石門砦には帝都から魔術師が派遣されることになっていた。その知らせで、兵士たちの顔が少し明るくなった。
「術者が来れば、川の向こうを見通せる」
「敵の陣を火で追い払えるかもしれない」
そんな声が食堂で聞こえた。
僕は黙ってパンを食べた。
昔は僕も、魔術があれば何でもできる気がしていた。けれど到着の日になっても、術者は来なかった。街道の崖が崩れ、馬車が止まっているという。石門砦から新しい命令が届いた。
『魔術師到着まで進軍を見合わせる。兵の滞在が延びるため、食糧を追加せよ』
オルドは机を叩いた。
「待つのは勝手だが、麦は空から降ってこない」
ミラが在庫表をめくった。
「あと二便分なら送れます。その先は南の倉庫から補充が必要です」
僕は地図を広げた。
崖の手前には、歩いて越えられそうな細い山道がある。
「術者だけ先に来られませんか」
「道を確かめてからだ」
ロウが言った。
僕はすぐに頷いた。
急いで答えを出したくなる癖は、なかなか抜けなかった。翌日、崖を調べた兵が戻った。人は脇の道から越えられるが、大きな荷と器具は通れないらしい。
「本人だけ来ても、使えない術があるかもしれない」
ミラが言った。
僕は昔の授業を思い出した。火を整えるときでさえ、ヴォルクは安全のための金属板や油皿を用意していた。軍の術者が使う器具なら、運ぶのも大仕事だろう。僕らは、術者本人と器具の到着見込みを別に記した。
砦には、確実に届けられる量だけを知らせることにした。兵士は魔術師の到着を待っている。その間も毎日、食べ物と水と薪が必要だった。誰かの大きな力を待つ時間を支えるにも、多くの人の仕事があるのだ。
◇
補給の遠回りが続くため、土木班が橋を調べることになった。僕は道具と食糧の記録係として同行した。土木班の責任者は、イレーナという女性だった。丈夫な革手袋をはめ、重い鉄杭を二本抱えている。
「坊や、その板をこっちへ」
僕は荷車から板を降ろした。橋の下では水が速く流れていた。イレーナは柱の根元を指した。
「水で土が削られてる。ここへ石だけ積んでも、また流されるわ」
僕はゴードン爺さんを思い出した。水の逃げ道を作らなければ、壊れたところは戻せない。
「上流から、流れを弱めるんですか」
「そう。だけど、勝手に川を塞がないで。下流へ水が回るから」
彼女は兵士を二組に分けた。一組は上流で流れを一時的に逸らす。もう一組は足場を作り、橋脚の根元へ石を積む。作業は思ったより遅かった。杭を打つと泥が沈み、足場が傾く。イレーナは何度も場所を変えた。
「うまくいってない?」
僕が聞くと、彼女は頷いた。
「最初の場所が駄目だった。だから別のところを試してる」
「怒られないの?」
「危ないと分かってて続けたら、怒られるでしょうね」
その答えが、僕にはよく分かった。
若い兵士がぼやいた。
「魔術師がいれば、すぐ終わるのに」
イレーナは手を止めなかった。
「魔術師が来れば、石が勝手に運ばれてくるの?」
「いえ」
「なら、今ある手で運ぶの」
兵は黙って石を持った。
僕も小さな石を選び、手渡した。夕方、橋脚はようやく安定した。けれど荷車はまだ通せない。イレーナは赤い布を結び、通行止めの札を立てた。
「今日はここまで」
「明日も?」
「明日も。直るまで」
彼女は道具箱を閉じ、疲れた顔で笑った。僕は朝よりしっかり立つ橋脚を見た。見た目はあまり変わらなくても、今日は確かに仕事が進んでいた。