泥まみれの英雄たち   作:初時雨

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第9話・第10話 火を揃える/兄さんの知らない場所

【第9話 火を揃える】

 

春先になり、ヴォルクは燭台を二つ机に置いた。今までの油皿より火が小さい。片方の蝋燭は細く、もう片方は太かった。

「今日は二つの火を同じ高さにしてみろ」

「太い方を小さくするの?」

「それでもいい。お前がどうするか見たい」

 僕は細い方の火へ意識を向けた。温かさが指先を通り、炎が少し伸びる。

「よし」

 先生が言ったので、嬉しくなってさらに力を込めた。炎が大きく揺れ、蝋が片側へ流れ落ちた。

「……あ」

「揃えるのと、大きくするのは違うぞ」

 先生は布で机を拭き、蝋燭を元に戻した。

「何を見ていた?」

「火の先っぽ」

「それだけか」

 僕は首をかしげた。

 ヴォルクは窓を少し開けた。細い方の炎が横へ傾いた。

「風が来たな。さて、同じだけマナを送ったら、どうなると思う?」

「同じように大きくなる……かな」

「試してみろ。ただし、一つずつだ」

 

 今度は傾いている炎をよく見た。火の根元は芯から離れそうで、先端だけが風に伸びている。強く押すと、かえって消えそうだった。僕は息を吐き、胸の奥の温かさを少しずつ送り込んだ。

 炎の先が立ち上がる。もう一方と同じ高さになったところで、そこで止めた。

「先生」

「まだだ。十呼吸、保ってみろ」

 一つ、二つ。数えるたび、肩に力が入った。五つ目で風が強くなり、炎が崩れた。

「失敗」

「今のは最初よりよかったぞ」

「でも、十までできなかった」

「最初は一呼吸も保てなかっただろ」

 先生は帳面を開いて、昨日の日付の横へ新しい数字を書いた。

「失敗した場所を覚えていれば、明日違うやり方を試せる」

 

 僕はその数字を見つめた。五、という字がいつもより大きく見えた。授業の終わりにもう一度試すと、今度は八つまで続いた。その瞬間、僕は慌てて九つ目を数えようとし、火を揺らしてしまった。

 

「惜しい」

「先生、わざと難しくしてない?」

「風が吹くたびに文句を言う魔術師は困るからな」

 ヴォルクは笑った。

 一階の廊下へ降りると、中庭から戻ってきた兄さんが戸口で靴の泥を落としていた。

「今日は何ができた?」

「火を八呼吸、同じ大きさにできた」

「八つか。すごいな」

「十までやりたかった」

 兄さんは木剣を立て、僕に手を差し出した。

「じゃあ、俺が数えてやる。八つまで」

 僕が指を一本ずつ折っていくと、兄さんはゆっくり数えた。火も魔術もない廊下だったのに、なぜだか授業のときより難しかった。

 

「どうした、息止めてるぞ」

 兄さんに言われ、僕らは笑った。

 

 

◇

 

 

【第10話 兄さんの知らない場所】

 

兄さんが夕食に来なかった。食堂では父さまが書類を読み、母さまがマルタと翌日の支度を話していた。

「兄さんは?」

「兵舎で食べるそうです」

 マルタが答える。

「なんで?」

「今日は装備の点検があるとか」

 

 僕は自分の皿を見た。温かいスープには豆が入っている。兄さんの席だけが空いていた。夕食を終えてから、外套を着て裏門へ向かった。兵舎の入口には濡れた靴が並び、中から笑い声が聞こえる。扉を押すと、兄さんが兵士たちの間に座っていた。

 

「あれ、アルヴィス」

 兄さんは驚いた顔をした。

「ここにいたんだ」

「ここにいたんだ」

 テーブルには油の匂いのする布と、古い剣が並んでいた。一人の兵士が僕へ頭を下げた。

「若様に助けていただいていたんです」

「兄さんが?」

 兄さんは慌てて手を振った。

「たいしたことじゃない」

 兵士は笑いながら、一本の剣を差し出した。

「これの根元に、細いひびが入っていたんですよ。気づかず稽古で使うところでした」

 僕にはよく見えなかった。兄さんが剣を灯りへ傾けると、ようやく髪の毛みたいな線が見えた。

「ここ?」

「そう。何度も見てると分かるんだ」

 

 兄さんは照れくさそうだったけれど、嬉しそうでもあった。兵士たちの食事は麦粥と干し肉だった。誰かが兄さんに追加の肉を勧め、兄さんが断ると、皆が笑った。

 僕の食卓とは違う。

 でも、兄さんが次に誰かへ何を尋ねるのか、誰が答えるのか、見ているうちに少しずつ分かってきた。兄さんはここでは、ずいぶんよく喋るのだった。

 帰る前、僕は言った。

「父さまにも剣を見せたら?」

「何を?」

「ひびを見つけたこと。きっと褒めてもらえるよ」

 兄さんの手が止まった。

「……お前は、何でも父さまに見せたいんだな」

「だって嬉しいでしょ」

「そういうのじゃないこともあるんだ」

 兄さんは剣を布で包んだ。

「ここにいれば、ちゃんと役に立てる。兵の人たちも教えてくれる。それでいい」

 僕は返事に困った。父さまに褒めてもらえるのは嬉しい。でも、兄さんがここにいたいという気持ちも、本当なのだろう。

 

 帰り道は二人だった。

「また来てもいい?」

「邪魔しなきゃな」

 

 兄さんは僕の歩幅に合わせてゆっくり歩いた。いつもの優しい兄さんなのに、僕の知らない場所で、僕の知らない時間を過ごしている。そのことが少し寂しくて、少し嬉しかった。

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