戦闘能力の一面でFateで有名な山の翁そっくりな力を使ってます。そういったご都合設定が嫌いな方は注意。
速攻でコメントしてくださった方には大変申し訳ございません。
独自設定注意です。
六分街の路地裏に、冷たい雨が降り注いでいた。
ネオンの光が水たまりに幾重にも滲む夕暮れ時。ビデオ屋「Random Play」のドアベルが、カランコロンと軽快な音を立てて鳴った。
「ちわーっす! アキラ、リン、生きてるかー!」
店の静寂と雨の重苦しさを一瞬で吹き飛ばすような、底抜けに明るい声。
フードを目深に被り、身の丈を超える布巻きの大剣を背負った青年が、ずぶ濡れのコートをバサバサと振るいながら入ってきた。物々しいテックマスクのフィルター越しでもわかるほど、その声色は陽気で屈託がない。
カウンターの奥でパソコンのモニターを睨んでいたリンが、呆れたように肩をすくめた。足元では、店番のボンプが「ンナッ!」と抗議の声を上げながら、モップで急いで水滴を拭き取り始める。
「ちょっと、床が水浸しになっちゃうでしょ。相変わらず騒々しいなあ」
「ははっ、悪い悪い! 外、すげえドシャ降りでさ。タオルとかない? あ、ついでに甘いコーヒーもらっていい?」
青年は慣れた手つきでマスクのロックを外し、顎の下まで引き下げた。
露わになった素顔は、年齢相応の精悍な顔立ちだ。しかし、リンと、奥からタオルを手に出てきたアキラの視線は、青年の「髪」へと真っ直ぐに吸い寄せられた。
彼の髪は、まるで新雪のように真っ白だった。
不自然なほどの純白。水を弾くコートの隙間から覗く首筋には、青く透き通ったエーテル結晶が痛々しく皮膚を破って群生している。
「……また、白髪が増えたんじゃないか?」
アキラがタオルと淹れたてのコーヒーを差し出しながら、静かに、だが確かな痛みを帯びた声で問う。コーヒーには、彼がいつも好むようにたっぷりと砂糖とミルクが入れられていた。
青年は受け取ったマグカップを冷え切った両手で包み込み、わざとらしいほど大袈裟に「あはは!」と大声で笑った。
「そうなんだよ! 最近すっかりお爺ちゃんみたいになっちゃってさ〜。この前なんて、ホロウの中で助けたガキに『白いお兄ちゃん』じゃなくて『白いおじちゃん』って呼ばれたんだぜ? これじゃあ六分街の可愛い女の子たちにモテなくて困るわ、まったく」
「……」
「結晶の方も服に擦れてちょっとチクチクするしさ。ホロウの乾燥肌対策、プロキシのネットワークで誰か良いクリーム知ってたりしない?」
冗談めかして笑い飛ばし、熱いコーヒーを美味そうに啜る青年に、リンは唇を噛んだ。
それが加齢やストレス、あるいはファッションによるものではないことを、彼を長年サポートしてきたプロキシである二人は痛いほど知っている。
彼の異能——他者のエーテル侵食を強引に吸い上げ、肩代わりし、疑似火炎として自分の力として燃焼させる異常な能力。その代償として、彼は全身を苛む絶え間ない痛みに耐え続け、まるでアルビノの人のように少しずつ全身の色素を失っていくという残酷な変化を強いられているのだ。
本人がどれほど底抜けに明るく振る舞い、冗談で場を和ませようと、その純白の髪は、彼がこれまでどれほどの数の人間を救い、どれほどの絶望と激痛を一人で飲み込んできたかの残酷な証明だった。
「……笑い事じゃないよ。この前送られてきたバイタルデータ、エーテルの蓄積量が尋常じゃなかった。君のその身体、もう限界が近いんじゃないの?」
「平気平気! 俺、昔から無駄に頑丈なのが取り柄だからさ。この大剣を振れる筋肉があるうちは、なんとかなるって!」
心配するリンの言葉を遮るように、彼は空になったマグカップをドンとカウンターに置いた。その手首に生えた結晶が、店の淡い照明を反射して鈍く光る。
「ごちそうさん。糖分補給完了、すげーあったまったわ。さて、それじゃあお仕事の時間だ。今日のお目当ての座標と、標的のデータは?」
青年の纏う空気が、少しだけピリリと引き締まったのを感じ取り、アキラとリンも仕事の顔へと切り替わる。リンが手元のキーボードを素早く叩いた。
「……新エリー都の西区画、未登録のホロウよ。武装した違法レイダーの集団が、エーテリアスを使った非道な生体実験をしてるって噂の場所。今回は少し数が多いみたい。見取り図と予想される敵の配置ルートは、もう君のデバイスに送ってある」
「サンキュー。いつもながら完璧な裏方仕事だ。助かるぜ」
データを受け取った青年は、顎に下げていたテックマスクを再び口元まで引き上げ、濡れたフードを深く被り直した。その瞬間、彼の纏う空気が、陽気で気のいい青年から、圧倒的な「死の気配」へと一変する。
瞳の奥に宿る光が鋭く冷たいものに変わり、背負った大剣が主の闘気に呼応するように微かに震えた。
「オーケイ、ナビを頼むぜ、パエトーン」
「気をつけてね……『晩鐘のハサン』」
背を向け、青年がドアノブに手をかけた時だった。
彼の胸元、タクティカルベストの裏側に大切に忍ばせた何かが、チリン……と、この物々しい装備にはおよそ似つかわしくない、ひどく可憐な音を立てた。
その小さな鈴の音を聞いた瞬間、青年の真っ白な前髪の奥で、冷徹だった瞳が微かに揺れる。
雨音の向こう側に、いつかの晴れ渡った空と、乾いた土の匂い、そして懐かしい木刀の打ち合う音がフラッシュバックしていた。
パァァァンッ!!
「甘いですよ! 大剣はただ力任せに振るうものではありません。重心の移動と、そして……何を守るかという強い心で振るうのです」
記憶の中の旧都。眩しいほどの太陽の光が降り注ぐ道場の中庭で、激しい木刀の音が響き渡っていた。
まだ髪に本来の瑞々しい色が残っていた少年時代の彼は、身の丈に合わない巨大な木製の剣を握りしめ、息を切らして尻餅をついていた。
「いってー……! 師匠、容赦なさすぎですよぉ……」
「ふふっ、ホロウの化け物や悪党は、手加減などしてくれませんからね。さあ、立って。もう一本」
口元にふわりと優しい笑みを浮かべながらも、足運びには一切の隙がない美しい女性。
星見雅の母であり、彼にとって大剣の重さ、身体の使い方、そして強き者としての在り方のすべてを叩き込んでくれた、かけがえのない師匠だった。
「ははうえ。彼ばかり手解きを受けるのは不公平だ。私にもご指導を頼みたい」
縁側で自分用の短い木刀を振っていた幼い雅が、生真面目な顔つきで歩み寄ってくる。
幼少期からどこか古風で、背筋の伸びた堂々とした物言いをする少女だった。だが、不満げに彼を睨みつける大きな瞳には、隠しきれない幼馴染への対抗心と親愛が滲んでいる。
「ふふ、雅は少し休憩にしましょう。彼も休ませてあげないと、倒れてしまいますよ」
「だ、倒れないし! 俺、無駄に頑丈だから!」
雅の前で格好をつけようと、痛むお尻を擦りながら強がる彼を見て、母はくすくすと声を上げて笑った。雅も呆れたように小さくため息をつく。
縁側でお茶を飲みながら、冷たいスイカを頬張り、汗を拭う平和な時間。ジリジリと鳴くセミの声と、軒先で揺れる風鈴の音が、心地よく中庭を吹き抜けていく。
「……これを受け取れ」
不意に、隣にちょこんと座っていた雅が、小さな包みを彼に押しつけるように差し出した。
中に入っていたのは、真鍮色の小さな鐘がついた、少し古風なお守りだった。手に取ると、チリン、と可愛らしい音が鳴る。
「なんだこれ?」
「……お前はよく迷子になるからな。その音が鳴っていれば、私と母様ですぐに見つけられる」
「迷子じゃねーし! 修行の一環で探索してただけだっつーの!」
「みえを張るな。……無くさぬよう、大切にもっておくのだぞ」
つん、とそっぽを向いて耳まで赤くする雅。真面目すぎるがゆえの不器用な優しさに、彼はその小さなお守りを手のひらでぎゅっと包み込み、満面の笑みを浮かべた。
「おう! サンキュー、雅。絶対失くさないようにする!」
厳しくも優しい師匠の背中を追いかけ、雅と他愛のないことで言い合い、競い合いながら、この眩しいほど平和で温かい日常がずっと、永遠に続くのだと信じていた。
——だが、その平穏は、あまりにも唐突に引き裂かれた。
空が巨大なガラスのように割れ、世界が赤と黒の禍々しい渦に飲み込まれた『旧都陥落』の夜。
凄まじい轟音と共に、太陽の光が降り注いでいたはずの道場は、瞬く間に濃密なエーテルの霧に包まれた。呼吸をするだけで肺が焼けるような、致死量の高濃度エーテル。
「雅! 彼を連れて下がりなさい!」
突如として発生した未曾有のホロウ災害の中、母は愛用の刀を抜き放ち、押し寄せるエーテルの波と不可視の脅威から二人の子供を庇うように立ち塞がった。
しかし、敵から物理的な傷を負ったわけではない。周囲を満たすあまりにも異常なエーテル濃度そのものが、剣士である彼女の身体を容赦なく内側から蝕み始めていた。
「はぁっ……くっ……!」
剣を杖代わりに、母が苦しげに膝をついた。
その美しい白磁のような肌に、ひび割れのような青黒いエーテルの脈動が走り、顔の半分を鋭いエーテル結晶が覆い尽くそうとしていた。
人間の限界を超えた侵食。このままでは、あと数分、いや数十秒で理性を失い、自我を持たない「エーテリアス(化け物)」へと成り果ててしまう。
己の命の限界と、迫り来る変異を悟った母は、決然とした瞳で立ち上がった。
自分が化け物になれば、真っ先に背後の雅たちを殺してしまう。ならば、人間の心を保っている今のうちに、すべてを娘に託して自らを絶つしかない。
母は茫然と立ち尽くす雅の前に膝をつき、自らの着物を震える手で雅の小さな肩に掛けた。そして、星見の一族に伝わる刀『骸討ち』を、娘の胸元へと押し当てる。
「こうするほかないのです…目を閉じて、よく聞いて… これは最後の修行…」
侵食の苦痛を微塵も感じさせない、静かで、けれど確かな声。
「やだ…」
何が起きているのか理解しきれないまま、雅は震えながら、言われた通りにぎゅっと目を閉じた。
「母はずっと、そばにいます」
「……」
それが、母の最後の別れの言葉になるはずだった。
雅の視界が暗闇に閉ざされたその瞬間、母は自らの手で命を絶ち、侵食を止めるつもりだったのだ。
(そんなの、絶対に嫌だ……!!)
気づけば、彼は地を蹴っていた。
木刀を放り捨て、ただ無我夢中で師匠の身体に飛びつき、青黒く変色し結晶化していくその腕を両手で強く握りしめた。
「やめろ……俺の師匠を、奪うなああああっ!!」
魂を引き絞るような叫びを上げたその瞬間——彼の身体の奥底で、未知の器官が爆発的に覚醒した。
ドクン、と心臓が異様な音を立てて跳ねる。
師匠の身体を蝕んでいた絶望的な濃度のエーテルが、まるで強力な磁場に引かれるように、彼の手のひらを経由して濁流となって流れ込んできた。
「あ、あああアアアアアッッ!!」
全身の血管に煮えたぎる鉛を流し込まれたような、絶え間ない激痛。
限界を超えたエーテルを強制的に吸い上げた代償として、彼の首筋や腕の皮膚を突き破り、青く鋭い結晶が凄まじい勢いで群生していく。
同時に、彼の一部の髪の毛から急速に生命の色が抜け落ち、毛先から根元に至るまで、まるで不気味なほどの純白へと染め上げられていった。
「……あ、なた……なにを……」
侵食の毒をすべて吸い出されたことで、母の身体から結晶が砕け散り、青黒い変色が嘘のように引いていく。
死と変異の淵から完全に引き戻され、命を救われた母は、信じられないものを見る目で目の前の少年を見つめた後、急激な安堵と疲労によりその場に気を失い、崩れ落ちた。
「ははうえ……!?」
異変と彼の叫び声に驚き、雅が目を閉じるという言いつけを破って目を見開いた。
彼女の視界に映ったのは、静かに寝息を立てる——死を免れ、命を救われた母の姿。
そして、その傍らで荒い息を吐く、異形の少年の姿だった。
「……はぁっ、はぁっ……あ……」
全身にエーテル結晶を這わせた彼は、自分の両手を見つめて後ずさった。
彼は、自分が背負い込んだエーテル濃度の異常性と、自らに目覚めた「他者の侵食を奪う」という異能の恐ろしさを瞬時に悟っていた。
師匠の命は救えた。だが、今の自分は歩く高濃度エーテル爆弾のようなものだ。こんな化け物のまま、光り輝く雅の隣にいることはできない。いつか必ず、彼女を傷つけてしまう。
(俺は……もう、お前たちの側には立てない)
「……雅」
アルビノのように色素を失った肌。皮膚を破った結晶からの血で顔をぐしゃぐしゃにしながらも。
彼は、戸惑うようにこちらを見つめる幼馴染に向けて、いつものような、底抜けに明るい笑顔を無理やり作ってみせた。
「師匠の命は、俺がもらった! あとはお前が、ちゃんと守れよ。じゃあな!」
それが、彼が幼馴染に遺した最後の強がりだった。
轟音と共に道場の屋根が崩れ落ちる中、体が燃え上がる少年の姿は、燃え盛る旧都の赤黒い闇の中へと、拾った木刀でエーテリアスをなぎ倒しながら消えていった。
——チリン……。
胸元で鳴る小さな鈴の音が、彼を冷たい雨の降る現在へと引き戻した。
眼前には、赤黒く口を開けた未登録ホロウの入り口が、あの日の旧都と同じように不気味に渦を巻いている。
「……さて。昔話はおしまいだ」
青年は背中の大剣を覆っていた布を乱暴に引き剥がした。
露出した無骨で巨大な刀身。彼の体内に蓄積された過剰なエーテル——あの日から今日まで、数え切れないほどの人間から吸い上げ、肩代わりしてきた『毒』——が、圧倒的なエネルギーの『燃料』として注ぎ込まれていく。
直後、熱を持たない蒼白の疑似火炎が、刃の周囲にゴウゴウと荒れ狂うように吹き出した。
「行こうか。——命乞いの時間は、とうに過ぎてるぜ」
陽気な青年の面影は完全に消え失せ、そこには冷酷なる死神が立っていた。
ホロウの暗闇へ一歩を踏み出した瞬間。
悪党たちの絶望を煽り、世界を威圧するような、重々しく、死を告げる『晩鐘』が響き渡った。
* * *
「な……なんだ、今の音は!?」
新エリー都の外れ、旧工場跡地を丸ごと飲み込んだ未登録ホロウの深部。
空間の概念が歪み、崩落した鉄骨やコンクリートの残骸が不規則に宙に浮遊する異様な領域で、違法レイダーの一人がひきつった声を上げた。
彼らの足元には、数え切れないほどのエーテリアスの死骸と、不法に捕らえられ「実験材料」として高濃度エーテルを注入された無残な被験者たちが転がっている。インターノットの暗部で高値で取引される、非道な生体データの収集。それが彼らの目的だった。
だが今、その非道な作業は完全にストップしていた。
空間そのものを震わせるような、腹の底に響く重低音の鐘の音。
ゴォォォン……と、それはまるで死神の足音のように、確実に彼らへと近づいていた。
「おい、まさか……インターノットの都市伝説は本当だったのかよ……!」
「馬鹿なッ、ただの噂だろ!? 悪党の前にだけ現れて、鐘の音と共に首を刈っていく無所属の化け物……『晩鐘のハサン』なんて、実在するわけが——」
ゴォォォン……!
「ヒィッ……! 来るな、来るなァッ!」
極限の恐怖とパニックに陥ったレイダーの一人が、暗闇に向けてアサルトライフルを乱射した。
銃口から吹き出すマズルフラッシュがホロウの闇を明滅させる。しかし、無数の銃弾は虚しく空間を切り裂くだけで、標的を捉えた手応えは一切ない。
次の瞬間、乱射していた男の背後の空間が、蒼白の炎と共にふっと歪んだ。
「——ッ!?」
音もなく現れたのは、巨大な大剣を上段に構えた死神の影。
熱を持たない青い炎が、フードを深く被ったその姿を幽鬼のように照らし出す。男が悲鳴を上げる間もなく、圧倒的な質量を誇る無骨な大剣が、一切の無駄がない完璧な軌道で振り下ろされた。
「ぐ、あ……ッ!!」
レイダーの分厚い防弾装甲ごと地面に叩き斬られ、男は泡を吹いて昏倒する。
残った違法レイダーたちは絶望に顔を歪めた。彼らは見た。幽鬼のようにワープ(相移転)を繰り返し、瞬きする間に仲間を粉砕していくその姿を。
それはまさしく、裏社会の掲示板で囁かれている死を告げる都市伝説そのものだった。
「ひぃぃッ! まるで『虚狩り』じゃねえか……ッ! なんでこんな場所に、こんな化け物が……!」
「……」
青年はレイダーの叫びに何も答えない。
テックマスクの奥で冷たく光る瞳は、ただ淡々と『命の刈り取り』を遂行している。体内のエーテルを燃料に変換し、相移転を伴う一撃必殺の剣技を放つ。それは彼がかつて敬愛した師匠の、あの美しく無駄のない剣の軌道に、絶対的な威圧感を上乗せした究極の絶技だった。
ゴォォォン……
再び晩鐘が鳴り響く。
疑似火炎が爆発的に膨れ上がり、残るレイダーたちを一瞬で気絶へと追いやった。
激しい戦闘音が止み、空間が不気味な静寂を取り戻す。
青年は大剣を肩に担ぎ、深く息を吐き出した。
彼は気絶した違法レイダーたちには目もくれず、床に倒れて苦しむ被験者たちの元へ歩み寄る。そして、彼らの身体を蝕む高濃度エーテルに手をかざし、その『毒』を自らの体内へと強制的に吸い上げ始めた。
「グ……ッ、あ……」
他人の侵食を肩代わりする代償。
全身の血管を炎で焼かれるような激痛が走り、首元や腕の皮膚を破って、青く鋭いエーテル結晶がメキメキと音を立てて成長する。同時に、彼の髪からまた少し生命の色が奪われ、アルビノのような純白がより一層色濃くなった。
「ふぅ……。パエトーン、片付いたぜ。被験者たちのエーテル侵食もあらかた抜いておいた。あとは治安局の連中が来る前に引き上げ——」
痛みを悟られまいと、努めて明るい声でインカムに語りかけようとした青年の言葉を、鋭い空気を切り裂く音が遮った。
紫紺の残光。
直感的に大剣を盾のように構えた青年の腕に、凄まじい衝撃が走る。
「チッ……!」
火花を散らして数メートル後方へ弾かれた青年の視線の先。
ホロウの淀んだ暗闇を鮮烈に斬り裂き、刃を鞘に納める動作のまま、静かに佇む一つの影があった。
青白いエーテルの光に照らされたその凛とした姿は、新エリー都における「法」と「武」の象徴。
対ホロウ特別行動課 第6課——星見雅。
「……まだ敵がいるようだ」
冷たく、透き通るような声がホロウの空気を凍りつかせる。
狐の耳を微かに動かし、雅は氷のように冷徹な瞳で、大剣を構える青年を真っ直ぐに射抜いた。
「無許可のレイダー。……いや、インターノットを騒がせている『晩鐘のハサン』と呼ぶべきか。秩序、乱すべからず」
「おっと、こりゃあ随分と大物のお出ましだ。公務員様のご指導なら、他所でやってくれないか?」
青年は努めて明るく、陽気なトーンを取り繕って軽口を叩いた。
だが、テックマスクの下では嫌な汗が全身から噴き出していた。よりによって、今この世界で一番顔を合わせたくない相手。
雅は青年の言葉に微塵も動じることなく、柄を握る手に静かに力を込めた。
「いつでも抜けるぞ。……大人しく投降せよ」
言葉と同時、雅の姿が掻き消えた。
速い。先ほどの有象無象のレイダーたちとは次元が違う。圧倒的な踏み込みの速度。青年は即座に疑似火炎を爆発させ、相移転で迎撃の体勢に入る。
ガァァァンッ!!
無骨な大剣と、洗練された刀が激突し、凄まじい衝撃波が周囲の瓦礫を塵へと変えた。
力と速さの高次元の拮抗。しかし、その鍔迫り合いの最中、青年は「しまった」と内心で激しく舌打ちをした。
かつて同じ旧都の道場で、同じ師匠から教えを受けた二人。武器の形状こそ違えど、足の運び、重心の置き方、刃を振るう際の呼吸——互いの剣の軌道には、どうしてもあの頃の師匠の面影が色濃く滲み出てしまうのだ。
「お前のその剣……」
至近距離で刃を交えた雅の瞳が、驚きに僅かに見開かれる。
そして、互いの息遣いすら聞こえるほどの距離で、青年の胸元
——タクティカルベストの内側に隠されていたものが、微かに揺れた。
チリン……。
死を告げる重低音の鐘の余韻を縫うように、あまりにも可憐な、真鍮の鈴の音が鳴った。
雅の息が止まった。
彼女の視線が、青年の胸元に固直する。テックマスクとフードで顔は隠れている。見え隠れする髪は、あり得ないほどの真っ白だ。首元には痛々しい結晶が張り付いている。
だが、その見覚えのある太刀筋。その瞳の形。そして何より、あの夜からずっと探し続けていた、お守りの「約束の音」。
「お前は……」
雅の声から、冷徹な第6課の長としての響きが完全に抜け落ちた。
幼い頃の、道場で彼と一緒に木刀を振っていた、あの不器用で生真面目な少女の顔が垣間見える。
「お前なのか……? その白い髪、それにその身体……いったい、何を……」
「……」
青年は大剣を強く弾き返し、大きく距離を取った。
心臓が警鐘のように高鳴っている。本当なら、今すぐにでもマスクを外して、いつものように笑いかけて「久しぶりだな、雅」と言ってやりたかった。
だが、己のアルビノのように白く染まった髪と、激痛に苛まれる呪われた身体が、光り輝く彼女の隣に並ぶことを許さなかった。
「人違いだぜ、お嬢ちゃん」
青年はボイスチェンジャー越しに、あえて底抜けに明るい、道化のような声を出した。
「あの夜、あんたの母親を救ったガキは……もうとっくに死んだよ。俺は過去を彷徨う、ただの幽霊だ」
「嘘だ!!」
雅の悲痛な叫びがホロウに谺する。
彼女は刀を強く握り直し、逃がすまいと一歩踏み出そうとした。だが、青年は大剣のシリンダーからすべての疑似火炎を一気に噴出させ、目眩ましとなる巨大な青い爆炎の壁を巻き起こした。
「除悪務本……ッ!」
雅の刀が一閃し、空間ごと爆炎を両断する。
だが、熱を持たない炎が霧散した直後、そこに青年の姿はすでになかった。
ただ、冷たいホロウの風と、遠くで去り行くようなチリンという鈴の音だけが、幻のように残されていた。
「……嘘をつくのが、下手なままではないか」
鞘に刀を静かに納めながら、雅は誰もいなくなった空間に向けてポツリと呟いた。
彼女の瞳には、かつて諦めかけた「再会」への確信と、今度こそ彼を孤独な影の中から救い出すという、静かで、決して揺るがない強い決意が宿っていた。
主人公の年は雅より少し年上の設定です。
たぶん........続かない。