例えば、貴方は三日後に死にます、と告げられて。
それが呪いであったとしても、病気であったとしても、寿命であったとしても、何かしらの不運と運命によるものだとしても。
三日目の夜には、四日目の朝だけを思い浮かべるんだ。
何事も無いように、なんて祈ることもせずに。
そうしたら、俺達は四日目を迎える。
呪いは存在せず、いたって健康で、若くて、いつも通りの日常で。舌の上に残るのは小さじ一杯の安堵。俺には、大匙一杯の落胆が。
その日は雪の降る日でも、曇天でも、小雨でも豪雨でも何でもないし、昨日の夜に確認した通りの晴天だ。朝食を食べながら考える事としては──やけっぱちにならなくて良かった、ぐらい。
現実は、余りにも頑固で強固だ。
三日の内に預金を全部吐き出していたら、それこそ三日目の夜で全てが終わるのを望んでたと思う。
──理性は、味気を落とす。
──本能は、呆気を増やす。
タルタルソースとオリーブオイルが血液として流れる俺の身体にも脳みそがあって、朝食に添えると慣れ親しんだ味には安堵と共に落胆が仕込まれていた。
美味しくないんじゃない、味気ない。
味気なくて、ああごめんやっぱり美味しくない。あ、いいや更に撤回、どうでもいい。
四日目の朝に食べる目玉焼きの味なんてどうでもいい、どうでもよくなった、食べられなかった筈のものが口にできた時点で、どうしようもなく、どうでもよくなったと考えられる。
だから、昨日と変わらずに今日も靴を履いて、外に出て、一日のタスクを終わらせて、誰かに言われた『三日後に死ぬ』なんて言葉は記憶の欠片にも残らなくなる。忘却する。
求めていたモノに裏切られるのはいつもの事だと、苦痛を忘れるように毎日を過ごす。目玉焼きにソースでもケチャップでも、何でもいいから別の調味料を加えれば済む話を人生の重りにして、
『まるで、それからは全てが間違いの後だと感じながら、私達は最後まで、どうでもいい目玉焼きを食べるの』
■
「──これで貴方の身に起きたことは全部。分かってくれた?」
冷めた女の視線が俺に注がれる。
「いや、全然。何を言っているのか分かりません」
「……」
見知らぬ他人からそういった視線を向けられた場合、大抵は向けられる側に問題があるというが、まさかこのワンシーンで俺を責め立てる奴はいないだろうな。
「貴方、耳はついてるのかしら。鼓膜が破けてる?それとも中耳が切り刻まれてる?」
「そんな物騒な」
例えるなら、無知の無、白痴の白。今まさに俺の上に跨り、脅迫じみた目つきで胸ぐらを掴んでいる女のことは、全くもって知らないし、知る由もない。
かといって、現状を知ろうとして何一つ分からなかったわけでもなければ、分かったことの全てを理解できたわけでもない。
俺はただ、自分の身に起きたことは分かっているつもりである。理解しているつもりである。
自分の右足が熱を持ち、苦痛を訴えている理由と、滅多に経験することのない額からの出血という負傷。それと、傍らで眠りこけている中年男性を運んだ際、凄まじい激痛が全身を襲ったことくらいは知っているのだ。
因果という言葉の意味を考えるに、つまり俺が激痛に苛まれながら冷徹な視線を向けてくる女──冷徹女に胸ぐらを掴まれている原因は、
「…俺が馬鹿だったからか?」
下心の善意とは、いやはや、上手く回らないものだ。さて、ここまで状況が分かっておいて、それでも分からないものがあると言うのならば、
「ところで、貴方は一体?」
「…………」
「俺はこの人に……あ、カミシロサクヤさんがひどく酔っぱらっていたので、放っておけないと思って声を掛け、運んでほしいと言われた場所まで届けただけです。それで、貴方は?」
「……──カミシロ・ミカゲ」
名前を聞かれて返す態度としては、働いているバイト先の先輩に十回はやり直しを要求されそうな代物だった冷徹女の名前は、俺が苦労して運んだ中年男性と同じ姓だった。
ミカゲ、カミシロミカゲ。名前の通り、髪が白い。
中年男性の方もそうだったが、向こうは白髪で済ませられた。とはいえ、ここまでの若白髪となると、染色体がエックスだのピーだのダブルオーだの、あるいはアルビノだのといった、遺伝的なものなのかもしれない。
「ミカゲさん。もし俺の怪我に何か負い目を感じているのなら、気にしないでくれ」
気さくに、キザに、鼻につく様な感じで俺はミカゲにそう告げる。大事はない、気を病む程の事でもないと伝える為に。
「彼を運んでいる最中にバランスを崩してしまっただけだ。出血も派手に見えるだけで、絆創膏を貼っているので大したことはない」
「だから──気にしないでくれ」
二回目、次に俺が「気にしないでくれ」と口にしたのは、日頃から人の顔色を窺う性格ゆえの口癖でもなければ、自分の怪我を気遣わなくて済むよう、それとなく零した言葉でもなかった。
父親の醜態を気にしなくていい、ということだ。見るに、泥酔した父親が、娘である自分より年下の男に運ばれていたのがショックだったのだろう。少なくとも俺なら、羞恥心でへその緒を首吊りロープにしてしまいそうだが、彼女にそんな思いをさせるのは忍びない。
誰にでも失敗はある。失敗があるなら責任もある。責任があるなら果たすのが人の常。サクヤの醜態に見合う支払いをミカゲに迫ることが、父親という存在との関係を築いたことのない俺にさえ、酷なことだと理解していた。
「気にしないで、くれ?」
「ああ」
最寄り駅から徒歩十分のアパートに住む十八歳、蔵井塁。人に親切心を働かせた結果がいかなる結末を迎えようとも、人に嘘をつかせてまで銭をせしめる卑劣漢ではない。
──あるとするならば、出来た人格だと褒められたい虚栄心ぐらいのものだ。
「っ……!ほんとっ、ほんとのほんとの本当に!何一つ分かってないのね!?」
「大丈夫。聞かぬは一生の恥でも、恥を背負って生きるにはまだ若いので。ただ俺は……ミカゲさんに余計な気遣いを……──」
「あと三日で死ぬって話がそんなに理解できなかったかしら」
「…………。だから、そんな嘘は」
「嘘じゃないの。貴方はこれから三日のうちに死に至る。そのことを逐一、細かく話していたのに…はぁ」
「────」
まあ、あともう一つ。
俺の親切心に対して求めるものがあるとするならば、それは同年代の美少女に言い寄られることだろうか。
三十歳で魔法使い、六十歳で賢者になれるこの国では、いち早く恋愛を成就させた者が生き残るラブデスマッチ。そんな熱への冷笑は一時の愉悦、一生の恥である。
臆面もなく言うのなら、俺は女人と関わることのない、細々とした人生を変えたいと願っていた。生活に余裕ができ次第、こんな月のない夜のような、あるいは冬の海に竿を投げる釣り人のような人生を変えたいのだ。
『冬の日』は冷たくとも、いつか訪れる春を待つ。けれど、桜の木の下に誰もいない人生は──うん、結構嫌かも。嫌なものを嫌なまま放っておくのは、それこそ因果応報というものだ。
「お」
「……ん?」
「お茶でもどうかな?ミカゲさん」
「───」
「はぁ?」
■
皆様、この日本に生まれた男として、日ノ本の国に生まれた男児として、日出処に生まれた赤子として、胸に秘めた熱いロマンの一つや二つ、あるだろう。
そんなロマン大国において、これを論じずして何を論じるというのかと思える話題が一つある。
──オカルト。
怪異譚、異聞書、伝奇書、民俗学書、超常現象関連書。これらを広義の意味でオカルトと一纏めに呼ぼうものなら、古今東西、東西南北、ワールドワイドの人々から、足蹴、拳骨、平手打ちの雨あられを浴びることになるだろう。だから俺の場合、呼びやすさを考慮したのだと言い訳させてもらう。
そのほとんどは、口承で広がる噂話に、人々の胸に眠るロマン心が脚色を加えたものだ。味付けがなければ近所のママ友の世間話程度のことであっても、古くから日本では鬼だの妖怪だの怨霊だのに仕立て上げてきた。
現代でもそれは変わらず、怪談や心霊現象、陰謀論など、ロマン心による被害は絶えない。無論、こういった話は日本に限ったものではないが、平安の昔から盛大な一次、二次、三次創作を現代まで続けてきた日本は、年代の古さだけでは推し量れない熱いハートを持った先進国と呼べよう。
例えばそう、現代Web小説でも陰陽師の活躍は凄まじい。鬼はぷりんぷりんの美少女に、怨霊はイケメンな主人公に浄化される。ビームは撃つし、神は召喚するし、霊剣でズバリと敵を真っ二つに──。
ふむ。よし。
さて、今から話を切り替えます。切り替えすぎて摩擦熱で火がつきそうなほどに。
俺には妹がいる。イマジナリーな妹がいる。
小顔で桃尻で、濡れ鴉のような美しい髪の持ち主で、巷じゃ現代の小野小町だのクレオパトラだの楊貴妃だの、今じゃ傾国とまではいかずとも傾県ぐらいの影響力がありそうな美貌を持つ世界一の妹がいる。
「その説明、必要……?」
「せっかく妄想するのなら、妄想し得る限り理想的な方がいい」
俺はそんな妹に尽くしても尽くしても、つくづく尽くしきれないぐらいの愛を持つお兄ちゃん。二人はとても仲が良く、互いに隠し事の一つもないような関係だ。
ある日、妹のために買ってきた林檎を切ろうとしていた最中、林檎の背面が腐っていることに気が付いた俺は、買った場所で取り替えてもらおうと、林檎片手に外出しようと思い立つ。
それに妹は心優しすぎて現代の聖母マリアであるため、諸々の手間や交差する感情の数々を考え、どうせ腐った所だけを切って食べようと提案してくる。ので、兄である俺は林檎を見せないように背後で握り締めた。
徒歩五分、パッと走って帰ってくるだけ。
帰ってきた兄がまたすぐ家から出るのを見た妹は、兄に声を掛ける。『どうしたの?』と。俺は『何でもないよ』と、本当に何でもない些細なことなので、そう返事をする。
そして少し焦り気味に家を出た俺は──そんな『焦り気味』が災いしたのか、信号無視をした車によって轢き殺されてしまったのだ。
さあ、大締め。愛していた兄の急死に取り乱す妹は、ただの事故に理由を見つけようとした。必死に必死に、納得に至れるまでの道を欲しがった。
キーとなるシーンは三つ。
自分には絶対に隠し事をしない兄が、何でもない、と誤魔化してまで唐突に外出したこと。出掛ける兄の背中を眺めていたとき、ちらりと、日に照らされ輝く赤色のナニカを握り締めていたこと。そして、信号無視の車による事故死。
妹は、少女は叫ぶ──これは呪いだ! と。
呪いの名前は『アカイハコ』。呪いを掛けられた者は知らぬ間に赤い箱を持たされ、その日のうちに不運によって死に至る。誰かに口外すれば呪いは解けるが、口外した者へと呪いは移る。
箱を持つ者が死ねば、呪いはまた別の、どこかの誰かへ。そんな突拍子もなく合理性の欠片もない怪談を、彼女は真実と信じてやまず、そして彼女を知る者も信じてしまう。
そして翌月。
──『アカイハコ』は、人を殺した。樹海で首吊りをした女性の手の中に、崖から車ごと身を投げた男性の服の中に、複数人に暴行を受けたらしき女性の体内に。
こうして、現代に新たな怪異、『アカイハコ』は生を受け、SNSで、口伝えで、噂で、都市伝説で、民衆の心の中に住まう呪いになったのである。
「どうかな」
「……食料を買ってきてもらった身分で悪いけれど、こう返させてもらうわ。いや、全然。何を言っているのか分かりません」
「意趣返しってやつか」
「確かに現代の呪い、その形を語る例えではあったけれど、貴方の言葉をそのまま汲み取るなら……その後の事件は本来、『不運』で死ぬはずよ。呪いに類する代物なら、偶然と偶然が呪いの力によって結ばれる事で不運な事故死が起きるのが必然」
「その通り。二名は自殺、一名は他殺。後者は『不運』に該当するかもしれないが……語り部として言わせてもらうと、暴漢らが噂に相乗りしただけだと考えられる、極めて人為的な代物だ。呪いと呼べるものでは到底ないね」
話を切り替える前へ、少し戻そう。
人々のロマン心。本来そこにないものを、この世界に産み落とし、そこに『在る』ものとする力だ。話の流れを汲めば、推理小説やミステリー、はたまた現代SNSの原型、もしくはこの世界に存在する全ての物語に、そんな力は存在する。
その中でも『秘密』とは、この上ない力の住処。現代の魔窟SNSでは、いったいどれほどの呪いが蠢いているのやら。オカルトとは、その一端にタグを付けただけで、そこに存在するものの正体を説明した気になれる、実に便利な言葉なのである。
幽霊を見たなら心霊現象。説明のつかない死があれば呪い。理屈の通らない出来事が起きれば超常現象。未知に名前を与える。名前を与え、分類し、理解した気になる。
事実、推理小説の類であれば真実はいつも一つらしいので、事件は解決する。とりあえずはそうすることで、得体の知れない何かを、得体の知れた何かに変えるのだ。
理解と納得は別物。そして、人間という生き物は、理解できないものを理解するよりも、理解できたことにしてしまう方が得意らしい。本当の本当に正体不明なモノが存在していたとしても、である。
「しかしまあ、それでも、世の中に鬼も妖怪も怪異も存在しないし、異世界転生があるわけもない。魔法も奇跡もない。ましてや、君の言う人を殺す呪いなんてものも存在しない」
「俺はオカルトが大好きマンだからね、人生の主核とまで呼んでもいい。立派なネット廃人でもある。一歩間違えたら、道行く母親から子供に『見ちゃいけません!』と言われるタイプの人間になるかもな」
「それでも、それでもこの世の中で秘密にされているものの全ては、紐解いてみればくだらない世間話に過ぎない。と、思っている」
さて。
漸く現状を説明出来る段階になったと思いたい。これからは淡々と事実だけを話していこう。といっても、最初に話していた事が全てなのだが改めて。
深夜バイトの帰り道、ブロック塀にもたれ掛かりながらフラフラと歩いていた男、カミシロ・サクヤをひと握りの下心と小指サイズの親切心で助けた俺は、あっちこっちに身体をぶつけつつ、何とか言われた通りの場所に彼を運ぶ。
その後、血相を変えた少女が俺の胸ぐらを掴む事態となる。何やら彼女、否彼女らはとある専門家だったらしい。濁さず話すと『呪い』の専門家、なんてカッコイイのだろうか。
といってもそれは、ありがちで、ありきたりで、定番の、王道の、テンプレート的な、月並みな、手垢のついた、使い古された設定だった。
所謂怨霊や妖怪、超常存在、もしくは人間から受けた呪いを肩代わりし、独自の方法で解呪、肩代わりした相手から金銭を受け取る事を生業とするのだ。
──その行いを詐欺とは呼ばない。
俺はそう在るものを否定する人間では無い。ただ、その矛先が自分に向けられた時には、必死に払い除けるぐらいの人間だというだけの事。
「なので、今から警察に電話でもしようかなって」
「────」
「罪状は不法侵入。それに、後日俺が本当に死んだら……母親がたっぷりと金を絞ってくるぜ」
軽い脅しは交友のスパイス、一方的に呪いがなんだ解呪がどうだ、煙に巻かれて『治したので治療費百万円』とかされたらブチ切れモノ。
ああそうだ、イキナリだが済まない、読者の皆様──俺は今、胸ぐらを何処で掴まれているかご存知だろうか?
おじさんを運んだ場所、例えば通な感じを装うのなら、廃墟ビルだとか、寂れた喫茶店だとか、そんな雰囲気のある場所であればよかったものの、叙述トリック、と大言する余裕は全然無いよ。シンプルに描写する余白が無かったのだけという話。
実の所冒頭から今までずっと自宅のアパートの中でした。
なので、まるで真夏の夢の様な、人生丸ごと一つ変わりそうな出会いの真実は──アパートの窓から不法侵入した女子高生が眠りこけている中年男性を勝手に俺のベッドに寝かせ、そして胸ぐらを掴みながら呪いについて話し始めたという、初手から通報案件の一幕だったのです。
「話を聞くに、お金に苦労はして無さそうだけどな。下世話な話になるが、人の命に関わる分、儲かりそうだし」
「貴方っ…解呪の役目を何だと思って…!」
「金には泣かされた経験しかない。だけど嬉し涙も悲し涙も、右と左にそれぞれ流れてる。金に関わる以上涙を流さざるを得ないというのなら、せめて一方だけの涙を増やしたいと思うのは駄目か?」
「……どっちの涙も同じぐらい価値があるわよ」
「そうか。それは良い考え方だ」
勿論、ちょっぴりわくわくはしたものの、現実は恐ろしい詐欺集団による不法侵入。幻想を抱くには、それこそユメモノガタリ、経験人数不足。
だが、まぁ。
現実でやれる事は通報と病院通いぐらいで味気無し。呪いが実在すると仮定して、彼女から受け取った情報を紐解いていこう。
「呪い…ねぇ」
カミシロ・サクヤが背負った呪いの正体は『蠱毒』である。
まず人聞きに呪いと聞けば、想起されるものの一つだろう。とはいえ、名前を知っていることと、その中身を理解していることは別問題だ。知ったつもりになっているだけなら、なおさら。
『蠱毒』。古代中国を起源とする呪術の一種。一つの器に無数の毒虫を集め、互いに喰らい合わせる。最後まで生き残ったものに力が、呪怨が宿るとされ、それを用いて富を得たり、他者を呪い殺すために使われたりと用途は様々。……それだけで大金持ちになれるなら今すぐ俺もやってみたいよ。
しかし蟲と言いながら、蛇や蠍まで投げ込むことから、要するに、重要なのは虫であるか否かではなく、毒と、毒を持つものが喰らい合うという行為。
そして──根本にある人間の悪意が呪いを形作っている。
「君たちの仕事には感服しているけれど、呪いは呪いだと思うんだ。ミカゲさん」
富が欲しい。誰かを憎んでいる。相手を不幸にしたい。あるいは、ただ自分だけが救われたい。理由は何でもいい。人間が自分の欲望や悪意に名前を与え形を持たせたもの。それが呪いというものなのだろうと、少なくとも、俺はそう考えている。
人を害するために、悪意をもって『蠱毒』を行う。その精神性こそが必要不可欠なパーツなのだ。
毒虫を器に集めたところで、そこに何の意図もなければ、ただの悪趣味な飼育環境に過ぎない。人間の悪意が介在して初めて、それは誰かを害するための手段となる。
ならば、その呪いは何をもって終わるのか。
誰かを害するために生み出されたものが、誰も害さずに消えていく。そんな結末を許すほど、呪いというものは都合よくできていない。
──今回の蠱毒の呪いは、誰かを殺す為に編まれた呪いだと。
この呪いは、俺が死ぬまで終わらない。もしくはサクヤさんが死ぬか。どちらかが命を落とすまで、呪いは解けない。
人を害するために生まれたものが、人を害することでしか終われない。そういう仕組みなのだとしたら、なるほど、確かに呪いらしい。
──もっとも。
人を呪わば穴二つ、なんて言葉がある。
他人を害そうとする者は、自分自身もまた、その報いを受けることになるという意味だ。
サクヤさんがどんな理由で、どんな手段を用いて呪いを背負ったのか、どう解呪するのか俺には分からない。だが、自分が死ぬかもしれないと知りながら、他人の悪意を引き受けるような人間がいるのだとしたら、
「俺にその精神性は、到底理解できない」
「気持ち悪いし、善行だとしても軽蔑するよ。人を殺したい奴を、殺そうとした奴を救ってどうしたかったんだ。例えそれが妖怪や神秘的な存在なら尚更、人に悪意を以て呪いを産む存在なんて駆除された方がいい」
「だから俺としては、話が事実であってもホラであっても、君たちを受け入れられないかな。解呪とやらもそっちで頑張ってくれ。俺は関わり合いたくない」
そして今、そんな理解の及ばない人間の事情に巻き込まれた俺は、こうして目の前の少女に再び胸ぐらを掴まれる。
「少し、口が過ぎるわよ」
「リードを奪われるのならせめて年上が良い」
「何の話…?」
「あいや、俺はどうしようもないスケベ親父って思っただけだ。それと、俺を口説きたいのならせめてそこのおっさんを起こしてくれないか?助けた本人の言葉が聞きたい」
「っ。今はまだ、起こせる状況じゃないの」
「だったら帰ってくれ、俺の指がイチイチゼロの番号に伸びる前に」
──。
勘違いしてもらいたくないが、これは極々自然な対応、否、穏やかに接している部類だ。俺の可愛い女の子への色眼鏡がなければ、それこそ昨日助けて貰った者ですとツルの恩返しばりにサクヤが家に来ていれば、蹴り飛ばして追い返していた。
カミシロ・ミカゲ。彼女を語る上で、ファーストインプレッションで欠かせないものがある。それは不法侵入のち暴行、与太話を吹き込もうとて色眼鏡が勝る最高のエッセンス。
──ツインテールである。
ああ素晴らしき大和魂、白髪ツインテールとは古今東西ロリババア的サムシングを含む素晴らしき要素。もしも巫女服まで着られていたら、俺は与太話の中へ全裸突撃していた。騙されるのも致し方なしタカシ、実に本望!と。
おっと、まだ彼女から目を離さないで欲しい。巫女服を着ていないからなんだ、彼女の分厚い茶色のコートの内側には未だ神秘が眠っているかもしれない。履物はロングブーツ、探偵風コーデに、バシバシまつ毛。正直対面しているだけでも緊張で頭が煮えるほどの美少女がカミシロ・ミカゲである。
理屈も筋も合理も何もかも、理解と納得の外にあったとしても、おんぼろアパートに迎え入れるぐらいには属性がドストライク。という事は覚えておいて、話を続けよう。
「けれどミカゲさん。安心してくれ」
「安心?安心とは程遠い状況で…どう心を安らかに保てと言っているの?」
「──俺が先に死ぬ。そうなれば、サクヤさんは生きてこれからも仕事を続けられる。だろ?」
「─────」
「推測するに、サクヤさんの呪いは君が負担できるっぽいし、恐らくは先に俺が死ぬ。蟲毒が人を殺さないと消えない呪いだっていうのなら、俺より君達の方が大勢の人を救える気がするし」
「……貴方」
酷く、歪み切った眉が示すのは俺への嫌悪感だろう。そして提案の拒絶でもある。
そんな手段は到底認められない、受け入れられない、口には出さなくともありありと彼女の表情から伝わってきた。
「なら、解呪の目途は?」
「それは……それはっ、この呪いは、本来コレは人から人に移る呪いじゃないから…私は何の手立ても用意出来てなかった。父ならあるいは…」
「現状として、解決策を知っていそうなサクヤさんは昏睡状態。だったら君が知ってる知識で何とかするしかない」
サクヤさんが引き受けた呪いは、俺の身体に半分巣食っている。丁度半々で分かちあった事で、即死級の呪いは三日の猶予を得た。
──オカルトに真剣に向き合うといつも、そして何歳になっても、俺の脳の奥をムズムズとさせてくれる。パチンコに行くよりもずっと鋭い快楽を髄の済みまで染み渡らせてくれる。
そも、この呪いの転移だが本来ならあり得ないことらしい。
サクヤさんが背負った呪いを、何の関係もない俺が引き受けてしまう。それはどんな偶然を考慮しても起こり得ないはずだった。だが、現実には起きた。有り得るはずがなくとも有り得た。
もちろん、俺に呪いを引き受ける意思などなかったし、そもそも、呪いが実在するとも思っていなかったのだから、引き受けるも何もない。俺はただ、酔っ払ったおじさんを放っておけず、親切心を働かせただけ。
結果として俺は呪いを背負い、三日以内に死ぬことになったらしい。なんとも理不尽な話である。
人を助けた結果、人間が抱えていた悪意の代償を押し付けられる。善意に対する報酬が死だというのなら、世の中というのはずいぶんと性格が悪い。
「んー…。この呪いってのは、人から人?それとも…化け物から人かな?後は化け物から化け物って場合もある」
「…………」
「守秘義務って訳にはいかないぞミカゲさん。最低でも一人、場合によっちゃ二人死ぬ案件なのに」
「……人間から、化生に向けて」
「──。まぁ、そういう場合もあるか」
面白い、が同時に面白味は半減。
オカルト的存在は、人の手が届かない絶対的な超越存在であって欲しい。そう願われているからこそ、化け物には反撃不可能のプロットアーマがある事も多いのだ。
「うん。だったら少しは頑張れるかもな、君から逃げ回ってる三日の間に俺も何とか抗ってみるよ」
「っ…何が『頑張れる』よ。何処の誰がどんな化け物に、どんな願いで呪いを編んだのか、呪いが何なのか何一つ知らない癖に…。だから今!ここで!私に何としてでも呪いを移さなくちゃならないの!」
「それが君の解決策?ああ確かに、君なら呪い耐性高そうだもんね。ソシャゲの高難易度ボスぐらい」
「どういう例えよソレ」
「俺なら幸運六割カット、ミカゲさんなら呪属性五割カットみたいな」
「………貴方の寿命は驚きの九.九割カットだけど?」
出会いの時よりも更に、一際冷たい視線が『ガチでシバキ回してやろうか』という意を含めて送られてくる。俺なりに空気を悪くしないように立ち回っているつもりでも、ミカゲの表情筋は石膏が如く動かない。
自分自身に向けて愛想の尽きた笑いを吐き出して、相も変わらない俺の会話センスの無さを悲しむ。
「不法侵入者にこんな事を言うのも変だけど、俺を心配してくれてるって事でいいのか?」
「は?」
「違う?」
「……勘違いが海綿体までに染み込んでるみたいだから一つ言っておくと、これは私達なりの仕事のポリシー。巻き込んでしまった事にも父が迷惑をかけた事にも全面的に、地中まで頭をめり込ませて謝罪する事案であったとしても、私の最優先事項は解呪のみ」
「──貴方を死なせたくないから必死になってる訳じゃない。
「はははっ。なんだかんだミカゲさんをお茶に誘って良かったかも」
その時、俺は彼女の瞳に見つめられていた。
人生で初めて、五秒以上女性の瞳と向き合ったと思う。感想文を三百文字以上四百文字以内で提出しなさい、引っかかるのはどっちの制限か。
そして恐らくは、カミシロ・ミカゲは真剣に、真摯に大真面目に、俺の命に関してこれっぽっちの興味も無さそうで、
「全面とは言わず半面ぐらいで大丈夫だよ、それと俺の方も勘違いしないで欲しい。俺はオカルトが好きなだけで率先して死にたい──なんて青空に灰色しか重ねられない人間じゃない」
お節介を焼いて無駄な手間を増やした俺に、わざわざ手を差し伸べてくれた君に感動して、感嘆して、思わず感謝が漏れ出てしまった。
そう純粋で、純なる想いで、粋なセリフを吐き出せたら面白かったかな。
心が気が付けばいつもオカルトの方向へ向いている俺にとっては、オカルトの『実在』を証明するものが何よりも大好物だった。愛しているとも言っていい、それでも愛は一方通行。いつもいつでも、人間の醜さへ帰結するユメモノガタリ達にはハートがそっぽを向きそうなほど。
なので、シンプルに、体験したい。そうしたい。
俺はオカルトを信じない。だからこそ、もしもこれが特異的な、化学式の毒であり、もしくは細菌性の病気だとするのなら、こんな事は二度目を引き起こさない方が良いのではないか。そして本当に呪いなら、再現性があるのかどうか分からないまま、ああつまり、カルテを作らずに治す方が予後が悪いという奴だ。
と、その前に、
「ミカゲさん」
「……」
「猶予は三日ある。喉に溜まった感謝の群れが重荷になるのなら、頑張って解呪の方法でも見つけてくれ」
「見つけてくれって…そんなの当たり前よ、父の不始末は私がつける。それまでは絶対、何があっても見捨てたりしないわ」
「違うんだミカゲさん。投げやりに聞こえてしまったのなら申し訳ない、それに見捨てたというのならそれは俺の方なんだ」
「……?」
「──一分後、扉の向こう側には警察が居る。君はサクヤさんを連れて逃げるしかないし、後の三日間このアパートから俺は姿を消す。会話は録音済みだから早めに逃げた方が良いかな」
「…貴方」
乱暴に百均で買ったミニテーブルへ拳が打ち付けられて、上に乗っかったペットボトルと茶菓子が転げ落ちる。床に転がったおかきを拾い食いして、仕方なかったと告げる俺に、ミカゲは理解の及んだ脳みそが発した電気信号で睨みつけていた。
一生のうち一度はやってみたかったブラフが決まって、俺としては大満足である。飲み物と茶菓子を近くのコンビニへ買いに行った時には既に、家に不審者が侵入したと通報済み。
「オカルトは…オカルトであるから良いんだよ。良いと、そう思ってる」
「時間稼ぎにしては話し込んだわね?それに随分と楽しそうだったじゃない」
「そりゃ勿論だ。何の為に回りくどい形で通報したのかってのは、君とお茶したかったからだよ」
「下心がそうも見え透いていると、一周回って自己評価を上げられるものね」
「男は皆、狼だってよく言うだろ?」
「貴方みたいな枯れ木男が狼だなんて…笑わせてくれる」
「そうかな、そうかも」
──後十秒程度。
警察諸君が時間に真面目で勤勉な職員だとするならば、後十秒程度で目の前の少女は事情聴取。場合によっては一時拘留。
この話の落ち所としては、俺の善意と下心が紆余曲折を辿ってか弱き少女一人を警察に突き出すことになってしまった訳だが。
善意ってのは、たまに凶器になる。下心ってのは、だいたい自分が善人でいたいという欲望に、こっそり別の欲望を忍ばせる手段だ。結果だけ見れば俺は女の子の味方もせず、なれたのはせいぜい通報者。なんとも中途半端で現代的なポジションである。
「それじゃ、互いに頑張ろう。ミカゲさん」
「…………」
「お元気で」
父を背負い、ミカゲは不法侵入の際に通ってきた窓に足先を向ける。表情を隠す意図は無くとも背を向ける彼女の面を拝むことはできず、こんな偏屈で頑固な男とのお茶会に何を感じたのかは知る由も無かった。
かくして、男はいつもの通りの朝食を待ち望む。
味気の無い、迷うばかりの人生から抜け出すチャンスをいつもの通り棒に振り、その偏屈さを言祝ぐなら──男の人生が何も変わらないということは、変わらないままでいられるということであり、変わらないままでいられるということは、変わる必要がなかったということでもある。それはきっと、幸せなのだと思う。
少なくとも男はそう思っていた。
そう思うことにしていた。
■
「ふふ」
目玉焼きを朝食にする際、ベーコンだのパンだのご飯粒だの、不純物を混ぜる愚か者が存在していることをご存じだろうか。
「ふふふ」
タルタルソースとオリーブオイルという最強の調味料がありながら、塩コショウ、ましてやソースや醤油等を加えだす異端者がこの丸い世界で共に居る事をご存じだろうか。
そしてこんな俺を、味覚馬鹿だと罵るような人心無き怪物たちが居る事も、ご存じであって欲しい。
「目玉焼きはプレーンが最も雅」
目玉焼きの数は二つにしよう。
しよう。とはいっても、いつもの通りでしかないけれど。
「いただきます」
──。
さて、この偏屈男の末路はどうなると思う?
俺としては、呪いなんて信じてないから、あの夜の一幕は警察に録音を渡してちゃんちゃん、のつもりだった。帰り際にあの冷徹女──ミカゲは、アパートの窓をぶち破って大胆な帰宅を果たしたせいで、ほんのちょっぴり大事になってしまったけれど。
人の忠告は聞かず、自分の価値観だけを信じ、何事も無く三日目の夜に死ぬ。末路としては、そこら辺がお似合いなのかも。
B級ホラーの最初の犠牲者の様に、理不尽と理屈の狭間でモブ未満の活躍を披露し、無様に死ぬ。
「……ごちそうさまでした」
死ぬには早すぎると誰かに悲しまれ、死因不明の変死はネットで少しの注目を引き、そして翌日には誰の記憶にも残っていない男の死。
味付けされない『死』とは──ひたすらに味気ない。
「──行ってきます」
形だけの言葉を吐き出し、玄関の扉を開く。
バイトの時間は何があっても守らねば、それぐらいしかやることが無いというだけなのだが。
「……」
味のしない人生に、味気ない人生に飽きてきた頃。
味気ない人生を変えるための、とある一つの冴えた方法を思いついたことがある。
──親切になる事だ。
人に親切に。女性にはより丁寧に。
子供には平等を。年上には敬意を。
同い年には、豊かなコミュニケーションを。
親切は気持ちいいぞ、下心も美徳になるし、善意はより人に伝わりやすくなる。
泥臭く、意地汚く生きていても、人には親切にしておいた方がいい。
「──。やぁ」
すると、こうやって巡り巡って俺の皿にはタルタルソースが添えられるんだ。
何をするでもなく、自然とそうなっていくんだよ。
「蔵井累」
「全て、話してもらうわよ」
「全てって…何の話をしたらいいんだ。あー、今日はお日柄も良く…」
「どうして生き残っているのか、何故父の身体から呪いが消えているのか、どうやって呪いを解いたのか、その全てを」
「…………」
四日目の朝、目玉焼きを完食した俺は口の端に残ったアブラを軽く袖で拭き取って、全てを話せと今にも噴火しそうな活火山の様なカミシロ・ミカゲに顔を向けた俺は、
「結局、オカルトなんて存在しなかっただけだよ」
いつもの通りの結論を、つまらなさそうに吐き出した。
そんな都合のいいものがあったら、世界はもっと噛み締めたくなる風に出来ていそうなものだから、そうじゃないなら、そんなもんなのだ。
語るまでのない日常を過ごしていただけだから、語るまでも無い。だからこそ、これから語るべきは──。
「…ナンパしてもいい?」
「──ブチ殺されてもいいなら」
「夏の夜に出会った劇場版ヒロインにしては声圧に儚さが足りなさすぎるだろ」
冷徹女改め狂暴女と、淡く甘酸っぱいボーイミーツガールを演じきれるかどうかであった。