あの鐘の音が聞こえるか 作:もこもこ
一部キャラクターの口調を勘違いしてたので注意です。
順次対応します。
赤茶けた荒野の風が、容赦なく砂埃を巻き上げていた。
新エリー都の外側に広がる未開の地——郊外。
「ペッ、ペッ! もう、口の中が砂まみれ! 郊外の任務って本当に最悪!」
放棄されたガソリンスタンドの地上。ピンク色の髪から砂を払いながら、ニコ・デマラが盛大に愚痴をこぼす。
その隣では、ビデオ屋の店長であり伝説のプロキシ『パエトーン』の片割れであるリンが、容赦ない日差しに目を細めながら、自身の服についた砂埃を手で払っていた。今回は遠隔操作ではなく、彼女自身が直接このアウターリングの地に足を運んでいるのだ。傍らには、サポート用のボンプ『イアス』がちょこんと立っている。
そして彼らの背後には、先ほどまで地下のセーフハウスに隠れていた重要証人、チャールズ・パールマンの姿があった。彼は両手を縛られ、巨大な大剣を背負った真っ白な髪の青年——イサムに首根っこを掴まれて、ヒィヒィと情けない声を上げている。
「おいおっさん、暴れるな。これでも俺は今、ひどい筋肉痛みたいなもんでな。うっかり手を滑らせて大剣を落としちまうかもしれないぜ?」
「ひぃッ! も、もう少し優しく扱いたまえ!」
イサムは冗談めかして笑うが、その首元から腕にかけて這う青いエーテル結晶は、先ほどの『Tops』との戦闘で過剰なエーテルを吸い上げた影響により、不気味な明滅を繰り返している。アキラはそんなイサムの様子を、痛ましげに、そして心配そうに見つめていた。
証人の身柄も確保し、あとは市街へ戻るだけ。
そう思っていた彼らの足が、ピタリと止まった。
「おや。伝説のプロキシ殿と、厄介事で有名な邪兎屋の皆さんじゃないですか」
砂埃の向こう側。彼らの逃げ道を完全に塞ぐようにして、四つの影が静かに佇んでいた。
対ホロウ特別行動課 第6課。新エリー都における「法と武」の最高峰が、早くもこの郊外に陣を敷いていたのだ。
「こんな辺境の郊外から直通の暗号通信なんて、残業代も出ないような面倒事の予感しかしないんですけど?」
分厚い書類の束が入ったバインダーを片手に、月城柳が眼鏡のブリッジをクイッと押し上げる。
その後ろでは、弓を背負った浅羽悠真がやれやれといった様子で肩をすくめ、巨大な得物を抱えた小鬼の少女・蒼角が「終わったら美味しいおやつある!?」と無邪気に目を輝かせていた。
そして、彼らの中央。
漆黒の軍服に身を包み、腰に妖刀『無尾(むび)』を帯びた第6課課長・星見雅が、氷のように冷徹な瞳で邪兎屋の一行を、いや——その最後尾で大剣を背負うイサムを真っ直ぐに射抜いていた。
(……イサム)
雅の狐の耳が、微かに震える。
先日のホロウでの遭遇から、彼女は独自に彼を保護するための極秘医療チームの手配を進めていた。あとは彼を捕縛し、強引にでも連れ帰るだけだ。だが、まさか彼がパエトーンや邪兎屋と共に行動し、あろうことかアキラが「現地」にまで同行しているとは、雅にとっても完全に想定外だった。
「ちょっと、早すぎない!? アタシが通信を入れたの、ついさっきよ!」
ニコが驚きの声を上げる。彼女はパールマンから「治安局総監と黒幕の癒着」という特大の爆弾を聞き出す前に、保険として第6課を呼んでいたのだ。
「ええ、偶然近くで別の任務に当たっていまして。……先ほど通信で述べたように、ビジョン事件の背後については、もっと踏み込んだ調査がいると我々も考えていたところです」
柳がタブレットを操作しながら、淡々とした声で告げる。
「そして、我らが連行すべき証人は、パールマンだけではない」
「えっ……連行するって、私たちを?」
ニコが目を丸くする。
柳の冷ややかな視線は、ニコを通り越し、アウターリングの風に髪を揺らすリンに向けられた。
「ここであなたに直接お会いすることも、我々にとっては想定外でした。独立調査チームの責任者様……いえ、『プロキシ様』とお呼びすべきでしょうか」
「……ッ」
リンはごくりと喉を鳴らし、無意識に一歩後ずさった。
悠真が気の抜けたような、しかし確かな警戒を孕んだ声で続けた。
「民間人にしては大したスキルだと思ってたけど、副業で場数を踏んでたんだとしたら、まあ納得だよね。いや、ゼロ号ホロウの方が副業って可能性もあるかな」
「ちょっと待ちなさいよ! こいつらはビジョンの一件とは無関係でしょ!」
ニコがアキラを庇うように前に出るが、柳は容赦なく事実を突きつける。
「パールマンのこれまでの供述によると、会社の不祥事には全体を通して『あるプロキシ』の関与があったとのことでした。工事を引き継いだ白祇重工に起こったことについても、我々の調べで同様にプロキシの介入が判明しています。さらに、治安局の証人護送にまつわる飛行船の一件」
柳はさらに視線を鋭くし、アキラの隣に立つイサムへと目を向けた。
「そして……この郊外。ここはつい先日、彼らの伝統にまつわる重要な祭事『ツール・ド・インフェルノ』を行ったばかりだそうですね。プロキシ様が自らこの地を訪れ、あろうことか『晩鐘のハサン』と呼ばれる正体不明のレイダーと共に行動しているのは、果たして偶然でしょうか?」
「ぐ、ぐぐぐ、偶然に決まってるでしょ! こいつと私たち邪兎屋は、それはもう昔馴染みのお得意様同士なのよ! 本当に事件とは無関係だわ!」
ニコが必死に弁明する。
事実、パエトーンとイサムは巨悪を暴くために動いている正義の側だ。しかし、これほどまでに重大事件の中心に居合わせ続けていれば、治安維持組織から見れば「すべての糸を引いている黒幕」と見なされるのは当然だった。
「だから、尻尾が二つのお姉ちゃん、怖い顔しないで……安心していろいろ調べて? 大丈夫だったら、普通はちゃんと釈放するから」
柳が淡々と告げる中。
イサムはテックマスクの奥で、ジリジリとした嫌な汗を流していた。
(マズい……マズすぎるぞ、これ)
相手が治安局総監の手先なら切り捨てればいい。だが、目の前にいるのは雅だ。彼女の瞳は、「今度こそ絶対に逃がさない」という強烈な執念に燃えている。
さらに厄介なことに、イサムの身体は数時間前に別のホロウでTopsの連中からエーテルを吸い上げたばかりであり、首元や腕の結晶が絶え間ない痛みを発していた。この状態で雅と刀を交えれば、どうなるか。
「……おいおい、お堅い公務員様たちよ。俺はただの雇われの用心棒だぜ。難しい話には絡んじゃいねえよ」
イサムは大剣を肩に担ぎ直し、努めて陽気に、底抜けに明るい「いつもの道化の声」を出した。
「それに、俺みたいな白髪の化け物を連行したって、調書を取る前に埃まみれになって死んじまうかもしれないぜ? 見逃してくれないか、お嬢ちゃん」
「……」
雅はイサムのその言葉を聞いた瞬間、ギリッ、と奥歯を噛み締めた。
死ぬかもしれない?
そんな強がりを言って、また自分一人で犠牲になろうとしているのか。私から遠ざかるためだけに、そんな悲しい嘘を吐くのか。
雅はゆっくりと歩みを進め、腰の刀の柄に手を添えた。
「新エリー都は今、極めて稀な時期にある」
雅の凛とした声が、郊外の乾いた風を切り裂くように響いた。
「各役職の要たる方々が一堂に会しているのだ。何か起きた暁には、都市運営の根幹が揺らぐだろう。……邪兎屋、お前が我らに見せたのは、いかようにも形を取る陰謀の断片。そしてお前の主張する真相とは、その可能性の中の1パターンに過ぎない」
雅の視線は、ニコではなく、真っ直ぐにイサムへと向けられていた。
『一人で背負い込むな』という、彼女なりの痛切なメッセージ。
だが、ここで思わぬ横槍が入った。
それまで黙って事態を見守っていたりが、意を決したようにイサムを庇うように一歩前へ出たのだ。
「待って、第6課の皆さん! 邪兎屋と私はともかく……彼を、イサムを連行するのだけはやめて!」
「……なに?」
雅の眉がピクリと動く。
「イサムは……見ての通り、重度のエーテル侵食に侵されてる。さっきもホロウの中で、違法な高濃度エーテルから私たちや市民を守るために無茶をして大量の毒を吸い込んだばかりで、今も激しい痛みに耐えて立っている状態なの」
リンは真っ直ぐに雅の目を見つめ返し、必死に訴えかけた。
「治安局の標準的な収容施設に入れられたら、適切な治療も受けられずに、本当にイサムの命に関わる! 彼はただ、不器用なやり方で誰かを救おうとしているだけの、私たちの恩人なの!」
その言葉に、その場にいた全員の空気が硬直した。
リンは本気でイサムの命を心配していた。イサムの「命に別状はない」という言葉を強がりだと勘違いし、彼が死の淵にあると信じ込んでいるからこその、必死の庇立てだった。
だが、それを聞いた雅の心境は、複雑にねじ曲がった。
パエトーンは、彼の名前(イサム)を知っている。そして、彼がどれほどの痛みを背負っているかを知った上で、自分たちを犠牲にしてまで彼を庇おうとしている。
自分が長年探し続けてきた彼に、すでにこれほどまでに深く信頼し合う『仲間』がいたという事実。
それは雅の胸の奥に、ほんのわずかな安堵と……それを遥かに上回る、『強烈な焦燥感と嫉妬に似た感情』を呼び起こした。
(私以外の場所で……こいつが、見ず知らずの他人に命を心配されるほど、死を覚悟するような無理をしているだと……?)
「……都市の潜在的脅威は、なんであれ徹底的に排除する」
雅の声は、先ほどよりも一段と低く、絶対零度の冷気を纏っていた。
「それがH.A.N.D.の流儀だ。たとえこの者が悪でなくとも、真相に迫る何かを持つ可能性がある。お前たちがそれを遠ざけようとするほど、私の疑念は確信へと傾く」
雅は刀の柄から手を離さず、リンを、そしてその後ろで顔をしかめるイサムを冷徹に見据えた。
「我ら対ホロウ6課の支援が欲しくば、こちらに協力することだ、邪兎屋。……そして、そこにいる『ハサン』。お前は、私が直接連行する。言い逃れは絶対に許さない」
圧倒的な威圧感。
新エリー都最強の剣士が放つ本気の覇気に、ビリーやアンビーですら息を呑み、一歩後ずさった。
イサムもまた、テックマスクの奥で冷や汗を流しながら、大剣の柄を握る手に力を込めた。ここで捕まれば、巨大エーテリアスを止める者がいなくなってしまう。それだけは絶対に避けなければならなかった。
重苦しい沈黙の中。
ニコ・デマラが、ふっと口元を歪め、ピンク色の髪をバサリとかき上げた。
「……考えが変わったわ」
ニコはアタッシュケース型の重火器をガチャンと展開し、第6課に向けて不敵に笑い放った。
「今回は私の勘違いだった。だから、あんたたちの助けもいらない! なんて言ったら……回れ右して帰ってくれるかしら? 往復分の交通費くらいは持ってあげるわよ!」
「ニコ」
雅が、静かに、しかし決定的な宣告を下すように名前を呼んだ。
「私はもはや、H.A.N.D.に入りたての青二才ではないのだ。……大人しく投降しろ」
「物事の分別がついてない頃のあんたは、そりゃあ可愛げがあったわよ!」
ニコが叫んだ。
交渉は決裂した。第6課が自分たちを「保護」ではなく「容疑者として連行」する気だと悟ったニコは、リンとイサムに向けて素早く指示を飛ばす。
「リン、イサム! ごめん、私たちじゃ大した時間稼ぎにもならないかもだけど……できるだけ遠くに逃げなさい!」
その言葉を合図に、邪兎屋の面々が一斉に武器を構える。
郊外の砂埃が激しく舞う中、新エリー都最強の特務機関と、裏社会を生き抜く者たちの、逃れられない衝突が今まさに始まろうとしていた。
今日は2回行動