【あらすじ】
休日の朝。布団の中でスマホを眺めるだけの、何でもない一日。
ニュースも、ヘリの音も、サイレンも、自分には関係ない。
おすすめに流れてきたのは、とあるYouTuber夫婦の謝罪配信だった。
――キノコを食べて、美人になった。筋肉がついた。そんな馬鹿げた話。
どうせフェイク。そう思っていたのに……。

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きのこになあれ ―マタンゴ・リブート短編版―

ピピピピピ!

 

スマホのアラームが規則的に鳴っている。

寝ぼけながら私はスマホを手に取り、アラームを止めた。

なんかスマホの画面がベタつき少し不快。――昨日、夜食にポテチ食べながら触ったせいだろう。まあ、そのせいだな。うん。

 

不快といえば――そういえば、変な夢を見ていた気がする。

知らない無人島にいて、私は何かを、食べちゃいけない何かを食べさせられる悪夢。

よく覚えていないんだけど、あれが美味しかったのは覚えている。今も口の中で甘い味がする気がする。

 

カーテンの隙間から日が強く差し込んでいた。もう昼に近いかも。

――まぶしい。まぶしい、というより……痛い?光が肌に突き刺さるみたいだった。

 

私は反射的に布団を頭まで被った。

布団の中の、生温かくて、湿った空気、暗い感じが、なんだか落ち着く。

まさにこれこそ休日の朝の過ごし方。

 

けれども、昨日は夕飯を抜いたからお腹がすごく空いている。

まだ半分寝ている頭が、無人島で経験する飢餓ってこんなものなんじゃないかなぁとバカみたいなことを一瞬考えている。さすがにそこまでではない……はず。

お腹は空いたし、動かないと何も食べられないんだけど、動きたくはない感じ。

 

――動かないで食べることができたら最高だなぁ……なんて、またバカみたいなことを考えていると外でヘリが飛んでいく音が聞こえた。

そういえば朝から何機も飛び交っているようだった。

何かあったのかな。

 

むずむずとする腕を掻きながら、カーテンの隙間からもう一度だけ外を覗く。

ヘリは南の方角へ向かっている。この街の中心部。

サイレンの音も遠くで聞こえる。救急車?パトカー?

大きな事故でもあったのかな。お疲れ様です。

――まぁ私には関係ないし、どうでもいいけどね。

 

私は目をこすって何も考えずにスマホの通知欄を眺める。

布団の中から出たくないんだ。紫外線なんか浴びたくない。暗い場所でじーっとしていたい。

 

通知欄はうんざりする戦争や環境破壊の話題、人間の――有名な人の誰々が結婚したとか離婚したとかそんなのばっか。

『生成AIが未知の菌類を製造』

『温暖化による氷河融解が加速 未知の疫病出現リスク』

『南太平洋に落下した隕石 有害性なしと発表される』

なんて記事もあったけど、考えるのやーめた。面倒。

ニュース通知を全消去しようとした瞬間、『速報:山手線で異臭騒ぎ 強いカビのような臭い』なんてニュースが通知された。

 

――ほんと世の中、朝から大変だね。消去、と。

カビ臭いのは私の部屋だけで十分ですよ。

なんかちょっと前から部屋がカビ臭い気がするんだよね。原因不明なんだけどさ。

嗅覚が麻痺しているのか、最近甘い匂いに思えるようになってきた。

さすがに病院に行こうと思ったけど、どこもなんかの患者でいっぱいみたいで、「予約は一ヶ月先となります。」なんて淡々と言われちゃって諦めちゃった。――最近変な病気が流行っているらしいね。おお、コワイコワイ。

 

まぁ、自分とは全く無関係な出来事を考えるよりは、週間天気予報とか、それか、最近地元でオープンした新しいお店やイベントの話を追う方が有意義に決まってる。

 

それにそもそも今日は休日。

ベッドの上でごろごろ過ごすという最高のひとときには――やっぱ、何も考えないで見ていられる、くだらない動画をYouTubeで見るのがちょうどいい。

 

私はYouTubeアプリを起動させた。

広告が再生された。

AI作成の広告。大量に湧いた害虫のナメクジを駆除するって動画。

ナメクジが面白いくらいに退治されて最高だった!いいぞ、もっとやれ!

 

広告が終わると、気になる動画がおすすめされた。

 

あるYouTuber夫婦の活動停止報告。

動画のサムネイルには大きく「謝罪!」と書かれていて、帽子にサングラス、そしてスーツ姿の男女の姿も。

室内でなんで帽子やサングラスなんてしているのだろう、と思ったけれど。この夫婦見覚えがある。

――あ、前に騒動を起こした連中。キノコを食べて美人になっただの、筋肉ムキムキになっただの、バカみたいに騒いでいた。どうせまた再生数稼ぎのネタなんでしょ。

 

私は親指を動かし、動画のサムネイルをタップした。

サムネイルをタップした時、妙に画面が柔らかい感じがした。

――私、まだ寝ぼけているの?喉が渇いたし、水を飲んで早く目を覚まさせた方がいいかも。それに背中もなんか痒いんだよね。シャワーも浴びたい。たくさんの水がほしい。

 

 

『――今、緊急で動画を回しています。この度、SNS上で話題になっております、公道での暴行及びイベントの違法開催の件につきまして、視聴者の皆様に真実をお話させていただきます。』

 

白い壁の前で、正座したスーツ姿の男が、謝罪あるあるみたいな物言いで動画を始めていた。

 

スーツ越しでも身体の筋肉のラインが分かるくらいに服がぱんぱんでちょっと滑稽だった。ギャグ漫画の世界の住人みたいなんだもん。もうスーツが縫い目から裂けるんじゃないかってレベル。

 

この人、『例のキノコ』を食べてから筋肉もりもりになった!って言っているんだよね。

嘘なんだろうけど、ボディビルダーみたいな体つきはマジでガチ。

――それにしても風邪なのか、変なボイチェンでも使っているのか、声が枯れている。いや枯れているというよりは……喉の奥で何かが蠢いているような?

 

隣で同じように座っている奥さんはうるつやの綺麗な髪を下ろしているけど、なんでかサングラスにマスク姿。時折カメラの外に行っては水を飲んでいるようだった。もう何杯水を飲んでいるんだろう。

奥さんはモデルみたいにグラマラスな体型。――この奥さんも最初の頃とはまるで別人なんだよね。

 

この夫婦のチャンネル、最近になって急に伸びてきたんだけど、伸びたきっかけが『例のキノコ』だった。

なんだったかな、怪しいルートで手に入れた、なんとかっていう巨大なキノコを食べてみた!っていう企画の後からバズり出したんだっけ?

 

『――先日、渋谷区で行われたハロウィン・イベントにおいて……』

 

夫が話し始めると、コメント欄が一気に流れ始めた。

「奥さん美人になったの奇跡のキノコのおかげ?」「結婚して」「人妻だろうがw」「#マタンゴ・チャレンジ!」「配布イベント行った奴いる?感想聞きたい」「行った。マジで美味かった。また食いたい」「俺も食いてぇ」「お前ら頭おかしい」「でもキノコ美味しかったのは事実。みんなも食べようぜ!」

 

『わたくしども夫婦がこれに便乗して、「#マタンゴ・チャレンジ!奇跡のキノコ!マタンゴ配布イベント!」を開催し、この際、私が通行人及び警察官と殴り合ったことは紛れもない事実であります。日頃からわたくしども夫婦を応援してくださるファンの皆様、そして、被害者や関係者の皆様に、ここに土下座して心からの謝罪を致します。』

 

誠意のこもった声色でそういった後、夫は一度、神妙に深く頭を下げた。

――あれ?この人、謝るの?どうせまた茶番でしょ……。

 

『本当に申し訳――』

夫は丁寧に土下座しようとする。

けれども案の定――夫は、そのままゆっくりと顔を上げる。

 

『……謝罪?する訳ねえじゃん?なんで俺が謝らなきゃいけないんだ?あいつらが悪いんだろ?俺はキノコを配っただけだ。それも美味しいキノコを。なあ、みんな。キノコは美味しかったよな?』

さっきまでの神妙な態度は消え去って、軽快なノリで話し出した。

 

コメント欄が爆速で流れる。

「クズ乙ww」「やばい」「通報した」「なんかこの部屋、埃すごくない?」「あれ、奥さんなんか生えてない?」「キノコ配ってたの見た」「警察まだ?」「また配って」「この配信保存した」「これやっぱヤラセでしょwww」「でもキノコ美味しかったのは事実。みんなも食べようぜ!!」

 

私も「犯罪者おつ」とコメントした。送信ボタンを押した瞬間、指に違和感を覚えた。

――なんだろう、ぬるぬるしている。汗かな、どうでもいいや。

 

『「埃」とか「なんか生えている」とか失礼だよ〜。こんなに気持ちいいことの何がいけないのよ〜』

 

奥さんが、なんか変なことを言い出している。

掠れた声の夫とは違ってASMRみたいな声質で、なんか色っぽいというか恍惚した感じの声色だ。ちょっと前まではこんな声じゃなかったのに。

 

言い終えると奥さんがまた水を飲みにカメラの外に消えた。

もう五杯目じゃないかな。

 

なんかこっちまで喉が渇いてくる感じがする。変なの。

それに、このYouTuberの部屋の湿度感?もおかしい。

画面越しなのに、肌にまとわりつくような空気感がある。

挙句、自分が今いる部屋の空気まで生温かく感じてくる。スマホの表面も、じっとりしている気がする。

 

このYouTuberの部屋、よく見ると壁に染みというかカビのようなものが見えるんだよね。――最初からあったっけ?あの染み?カビ?

 

そういえばコメント欄にもおかしなのがある。

「なんか腕が痒い」とか「俺も」とか。

「あのキノコ食ったからだろw」「嘘乙」「いやマジで痒いんだが」――そのコメントの流れ、ちょっと引っかかった。私も、指の先が、むずむずする。でも、この感じ、嫌じゃない。なんか、何かが育ってる?みたいな。

――あれ?頭おかしい動画見ているせいで私もおかしいことを言い出してる気がする。

 

コメント欄に「配布されたキノコ、ヤバイ美味しかった!家族にもあげました!」なんてものが表示されると、キレ気味だった夫婦は途端に上機嫌になった。

『だよな!だよな!』

『でしょ!でしょ!』

とガッツポーズをしている。

その時、夫が急に咳き込んだ。咳き込むたび、白い粉がキラキラと光を反射している。埃にしては規則的で、生きているみたいに舞っている。

 

――なんだろう、あれは。

私がその白い粉を凝視しようとした時、またヘリの爆音が聞こえて、気がそがれてしまった。それに、サイレンもなんだか増えている。どうも外では大きな事件が起きているみたい。まぁ、外の問題になんて関心はないけれど。

 

 

『――おい待て!みんな!あのキノコを食べるな!』

 

配信の音が、一瞬、ぶつん、と途切れた。

いや、途切れたんじゃない。何かが混ざった。耳障りなノイズ。聞き慣れない、不気味な笑い声。

コメント欄も戸惑っている。「……誰?」「乱入?」「え、何この笑い声」「怖い」

 

夫婦が驚いて振り向く。

その時、後ろを向いた二人のうなじの部分に大きな吹き出物が出てきているのが見えた。おかしなことにその吹き出物はゆらゆらと動いているようにも見えたんだけど――さすがに私の気のせいかな。

 

けど、コメント欄も反応してる。「うなじのあれ、何」「きめえ」「……キノコ?」「どうせ作り物でしょ」

――うわぁ、マジなのか……。

 

「それより乱入した男だれ」「なんか聞いたことがある声だけど」「なんか口論してるな」「早く映して」

乱入してきた人の声、私もどこかで聞いたことがあった。この声は確か、この前の炎上した配布イベンドにいた――

 

『――さん、配信の時間帯には来るなって言ったでしょ〜』

相変わらずASMRな声質で奥さんが乱入者に話しかけている。

『てめえ、懲りずにまた乱入する気だな!俺の嫁に手出しやがった糞野郎が!』

夫が明らかに殺意のこもった声で威嚇している。――まるで獣みたい。

 

コメント欄は盛り上がっている。「あぁ、この声、この前の配布イベントで殴られてた奴じゃん」「奥さんの浮気相手なんだっけ」「だから合鍵あるのか」「でも、なんで配信者の自宅に凸してるの?」「いいぞ、もっとやれ」「カオス」

 

 

『――いいか、あのキノコは絶対に食べるな!』

乱入してきた浮気男がカメラに映った。

 

画面外で喧嘩か何かをしたのだろう。

夫が浮気男に羽交い締めにされている。浮気男もあの夫に負けず劣らずの筋肉隆々の体つきだった。――この前の配信の時はヒョロヒョロだったのに。

 

『俺は、あのイベントで配られたキノコを食わされたんだ!一口だけだった!一口だけだった!……一口だけだったのに……次の日から、体中が痒くて、痒くて……気づいたら、腕に、これだ!』

 

浮気男は上着をまくり上げた。――そこには、無数の小さなキノコが、産毛みたいにびっしりと生えていた。しかも、動いている。ゆらゆらと、まるで呼吸するように。

 

一瞬私も寒気がした。あまりにもキモい。――だけど、ここまで来ると、どこか愛おしい気もする。

 

コメント欄もすさまじく反応している。

「きめええ」「もう無理。離脱するわ」「特殊メイク?」「なんか画面からキノコの匂いがする。吐き気がする」「そうか?いい匂いだろ」「おい、お前ら、こんな配信なんか見てないで、テレビでニュース見てみ。やべえぞ」「暴動だっけ?」「え、待って、私も指が痒い」「気のせいだろ」「お前ら全員感染してるぞ」「通報したけど繋がらない」「でもキノコ美味しかったのは事実。みんなも食べようぜ!!!」

 

私もコメントした。

「フェイク乙www」

指がなんか重い?でも、送信ボタンは押せる。

 

汗のせいかスマホの画面がなんかネバネバしてる気がした。なんとなく指を舐めてみた。なんだか甘い気がした。

――え、なんで?と思ったけど。まあいいや。どうでもいいし。甘いことは悪いことじゃないでしょ。多分。

 

『こいつら――いいや、俺も!もう人間じゃないんだ!』

浮気男は羽交い締めにしていた男のマスクを外し、サングラスを外し、帽子を外した。

その度に大量の『埃』みたいなものが飛び散っていく。

 

『みんな見てくれ!これを見てくれ!これがマタンゴだ!』

 

サングラスとマスクで隠されていた夫の顔には、まるで出血する歯のような見た目で有名なブリーディング・トゥースみたいなキノコが大量に生えていて……頭は、まるで脳みそみたいな見た目で有名なシャグマアミガサタケに似たキノコでいっぱいだった……。

 

『――最初は美味しかったんだ。すごく、美味しかった。でも次の日から……俺の腕が痒くて、掻いたら、爪の間に白い粉が詰まってて。鏡を見たら……でもキノコ美味しかったのは事実。みんなも食べようぜ!――違う!何を言っているんだ、俺は?ああ、くそ!その、笑い声をやめろ……』

浮気男は一度言葉を切る。喉の奥で何かが鳴っている。

 

『頭の中に声が聞こえるんだ。「もっと食え」って。「もっと広めろ」って。俺はもう、俺じゃない。だから頼む、お前らだけは……みんなもマタンゴ食べようぜ!ああ、やめろ!くそが!頭の中で誰かがまた笑っていやがる!フォッフォッフオッフォッって!』

『――黙れ!お前も完全にマタンゴにしてやる!』

夫が人間とは思えない咆哮をあげて浮気男を振り払う。カメラが倒れる。

 

画面が天井を映す。

夫の獣のような唸り声、浮気男のいくらか人間らしさが残った絶叫、そして奥さんの場違いで、素っ頓狂なASMRな笑い声。

 

コメント欄が止まらない。「キモいって」「通報!通報!」「繋がらねえんだよ」「フェイクにしてもやりすぎw」「なんか本気で殴り合ってない?」「警察まだ?」「これ本物じゃ……」「やばいやばいやばい」

 

――奥さんが、カメラを拾い上げる。

画面いっぱいに、奥さんの顔が映る。

奥さんもなんでかサングラスを外している。

奥さんの目はなかった。――目の部分にあったのはとても美味しそうなキノコの傘だった。

 

『見てくれてありがとう。みんなも、マタンゴ、食べてね。――きのこになあれ』

 

――最後に、どこからか、誰かのフォッフォッフオッフォッって笑い声が聞こえた。この笑い声はやけに近くで聞こえた気がする。

 

プツン。

配信が切れた。

静寂。

 

「――うーん、変化球のフェイク動画にしてはなかなか楽しかったな。さーて、ちょっと遅いけど、朝食にするかな。それと……なんかすごく喉が渇いた。水が飲みたい。たくさんのお水が……」

 

私がスマホを握ったまま気持ちよく身体を伸ばすと、スマホが急に震え、耳障りな電子音が鳴り響いた。――この音、知ってる。Jアラートだ。

それとほぼ同時に、外からも甲高いサイレンが聞こえてきた。区の防災無線だ。

いつもは夕方に「夕やけこやけ」を流しているあのスピーカーが、ひどく不気味で、不安をあおるようなサイレンを鳴らし始めた。背筋が凍る。

 

驚いた私は震えながらスマホを確認する。

スマホの画面には『国民保護に関する情報 緊急警報:原因不明の皮膚病と暴動が多発。政府は屋内待機を指示』という文字列。

 

呆然としながら私はスマホを一旦置こうとする。けれど指が離れない。

くっついている?

力いっぱい指を離すと――

 

びよーん。

 

スマホの画面から指を離すと白い糸が面白いくらい、長く、長く、伸びていた。

「……え?」

 

私がその白い糸――菌糸を見て思考停止していると、耳元で誰かがささやいた。

もしかしたら私の声だったのかも。

「――きのこになあれ」




◆マルチ投稿先
『きのこになあれ ―マタンゴ・リブート短編版―』 pixiv
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=29351999

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