泥まみれの英雄たち   作:初時雨

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第54話 荷車に載らないもの

石門砦で、迎えに行く兵たちと合流した。指揮を執るのはセリナという若い女性士官だった。声は低く、地図を見るときはいつも短い鉛筆を指に挟んでいる。

 

「白樺監視所には、生存者が四十五名。うち負傷者は六名です。歩ける者もいますが、急いで移動させたい」

 セリナは短く息を吸った。

「戦死した三名は、この四十五名には含めていません。収容できず、監視所に残されています」

 僕は帳面の余白へ三本の線を引いた。名簿の数が合っても、その先に帰れない人がいる。

 彼女は僕らへ説明した。

「荷車は三台。うち一台は医療用品と水を積んで北へ行く」

 僕は帳面を見た。

「負傷者六人なら、残り二台に全員乗せられますか」

「怪我の程度による。横にならなければならない者が二人いる」

 

 僕はそこで、人数だけ数えていたことに気づいた。監視所へ向かう道は、ところどころ小石が崩れていた。セリナは先行の兵を出し、安全を確かめながら進んだ。僕はロウの隣で地図を見ていたが、何も提案できなかった。

 敵の位置も、見張りの人数も分からない。ここで不用意に口を出せば、邪魔になるだけだと思った。監視所へ着くと、負傷者の数は八人に増えていた。

 生存者四十五人という数は変わらない。ただし、前夜の矢傷と落石で二人が新たに動けなくなった。監視所の壁には、帰らない三人の名前が残されていた。僕はそれを紙へ写し、軍へ報告すると約束した。夜の間に二人が怪我をしたという。

 医師は一人ずつ状態を確かめ、運ぶ順番を決めた。

「この方は揺らさないで。こちらは座れます」

 僕は荷台へ毛布を敷き直し、医師の指示を待った。荷車へ積む荷が決まると、監視所の兵が武器箱を運んできた。

「これも持っていってください」

 箱は重く、二人がかりでも持ち上げるのが大変だった。

 僕は荷台の空きを見た。

「これを載せると、負傷者の寝る場所が足りません」

「置いていけば、敵に取られる」

 兵は言った。

 僕は困ってセリナを見た。

 彼女は箱を確かめ、短く答えた。

「運べないものは破棄する。負傷者を先に乗せろ」

 兵は悔しそうに唇を噛んだが、従った。夜、僕は監視所の壁に腰を下ろした。テオが隣に座り、水筒を渡してくれた。

「戦うために来たわけじゃないのにな」

 彼が言った。

「うん」

「でも、ここに来なきゃ分からなかったことばっかりだ」

 僕は頷いた。

 荷車に載るかどうかは、重さだけで決まらない。

 誰を先に運ぶか。

 何を置いていくか。

 その判断をする人の顔を、僕は忘れられそうになかった。

 

◇

 

 翌朝、監視所の外で遠くから金属の打ち合う音が聞こえた。僕は荷台の縄を結び直しながら、思わず顔を上げた。兵士たちは慌てずに動いている。

 それがかえって怖かった。

 彼らは、この音に慣れているのだろうか。セリナが監視所の責任者と話していた。

「南へ退く命令は出ています」

「ここを空ければ、川の向こうの動きが見えなくなる」

「残っても負傷者は治りません」

 二人の声は低かった。

 僕は近づかず、荷の一覧を確かめ続けた。昼前、監視所から南へ戻る準備が整った。

 ところが、伝令が駆け込んできた。

「東の道に敵の斥候が出ています」

 セリナは地図を開いた。

 僕も横から見た。

 退く道は西側にもある。ただし橋が狭く、荷車が一台ずつしか渡れない。

「東を避ければ、列が長くなる」

 セリナが言った。

 護衛の兵は頷いた。

「最後尾の守りを厚くします」

 僕はその言葉で、逃げる人を守るにも人が必要なのだと知った。石門砦から、撤退時刻を早める命令が届いた。

 セリナが護衛の割り当てを書いているあいだ、僕は西谷から持ってきた輸送記録を開いた。西の橋を通った便には、三台の荷車が詰まり、一台ずつ渡るのに予定の倍の時間を使ったとある。

 橋の手前で積荷を直したためだ。馬を繋ぐ場所と、荷車を待たせる場所が同じで、後続が動けなくなっていた。

「橋で止まって荷を積み直したら、今夜は全員渡れません」

 僕が言うと、セリナは顔を上げた。

「代わりは?」

 僕は道へ指を置いた。

「ここで決めましょう。横になる人は前の二台へ。水と手当ての道具は小分けにして、荷車のどこに積んだか書いておく。三台目は予備の水と毛布を運びます。橋の手前では誰も積み替えない」

「敵が来たら?」

「歩ける人の隊列は、荷車と離れすぎないようにします。でも、護衛の配置を決められるのはセリナさんです」

 セリナは僕の図を見つめた。

「橋の入口に先行兵を置く。荷車を止めずに流すには、何人要る?」

「道案内と誘導に二人。対岸にも、渡り切った車を寄せる人が必要です」

 ロウが口を挟んだ。

「馬の休憩も先に済ませる。橋の上で暴れられたら終わりだ」

 テオが言った。

「毛布は今のうちに結び直す。揺れで落ちるのはごめんだ」

 僕は二人の言葉を書き足した。

 セリナはうなずいた。

「採用する。ただし負傷者の優先順位は医師が決める。護衛は私が指揮する。お前は名簿と荷の配置を最後まで管理しろ」

 僕は頭を下げた。

 いつのまにか自分の膝が震えていた。それでも紙の上には、全員を連れて帰るための道筋があった。セリナはその場で皆を集め、短く説明した。

 

「荷車は負傷者と医療用品を優先する。歩ける者は荷車の横を進め。武器箱は残す」

 反対する兵もいた。

「これだけの物を、全部置いていくんですか」

「人を連れて帰る」

 セリナはそれだけ言った。

 皆が黙った。

 僕は荷の一覧を見直し、降ろすものへ印をつけた。毛布は残す。水は残す。重い修理道具は一部置いていく。テオが箱を降ろし、ロウが馬の腹帯を確かめた。作業の途中、僕は急に、ここへ来る前の自分なら何と言っただろうと思った。

 たぶん、もっと上手い方法があるはずだと言っただろう。

 今も、そう思いたかった。

 でも、目の前では負傷した兵が痛みに耐えている。考える時間にも限りがあった。

 夕方、列が動き始めた。

 監視所の門が最後に閉められる。セリナは振り返らなかった。僕も振り返らないようにした。足元の泥だけを見て、荷車の横を歩いた。

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