泥まみれの英雄たち   作:初時雨

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第5話 冬支度の数

倉庫へ入ると、薪と干し草の匂いが鼻の奥まで届いた。壁に沿って束ねられた薪の山は、僕の背丈の倍ほどあった。秋が深まり、倉庫では男たちがもう冬の話をしていた。

 

「今年の寒さは早いかもしれん」

 水路番のゴードン爺さんは、太い指で帳面の数字をなぞった。

「去年の冬は長かったからね。運べるうちに運ぶさ」

「こんなにあるのに足りないの?」

「足りるようにするために数えるんだ」

 僕は差し出された小さな板に、薪の束を一つずつ記録した。最初は十の次を間違え、二十まで数え直した。

「一束を二度数えたら、どうなる?」

「本当はないのに、あることになる」

「じゃあ、冬になってどうなる」

「……寒い」

「そういうことだ」

 ゴードン爺さんは頷いた。

 屋敷では、薪の置き場によって札の色が違った。食堂用は赤、台所用は黄、客室用は青。けれど、青い札のついた山だけが今年は小さかった。

 

「お客さん、来ないの?」

「来ないんじゃない。来たときには別の部屋から回す。今は使わない部屋を暖めないだけだ」

 

 帳面には数字が並び、その横には名前があった。食堂、厨房、執務室、母さまの居室、兄さんの寝室。そして僕の勉強部屋。僕の部屋には、去年までなかった欄が増えていた。

 

「先生の授業があるからな。手がかじかんでは筆も動かん」

 ゴードン爺さんは何気なく言った。そのとき、廊下から父さまの声がした。

「そちらの欄は減らせん。帝都からの客人にも見せられる教育だ」

 

 父さまは倉庫の入口に立ち、帳面を受け取った。僕の顔を見ると少し驚き、それから仕事を邪魔するなとだけ言った。戻る途中、兄さんの部屋の前を通った。

 扉の下から冷たい風が流れていた。暖炉はあるけれど、灰が白く固まっている。兄さんは机で木剣の柄に布を巻いていた。

「寒くない?」

「今日はまだ平気」

 兄さんは手のひらを見せて笑った。霜焼けのように赤い。

「僕の部屋、朝から暖かいんだ」

「先生が来るからだろ」

「兄さんもそこで稽古したらいいよ」

「剣を振ったら窓を割る」

「じゃあ、書く練習だけでも」

 兄さんは返事をしなかった。僕がしつこく言うと、ようやく顔を上げた。

「お前が頑張ってるのは知ってる。だから、変な顔するな」

 変な顔をしていたのだろうか。僕には分からなかった。夕食のとき、父さまに聞いてみた。

「兄さんの部屋にも薪を増やせない?」

 父さまは食事の手を止めた。

「今年の薪は決まっている。どこかを増やせば、どこかが減る」

「僕の部屋から少し分ければ」

「魔術の訓練を休むつもりか」

 僕は口を閉じた。

 父さまが怖かったわけではない。僕が習っている魔術が、誰かの暖かさと引き換えになっていると、初めて分かったからだ。食堂を出ると、兄さんが廊下で待っていた。

 

「怒られた?」

「ちょっと」

「別に寒くないって言っただろ」

「手が赤かった」

「剣を振ればあったまる」

 兄さんはそう言って僕の額を小突いた。でも、僕は知っていた。兄さんが寝ているあいだは、剣を振れない。

 

 その夜、帳面に薪の数を書き写した。何束あれば兄さんの部屋を一晩暖められるかを考えたけれど、僕にはまだ分からないことが多すぎた。

 

 翌朝、倉庫へ行ってゴードン爺さんにその帳面を見せた。もっと大きな火を出す魔術を覚えるより先に、火を消さないために必要なものを知りたかったからだ。

「一晩だけなら三束で足りる。だがな、坊ちゃん、冬は百日以上続くんだ」

 爺さんは僕の書いた数字の横に、冬のあいだに必要な総数を書き足した。一晩に三束なら、十日で三十束、百日で三百束になる。倉庫の山がどれほど高く見えても、春まで屋敷の全員が凍えずに過ごすには、最初からぎりぎりの数だった。

「……ひとつ増やすだけで、こんなに要るんだね」

「ああ。だから旦那様も、どこの火を残すかで頭を悩ませておられる」

 僕は帳面の数字を見つめたまま、すぐには言葉を返せなかった。自分の部屋で燃えている火の重さが、初めて分かった気がした。

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