ザビ財団の当主室。豪奢な装飾が施された重厚なデスクに向かい、テオ・ザビは手元の分厚い報告書にじっと目を通していた。
ページをめくる指を止め、テオは窓の外に広がるサイド3の壮麗な街並みを静かに見つめる。
テオ(思い返せば、ずいぶんと遠くまで来たものだ)
前世の記憶を持ってこの宇宙世紀の世界に生まれ変わり、ジオン公国を統べるザビ家の末子として新たな生を得た。
史実を知る者として、最初に直面した課題はザビ家の崩壊と破滅という避けられない未来だった。そのまま何もしなければ、ジオンは敗北し、家族は全員散り散りとなって無残な結末を迎えることになる。
それを回避するために、テオは幼少期から懸命に動いた。
自身と兄姉達……ギレン、サスロ、ドズル、キシリア、そして父であるデギンを巻き込み、一族の経済的・政治的基盤となる「ザビ財団」を立ち上げた。
ジオンの権力闘争にのみ没頭するのではなく、財団という確固たる組織を通じて資金と人材、そして情報網を掌握する。テオが提示した綿密な戦略と具体的なメリットは、父デギンや長男ギレンを納得させるに十分なものだった。
その結果として生じた最大の改変は、三男サスロ・ザビの生存だった。
史実では暗殺される運命にあったサスロを、テオは事前に察知した情報と防衛策によって救い出した。サスロが生き残ったことでザビ家内部のバランスは安定し、兄弟間の無用な不和や対立は未然に防がれたのだった。
さらに、もう一つの大きな変化があった。
テオの傍らに歩み寄り、冷えた紅茶を新しいカップへと差し替える美しい女性。アルテイシア・ソム・ダイクン……現在はセイラ・マスとして、テオの妻であり、同時に優秀な秘書として彼を支えている。
熱いお茶を淹れ直すと、彼女は静かに声をかけてきた。
セイラ「テオ様、お茶の差し替えをいたしました。根を詰めすぎるのは良くありませんわ」
セイラ「体調を崩されては、皆様もご心配なさいます」
テオ「(君が淹れてくれるお茶はいつも心が落ち着くよ、セイラ)ありがとう、セイラ」
柔らかい笑みを交わし、テオがカップを受け取ったその時、当主室のドアがノックもなく勢いよく開いた。
ガルマ「テオ!」
入ってきたのは、テオとまったく同じ顔立ちをした青年……双子の兄であるガルマ・ザビだった。
ガルマ「体調はどうだ?」
テオ「問題ないよ、ガルマ兄さん」
ガルマ「そうか! 連日、財団の執務で忙しそうにしていたからな。あまり無理はしないでくれよ」
晴れやかな笑顔を浮かべるガルマの姿に、テオは微笑みを返す。
サスロ兄さんの生存やダイクン兄妹の抱え込みには成功した。だが、まだ安心はできない。一年戦争という巨大な歴史のうねりは着々と近づいている。この優しく素直な双子の兄を、そして大切な家族を失わせるわけにはいかないのだ。
テオ(家族全員で助け合っていけば、絶対に未来は変えられる)
セイラ「さあ二人とも、そろそろ参りましょう。当主をはじめ、皆様がお待ちです」
セイラの促しに応じ、テオとガルマは立ち上がった。
ザビ家の大食堂には、一族が一堂に会していた。
上座には重厚な威厳を纏う父、デギン・ソド・ザビ。
その脇には、明晰な頭脳でジオンの政治を一身に担う長男ギレン。
豪快な笑い声を上げながら肉料理をつつく次男ドズル。
精力的に党の広報や実務を取り仕切る三男サスロ。
知識と鋭い洞察力で情報網を統括する長女キシリア。
かつての史実のような冷酷な暗闘や内輪揉めは、ここには一切存在しない。テオが立ち上げたザビ財団という共通の基盤と、互いの役割を尊重し合う関係性によって、ザビ家は強固な結束を誇っていた。
ドズル「おお、テオ! ガルマ! 遅かったではないか! ほら、熱いうちに食え!」
サスロ「これこれ、ドズル。二人にも都合というものがある。テオ、財団の報告書は順調か?」
テオ「ええ、サスロ兄さん。計画通りに進んでいます」
ギレン「ふむ……テオの立案する施策は常に理にかなっている。ジオンの未来にとっても、ザビ財団の活動は大きな推進力となろう」
キシリア「ええ。テオ、何か必要な支援があれば遠慮なく言いなさい。私の部署からでも動かしますよ」
デギン「うむ……幼いと思っていた末子たちが、こうして家族を支える柱となるとはな。誇らしい限りだ」
父や兄姉たちからの温かい言葉と、信頼に満ちた眼差し。
年の離れた兄姉たちは、幼い頃からテオとガルマを深く愛し、今では対等な家族として、そして頼もしい弟として背中を預けてくれている。
食卓に満ちる温かい歓談の声を聞きながら、テオは心の中で静かに誓いを新たにした。
史実の記憶にある未来……一年戦争の勃発、過酷な戦局、そしてザビ家の崩壊と滅亡。
あのような悲劇的な結末を、この温かな家族に迎えさせるつもりは毛頭ない。
テオ(結束したザビ家の力と、ザビ財団の持つ基盤……そして前世の知識があれば、必ず歴史は変えられる)
隣で嬉しそうにドズルと話すガルマの横顔を見つめ、テオ・ザビは未来を切り開くための決意を完璧なものとした。
一年戦争の破滅的結末を回避し、全員で生き残るための戦いは、すでに始まっているのだ。
静かに夜のとばりが降りていくサイド3の首都を背景に、ザビ財団の当主室へと戻ったテオは、再び静かな執務机に向き合っていた。
先ほどの大食堂での和やかな光景を思い出しながら、テオはこれからの具体的な国家運営のスケジュールを頭の中で再構築していく。
ジオン自治共和国から公国への移行、そして地球連邦政府との潜在的な緊張状態。それらすべてをコントロール下に置くためには、財団の経済力をさらに拡大させる必要があった。
テオ(ギレン兄さんの演説や思想の暴走を防ぎつつ、ジオン全体のインフラと宇宙開発計画を我々の主導で牛耳る。それができれば、無用な全面戦争そのものを回避できるはずだ)
もちろん、ただ平和を願うだけでは巨大な歴史の歯車を止めることはできない。
連邦軍内部の動向や、サイドごとの思惑。それらすべての情報をいち早くキャッチするためには、キシリアが統括する情報網の更なる強化が不可欠である。
また、ドズルが率いる宇宙攻撃軍や国防隊の装備増強においても、ザビ財団からの潤沢な資金供給と効率的な物資調達が大きなアドバンテージとなる。
コツ、とドアが軽くノックされた。
セイラ「テオ様、失礼いたします。明日のギレン様との会談資料をお持ちしました」
テオ「ありがとう、セイラ。こちらに置いてくれ」
テオの机の脇に、きれいにファイリングされた資料を置くと、セイラはそのまま静かにテオの背後に立ち、優しくその肩に手を添えた。
セイラ「なんだか、今日のテオ様はいつも以上に遠くを見つめていらっしゃるように見えますわ」
テオ「(未来のあらゆる危険を一つ残らず摘み取るために、考えを巡らせていただけさ)少し、先の先までね」
テオ「心配をかけてごめんよ、セイラ。君がいてくれるからこそ、僕はこうして冷静でいられるんだ」
セイラ「……私メは、テオ様の妻であり、秘書でございますから。どんな時でも、おそばにおります」
揺るぎない信頼を宿したセイラの瞳を見つめながら、テオは深く頷いた。
かつては仇敵となるはずだったダイクン家の血筋が、今ではこうして自身の最も信頼できる伴侶として支えてくれている。この奇跡的な現実こそが、テオが自らの手で掴み取った最初の、そして最大の勝利だった。
テオ(キャスバル兄さん……いや、エドワウ兄さんも共和国で独自の立場を築きつつある。彼が再び復讐の道に走らないよう、このジオンの体制そのものを誰もが納得できる理想的なものへと変えてみせるさ)
外では、満天の星空の中にコロニーの光が美しくまたたいている。
かつての悲惨な一年戦争の引き金となるような火種は、テオの綿密な工作によって次々と消し止められていた。
だが、油断は禁物である。宇宙世紀の荒波は、いついかなる時も予想外の角度から牙を剥くかもしれない。
テオ(だからこそ、僕がこのザビ家の舵取りを完璧にサポートし続けるんだ)
ガルマが笑顔で生きられる世界。
サスロが兄として堂々と歩み続けられる世界。
そして、家族全員が笑顔で食卓を囲み続けられる世界。
テオ・ザビはペンを手に取り、未来を書き換えるための新たな指示書を力強く書き始めていく。
ザビ家の双子の弟として転生した男の歩みは、まだ始まったばかりであり、その手腕によってジオンの歴史はかつてない黄金期へと導かれていくのだった。