいつが聞いて回ってくれただろ」
ミラが言った。
「地図の小屋も見つけた。手間が増えたばっかりじゃないよ」
荷役係は鼻を鳴らしたが、それ以上は言わなかった。
僕はミラを見た。
彼女は自分のスープを飲み、こちらを見ずに言った。
「あなたも、言いたいことは自分で言いなさい」
「……うん」
食事のあと、僕はさっきの荷役係を探した。彼は倉庫の裏で縄を干していた。
「あの、僕、昨日は無茶をしようとしました」
男は僕を見た。
「でも、外へ行かずに、最後に見られた場所を調べました。あれは役に立ったと思います」
声が少し震えた。
「だから、何もしてないとは思われたくないです」
男はしばらく黙っていた。
やがて、濡れた縄を一本渡してくる。
「なら、これを先に干せ。口だけじゃないところも見せてくれ」
僕は受け取った。
謝罪でも賞賛でもなかった。でも、少しだけ話ができた気がした。
◇
雨が続いた週、食堂のパンが小さくなった。ミラはいつもと同じ大きさの皿に、少し薄いパンを載せている。
「減らしたの?」
僕が尋ねると、彼女は頷いた。
「補給所の分を一時的に抑えてる。前線の見張り台へ先に送るから」
僕は帳面を覗いた。
倉庫にはまだ麦がある。計算上は、全員にいつもの量を出せるはずだった。
「全部配っても残るよ」
「その残りで、次の便が遅れたら何日もたせる?」
ミラが尋ねた。
僕は指を止めた。
「……分からない」
「だから決めたんだよ。オルドさんと、調理場の人が話し合って」
午後、僕は備蓄の記録を写していた。そこへ厨房の女性が来て、ミラに小声で何かを話した。
「明日の朝は、粉をもう少し残してほしいんです。病人用の粥を作るので」
ミラは帳面をめくった。
「病人が増えたの?」
「雨に濡れて熱を出した兵が二人。それから馬番の子が一人」
僕は顔を上げた。
馬番の子は、朝いつも水桶を運んでいる少年だ。
「その子、昨日も働いてた」
「具合が悪いと言わなかったんだろうね」
厨房の女性はため息をついた。僕は食べ物の欄を見直した。
麦、豆、干し肉。
帳面には誰が病気なのか、誰が食べにくいのかは書かれていない。
「病人の分を別に数えたら?」
僕が言うと、ミラは頷いた。
「それは前からしてる。でも、今回は急に増えた。数字はあとから追いかけてくるの」
彼女は空いた欄へ、病人の人数と、必要な食事について書き始めた。
「だから、現場に聞かないと帳面だけじゃ足りないんだよ」
夕方、僕は厨房へ薪を運んだ。火のそばは暑く、汗が背中を流れた。病人用の鍋には、薄い麦粥が静かに煮えている。僕は何となく、その鍋を長いこと見ていた。昔なら、魔術で火を強くして早く煮ようとしたかもしれない。
今は、焦げつかないように薪を足す人がいて、食べられる柔らかさを確かめる人がいる。鍋ができるまでに、何人もの仕事があった。
その夜、帳面に小さな余白を作った。
『予定と違うことが起きたら、誰に確かめるか』
数字の横へ、人の名前を書く欄だった。僕は真っ先に、ミラと厨房の女性の名前を書いた。