あの鐘の音が聞こえるか 作:もこもこ
デッドエンド・ホロウの底。
星見雅の目から零れ落ちた涙と、彼女の等身大の恐怖の吐露に、イサムは黙って彼女の頭に大きな手を乗せた。
その温もりに雅が小さく頷いた、その時だった。
『緊急事態だ!!』
静寂を破り、通信機越しに浅羽悠真の切羽詰まった声が響き渡った。
『対ホロウ6課の皆は講演会の場所に到着したけど、会場は大混乱で……ブリンガーがこれに乗じて逃げようとしている!』
「なんだと!?」
アキラが叫ぶ。
現実世界の特設会場は、突如として演壇が破壊され、次期市長候補が謎の襲撃者に襲われた(ように見えた)ことで、完全にパニック状態に陥っていた。警備の治安局員たちが右往左往する中、ブリンガーはその混乱を隠れ蓑にして、自らの私兵と共に包囲網からの脱出を図っているというのだ。
「……行かなければ」
雅が、まだおぼつかない足取りで立ち上がろうとする。
「待てよ、雅! お前、まだ立つのもやっとの……」
「私は、第6課の課長だ。……あのような悪党を、この手で逃すわけにはいかない!」
雅が『無尾』の柄を握りしめ、気丈に言い放った瞬間。
彼女の身体が大きくよろけ、崩れ落ちそうになった。
「雅さんッ!」
リンが支えようと手を伸ばすより早く、ホロウの空間が歪み、一人の女性が飛び込んできた。特務捜査官、朱鳶だった。
「雅……!!」
「……朱鳶」
朱鳶は雅の身体をしっかりと抱きとめ、その蒼白な顔色と、全身から漂う極度のエーテル消耗の痕跡を見て、痛ましげに顔を歪めた。
「遅くなってごめんなさい。……よく、耐えましたね」
「私は……平気だ。すぐに、ブリンガーを……」
「ダメです。今のあなたは、戦える状態じゃありません」
朱鳶は厳しく、しかし友人としての深い慈愛を込めた声で雅を制止した。
そして、アキラたちへと振り返る。
「雅は私に任せてください。彼女を一番近い医療拠点へ連れて行きます!」
「朱鳶さん……分かりました。雅さんのこと、お願いします」
アキラが力強く頷く。
「行ってください、店長さん! ……黒幕を頼みました。絶対に、彼を逃がさないで!」
朱鳶の言葉を背に受け、イサムは大剣を肩に担ぎ直した。
「聞いたな、お前ら。……あのお堅い治安官様から、直々に『黒幕をぶっ飛ばせ』ってお墨付きが出たぜ」
「ええ! やるわよ、みんな!!」
ニコが重火器のシリンダーを回転させ、邪兎屋の面々も一斉に武器を構える。
「ナビゲートは任せて! 最短ルートで、あのクソ野郎の退路を塞ぐよ!」
リンの声と共に、パエトーンと邪兎屋、そしてイサムの共同戦線は、デッドエンド・ホロウの浅層から現実世界へと抜ける光の出口を目指して、全速力で駆け出した。
* * *
特設会場の裏手、VIP用の避難通路。
熱狂と歓声が悲鳴と怒号に変わった会場を背に、ジャスティン・ブリンガーは数名の武装した側近に守られながら、薄暗い地下通路へと足を急がせていた。
「チィッ……! 忌々しい野良犬どもめ! まさか、あの状況で星見雅をホロウに叩き落とし、私の計画を妨害するとは!」
杖を乱暴に突き立てながら、ブリンガーが毒づく。
彼にとって、雅の暴走による惨劇は、自らが新エリー都の救世主として振る舞うための完璧な舞台装置となるはずだった。それが、得体の知れない白髪のレイダーの捨て身の行動によって、すべて水泡に帰したのだ。
「だが、まだ終わらん……! サラが残した実験体とデータさえあれば、私は何度でも……!」
ブリンガーがほくそ笑んだ、その瞬間だった。
「——止まれ! 投降しなさい、ブリンガー副長官! いえ……今や『容疑者』ですね」
薄暗い地下通路の先。
月城柳、浅羽悠真、蒼角の三人が、完全に退路を塞ぐようにして立ち塞がっていた。
「……対ホロウ6課か。足が速いな」
ブリンガーは舌打ちをしたが、すぐにその顔に不気味な薄ら笑いを浮かべた。
「いいだろう。こちらとしても、この方が好都合だからな」
「……好都合?」
柳が眼鏡の奥で眉をひそめる。
「ああ。お前たちの課長が果たせなかった『星見の力』の証明。……その端くれを手に入れた私が、ここで見せてやろう。ホロウの時代を先駆ける、人類の究極の姿をな!」
ブリンガーが懐から取り出したのは、禍々しい紫色に発光する注射器のようなシリンダーだった。
『エリクサーP07』
パールマンを利用して極秘裏に進められていた、高濃度エーテルと旧文明の遺物を融合させた、最悪の生体強化薬。
「なっ……それを自分に打つつもりですか!?」
悠真が驚愕して弓を構える。
「狂っている……!」
柳が薙刀を構えて踏み込もうとするが、遅かった。
ブリンガーは躊躇なく、そのシリンダーを自らの首筋に深々と突き立てた。
「始まりの主が……汝を、再誕させるッ!!」
ブリンガーの喉から、人間のものとは思えない、おぞましい咆哮が轟いた。
ゴキャァァァァッ!!
彼の着ていた高級なコートが内側から引き裂かれ、肉体が異様な速度で肥大化していく。
肌は赤黒く変色し、両腕からは鋭利なエーテル結晶の刃が突き出し、目は理性を失った狂気の光で赤く濁り始めた。
もはや人間の姿をとどめていない、巨大で醜悪なエーテリアス——それが、新エリー都の法を司る男の成り果てた姿だった。
「なんだこいつ……エ、エーテル反応が跳ね上がってますよ! 柳副課長!」
悠真が後ずさりながら叫ぶ。
「気を付けて、悠真! あの腕……ただのエーテリアスじゃない。極度に圧縮されたエーテルエネルギーを帯びている!」
ブリンガーだった化け物が、巨大な結晶の腕を無造作に振り回した。
ドゴォォォンッ!!
それだけで、地下通路の分厚いコンクリートの壁が消し飛び、瓦礫の雨が三人に降り注ぐ。
圧倒的な質量と破壊力。雅の『無尾』には及ばないものの、それに匹敵するほどの高密度な呪いが、その肉体には宿っていた。
「うわぁっ!?」
「っ……なんという力……!」
悠真と柳が吹き飛ばされ、体勢を崩す。
そこに、ブリンガーが追撃の巨大な拳を振り下ろそうとした、その時だ。
「でっかいおじさん、ダメーッ!!」
蒼角が巨大な得物を振り回し、ブリンガーの拳を真っ向から受け止めた。
火花とエーテルが激しく散る。小鬼の少女の規格外の怪力が、かろうじて化け物の一撃を相殺する。
「そ、蒼角! 無理するな!」
「くうぅぅ……っ! こいつ、すごく重いよぉ!」
蒼角が悲鳴を上げ、徐々に押し込まれていく。
だが、その拮抗した数秒間が、反撃の糸口を作るには十分だった。
「——突撃、猛進! お届けだぜ!!」
ブリンガーの背後。
地下通路の天井をぶち破り、巨大な大剣を構えた白髪の青年が、蒼白の炎を纏って隕石のように降ってきた。
「待たせてやったな、クソ野郎!!」
イサムの渾身の一撃が、ブリンガーの強固な背中の装甲をカチ割る。
化け物が苦痛の咆哮を上げ、蒼角から距離を取って大きくよろめいた。
「イサムさん! みんなも!」
悠真が安堵の声を上げる。
天井の穴から、ニコ、アンビー、ビリー、猫又、そしてアキラとリンの姿が現れた。
彼らは息を乱しながらも、ブリンガーを取り囲むように武器を構える。
「ったく、どこまでも見苦しい男ね。自分で化け物になっちゃうなんて、悪趣味の極みだわ!」
ニコが重火器の照準をブリンガーの眉間に合わせる。
「……これが、お前の望んだ新エリー都の未来か。冗談じゃねえ」
イサムが大剣の炎をさらに燃え上がらせ、首元の結晶を軋ませながら低く唸った。
「容疑者を速やかに捕らえる。……それが、我々の仕事です」
柳が薙刀を構え直し、静かに宣告する。
パエトーン、邪兎屋、第6課、そしてイサム。
新エリー都の闇を終わらせるための、真の最終決戦の火蓋が切って落とされた。
* * *
「グガァァァァァッ!!」
理性を失い、純粋な破壊衝動の塊と化したブリンガーが、肥大化した腕をデタラメに振り回す。
その一撃一撃がコンクリートの壁を紙のように粉砕し、地下通路に激しい振動と粉塵を巻き起こした。
『みんな、散開して! 正面からまともに受けちゃダメ!』
リンの的確なナビゲートが、インカム越しに全員の耳に届く。
「言われるまでもないわよ! アンビー、ビリー、猫又! 陣形を組むわ!」
ニコがアタッシュケース型の重火器を変形させ、ブラックホールのような重力弾を放つ。
凄まじい引力がブリンガーの巨体を一瞬だけその場に縫い留めた。
「スターライトナイト、見参ッ!!」
ビリーが二丁拳銃を抜き放ち、軽やかなステップを踏みながら、関節の隙間を狙って雨あられと銃弾を撃ち込む。
その弾幕の影から、猫又が目にも留まらぬ速さで飛び出し、ブリンガーの装甲の継ぎ目を鋭い双剣で切り裂いた。
「にゃはっ! 動きが鈍いね〜デカブツ!」
「……撃破する!」
さらに頭上から、アンビーが雷光を纏った刀を振り下ろす。
強烈な電撃がブリンガーの巨体を走り、化け物は苦悶の声を上げて大きくよろめいた。
「第6課、追撃します!」
月城柳が薙刀を構え、流れるような身のこなしでブリンガーの懐へ潜り込む。
彼女の刃が精密な計算に基づいた軌道で弱点を正確に穿ち、そこに浅羽悠真の放った電撃の矢が次々と突き刺さる。
「そぉれッ! 蒼角のお弁当の恨み、思い知れーっ!!」
蒼角が巨大な旗槍を振り回し、ブリンガーの脚部を力任せに打ち据えた。
圧倒的な手数の波状攻撃。
だが、エリクサーP07によって特級エーテリアス並みの耐久力を得たブリンガーは、全身から紫色のエーテルを噴出させ、強引にその包囲網を弾き飛ばした。
「ガアアアアッッ!!」
ブリンガーの右腕が、巨大な結晶の槍へと変形する。
狙いは、離れてナビゲートの指示を出している二人——アキラとリンだ。
「お兄ちゃん、危ない!」
リンがアキラを突き飛ばす。
死の槍が二人を串刺しにしようと迫った、その瞬間。
「——よそ見してんじゃねえぞ、三流市長!!」
ドゴォォォンッ!!
イサムが大剣を盾のように構え、ブリンガーの結晶槍を真っ向から受け止めた。
激しい火花が散り、凄まじい衝撃波が周囲の空気を震わせる。
「ぐ、ぅぅぅッ……!」
イサムの足元の石畳が砕け、ブーツが地面を抉りながら後退する。
だが、彼は一歩も引かない。首元の結晶がバチバチと音を立てて青い光を放ち、ブリンガーから放たれる死のエーテルを強引に吸い上げ、己の力へと変換していく。
ゴオォーン… ゴオォーン…
「お前なんかが……新エリー都の未来を語るな……ッ!!」
イサムの瞳に、激しい怒りの炎が燃え上がる。
吸い上げた莫大なエーテルが、熱を持たない蒼白の『火炎』となって、巨大な大剣の刃を包み込んだ。
『今だ、イサム! 出力全開でぶっ飛ばせ!!』
アキラの叫びに呼応し、イサムは大剣を限界まで解放した。
「おらァァァッ!!」
下段から跳ね上げるような、渾身のフルスイング。
蒼白の炎を纏った大剣が、ブリンガーの胸部装甲を真っ向からカチ割った。
「ゴ、ガァァァァァッ!?」
凄まじい衝撃音。
ブリンガーの巨体は、まるで大砲の弾のように宙を舞い、地下通路の奥に積まれていた搬入用の巨大な鋼鉄コンテナの山へと一直線に吹き飛んだ。
ガシャアァァァァンッッ!!!
鼓膜を破るような金属のひしゃげる轟音と共に、ブリンガーがコンテナ群に激突する。
幾重にも積まれた重厚なコンテナが次々と崩れ落ち、化け物をその下敷きにしていく。
もうもうと舞い上がる分厚い砂煙と粉塵が、周囲の視界を完全に覆い尽くした。
「はぁっ……はぁっ……」
イサムは大剣を地面に突き立て、荒い息を吐きながら砂煙の先を睨みつける。
「やったか……!?」
ビリーが銃を構えたまま呟く。
だが、砂煙の奥で、ガレキを押し除ける不気味な音が響いた。
「……ゼェ……ハァ……ッ」
粉塵の中から現れたブリンガーは、全身の装甲をひどくひび割れさせ、紫の体液を流しながらも、まだ立ち上がっていた。
しかし、その瞳には先ほどの狂暴な威圧感はない。あるのは、自分が圧倒的に不利であるという焦りと、死への恐怖だった。
(……このままでは、やられる。一時撤退だ……!)
ブリンガーは踵を返すと、なりふり構わず地下通路の出口——地上に続く広大な搬入用シャッターに向かって、四つん這いになって逃げ出した。
「待て! 逃がすな!」
悠真が矢を放つが、分厚い装甲に弾かれる。
ブリンガーはシャッターを力任せにぶち破り、デッドエンド・ホロウに隣接する巨大な資材置き場へと転がり出た。
ここからなら、治安局の装甲車を奪って逃走できる。そう確信して走り出そうとした、その時だった。
——ドゴォォォンッ!!
「なっ……!?」
ブリンガーの目の前に、巨大なコンクリートの柱が天から降ってきたかのように突き刺さった。
「逃がすわけねえだろうが、この悪徳ヤロウ!!」
地響きと共に現れたのは、巨大な熊の獣人——ベン・ビガーだった。
そしてその太い腕の上から、燃え盛るハンマーを構えた小柄な少女、クレタ・ベロブルグが高々と跳躍する。
「うちの会社(白祇重工)を旧地下鉄の工事で散々コケにしてくれた恩、ここでたっぷり返させてもらうぜ!!」
クレタのハンマーがブリンガーの顔面にクリーンヒットし、化け物はたまらず逆方向へと大きくよろめいた。
「クレタ社長! ベンさん! それにアンドーにグレースまで!」
追いついてきたアキラたちが、思わぬ援軍に歓声を上げる。
「へっ、パエトーンの兄弟からの頼みとあっちゃあ、黙って見てられねえからな!」
アンドーがドリルを唸らせて笑う。
ブリンガーは忌々しげに方向を変え、反対側の資材ルートへ逃れようとする。
だが、その進路を塞ぐように、冷たい氷の刃が空を切り裂いた。
「——おや。ずいぶんと見苦しいお姿ですね、ブリンカー副長官殿」
月明かりの下、優雅にお辞儀をしたのは、ヴィクトリア家政の執事、フォン・ライカンだった。
彼の背後には、巨大な鋏を構えたエレン、チェーンソーを震わせるカリン、そしてふわりと宙を浮くリナが立ち並んでいる。
「当主様より、害虫駆除の正式なご依頼を受けましてね。……お引き取り願いましょうか」
ライカンの研ぎ澄まされた氷の蹴りが、逃げようとするブリンガーの巨体を容赦なく蹴り飛ばす。エレンの鋏がそれに続き、鋭い斬撃が化け物の脚を切り裂いた。
「ガアアアアッ……!」
幾度も行く手を阻まれ、ブリンガーは絶望の咆哮を上げる。
それでも残された最後のルート——郊外へと続く幹線道路の方角へ這いずろうとした瞬間。
ブロロロロロォォォッ!!
夜の静寂を切り裂く、複数のけたたましいバイクのエンジン音が響き渡った。
砂埃を巻き上げて現れたのは、アウターリングの荒野を支配する暴走族——『カリュドーンの子』たちだった。
「アハハハッ! なんか面白そうなパーティーやってるねぇ〜!」
バーニスが両手から猛烈な火炎放射を放ち、ブリンガーの周囲を炎の壁で完全に包囲する。
その中心に、盾と剣を構えたシーザーが、堂々たる態度でバイクから降り立った。
「アキラとリンに手ェ出す奴は、ウチら『カリュドーンの子』が許さないよ! 覚悟しな」
パイパーとライトも武器を構え、ルーシーがバットを肩に担いで不敵に笑う。
白祇重工。
ヴィクトリア家政。
カリュドーンの子。
新エリー都のあらゆる勢力が、パエトーンの呼びかけ——そして、それぞれの因縁に導かれ、たった一人の巨悪を完全に包囲していた。
「……見なさいよ、この光景」
ニコが重火器を構え直し、呆れたような、それでいて誇らしい笑顔を浮かべた。
「これが新エリー都の『答え』よ、ブリンガー。あんたはもう、どこにも逃げられない」
イサムがゆっくりと前に歩み出る。
周囲の炎と氷、そして雷光が入り混じる戦場の中で、彼の真っ白な髪が夜風に揺れていた。
「さて、鬼ごっこは終わりだ。……引導を渡してやるよ、三流市長」
パエトーンと仲間たち、そして新エリー都の全勢力による、ブリンガーへの総攻撃の合図が、今まさに下されようとしていた。
「これで終わりだァッ!!」
イサムの咆哮と共に、蒼白の炎を纏った大剣がブリンガーの巨体に叩き込まれる。
同時に、月城柳の薙刀が急所を穿ち、浅羽悠真の雷矢が突き刺さった。アンビーの雷光とビリーの銃弾、ニコの重力場がブリンガーの動きを完全に封じ込める。
「ガ、アアアアアッ……!!」
新エリー都の各勢力による波状攻撃。その圧倒的な力の前に、さしもの特級変異体と化したブリンガーも耐えきれず、全身の装甲を砕き散らしながら、ついに冷たいコンクリートの地面へと崩れ落ちた。
「ふぅ……。やった、か……?」
アキラが額の汗を拭いながら、に呟く。
だが、彼らが安堵の息を吐こうとした、その瞬間だった。
——ゴゴゴゴゴゴッ……!!
突如として、倒れ伏したブリンガーの肉体から、周囲の空間を歪ませるほどの異常な高濃度エーテルが噴き出し始めたのだ。
それに呼応するように、資材置き場や広場を取り囲む空間に、赤黒いノイズの亀裂が次々と走り出す。
『警告。周辺のエーテル濃度が爆発的に上昇。未登録ホロウの亀裂より、多数のエーテリアス反応が接近中』
フェアリーの無機質な警告音が鳴り響く。
「嘘でしょ……!? たくさん湧いてくるの!?」
リンが叫ぶ。
亀裂の中から、ブリンガーから放たれるエーテルに引き寄せられるように、無数のエーテリアスが雪崩を打って這い出してきた。その数は数百にものぼり、広場をあっという間に埋め尽くしていく。
「チィッ、親玉が倒れても、周りの護衛が無限湧きってわけかよ!」
イサムが忌々しげに大剣を構え直すが、限界を超えてエーテルを吸い上げ続けている彼の肉体は、すでに悲鳴を上げていた。首元の青い結晶が鋭く脈打ち、膝がガクンと折れそうになる。
「イサム! 無理しないで!」
「平気だ、こんくらい……ッ」
強がるイサムの前に、頼もしい背中が次々と立ち塞がった。
「パエトーンの兄弟たち! そしてそこの白髪の兄ちゃん! あんたたちは親玉から目を離すな!」
轟音と共に、ベン・ビガーが巨大なコンクリート柱を振り回し、群がるエーテリアスをまとめて吹き飛ばした。
その肩の上からクレタが跳躍し、燃え盛るハンマーで地面を叩き割る。
「こっちの雑魚の掃除は、アタシたち『白祇重工』が引き受ける!」
「そういうことだ! 燃えてきたぜェ!!」
アンドーがドリルを咆哮させ、グレースが次々と自律兵器を展開して弾幕を張る。
「おや、力仕事だけが能ではありませんよ。優雅な接客も我々の務めです」
ライカンが氷の蹴りでエーテリアスを凍てつかせ、エレンが気怠げに鋏を振るって敵を両断していく。
「お、お掃除の時間ですぅぅ……ッ!」
カリンが涙目でチェーンソーを振り回し、リナの電撃が宙を舞う。『ヴィクトリア家政』の面々もまた、完璧な陣形を組んで敵の群れを押し留めていた。
「アハハッ! ウチらも負けてらんないねぇ!」
バーニスが両手から火炎放射をぶち撒け、炎の壁を作り出す。
「道は切り開く! 行くよ、みんな!」
シーザーが盾を構えて突撃し、パイパーとライト、ルーシー率いる『カリュドーンの子』たちが、暴走族の意地を見せつけるように、エーテリアスの群れを次々と轢き潰していく。
「すごい……! みんな、頼むよ!」
アキラとリンが、各陣営に的確なナビゲートを送りながら歓声を上げる。
「フッ、頼もしい連中だ。……なら、俺たちはこいつの息の根を完全に止めるだけだ!」
イサムがブリンガーの方へと向き直る。
柳と悠真、蒼角、そして邪兎屋の面々も、再び倒れたブリンガーへと武器を向けた。
突如
彼らが止めを刺そうと踏み込んだその時、頭上の空間にノイズが走り、あの優雅で冷酷な女——サラのホログラムが浮かび上がった。
『ふふふ……素晴らしいわ。本当に素晴らしいデータが取れた』
サラのホログラムは、地に伏してピクピクと痙攣しているブリンガーを見下ろし、口元を隠して嗤った。
『極限状態における、エーテルの適応と肉体の崩壊プロセス。……ジャスティン・ブリンガー。あなたは本当に、最後まで立派にモルモットとしての使命を全うしてくれたわ』
『実験は完了よ。エリクサーP07は、確かに有効だった。……だからこそ、さらに改良したものを持ってきたの。次の段階(フェーズ)へと進ませてもらうわ。始まりの主が、汝を再誕させる』
空から小型のドローンが高速で飛来し、倒れているブリンガーの首筋に、先ほどよりもさらに禍々しい、どす黒い液体が詰まったシリンダーを打ち込んだ。
「しまッ……!!」
イサムが大剣を振り下ろすが、間に合わない。
ドクンッ……!!
ブリンガーの巨体が、心臓の鼓動に合わせて異常に膨張し始めた。
「ガ、ガアアアアアアアアアアッッ!!!」
先ほどとは比べ物にならない、天を劈くような絶叫。
ブリンガーの肉体はさらに巨大化し、皮膚を突き破って無数のエーテル結晶の角が天に向かって伸びていく。もはや人型すら保っていない。まるで歩く災害そのもののような、巨大な怪獣へと変貌を遂げたのだ。
「ウソでしょ……さっきよりデカくなってるじゃない!」
ニコが悲鳴に近い声を上げる。
ドスォォォンッ!!
完全なる化け物と化したブリンガーが、その巨大な腕を振り下ろした。
ただそれだけで、周囲のコンテナが紙屑のように吹き飛び、凄まじい衝撃波が広場全体を舐め回す。
「ぐわぁぁっ!」
「きゃああっ!」
邪兎屋と第6課の面々が、暴風に巻き込まれて次々と吹き飛ばされる。
「くそったれが……ッ!」
イサムだけが、大剣を地面に深く突き立てて、かろうじてその場に踏みとどまっていた。
だが、その限界を迎えた身体に、再変異したブリンガーの放つ『超高密度のエーテル』が容赦なく襲いかかる。
「が、ぁああアアッ!!」
イサムの首元の結晶が、限界を超えて青く発光し、パキパキとひび割れ始めた。
強制吸収のキャパシティが完全に決壊しかけている。このままでは、ブリンガーを止める前に、イサム自身の肉体がエーテルの暴走によって内側から弾け飛んでしまう。
「イサム!! もうやめて、それ以上吸い込んじゃダメ!!」
リンが遠くから泣き叫ぶような声を上げる。
「やめろって、言われてもな……! ここで俺が退いたら、市民も……全部終わっちまうんだよッ!!」
血反吐を吐きながらも、イサムは決して膝を突かなかった。
彼に向かって、ブリンガーがその巨大な拳を、死刑宣告のように振り上げる。
(……ここまで、か)
イサムが最後の力を振り絞り、目をカッと見開いた、まさにその瞬間だった。
——ヒュンッ。
戦場の喧騒を、すべて凍りつかせるような。
極めて静かで、透き通るような冷たい『風』が、イサムの横を通り抜けた。
「……え?」
イサムが息を呑む。
振り下ろされようとしていたブリンガーの巨大な拳。
それが、イサムの頭上数メートルの空間で、ピタリと静止していた。
いや、静止したのではない。
斜めに走った、一筋の『青白い線』。
次の瞬間、ブリンガーの巨大な右腕が、肘から先で音もなく『滑り落ちた』のだ。
「ガ……?」
ブリンガー自身も、何が起きたのか理解できないというように、斬り飛ばされた自らの腕を呆然と見下ろす。
「……すまない、待たせたな。我が六課の隊員たちよ。そして……白髪の大馬鹿者」
静寂の中。
空気を震わせる凛とした声と共に、一人の影が、イサムの前にゆっくりと降り立った。
漆黒の制服。長く艶やかな黒髪。
腰に帯びた妖刀『無尾』から、静かで美しい、澄み切った青白いエーテルの光を放つ少女。
「雅……!」
イサムの目が見開かれる。
「課長!!」
「雅さんッ!!」
吹き飛ばされていた柳や悠真、蒼角、そして通信機越しのパエトーンたちが、一斉に歓喜の声を上げた。
朱鳶によって医療拠点へと運ばれていたはずの星見雅。
彼女は、自らの内に封じられた呪いと完全に決着をつけ、それを「己の力」として調伏し、この絶体絶命の戦場へと舞い戻ってきたのだ。
「……私の刀は、もう迷わない」
雅はゆっくりと振り返り、イサムに向けて、薄く、だが確かな微笑みを向けた。
「お前が命を懸けて繋いでくれたこの命……そして、新エリー都の未来。……今度こそ、私がすべてを斬り拓く」
雅が再び前を向き、無尾の柄を両手で握り上段に構える。
その刀身から放たれる圧倒的な剣気は、再変異したブリンガーの巨大なプレッシャーすらも完全に凌駕していた。
「——対ホロウ特別行動課 第6課、星見雅。……いざ、参る!」
雅が大地を蹴る。
青白い閃光が、夜の闇と化け物の絶望を、真っ二つに切り裂いた。
今日も2回行動