月影の隣、遠い残響   作:レフェル

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第2話

「……本当に、今日も行くの?」

 

朝食の席で、氷室こよりはお味噌汁のお椀を両手で抱えていた。

 

「行くよ。昨日の記録を確認しないとな」

 

東雲悠陽はそう言いながら、タブレットに調査予定を書き込んでいる。

 

「でもでも、昨日、女の人の声がしたんだよ!? 『まだ帰れない』って! それって絶対、普通じゃないよぉ……!」

 

「だから調べるんだろ」

 

黒瀬蓮が淡々と答えた。

 

「うぅ……黒瀬くんまで……」

「嫌なら、無理に先頭を歩かなくていい」

 

蓮はそれだけ言うと、ルナのほうへ視線を向けた。

 

「白月も、怖いなら後ろにいろ」

「……わ、私も行くよ」

 

ルナは少し緊張しながらも、顔を上げた。

 

「昨日、あの教室に何があったのか気になるから」

「……そうか」

 

蓮はそれ以上何も言わなかった。

ただ、ルナの手元に温かいミルクティーを置いた。

 

「冷める前に飲め」

「……ありがとう」

 

ルナはカップを両手で包み、ほっと息を吐いた。

その様子を見ていたかなえが、にこにこしながら悠陽に顔を向ける。

 

「ねえ、悠陽くん。私にも何か気遣ってくれたりしないの?」

「何か必要なのか?」

「……えっ」

「飲み物ならそこにあるぞ」

「そういうことじゃないんだけどなぁ……!」

 

かなえが頬をぷくうと膨らませる。

悠陽は首をかしげた。

 

「?」

「……もういいです!」

 

かなえはぷいっと顔をそらした。

隣で伊織が小さく笑う。

 

「悠陽って、そういうところあるよね」

 

「何がだ?」

 

「……いや、いいよ」

 

伊織と悠陽の会話を聞きながらかなえは深いため息をついた。

今日の調査は、怪異よりも人間関係のほうが難しいかもしれない。

 

放課後。

旧校舎へ向かう前に、十人の男女の組はオカルト研究部の部室へ集まった。

悠陽がホワイトボードに簡単な見取り図を描く。

 

「昨日の情報を整理する。まず、かなえが残光視で見た光の筋。これは廊下から教室の中へ続いていた」

「うん。今日も同じように見えるか、確認してみるね」

かなえが頷く。

「次に、白月が感じた感情の痕跡。氷室が聞いた声。桜宮が聞いた過去の音。そして月城が視た怪異の足跡」

悠陽は一人ずつ顔を見た。

 

「それぞれの能力で、同じ場所を別の角度から調べる。ただし、何が起きても勝手に離れないこと」

「賛成」

伊織が即座に答えた。

「特に、声が聞こえても一人で追いかけない。見えたものが本物かどうかも、複数人で確認する」

「……う、うん」

こよりは緊張した面持ちで頷く。

 

「射影機の記録は俺が担当する」

 

悠陽がカメラ型の機材を持ち上げた。

射影機……「ありえないものを映すカメラ」

 

「ファインダー越しに確認して撮影する。目視と記録の両方を残したい」

「俺は全員の位置を確認する」

 

蓮が10人を見つめながら言う。

 

「私は調査結果を整理するわ」

 

詩乃が続けた。

 

「おれも周囲を観察する。危険があればすぐに知らせる」

御影朔も静かに頷く。

 

「じゃあ、私は聞こえた音をできるだけ記録するね」

ののかが笑顔でノートを開いた。

 

「私は、みんなが離れないように声をかけるね」

 

かなえがにこーっと笑った。

ルナも続いて小さく頷く。

 

「私も、感情の痕跡に気づいたらすぐに伝える」

「ぼ、ぼくも。幽霊の声聞こえたら伝えるね」

 

ルナは蓮をちらっと見てから言い。

こよりは緊張しながら伝える。

十人の準備が整った。

恐怖が消えたわけではない。

それでも、誰か一人で立ち向かう必要はなかった。

 

夕方の旧校舎。

十人が渡り廊下に到着すると、悠陽は射影機を構えた。

ファインダーを覗き、昨日と同じ場所を確認する。

――カシャッ。

 

「……記録した。昨日の画像と比較する」

 

一方、かなえは壁際へ近づいていた。

 

「……あった」

 

床に沿って、淡い光の筋が浮かんでいる。

 

「昨日と同じだ。でも……今日は少し違う」

「どこが?」

 

悠陽が隣に立つ。

かなえは光の先を指さした。

 

「昨日は教室の扉までだったの。でも今日は……扉の向こうから、こっちへ伸びてる」

 

悠陽の表情が引き締まった。

 

「向きが逆になったのか?」

「うん。まるで、教室の中から何かが出てきたみたい」

「……なるほど」

 

悠陽は再びファインダーを覗き込んだ。

かなえは横から画面を覗こうとして、悠陽の肩に軽く触れてしまった。

 

「あっ、ご、ごめん!」

「いや。見たいなら、こっちからでも見える」

 

悠陽は少しだけ位置をずらした。

 

「ほら」

 

かなえは隣に並び、画面を見つめる。

二人の肩が触れそうな距離だった。

 

「……ありがとう」

「ん?」

「……なんでもない!」

 

かなえは慌てて光の筋へ視線を戻した。

悠陽は不思議そうに首をかしげたが、すぐに調査へ意識を戻した。

その様子を遠くから見ていたののかが、朔夜に小声で囁く。

 

「……ねえ、朔夜くん。あの二人、なんかいい感じじゃない?」

「……調査中だぞ」

「わ、わかってるよぉ……!」

 

朔夜はののかの反応に少しだけ口元を緩めた。

 

「でも、そう見えるのはわかる」

「えっ、朔夜くんもそう思う!?」

「声が大きい」

「ご、ごめん!」

 

二人の会話は、蓮のひと言で終わった。

 

「……お前ら、調査に集中しろ」

「はーい……」

 

ののかはしょんぼりしながら話すのを止めて、ノートを開いた。

 

「……聞こえる」

 

こよりの声が震えた。

ヘッドホンに触れているこより。

全員が彼女を振り返る。

 

「昨日と同じ声?」

伊織が近寄っていきながら尋ねた。

 

「ううん……違う」

 

こよりは、教室の扉に視線を向けていた。

 

「昨日より、近い……」

 

そのとき。

――コン、コン。

閉ざされた扉の向こうから、二回、音がした。

こよりがびくっと肩を跳ねさせる。

 

「ひゃっ!」

 

伊織はすぐに彼女の前へ立った。

 

「大丈夫。ここにいるから」

「……伊織くん……」

「無理して聞こうとしなくていい。聞こえたことだけ教えて」

 

こよりは深呼吸をした。

 

「……女の人の声がする」

「何て?」

「『開けて』って……」

 

ルナの顔から血の気が引いた。

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がひどく重くなった。

 

「……悲しい」

「白月?」

 

蓮が顔を向ける。

 

「この扉……誰かが、ずっとここに残していった悲しい気持ちがある」

 

ルナは扉を見つめた。

残響視に映るのは、輪郭の曖昧な感情の痕跡。

その中には、恐怖だけではなく、深い寂しさも混じっていた。

 

「……でも、変なの」

 

「何が?」

 

「悲しいのに……誰かを恨んでいる感じはしないの」

 

ルナは自分の胸元を押さえた。

 

「ただ、誰かに会いたいみたいな……そんな感じがする」

 

その場に沈黙が落ちた。

そのとき、ののかがノートを握りしめた。

 

「……音が変わった」

「ののか?」

「扉を叩く音が、さっきより速くなってる。昔の音が……

 

繰り返されてるみたい」

彼女の残響聴は、過去に残された音を拾い続けていた。

コツ、コツ、コツ、コツ。

まるで、誰かが必死に助けを求めているかのように。

詩乃も扉の下を見つめた。

 

「……足跡が増えているわ」

 

「増えている?」

 

御影朔が尋ねる。

 

「ええ。さっきまでは扉の向こうへ向かう痕跡だった。でも今は……」

 

詩乃は言葉を切った。

幽跡視に映る痕跡が、ゆっくりと廊下側へ伸びている。

 

「……こちらへ戻ってきている」

 

悠陽が射影機を構え直した。

 

「全員、少し下がって!」

 

ファインダーを覗く。

扉。

壁。

床。

そこには、誰もいない。

しかし、シャッターを切ろうとした瞬間――

カメラのファインダーの奥に、白い手が映った。

 

「……っ!」

 

悠陽は思わず息を呑んだ。

肉眼では何も見えない。

けれど、レンズ越しには、扉の隙間から伸びる手がはっきりと映っていた。

 

「悠陽くん、どうしたの!?」

 

かなえが声を上げる。

 

「……今、何かが映った」

 

悠陽はカメラを下ろし、肉眼で確認する。

やはり、何もない。

その瞬間。

ガチャッ。

扉の取っ手が、内側から回った。

 

「きゃあああっ!!」

 

こよりが伊織の腕を掴む。

 

「っ…!」

 

ルナも蓮の袖をぎゅっと握りしめた。

蓮はルナを背後にかばい、扉から目を離さない。

 

「……全員、下がれ」

 

今度は、はっきりと聞こえた。

――開けて。

――お願い。

――ひとりに、しないで。

その声は、恐ろしいというよりも。

泣いているように聞こえた。

 

「……今日はここまでだ」

 

蓮が低く言った。

 

「でも、今の声は……!」

 

悠陽が言いかける。

 

「今の状態で扉を開けるのは危険だ。中に何がいるかわからない」

 

伊織も頷いた。

 

「同意する。記録を持ち帰って、対策を立てよう」

 

悠陽は悔しそうに唇を結んだあと、射影機を下ろした。

 

「……わかった。全員、撤収する」

 

十人は互いの位置を確認しながら、廊下を引き返した。

その途中。

ルナは、ふと足を止めた。

 

「……待って」

「どうした、白月?」

 

蓮が訝しげに振り返る。

ルナは廊下の先を見つめていた。

夕日の残る窓ガラス。

そこに、十人の姿が映っている。

ルナ。

蓮。

かなえ。

悠陽。

こより。

伊織。

ののか。

朔夜。

詩乃。

御影朔。

確かに、十人いる。

けれど。

 

「……あれ?」

 

ルナは目を凝らした。

窓ガラスのいちばん端。

十人の列の後ろに、もう一人、誰かが立っている。

制服のような服を着た、小さな影。

顔は見えない。

けれど、その影だけが、こちらを向いていた。

 

「……誰?」

 

ルナが呟いた瞬間、影が消えた。

 

「白月?」

 

蓮が近づいてくる。

 

「……今、誰かがいたの」

「誰か?」

「うん。でも……」

 

ルナはもう一度、窓を見た。

そこには十人の姿しか映っていなかった。

かなえが心配そうに声をかける。

 

「ルナちゃん、大丈夫?」

「……うん。たぶん、見間違い……」

 

そう答えながらも、ルナの胸には不安が残っていた。

十人は旧校舎を後にした。

誰も気づいていなかった。

彼らが通り過ぎた教室の扉の下から、淡い光が一筋、廊下へ漏れ出していたことに。

そして、誰もいない廊下に。

十一人分の足音が、しばらく響き続けていたことに。

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