あの鐘の音が聞こえるか 作:もこもこ
郊外からヤヌス区へと向かう、薄暗い高速道路。
ジャスティン・ブリンガーの差し向けた護送車の後部座席で、星見雅は重厚な特殊手錠をかけられたまま、静かに目を閉じていた。
車の揺れとは別に、彼女の心の中には、先ほどまでホロウの中で共に戦った真っ白な髪の幼馴染の姿が焼き付いていた。
(……イサム。無理はするなと言ったのに、また結晶の痛みを堪えて強がりおって)
自分のために命を削ろうとした彼を、雅は自らの手で制止した。
ここで自分が抵抗し、彼が再び大剣を振るえば、あの時以上のエーテルを吸い上げ、取り返しのつかない事態になることは目に見えていたからだ。
だから彼女は、大人しく捕まることを選んだ。彼と自分を信じてくれたアキラ、リン、部下たちを守るために。
「……おい。ちゃんと運転しろ」
雅は、目を開かずに静かに口を開いた。
「虚狩り様の機嫌を損ねたら、局でこってり絞られるぞ」
「……」
運転席と助手席に座る二人の治安局員は、ピクリとも動かない。
それもそのはずだった。
「芝居はもういい。先ほど、7つ目の交差点でヤヌス区に入ったな。……総局へ向かう気など、ないのだろう?」
雅が鋭い視線を開いて前方を睨みつける。
彼女の言葉通り、護送車は治安総局へと向かう正規ルートから大きく外れ、人気のない寂れた工業地帯へと向かっていた。
「……あら、とっくに気づいていたの」
同じ後部座席に座る一人の女性……サラ本人が話し始める。
「すました顔して、されるがままにしているけど……それでいいのかしら? 悪巧みは機会、お前たちの腹を探るなら、檻の中にいた方が都合がいいとでも?」
サラが、助手席から振り返って雅を見下ろしてふふっと笑う。
「どの道、お前たちごとき、私の脅威にもならないからな」
雅は手錠をかけられたまま、氷のように冷たく言い放った。
「わざわざこんな車内まで出向いてくるとは。随分と暇なようだな」
「ああ、刀を使うまでもない。まあ、私たちが格落ちなのは否めないわね」
サラは雅の挑発に乗ることはなく、むしろ愉悦に満ちた瞳で、雅の隣の座席に無造作に置かれている妖刀『無尾』へと視線を移した。
「……これこそが、星見の家に代々伝わる家宝。特級エーテリアス、旧文明が残した災い、そして新世代の邪悪。そのすべてを斬り伏せし妖刀『無尾』」
サラは恍惚とした表情で、壊れた鞘から微かに漏れ出す紫紺の狐火の気配を指でなぞるようにした。
「お前たちは長い年月を経て、星見家を今の崇高とも言える地位にまで押し上げた。人々は、星見の類まれな血筋がなせる技だと信じて疑わないけれど……実は、この刀のおかげなのよね?」
「……知った風な口を利くな」
雅の狐の耳が、怒りで微かに震える。
「でも、星見雅。あなたは違うわ」
サラは、雅の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
「あなたは星見が授かった、正真正銘の天才。……剣に愛されし、長子。なぜ星見のことをそこまで、って顔をしているわね?」
「……」
「私たちの真の狙いは、ブリンガーの市長選でも、ビジョンコーポレーションの隠蔽でもない。……『あなた』よ、星見雅」
サラの言葉に、雅は微かに眉をひそめた。
「あのホロウで、千面相はしくじった。あなたの幼馴染のせいで、刀の完全な暴走には至らなかったわ。けれど……あなたが『無尾』と完全に同期したその瞬間の、生体モデルデータの入手には成功したの」
サラは満足げに笑い、手元の端末を操作した。
そこには、先ほどのホロウで暴走しかけた『無尾』の莫大なエーテル波長と、それに抗おうとした雅の精神波長のデータが、完璧に数値化されて記録されていた。
「これこそ、私たちが本当に欲しかったもの。……このおぞましいエネルギーを完全に制御できれば、新エリー都など瞬く間に灰塵に帰すことができる」
「……狂人が」
雅は低く吐き捨てた。
「あなたの言う通り、誰もあなたの脅威にはなれない。……だったら、あなた自身が、新エリー都の最大の脅威になるっていうのはどうかしら?」
サラが。
瞬間、無尾の鞘の残された封印機構が、完全に解除された。
カシャンッ!!
「……刀に触れるな!!!!」
偽の生体データによって強制的に鞘走った無尾から、再びあの紫紺の『狐火』が爆発的に噴き出したのだ。
圧倒的な呪いのエーテルが、狭い車内で彼女の全身を容赦なく包み込み、精神の奥底へと直接侵食を開始した。
『……斬れ。血を吸わせろ。肉を断て……!』
再び脳内に響き渡る、旧文明の怨念の囁き。
視界が赤黒く点滅し、雅の瞳から理性の光が急速に失われていく。
彼女の狐の耳が逆立ち、体内に眠る星見の血が、妖刀の呪いと強制的に結び付けられようとしていた。
「素晴らしいわ……! 」
サラの狂喜の声が遠く聞こえる。
雅の意識は、猛烈なエーテルの濁流に飲み込まれ、深く、冷たい闇の底へと沈んでいった。
しかし、その闇の最も深い場所で。
彼女は、あの白雪のような髪の青年の、不器用な笑顔を必死に繋ぎ止めようとしていた。
(イサム……私は……まだ、お前に……)
その思いすらも呪いに塗り潰されそうになった時、彼女を乗せた護送車は、ブリンガーが演説を行う予定の特設会場——デッドエンド・ホロウの外周付近へと到着していた。
運命の歯車が、最悪の形で噛み合おうとしていた。
* * *
『すまない、みんな』
アキラの声が、HDDの通信機越しに低く響いた。
『僕たちは、しばらく雅さんの行方を追えそうにない』
「そうですか。私のほうでも、部長やマスコミの友人にそれとなく探りを入れてみましたが……雅課長の逮捕や、第6課の出現に関する情報は、届いていないようです」
柳が通信の向こうで、険しい表情で報告する。
つまり、ブリンガーは治安局の正規のルートを通さず、極秘裏に雅を連れ去ったということだ。
『もしもし、こちらは朱鳶です。聞こえていますか?』
朱鳶が、別の回線——現場にいる青衣を通じて話しかけてきた。
『至急、確認していただきたいことがあります。パールマンはそこにいるんですね? 彼の『うなじ』を見てください。耳の後ろ、生え際の辺りに……小さな傷がありませんか?』
パールマンの首根っこを掴み、無理やり髪をかき分けた。
「……本当だ。右の襟足付近に、2ミリほどの小さな傷がある」
「なぜどうしてこんなものがあると?」
柳、悠真が眉をひそめる。
『治安局では、特殊かつ重大な事件の容疑者を収監する場合、中で危険なことをしないように、小型チップを埋め込むことがあるんです』
朱鳶が淡々と、だが確かな怒りを孕んだ声で説明した。
『そして、一連の重大事件の容疑者であるパールマンに使用されたチップは……『GPSタグ』が付いていて、まだ有効であることが分かりました』
「GPS!? しかもまだ有効だって?」
悠真が驚きの声を上げる。
「それって、飛行船が墜落して郊外に逃げた後も……治安局は、ずっとこいつを追跡できてたってことになるんじゃないですか?」
『……ええ。この事件の管轄治安官が、そうしようと思えば』
朱鳶の言葉に、テントの中の空気が凍りついた。
『つまり、ブリンガー総監は、ずっとパールマンを探す手段を保持していたんです。飛行船が墜落して以降も。さらに局内の記録を調べたところ、パールマンの所在地は依然として『不明』のままでした。彼は、ただ野放しにされていたわけではありません」』
「……どういうことだ?」
イサムが低く唸る。
「我々のこれまでの行動は、ある仮説に基づいたものでした。『黒幕の目的は、パールマンを抹殺することで証拠を隠滅し、我々に真相を暴かれないようにすることだ』と」
朱鳶は、残酷な真実を突きつけた。
「ですが、もし『いつでもパールマンを見つけられた』のなら。これまでの包囲や連れ去り、逃亡、そして妨害には、何の目的が?」
「えぇ、悪者の長官が、ボスを捕まえたのって……私たちをよわっちくするためじゃないの?」
蒼角が呟く。
『私たちの前提が間違っていたなら……ブリンガーが雅さんを連れて行ったのには、別の理由がある気がする』
「別の理由って……まさか、課長そのものとか? けど、課長はビジョンの件とは無関係だし、道中も別におかしなところはなかった」
悠真が首を振る
「……まさか。あの、どこを叩いても埃の出そうな次期総監の真の目的が……本当に、課長だって!?」
悠馬が驚愕の声を上げた。
イサムの顔から、血の気が引いていく。
「理由はどうあれ、雅はもう連れ去られてしまいました。目の前で……! 私はなんて愚かなんでしょう。すぐに部長に連絡しないと……!」
『みんな、落ち着こう』
パニックになりかける柳を、アキラが冷静な声で制止する。
『まずは、雅さんがどこにいるかはっきりさせよう 』
『雅を護送している車両は治安局のものですから、追跡する方法はあります。ブリンガー長官は…』
『あやつなら、当時ビジョンの事件が終結を迎えた広場にいるはずであるぞ。デッドエンド・ホロウの外周にほど近い、あの場所にな』
朱鳶、青衣が淡々と告げる。
『青衣先輩、どうして分かるんですか?』
『ニュースで報じられておったではないか。そこには今日、あやつが演説を行う特設会場があり、また予定通り執り行われれば、熱心な市民が退去して押しかけるとも言っておったな』
『……みんな。手分けして行動しよう』
アキラが、プロキシとしての明確な指示を下す。
『雅さんと、ブリンガーを同時に探そう。柳さん、雅さんは追えますか?』
「……はい。必ず連れて帰ると約束します」
柳が眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「なら、決まりだ」
イサムが大剣を肩に担ぎ直す。
「柳たちは雅を追え。……俺とパエトーン、邪兎屋は、ブリンガーの演説会場に乗り込む。
ブリンガーが目の前でわざわざ連れ去ったんだ。雅も一緒にいる可能性だってある。気張って行くぞ」
「ちょっと待ちなさいよ、イサム! ブリンガーの演説会場って、今や新エリー都のど真ん中よ! 治安局がうじゃうじゃいるのに、どうやって乗り込む気!?」
ニコの叫びに、アキラがHDDの向こうで静かに答えた。
『だからこそ、行くんだ』
「……え?」
『ブリンガーは、新エリー都の次期市長として、市民の支持を完璧なものにしようとしている。だからわざわざ、デッドエンド・ホロウの近くで、ビジョン事件の終結をアピールする『演説』を行うんだ』
アキラの言葉に、リンが頷く。
『つまり、あの男にとって一番されたくないのは……『大衆の面前で、自分の悪事を完璧な証拠と共に暴露されること』。私たちがパールマンという決定的な証人を連れて会場に乗り込めば、奴の計画を根底からぶっ壊せる!』
「……なるほどな。最高に悪趣味で、最高にスカッとするやり方じゃねえか」
イサムが、テックマスクの奥で獰猛に笑った。
「そのプロキシさん。あなたは……とてもお強いんですね」
柳が通信越しに感嘆の声を漏らす。
「強いどころじゃないよ。私は新エリー都最強のプロキシなんだから! 」
リンが胸を張って宣言する。
特務捜査官、プロキシ、邪兎屋、そして白髪のレイダー。
彼らはそれぞれの覚悟を胸に、新エリー都の命運を懸けた最終決戦の地——ブリンガーの演説会場と、雅の囚われた場所へと向けて、最後の足を踏み出した。
今日も2回行動