あの鐘の音が聞こえるか 作:もこもこ
郊外でリンたちが絶体絶命の死線を潜り抜け、再会と合流を果たしていたその頃。
新エリー都・六分街にあるビデオ屋「Random Play」では、一人残されたアキラが、HDDシステムの前で息を詰めていた。
『警告。システムが攻撃されています』
メインモニターに無数のエラーコードが走り、フェアリーの無機質な声がコントロールルームに響く。
「新エリー都に、フェアリーのセキュリティを破れる奴なんていたのか……? いや、なんか変だぞ」
アキラが素早くキーボードを叩き、攻撃の出どころをトレースする。
システムへのサイバー攻撃は陽動。真の標的は、ネットワークの電網ではなく——。
『警告。ビデオ屋実店舗への物理的な接近反応あり』
——ドンドンッ!
一階の店舗入り口のドアが、乱暴に叩かれた。
「ごめんください! 市長選挙期間中のパトロールを担当する治安巡査の者です。すみませんが、ドアを開けていただけませんか!」
アキラは背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
(ジャスティン・ブリンガーの差し金か……! 郊外のリンたちだけでなく、こっちの拠点も完全に潰しに来たんだ!)
アキラは急いで一階へ降り、努めて平静を装ってドアの鍵を開けた。
そこには、重武装の治安局員が数名、威圧的に立っていた。
「ご苦労様です。……何かありましたか?」
「選挙期間中のありふれた保安検査です。中を調べさせてもらいますよ」
治安局員たちが土足で店内に上がり込み、陳列されたビデオ棚を乱暴に物色し始める。彼らの視線は明らかに「何か」——おそらくはプロキシとしての証拠や、HDDシステムの隠し部屋を探していた。
「おっと、気をつけて。調べるのは構いませんが、お店の大事なコレクションなんですから、丁寧に扱ってください」
「……こちらの奥の部屋は?」
局員の一人が、HDDルームへと続くスタッフルームの扉に手をかけた。
「そこはただの物置です。私物や、古いビデオ、しばらく使わない機材なんかを置いていて……。こんなところまで見せる必要が?」
「開けないのなら、こちらで強行突破させてもらいますよ。公務執行妨害で逮捕されたくはないでしょう」
局員が腰の警棒に手をかけ、強引に扉をこじ開けようとした、まさにその時だった。
「——新たな指令です。該当パトロールには、別の場所で人手が要ります」
店の入り口から、凛とした、だが絶対的な権威を孕んだ声が響いた。
治安局員たちが振り返ると、そこには特務捜査班の制服に身を包んだ朱鳶(しゅえん)と、緑色の髪を結ったアンドロイドの相棒、青衣(ちんい)が立っていた。
「朱鳶特務捜査官……!? なぜ特捜班がここに」
「六分街の保安検査は、これより我々特捜班が引き継ぎます。皆さんはご苦労様でした。あちらの責任者はもう待機しています。至急向かってください」
朱鳶の有無を言わさぬ命令に、局員たちは舌打ちを隠しながらも「……了解しました」と踵を返し、店から出て行った。
静寂が戻ったビデオ屋の中で、アキラはホッと胸を撫で下ろした。
「朱鳶さん、青衣さん……助かりました。どうしてここに?」
「店長殿。ご存知であろうが、我が輩と貴殿のPCアシスタント『フェアリー』殿は、懇意の仲でな」
青衣が湯呑みを取り出し、どこからともなく熱いお茶を啜りながら淡々と語り始めた。
「その彼女が、我が輩の端末に何やら送ってきたのだ。曰く、『01001000 01100101 01101100 01110000』。……旧文明の標準的なバイナリーコードで、翻訳すると『HELP(助けて)』となる」
「フェアリーが……?」
「うむ。大事と察した朱鳶は、我が輩を引っ掴み、押っとり刀で駆けつけたというわけだ」
朱鳶は青衣の言葉に頷きつつも、その表情は極めて厳しかった。
「お礼を言うなら、状況を説明してからにしてください。私は事実関係に基づき、厳正かつ公正に対処します。店長さんであっても、例外ではありません」
「うっ……それは……」
「この件は、ビジョンコーポレーションの裏で動いている黒幕……ジャスティン・ブリンガー総監に関わることですね?」
朱鳶の直球の問いに、アキラは息を呑んだ。
彼女は新エリー都の法と秩序を誰よりも重んじる、生真面目な治安官だ。彼女のトップである総監の不正を、証拠もないまま告発すればどうなるか。
だが、アキラが答えるより早く、奥のHDDルームからスピーカー越しの声が響いた。
『——その通りだ。久しいな、朱鳶。私だ』
「えっ……待って、この声は……雅!?」
朱鳶が驚いてスタッフルームへ駆け込むと、モニターには郊外で野営しているリン、雅、そして邪兎屋の面々のホログラム通信が繋がっていた。
『事の経緯は、後で詳細なデータを送る。だが端的に言えば、ビジョン事件を裏で操る真なる脅威は、ヤヌス区の次期市長候補……ブリンガー総監だ。奴はカルト組織と結託し、市民を使った生体実験を行っている』
雅の痛烈な告発。さらに、画面の端から、頭に包帯を巻いた真っ白な髪の青年——イサムが、ニヤリと笑いながら顔を覗かせた。
『よお、お堅いお巡りさん。信じられねえのも無理はねえが、こっちはついさっき、あんたらのトップが差し向けた私兵部隊と殺し合いをしてきたばっかりでね。証人のパールマンのおっさんも、奴らに攫われちまった』
「あなたたちは……。雅、あなたがそこまで言うということは、確たる証拠が?」
『今、まさにそれを探しているところだ』
雅は静かに首を振った。
『そして、パエトーン……このビデオ屋の店長は、我々第6課の保護下にある。彼らはこの街の暗部を暴くための、重要な協力者だ』
「……なるほど。店長さんが伝説のプロキシだなんて、薄々感づいてはいましたが……」
朱鳶は深いため息をつき、頭を抱えた。
法を遵守する市民を装いながら、裏社会のベテランプロキシだった店長。そして、直属のトップである総監の巨大な陰謀。
「朱鳶さん。本当にごめんなさい。でも誓って言うけど、罪のない人を傷つけるようなことは一切してないんだ」
アキラが真摯に頭を下げる。
朱鳶は少しの間沈黙した後、真っ直ぐにアキラの目を見つめ返し、そしてモニター越しの雅たちへ向き直った。
「……今現在、あなたたちの証人も証拠も、何一つとしてここにはない。慣例に従えば、私はあなたたちを治安局に連行し、監視下に置いた上で上層部の指示を仰ぐことになります」
朱鳶の厳しい声に、モニター越しのニコやリンが息を呑む。
だが、朱鳶はフッと口元を緩めた。
「——ですが。H.A.N.D.に所属する対ホロウ6課の責任者であり、私の友人でもある星見課長が、あなたたちに対して責任を持つと言っています。私は愚かで騙されやすい女かもしれませんが……雅の経験と能力を、そして店長さんたちの『目』を信じています」
「朱鳶さん……!」
「今日いっぱいは、上には報告しません。あなたたちには、証拠を集めるのに十分な時間があります。その間、私も自分のルートで、ブリンガー総監の調査を進めるつもりです」
それは、表の法を重んじる治安官が、信念のために初めて「規則」を破り、彼らと共闘することを選んだ瞬間だった。
『へへっ。見直したぜ、お巡りさん。新エリー都のサツも、全員が腐ってるわけじゃねえってことだな』
イサムがモニター越しに親指を立てる。
「茶化さないでください。調査の結果、あなたたちの言葉がまたしても嘘だった場合……私は例外なく、あなたたち全員を逮捕しますよ」
朱鳶が厳しい視線を送るが、その声には確かな信頼と連帯感が宿っていた。
『——マスター。妨害電波の網を抜け、バレーツインズのホロウエリア内に、ターゲット・パールマンの生体信号を検出しました』
フェアリーの報告が、彼らの次なる道筋を指し示す。
『よっしゃ! 居場所が分かればこっちのモンよ!』
ニコが勢いよく立ち上がった。
『さあ、反撃の開始だ。……絶対に、あのクソ野郎の野望を叩き斬ってやる』
イサムが背中の大剣を鳴らし、雅もまた、腰の小太刀に手を添えて深く頷いた。
ビデオ屋を拠点とするパエトーン。
郊外から突入を図る邪兎屋、第6課、イサム。
そして、内部から真実を暴く朱鳶と青衣。
新エリー都の闇を支配する巨悪を打ち倒すため、決して交わるはずのなかった者たちによる、前代未聞の共同戦線がここに形作られたのだった。
* * *
バレーツインズの旧市街地跡。
奥深くに形成されていた中規模ホロウの深部から泥と硝煙に塗れながら現実世界の空間へと抜け出してきた。
「ほーら、さっさと歩きなさいよ! 足が遅いと、またホロウの化け物のエサにするわよ!」
「ひぃぃぃッ! 歩く! 歩きますから背中を小突かないでくれたまえ!」
ニコ・デマラに背中を蹴られながら、丸々と太ったチャールズ・パールマンが泣き言を漏らす。
激しい戦闘の末、邪兎屋と第6課、そしてイサムによる共同戦線は、謎の武装集団に囚われていたパールマンの身柄を無事に奪還することに成功したのだ。
「ふぅ……。なんとか、無事に済んだな」
最後尾を歩くイサムが、背中の大剣を肩に担ぎ直しながら首元をさする。
彼の身体を覆う青いエーテル結晶は、『無尾』の暴走を抑え込んだ時の深刻なダメージを引きずっており、呼吸をするたびに肺が軋むような痛みを放っていた。真っ白な髪は汗に濡れ、顔色は限界まで青白い。
だが、その視線の先を歩く漆黒の軍服の背中——星見雅が無事であることだけが、今の彼にとって唯一の救いだった。
『これで証人は確保した。あとは朱鳶さんたちと合流して、ブリンガーの悪事をバラすだけだね!』
HDDの向こう側で、リンが明るい声を弾ませる。
イアスのカメラが、ホロウの出口である巨大な劇場のエントランスの扉を捉えた。
アンビーが重い扉を押し開け、外の空気が流れ込んでくる。
しかし、彼らを出迎えたのは、新エリー都の穏やかな夜風ではなかった。
「——これはこれは。本当に予想外の邂逅だ」
パァンッ!!
突如として、劇場の外を取り囲むように設置されていた数十基の強烈なサーチライトが一斉に点灯し、眩い光が一行を照らし出した。
「なっ……!?」
「にゃっ、眩しい!」
目を細める邪兎屋と第6課の面々。
彼らの視界が光に慣れると同時に浮かび上がったのは、出口を完全に包囲する形で展開された、治安局の重装甲車両の群れだった。
そして、その中央。特注の高級な治安官コートを羽織り、杖をつきながら悠然と拍手をしている男。
「ジャスティン・ブリンガー……!」
イサムが低い声でその名を呼ぶ。
新エリー都の治安の頂点であり、次期市長候補。そして、この街の裏で人体実験と陰謀を操る真の黒幕が、まるで彼らが現れるのを最初から知っていたかのように待ち構えていたのだ。
「ビジョンコーポレーション事件の黒幕、チャールズ・パールマン。司法府の飛行船を乗っ取り郊外に逃げたかと思えば、選挙のデリケートな時期に乗じてこの街に戻ってくるとはな。よほど、治安局の牢獄が恋しいと見える」
ブリンガーは薄ら笑いを浮かべながら、その視線をニコたちから、後方に立つ第6課へと移した。
「それと……H.A.N.D.所属、対ホロウ6課の執行官たちか。重大な被疑者であるパールマンと共に現れたということは、君たちが彼のホロウへの出入りを『幇助』していた可能性もあるな」
「なんですって……!?」
ニコが怒りに顔を歪めるが、ブリンガーは手で制して言葉を続けた。
「ヤヌス区治安総局、副総監の名において。……君たちには、治安局でじっくりと話を聞かせてもらおうか。特に、星見課長。君は重要事件の犯人と不正な取引をしていた疑いがある」
「待ってください、ブリンガー総監」
雅が口を開くより早く、月城柳が一歩前に出て、冷静に眼鏡のブリッジを押し上げた。
「どうやら、あなたは大きな誤解をされているようです。対ホロウ6課内部で、重要容疑者と水面下での接触を行った疑惑があるのは確かです。……ですが、それは『課長個人の独断的な行動』に過ぎません」
「柳……!?」
悠真が驚いて声を上げる。
柳は表情一つ変えずに、淡々と嘘のシナリオを紡ぎ出した。
「我々は、対ホロウ6課として、上司の不適切な行動を止めるべくここへ駆けつけました。それが、今ご覧になっている状況です」
つまり、第6課の他のメンバーと邪兎屋、パエトーンをこの場から無傷で逃がすための、柳なりの「トカゲの尻尾切り(防波堤)」の提案だった。
「……ほう。君たちは無関係だと? 君は次期市長たるこの私を、たわけだと思っているのかね」
「ただ事実を述べているだけです。異議があるのなら、治安局の監査官に報告し、検証を要求することもできます」
柳の理路整然とした反論に、ブリンガーの顔から笑みが消えた。
彼は忌々しげに鼻を鳴らし、そして、黙ったままこちらを見据えている雅へと直接問いかけた。
「星見課長。人間万事塞翁が馬、これに続くのは何かね? ……私は、君に聞いているのだ」
雅は、答えない。
いや、答えられなかったのだ。彼女の腰にある『無尾』の鞘は、先ほどの暴走で物理的なロックが完全に破損している。ここで彼女が言葉を発し、少しでも感情を昂ぶらせれば、その隙を突いて再びあの呪われた狐火が漏れ出す危険性があった。
(……ここで刀を抜けば、私は……ただ命令に従っているだけの、無実の治安局員たちまで斬ってしまう)
そして何より。
雅の背後では、イサムが肩に担いだ大剣の柄を、ギリッと強く握りしめていた。
彼の首元を這う結晶が、主の怒りに呼応してビリビリと青い光を明滅させている。
(ダメだ。もしここで戦闘になれば……イサムが、これ以上のエーテルを吸い上げれば、今度こそあいつは本当に死んでしまう)
雅は、目を閉じた。
彼女の沈黙を「反抗」と受け取ったブリンガーが、冷酷な笑みを深める。
「いいだろう。お望み通りにしてやる」
ブリンガーが手を振り下ろした。
「ヤヌス区治安総局の名において! 対ホロウ6課課長、星見雅を……新エリー都の安全を脅かした容疑により、逮捕する!」
「なっ……! 待てよ!!」
重武装の治安局員たちが雅を拘束しようと動いた瞬間、イサムが激怒の声を上げて前に出ようとした。
蒼白の疑似火炎が、大剣の刃にチロチロと燃え移る。このまま包囲網ごとブリンガーを叩き斬る。そのために命を削ることなど、彼にとっては造作もないことだった。
だが。
「——動くな、イサム」
ドンッ、と。
雅が自ら一歩下がり、イサムの胸板に手のひらを押し当てた。
「雅……ッ! お前、自分が何言われてるか分かってんのか! ここで大人しく捕まったら、こいつらにお前が……!」
「お前は、剣を引け」
雅は、イサムの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
その瞳には、かつてないほどの穏やかさと、深い信頼の光が宿っていた。
「私は、お前のような馬鹿じゃない。寿命が削られないからといって、無闇に痛みを背負い込んだりはしない」
「……ッ」
「私を信じろ、イサム。そして私の部下たちを頼む」
雅はイサムの胸から手を離すと、ゆっくりと両手を前に差し出した。
治安局員たちが恐る恐る彼女に近づき、その両手に重厚な特殊手錠をかけ、妖刀『無尾』を取り上げる。
『雅さん……!』
リンの悲痛な声が響く。
「……連行しろ」
ブリンガーの冷酷な命令により、雅は治安局の装甲車両へと押し込まれた。
「……クソッ……アアアアッ!!」
イサムは大剣を地面に力任せに叩きつけ、唇を噛み締めた。
ブリンガーの乗った車両と、雅を乗せた護送車が、サイレンを鳴らしながら六分街の方向へと走り去っていく。
残されたのは、拘束されたパールマンと、沈黙に包まれた共同戦線のメンバーたちだった。
だが、彼らの瞳から闘志は消えていない。
雅が自らを犠牲にして稼いでくれたこの「自由な時間」。それを決して無駄にはしない。
「……泣き言を言ってる暇はないわよ」
ニコが重火器を担ぎ直し、ピンク色の髪を揺らしてブリンガーの去った方向を睨みつけた。
「黒幕は尻尾を出した。証人はこっちの手の中にある。……あとは、あのふんぞり返ったクソ野郎の化けの皮を剥がして、雅を奪い返すだけよ!」
「ああ……絶対にだ」
イサムが地面から大剣を引き抜き、結晶の痛みに耐えながら、底知れぬ怒りの火を瞳に灯す。
巨悪による一時的な勝利。
しかしそれは、新エリー都の闇を燃やし尽くす、最大の反撃の狼煙に過ぎなかった。
今日も2回行動