泥まみれの英雄たち   作:初時雨

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第二部 凡人の再起/第五章 黒衣の兄と白樺監視所の撤退戦
第46話 靴を選ぶ日


西谷補給所へ来て、二度目の秋が近づいていた。休みの日、僕とテオは町へ靴を買いに出た。通りには洗濯物が揺れ、酒場の前に荷車が何台も停まっている。軍の倉庫とは違い、人々は僕らの歩く速さに合わせてはくれなかった。

 

「ほら、そっち」

 テオが僕の袖を引く。

 通り過ぎた荷車の車輪が、ぎりぎりで僕の靴先を避けた。

「ぼんやりするなよ」

「ごめん」

「またそれだ」

 テオは笑った。

 セラの店は市の裏通りにあった。布と革の匂いが混ざる小さな店で、壁には靴が吊るされている。

「軍の子たちね」

 セラは僕らの足元を見て、すぐに言った。

「その靴で冬を越すつもり?」

「安いのがあれば」

 テオが答えると、セラは奥から何足か出してきた。僕は値札を見比べた。一番安いものでも、手持ちの小遣いの半分を使う。

「こっちの方が安い」

 僕が薄い靴を指すと、セラは首を振った。

「底が薄いわ。泥道を歩くなら、三月で駄目になる」

「でも高い」

「二足買うより一足を長く使った方が安いでしょう」

 僕は少し悔しかった。分かっているのに、今あるお金が足りない。セラは僕の顔を見て、靴を一足だけ残した。

「直しながら履けるものにしなさい。踵の交換も受けるわ」

 僕はその靴を履いて、店の中を歩いた。新しい革は固かったが、足の裏が床へしっかりついている。

 

 帰り道、テオが言った。

「お前、最初のころより歩くの早くなったな」

「そんなことないよ」

「あるって。荷車に置いていかれなくなった」

 僕は笑った。

 兵士でもなく、魔術師でもない僕の足が、少しずつこの町の道に慣れてきた。そのことが妙に嬉しかった。補給所へ戻ると、オルドが門の前にいた。

 

「遊びは終わりか」

「はい」

「なら明日から、北の増援隊向けの準備を手伝え」

 僕は靴箱を持ち直した。

「増援隊?」

 オルドは短く頷いた。

「剣の強いのが来るそうだ。今度は国境の奥まで行くらしい」

 なぜだか、胸の奥がざわついた。

 

◇

 

 増援隊の話は、補給所へ正式な命令が届く前から広まっていた。兵士たちは食堂で、誰が来るのかを言い合った。

「一人で盗賊の群れを追い払ったらしい」

「いや、国境の魔術師部隊を止めたんだって」

「どっちも大げさだろ」

 

 話す人によって人数も場所も違う。僕は黙ってパンを食べていた。ある日、ラウルが石門砦から荷を受け取りに来た。僕は伝票を渡しながら尋ねた。

 

「北から来る隊のこと、知っていますか」

「少しだけ。黒い外套を着た若い騎士が指揮しているとか」

「名前は?」

 ラウルは首を振った。

「聞いていません。砦でも噂ばかりです」

 

 僕は胸のあたりを押さえた。兄さんが北へ行ってから、一年以上が過ぎている。何通か手紙は来た。母さまを通して、元気だと知らされたこともある。でも、僕が返事を書いたことはなかった。

 

 その夜、僕は荷物の底から古い地図を取り出した。兄さんと書庫で広げた地図ではない。出発するときに持ってきた、小さな写しだ。北の砦へ続く道を指でなぞる。兄さんがいるはずの場所は、石門砦よりずっと遠い。

 近づいたからといって、会いたいわけじゃない。

 そう思った。

 けれど翌日から、門をくぐる兵士の顔を確かめる自分がいた。ミラは僕の様子に気づいたらしい。

「誰か待ってるの?」

「……兄が北にいるんだ」

「会いたい?」

 僕は答えなかった。

 ミラは無理に聞かなかった。

「会ったら何を言うか、決まってなくてもいいと思う」

 僕は少しだけ顔を上げた。

 それでも、会うかどうかはまだ決められなかった。

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