家賃マイナス100万円~怪異と住むだけの簡単なお仕事~ 作:きのきの
オリジナル:現代/コメディ
タグ:R-15 男主人公 主人公最強 チート 頭がいかれてる バイト 怪異 事故物件 ホラー? 化け物
【重要事項説明書・特約条項抜粋】
・深夜の怪奇現象(ポルターガイスト、室温の急低下など)に関するクレームは受け付けません。
・室内に現れる「女性の霊」によって入居者が発狂、あるいは死亡した場合、貸主は一切の責任を負いません。
・上記を了承し、物件の無害化(定住)を証明できた場合、報酬として【月額100万円】を給付します。
「……なるほど。つまり『女の子との同棲生活』で『毎月100万円もらえる』ってことっすね。ここにします」
だが、不動産屋も、部屋に棲みつく怨霊も知らなかった。
彼が、呪いも金縛りも一切効かない「反霊媒体質」の持ち主だということを。
「最近、やけに羽振りがいいよな。宝くじでも当てたのか?」
昼時の喧騒に包まれた大学の学生食堂。
向かいの席に座る友人Aが、俺の奢った学食内で一番高い特製ステーキ定食を頬張りながら、訝しげな視線を向けてきた。
Aの言う通り、以前の俺であれば、一番安いかけうどんで腹を満たし、もやしを主食とするような生活を送っていた。
だからこそ、突然のこの豪遊っぷりは、友人の目には異様に映ったのだろう。
「いや、実は、すこしばかり割の良い住み込みのバイトを始めてね。ただそこに住んでいるだけで、毎月百万円が口座に振り込まれるんだ」
「……は? ひゃくまんっ!?」
Aは素っ頓狂な声を上げ、口からこぼれそうになったご飯を慌てて手で押さえた。周囲の学生たちが何事かとこちらを振り返るが、Aは気にする余裕もないらしい。
「お前、それ絶対に裏があるヤバい仕事だろ。闇バイトとかそういうのじゃないのか? 怪しすぎるだろ!」
「そりゃあ、怪しいさ」
俺は食後のアイスコーヒーをストローで啜りながら、事も無げに頷いた。
「いわゆる『事故物件の無害化証明』を作るバイトだよ」
「じこぶっけんの……無害化?」
「前の住人が不幸な死を遂げた部屋には、法律上、心理的瑕疵というものがつく」
「あー……しんりてきかし、ね」
「でも、誰かが一度でも一定期間住んでしまえば、次からはその告知義務が緩和されるか、あるいは『前の住人は何事もなく暮らしていましたよ』というクリーンな実績になる。そういう不動産屋の隙間産業さ」
Aは少し考えて言う。
「……それ、絶対に出るやつじゃんか。事故物件ってレベルじゃないだろ、百万円って。お前、大丈夫なのかよ」
「出るねえ」
「いや出るんかい!」
Aが盛大に突っ込みを入れる。何を驚いてるんだろう。
「最初から出るって言われてるものが、出たんだから。驚くほどじゃないだろ」
「お前……頭いかれてんだろ」
「そう? 不動産屋の親父も太鼓判を押していたけど、信じられないくらい、毎晩めっちゃ出る」
「アホか! 命が惜しかったら今すぐ引っ越せって!」
「いや、それがさ。その毎晩出てくる幽霊、めっちゃ美人でエロいんだわ」
「…………は?」
「詳しく聞きたい?」
完全に呆気にとられ、箸を止めた友人Aを前に、俺はつい数週間前の出来事を思い返していた。
☆
俺の名前は、上高地《かみこうち》喜太郎《きたろう》。
長野県の深い山奥で生まれ育ったが、物心つく前に両親を不慮の事故で亡くし、俺を育ててくれた優しい祖父母も、高校卒業を前に立て続けに他界してしまった。
天涯孤独の身となった俺は、なんとか奨学金を借りて、神奈川県の藤沢近くにある大学へと進学した。
しかし、学費と生活費を自力で工面しなければならない俺の生活は、当然ながら困窮を極めていた。
『あの、とにかく安い物件、ないっすかね。雨風がしのげて、寝転がれるスペースさえあれば、本当になんでもいいんで』
大学近くの古びた不動産屋に飛び込み、すがるような思いでそう頼み込んだ。
白髪交じりの胡散臭い不動産屋の親父は、俺の身なりと切羽詰まった表情をじろじろと観察した後、額に嫌な汗をかきながら、一枚の黄ばんだチラシをデスクの下からおずおずと差し出してきたのだ。
『……マイナス百万円、ですか? 家賃が?』
『ああ。君のような事情のある学生さんにはうってつけかもしれん。ここに一ヶ月住み込んで、物件が安全だとクリーンな証明をしてくれたら、大家の意向で毎月百万円を君の口座に振り込もう。ただ……その、出るんだがね。めちゃくちゃに』
『へえ。じゃあ、ここにします』
『えっ』
『お金、もらえるんでしょ? ならここにします』
親父の「考え直した方がいい」という制止も聞かず、俺は渡された契約書に即決でサインをした。実印を押す手には一切の迷いもなかった。
幽霊の恐怖より、月末の支払いの恐怖の方が、現実の人間にとってはよほど恐ろしいのだ。
紹介された物件は、江の島にある、海が見える古いアパートだった。
潮風に長年晒されたせいで外壁はボロボロに剥がれ落ち、立て付けも悪く、歩くたびに床板が悲鳴を上げる。おまけに特級の呪物が棲みついているという曰く付きだ。
だが、大学のある藤沢付近へのアクセスも良く、何より窓を開ければ一面のオーシャンビューが広がるという、立地だけ見れば最高のリゾート物件だった。
「ここに住むわ。百万円もらえるし、海も見えるし。最高じゃん」
俺は段ボール数箱分の少ない荷物を部屋に運び込み、引っ越し初日の夜を迎えた。
備え付けの万年床に寝転がり、波の音を聞きながら微睡んでいた時のことだ。
急激に、部屋の温度が氷点下まで下がったような錯覚に陥った。
吐く息が白く染まり、窓ガラスがガタガタと不気味な音を立てて震え出す。
そして、俺の枕元に、そいつは現れた。
床まで届きそうな長い黒髪。その隙間から覗く、血走った巨大な目玉。
怨念と呪詛を煮詰めたような青白い肌をした女の幽霊が、俺の首元に氷のように冷たい手を伸ばしてきたのだ。
『………………』
「やあ、どうもどうも。今日からお世話になります。上高地です」
ピタッ、と。
女幽霊は、俺の首に手をかけた体勢のまま、ビクッと肩を揺らして硬直した。
おそらく、今までの住人はこの時点で悲鳴を上げて気絶するか、窓から飛び降りて逃げ出していたのだろう。
俺が一切物怖じせずに、布団の中から朗らかに挨拶をしたから、彼女の霊的な処理能力が追いつかなくなったに違いない。
彼女はコホン、と咳払いをするような仕草を見せ、気を取り直したように俺の体に重くのしかかり、強い念を送って金縛りをかけようとしてきた。
『…………』
「……あー、ごめん。俺、重度の『反霊媒体質』なんだわ」
『……エ?』
「昔からそういう霊障とか、金縛りとか、呪いとか、そういうの一切効かない体質なんだよね。ほんと悪いね、気を使わせちゃって」
俺はきょとんとする彼女の頭をポンポンと撫でると、ひんやりと冷たい彼女の体を抱き寄せ、夏場の心地よい冷感毛布代わりにして、そのまま「んがー、んがー」と高いびきをかいて眠りについた。
☆
翌朝。
眩しい朝日に目を覚ますと、彼女はまだ部屋の隅で膝を抱えて体育座りをして、恨めしそうにこちらを睨んでいた。どうやら、一晩中俺の寝顔を見つめながら、どうやって呪ってやろうかと思案していたらしい。
「よっ。おはよう」
俺は気さくに声をかけ、顔を洗って大学へ向かう準備をした。彼女は俺の動きを目で追うだけで、特に危害を加えてくる様子はない。
大学での講義を終え、帰宅する前に俺は近所のコンビニへと出向いた。
アパートの扉を開けると、彼女はまだ部屋の隅で体育座りをしていた。律儀な幽霊だ。俺は買ってきたばかりのシュークリームを、彼女の前にそっと差し出した。
「ほい。引っ越しの挨拶。これから世話になるんで、よろしく頼むよ」
『…………?』
幽霊は、差し出されたカスタードたっぷりのシュークリームと、俺の顔を交互に見比べ、完全に混乱の極みに達していた。
幽霊に洋菓子を供える人間など、後にも先にも俺くらいのものだろう。
俺は彼女の戸惑いをよそに、備え付けの古いブラウン管テレビをつけ、バラエティ番組を見始めた。
ゲラゲラと笑いながら画面を見ていると、いつの間にか彼女も、スーッと滑るように移動してきて、俺の隣にちょこんと正座し、一緒にテレビを眺めているではないか。
「家具も家電も最初からついてるなんて、本当にラッキーだわ。おっ、風呂も沸いたな。ちょっと入ってくる。おやすみー」
『…………ッ!』
俺が立ち上がって風呂場に向かおうとすると、彼女はハッとしたように我に返り、スッと目の前に立ち塞がった。そして、再び長い髪を振り乱し、両手を上げて俺を脅かそうとする。
「はいはい、通るよ。ごめんね」
俺はすんっ、とその半透明の体をすり抜け、そのまま鼻歌まじりに湯船に浸かった。
脱衣所の方から、何かが床に崩れ落ちるような気配がしたが、俺は温かいお湯の心地よさに身を委ねていた。
☆
そんな奇妙な共同生活が始まって、数日が過ぎた頃。
朝、目を覚ましてキッチンに向かうと、信じられない光景が広がっていた。
古びたちゃぶ台の上に、ホカホカのご飯とワカメの味噌汁、それに綺麗に半熟に焼かれた目玉焼きが並べられていたのだ。
ポルターガイスト現象を応用したのだろうか。フライパンや包丁が宙を舞い、料理を完成させたに違いない。
「……朝ごはん? これ、君が作ってくれたの? センキュー!」
振り返ると、どこから見つけてきたのか、フリルのついたエプロン姿の彼女が、照れ隠しのようにスッと壁の中に消えていくところだった。
ありがたく朝食を平らげ、俺はカバンを持って玄関を開ける。
「いってきまーす」
振り返ると、壁から半分だけ顔を出した彼女が、無表情のまま、小さく手をふりふりと振って見送ってくれていた。
もはや怨霊の面影はない。完全に出来た同居人、あるいは新妻のような振る舞いだった。
こうして、俺と幽霊の奇妙で穏やかな同棲生活が日常になりつつあった。
ある日の夜。俺はテレビを見ている彼女の隣に座り、ふとその華奢な肩を指先でつついた。
触れる。幽霊なのに、俺の反霊媒体質のせいか、物理的な干渉ができるのだ。
ひんやりと冷たいが、確かにそこには柔らかな弾力と、女性特有の滑らかな肌の感触があった。
彼女は何も言わず、ただ不思議そうに、そして少し期待を帯びたような瞳でこちらを見上げるだけだ。
むにむに、と。
俺は思い切って、彼女の薄汚れた白いワンピース越しに、その豊かな胸を揉んでみた。
無抵抗だった。冷たくて、でも上質なマシュマロのようにふくよかで柔らかくて、最高に気持ちがいい。
「きもちえー……」
『……っ、ぁ……』
彼女はほんのりと青白い頬を赤く染め、恥ずかしそうに俯いてしまった。
そして、その日の深夜のことだ。
ついに彼女は、俺を殺そうと(あるいは別の目的で)万年床に潜り込み、俺の上に馬乗りになって襲いかかってきたのだ。
シーツが乱れ、彼女の長い黒髪が俺の頬をくすぐる。
『……ノロイ……コロス……』
口では物騒なことを言っているが、その目は潤み、呼吸は荒く、頬は朱に染まっていた。
だが、俺は反霊媒体質だ。その細い腕をあっさりと掴み返し、反転して逆に彼女を布団の上に押し倒した。
「夜這いをかけて襲ってきたってことは、そういうことだよな?」
『えっ……ぁ……ちが……っ』
俺は、戸惑う彼女の冷たい唇を塞ぎ、そのまま逆に激しく襲いかかった。
怨念を晴らすための呪いの儀式は、いつしか愛を確かめ合うような、熱を帯びた甘い交わりへと変わっていった。
うん、幽霊との夜の営みも、悪くない。いや、むしろ普通の人間よりも神秘的で、最高に興奮する体験だった。
☆
「……ってなわけ。それで毎月百万円が口座に振り込まれるんだから、最高のバイトだろ?」
俺がドヤ顔で話を締めくくると、向かいの席の友人は完全にフリーズし、ポロリと箸から唐揚げを落とした。
Aの顔は引き攣り、信じられないものを見るような目を俺に向けている。
「お前……色んな意味で、頭のネジ飛んでるな……。幽霊を抱くって、お前、それ……」
「そうか? 愛さえあれば、相手の生死なんて些末な問題さ。それに、あいつ結構尽くしてくれるタイプだしな」
俺はグラスに残った氷の溶けたコーヒーを飲み干し、窓の外に広がる青空を見た。
早く午後の講義を終わらせて、江の島のアパートに帰ろう。
今夜は百万円の初めての給料日祝いだ。彼女の好きなイチゴのショートケーキでも買って帰るとしよう。
ドアを開けた時、エプロン姿の彼女がどんな顔をして出迎えてくれるか想像するだけで、俺の足取りは自然と軽くなるのだった。