ヴォルク先生が机の上に油皿を二つ置いた日、僕は朝から指先が落ち着かなかった。これまでは息を整え、身体の内側にある温かいものを感じ取る練習ばかりだった。今日は初めて、自分の意思で火を動かす。
「大きくするのが魔術ではない。大きくした火を、必要なところへ届けられて初めて仕事になる」
先生は油皿の片方だけに火を灯した。
「まず、これを揺らしてみろ」
胸の奥へ意識を向ける。熱を含んだ息が腹から喉へ抜ける。指を伸ばすと、小さな炎が横へ傾いた。
「動いた!」
「動いたな。では元へ戻せ」
言われたとおりにしようとした途端、火が大きく跳ねた。油皿の縁から舌のように伸び、僕は思わず手を引いた。先生が指を鳴らすと、炎は元の高さへ戻った。
「力を入れすぎた。今のまま暖炉で試せば薪を一度に燃やし尽くす」
「でも、大きくできました」
「できた。だから失敗したことも覚えろ」
そう言って、ヴォルク先生は僕の前に冷めた茶を置いた。ほんの一度火を動かしただけなのに、額には汗が出ていた。
次に試したのは火を細く伸ばすことだった。最初はなかなか動かず、動いたと思えば火が消えた。三度目には火の向きが変わり、四度目には指が震えた。
「今日はそこまで」
「もう一回だけ」
「そのもう一回が、いつも余計なんだ」
先生は手首を取り、脈を確かめた。
「力を扱う訓練は、力を使い切る訓練じゃない。お前の身体はまだ小さい」
窓の外から、木の折れる乾いた音がした。中庭へ降りると、兄さんが折れた木剣を見下ろしていた。柄の先から割れ目が走り、刃に当たる部分が土に落ちている。
「また折ったの?」
「俺じゃない。古い剣だからだ」
兄さんの掌には赤い線がついていた。切り傷ではなく、握り続けた跡だ。僕は先生の話を思い出した。
「休まないと、強くなれないんだって」
「それは魔術の話だろ」
「剣だって同じかもしれない」
兄さんは答えず、折れた先を拾った。
「見ててくれ」
残った柄を木剣の代わりにして、足を運ぶ。右へ踏み出して止まり、左へ体重を移す。子どもの僕には地味な動きにしか見えなかった。
「何してるの?」
「剣がなくてもできるところを練習してる」
兄さんがもう一度動いたとき、右腕の袖が少し上がった。犬に噛まれたところは赤く盛り上がり、腕をひねるたび引きつれるらしい。
僕は自分の指先を見た。
もし魔術でもっと上手に火を動かせるようになったら、兄さんの腕を温めて痛みを取れるかもしれない。そんなことを口にすると、兄さんはきっと笑う。
「兄さんは、僕が強くなったら嬉しい?」
聞くと、兄さんは足を止めた。
「嬉しいよ。何で?」
「だって、僕だけ先生に教わってる」
「お前は魔術が得意なんだろ。俺は剣をやる。それでいい」
何でもないように答えたけれど、兄さんは折れた木剣を握り直した。その夕方、僕はヴォルク先生の帳面に、今日できたこととできなかったことを二つずつ書いた。
『火を横へ動かした。大きくした。元に戻すのは失敗。長く続けるのも失敗』
最後の行に、『もう一回は明日』と書いた。窓の外では、兄さんが剣のない手で足運びを繰り返していた。