転生司祭は靡かない   作:卍錆色アモン卍

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巡礼者のサロス

 

 エンシェンは暗褐色の壁に囲まれた部屋の中にいた。辺りを見渡すと、分厚いカーテンの吊るされた天蓋付きのベッド、沢山の本が並べられた本棚、そして血のように赤いカーペットが敷かれた床が目に入る。

 

 ──坊ちゃま、朝ですよ。

 

 安楽椅子に腰を掛けていたエンシェンは、膝上に乗っていたエロス教の聖書に気づいた。エンシェンが都市ドラコラスで暮らしていた時──エロス教の司祭を目指していた時、片時も離さず持っていたものだ。

 

 ──坊ちゃま、起きてくださいませ。

 

 エンシェンは今でも持っている。確か、ベッド脇のサイドテーブルに置いてあったはずだ。

 

 どうしてここにいるのだろうか? 疑問がふんわりと浮かんでくるが、風に流されるように消えていって、それが当たり前だと認識する。エンシェンはただ安楽椅子を揺らして、再び惰眠をむさぼろうとした。

 

 ──坊ちゃま、無視をしないでくださいな。

 

 聞き慣れた声が、頭に響く。

 

 

 ⸸

 

 

 エンシェンは夢を見た。なんのことはなく、幼少期に過ごした記憶が浮かんできただけだろう。ただ、懐かしいと思える程度にはリトラ村に馴染んできたのかも知れない。エンシェンはそう思った。

 

 辺り一面が、色鮮やかな緑色に染まった大麦畑だった。季節は春、芽吹きの季節だけあってそこら中で生命(いのち)が溢れ返っていて、穏やかな日差しと相まって夢のような世界だった。何処までも続く新緑の海は春風に吹かれて波打ち、青い空に浮かぶ真っ白な綿雲(わたぐも)は悠々と揺蕩う。心地の良い気分に浸るエンシェンは胸いっぱいに空気を吸い込むと、大きく吐き出した。

 

「これが私の求めた理想郷(ユートピア)。誠に素晴らしい景色です……」

 

 風になびく司祭服を翻して、エンシェンは教会へ戻った。轍のついた土道は、長い歳月を掛けて形成されたのだろうな、と思いを馳せながら。

 

 

 リトラ村は都市ダンピルが最寄りの都市だ。とは言っても、行き帰りに半日以上も費やすほど遠い。他に近いところは、都市ダンピルとは正反対に位置する都市セレーンで、こちらは山々を越えなければならず、道程にある村へ泊まらなければ辿り着けない。

 

 リトラ村は正真正銘の田舎である。それ故に訪れる者が少ない。しかし、時折都市セレーンからやってくる者がいる。それは物好きな行商人や、巡礼者などだ。

 

 巡礼者とは、聖地を巡礼する敬虔なエロス教徒のことであり、祈りと礼拝を通じて心身の浄化や信仰心の再確認をする者のことを指す。彼らが目指すのは女神エロスや十二使徒の残した聖遺物──遺骸や遺品など、聖骸布や聖杯などが有名──が保管されている都市だ。エンシェンの生まれ故郷である都市ドラコラスも聖地の一つであり、〝ドラクスの聖血〟が保管されている。目にしたことのあるエンシェンの、密かな自慢の一つだ。

 

「長旅でお疲れでしょう。司祭館には客室がありますので、そちらでお休みください」

 

 何故巡礼者について語ったのか。それはリトラ村に巡礼者がやってきたからである。

 羊毛(ウール)製のチュニックを身につけ、逆十字架をあしらった杖、手荷物の入った布袋を肩に掛けた男性。彼はサロスという名で、頭には山羊の角を生やしていて、毛深い下半身の先には蹄をもっていた。恐らく、サテュロスの血を引くエロスの子だろう。

 

「シスター・ラビワビ、水桶を用意してください。私は案内をします」

「了解です!」

 

 疲れた様子ながらも頭を下げるサロスに、エンシェンはついてくるように伝えた。

 

 

 昼食は客人がいることもあって少し豪勢だ。黒パンはいつも通りだが、今日の野菜スープ(ポタージュ)には塩漬けにされた豚肉が入っていて、これまた塩漬けのチーズが添えられている。どこが豪勢なのかと思うかも知れないが、豚肉を使っているところが豪勢だ。

 

 エンシェンは三人のシスター、そして客人のサロスと共に昼食をとった。サロスは都市セレーン出身のようで、遍歴商人をしているとのことだ(行商人と同義)。エンシェンが何故巡礼をしているのかと聞くと、サロスは次のように答えた。

 

「それは勿論、エロス教徒ですから。……とはいえ、他の目的もあります。私は都市セレーンと都市サハギルの近辺で商売をしているのですが、最近は商人ギルドの勢いに負けていましてね。新たな販路を見つけたいと思ってるのですよ」

 

 都市サハギルとは、魔界でも名のある港湾都市だ。人口が一万人を超える大都市であり、近年急速に成長しているとエンシェンは伝え聞いている。そして、商人ギルドとは都市に根付いた定住商人たちが立ち上げた、相互扶助のための同業ギルドのことだ。彼らにとって都市を行き来し、大して税金を収めない遍歴商人は敵であるため、〝定期市〟のような領主が開催する市場でなければ、基本的に彼らを歓迎しなかった。商人は商人で、色々と大変である。

 

「行き先はどちらへ?」

「都市ドラコラスです。一度、魔界でも随一の都市を観光したくてですねえ! それに聖遺物の数も多いですし、大司教様もおられる。やはり十二使徒様の末裔が治める都市は素晴らしいものですよ! ああ、早くこの目で見たいっ!」

 

 キラキラとした瞳を浮かべるサロスを他所に、エンシェンは彼の旅路を思い浮かべた。ここリトラ村から出発して、コルサ村とターセル村を経由して都市ダンピルへ。そこからまたいくつかの村を経由して、都市ドラコラスに到着する。道程自体は複雑ではないが、単純に遠い。ましてや歩きなのだ。自動車ならまだしも、自転車さえない。エンシェンは普通に苦行だと思ってしまった。

 

「いらぬお節介かと思いますが、都市ダンピルからは馬車が出ていますので、よろしければご利用ください」

「おおっ! それはいいことを聞きました! いや~、いくら行商人として足腰を鍛えているとはいえ、辛いものは辛いですからな! ハハハ!」

 

 辛く長い旅路の果てに己を鍛えるのが巡礼者なのだが、当然ながら全員が全員、覚悟をキメている訳ではない。軽く聖地を回りたい者だっているのだ。

 

「ねえねえ!」ラビワビが会話に入ってきた。「都市ドラコラスってそんなにすごいの? 都市ダンピルなら行ったことあるよ!」

「おやおや、ラビワビさん。こう言ってはなんですが、都市ダンピルは小都市ですぞ。それに比べて都市ドラコラスは大都市! それも人口十万人を超えるとか! 都市サハギルだって大都市ですが、全くもって敵(かな)いませんな!」

「ほえ~!」

 

 人口二千人以下なら小都市、人口一万人以下なら中都市、人口一万人以上なら大都市とされている。それを考慮すれば、都市ドラコラスが如何に発展しているかが分かるだろう。言うなれば異世界のパリだ。

 

 ラビワビが素直に感心し、レドココが行ってみたいと顔に浮かべる中、ミノトールがちらりとエンシェンを伺ってきた。額から冷や汗を流しては、ごくりと生唾を飲んでいる。どうやら興奮している訳ではなく、単純に肝を冷やしているようだ。

 

「シスター・ミノトール」

「はい! 何でしょう……?」

「私は司祭のエンシェンです。それ以上でもそれ以下でもない。そう気にすることはありません。ですが……」

「ででですが……⁉」

「あまり他言しないように」

「勿論です、司祭様!」

 

 緊張した様子のミノトールに、回りの者たちが疑問符を浮かべる。エンシェンはこれが嫌だった。ただ血筋が貴(とうと)いというだけで気を使われる。まるで天上人のように扱われる。誰もエンシェンの心を見ていない。見ているのは、エンシェンの身体だけだ。

 

「サロスさん、今宵のご予定は? 貴方がお望みでしたら、こちらのシスターたちがお相手いたしますよ」

「それはそれは大変ありがたいことです。では、お一人お願いできますか? どなたでも構いません、都合のいい方でお願いします」

「分かりました。では夜の初め頃にお伺いしますね」

 

 昼食は終わりを迎えて、いつもの日常がやってきた。客人のサロスは客室で少し休んでから、村を回るとのことだ。エンシェンは村人たちに襲われないようにと、念の為に忠告しておくのだった。

 

 

 教会に怪我をした村人がやってきた。なんでもハードな交わりをしていたら腰をいわしてしまったらしい。歩くのもやっとの状態で、付き添いの妻が心配そうに寄り添っていた。

 

「おや、パルコさんにピジーさんではないですか」

「ああ、その節はどうも。ただ、もう一回お世話になりたくっ……!」

「司祭様、お手数おかけしますが、夫をよろしくお願いします……!」

 

 夫のパルコと妻のピジー。いつの日か、有り余る強い欲望(リビドー)を抑えきれずにエンシェンを頼ってきた女性がいた。それがピジーだ。その後、エンシェンの『奇跡』によって身体を痛めた夫は回復した筈だが……また痛めてしまったらしい。

 

「分かりました。では『奇跡』を唱えますね──〈傷治療(キュア・ウーンズ)〉」

 

 エンシェンの右手から淡く輝く緑色の光が放たれ、パルコの腰へ吸い込まれていく。それは幻想的な光景を作り出していたが、やがて収束するように光は収まっていった。

 

「これで治ったはずです。ただ数日は安静にしておいてください。下手をするとまた腰をいわしますから」

「ああ~、極楽~っ! 司祭様、おかげさまで痛みが消えました! 本当にありがとうございます!」

「ありがとうございます、司祭様……!」

 

 パルコとピジーがニコニコと笑顔を浮かべながら去っていった。エンシェンとしては幸せならオッケーなのだが、なんとなくまた来そうだな、と思った。

 

 

 ⸸

 

 

 一日が終わり、夜の帳が下りてきた頃。エンシェンは自室で『シグルの歌』を読んでいた。すると、壁向こうから男女の声が聞こえてくる。

 

 ──やんっ♡ サロスさんのエッチ~♡

 ──ハハハ、よいではないか、よいではないか~!

 

 随分と楽しそうな雰囲気に、エンシェンは笑みを浮かべた。その時、扉がノックされる。相手はミノトールだった。

 エンシェンはミノトールを招き入れた。少しよそよそしい雰囲気だが、そこまで他者を気にする性格だったことに素直に驚く。

 

「わたくしは少し無礼でしたかね……?」ベッド脇に立ったミノトールが言った。「その、愚かなわたくしが思う以上に司祭様は高貴な方でした……」

「昼にも言ったでしょう、私は気にしていないと」

 

 エンシェンはミノトールをベッドに座らせると、エンシェン自身は隣に並んだ。体格差があるために、見上げながら話す形となった。

 

「シスター・ミノトール、私は貴方を友人として好いています。それは私の身分など気にしていないからです。もしや今更気にするのですか? 私は貴方ともっと仲良くなりたいのに」

「それは……」

「確かに貴方は攻めっけが強いし、なんなら強過ぎる。ですが、それは性欲が有り余っているからでしょう。貴方は相当な欲求不満なのです」

「そんな堂々と言われると恥ずかしいのですが」

「貴方もまた迷えるエロスの子。私が導きましょう」

 

 エンシェンはミノトールを優しく抱擁した。残念ながら子供が抱きつくような絵面になってしまったが、想いはしっかりと伝わっていた。

 

「……ありがとうございます、司祭様。貴方は間違いなくエロス教徒の鏡です」

「そう言われると嬉しいですね。では、シスター・ミノトール──」

 

 ミノトールをベッドに押し倒したエンシェンは、優しく口づけをする。

 

「私と交わりましょうか」

「いいのですか……?」

「ええ。ただし、今夜は私が攻めます。貴方はただ受け入れるだけでいい。互いに愛し合う行為こそが、最も尊ばれることをお教えしましょう」

 

 ナイトガウンを乱れさせるミノトールが頬を赤らめた。ベッドに広がる黒髪、そこから覗く瞳には嗜虐的な情動ではなく、被虐的な情動が映っているような気がした。

 




 魔界の豆知識
・村民は生まれの村を、都市民は生まれの都市を安易に離れることはできない。しかし、エロス教徒であり領主の許可さえ貰えれば、巡礼に赴ける。行き先は聖遺物が保管されているいくつかの都市で、最も尊ばれる聖地は女神エロスが眠る地である。
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