セレスちゃんねる ~TSして四百年、異世界の英雄が地球へ生配信を始めました~ 作:セレスちゃんねる
ダンジョンの入り口をくぐると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
外から差し込む朝の光は少し進んだだけで届かなくなり、目の前には薄暗い石造りの通路が続いている。足元には長年の探索によって踏み固められた道があり、岩肌の一部には人の手で整えられたような跡も見えた。
「さて、ここからはダンジョンの内部ですね。入り口付近は比較的安全ですけれど、奥へ進むにつれて魔物も出てきますから、気をつけていきましょう」
私は撮影の視点を少し前方へ動かし、通路の様子を地球の皆さんにお見せした。
『うおおお、ダンジョン内部だ!』
『思ってたより暗いな』
『この先に魔物がいるのか……』
『ホラーゲーム始まりそうw』
皆さんの反応を眺めながら、私は小さく笑みを浮かべた。
確かに、こうして薄暗い通路だけを見せられたら、少し不気味に感じるかもしれない。けれど、私にとっては昔から馴染みのある光景だ。
ダンジョンによって内部の環境はさまざまで、天然の洞窟に近い場所もあれば、誰かが建造した宮殿のような場所もある。中には地上とは思えないほど広大な空間が広がっているものまで存在するのだから、なかなか面白い。
「暗いところでは足元が見えにくいですから、まずは明かりを用意しましょうか」
私は右手を軽く持ち上げ、指先に魔力を集めた。すると、小さな光の球が生まれ、ふわりと宙へ浮かび上がる。
柔らかな白い光が周囲を照らし、これまで闇に隠れていた壁や天井の様子が浮かび上がってきた。
「はい、これでよく見えるようになりましたね」
『魔法きた!』
『照明まで魔法なのかw』
『光源が動いたら壁の影まで変わってるぞ』
『こういう何気ない魔法が一番ファンタジーっぽい』
「ありがとうございます。光の魔法は、こうした暗い場所を探索するときにも便利なんですよ。松明のように火を使う必要がありませんし、明るさも調整できますからね」
光球を少し高い位置へ移動させると、通路の壁に走る細かな亀裂や、岩肌に露出した鉱物の層まで見えるようになった。
長い年月の間に自然と形成された部分と、何らかの力で形を整えられたような部分が混在しており、初めて見る方には少し不思議な構造に映るかもしれない。
「ダンジョンは、必ずしも人が造った建物というわけではないんです。自然の洞窟に近い場所もありますし、最初からこうした通路が存在しているものもあるんですよ」
『ダンジョンって誰が作ったんだ?』
『古代文明の遺跡とか?』
『やっぱり神様が作った設定なのかな』
「そうですねぇ。昔から、ダンジョンは神々が人々に与えた試練なのだ、というお話はよく聞きますね。ただ、実際には分かっていないことも多いんですよ。場所によって形も性質も違いますし、どうして存在しているのかについても、いろいろな説があります」
長い年月を旅してきた私も、数え切れないほどのダンジョンを訪れているけれど、すべての仕組みを理解しているわけではない。だからこそ、未知の場所を探索することには、今でも大きな魅力を感じるのだ。
「それに、ダンジョンは魔物を倒すためだけの場所ではありませんよ。珍しい鉱石や魔石が採れる場所もありますし、古い魔術の痕跡が見つかることもあります。冒険者の方々にとっては、危険もありますけれど、それだけ魅力のある場所なんです」
『なるほど、資源採掘もできるのか』
『魔石って聞くだけでワクワクする』
『セレスちゃん、説明がちゃんと冒険者っぽいw』
私は皆さんの反応に頬を緩めながら、ゆっくりと通路を進んだ。
壁際には過去に探索した冒険者が残した目印も見える。分岐路の手前に刻まれた印や、注意が必要な場所を示す記号など、どれも道に迷わないよう工夫されたものだ。
このダンジョンは王都から比較的近く、既知の区域についてはギルドの管理も行き届いている。ただし、魔物がまったく出現しないわけではないので、周囲への警戒は怠らないようにしておこう。
◇ ◇ ◇
しばらく進むと通路の幅が広がり、天井の高い空間へと出た。
頭上には不規則な岩の突起が並び、壁の一部には淡く光る鉱物が点在している。先ほどまでの整った通路とは違い、こちらは天然の洞窟を思わせる景色だった。
「まあ、ここは昔とあまり変わっていませんね」
思わず懐かしい声が漏れた。
この場所を最後に訪れたのは、いったいいつだっただろう。少なくとも数十年は経っているはずだけれど、岩の配置には見覚えがある。
『セレスちゃん、前にも来たことあるの?』
『何十年ぶりとか言い出しそうw』
『この規模のマップ、全部覚えてるのかな』
「ええ、随分と昔になりますけれど、一度探索したことがありますよ。もちろん、細かい道順まですべて覚えているわけではありませんから、今回はギルドでいただいた地図も確認しています」
私はそう答えながら、近くの壁に目を向けた。
岩肌の一角には、淡い青緑色をした小さな結晶がいくつも露出している。光を受けると内部に細かな筋が浮かび上がり、まるで薄い硝子を幾重にも重ねたように見えた。
「皆さん、あちらをご覧ください。これは魔力をわずかに含んだ鉱物なんですよ。魔石とは少し違いますけれど、こうしたものが見つかるのもダンジョンの面白いところですね」
『おお、綺麗!』
『クリスタルだ!』
『ゲームなら採掘ポイントだなw』
私は結晶の一つにそっと触れ、表面を確かめてみた。特に珍しいものではなさそうだし、今回のお仕事とも直接関係はないので、そのまま残しておくことにする。
「ダンジョンでは、見つけたものを何でも持ち帰ってよいわけではありませんからね。採取の決まりがある場所もありますし、扱いに注意が必要な鉱物もあるんですよ」
『そこもちゃんとルールあるんだ』
『勝手に掘ったら怒られるやつか』
「ふふっ。そうですね。冒険者のお仕事も、決まりを守ることが大切ですから」
そんなお話をしながら奥へ進んでいくと、足元の石畳が途切れ、少し湿った土の道に変わった。壁には細い水の筋が流れ、どこか遠くから水滴の落ちる音が聞こえてくる。
この辺りからは魔物の活動範囲に入っているはずなので、私は歩調を緩め、周囲の気配を確かめた。
少し先の通路には新しい爪痕らしい傷が残っている。岩の表面が削れ、床には小さな石片が散らばっていた。
「……なるほど。近くに何かいるようですね」
『えっ、魔物!?』
『ついに出るのか?』
『ちょっと待って、心の準備がw』
途端に騒がしくなったコメント欄を眺めながら、私は周囲の魔力を探ってみた。
通路の先には、一つだけ大きな気配がある。魔力の質からして、このダンジョンでは時折見かける種類の魔物だろう。少なくとも、今回の報告にあった異常な魔物とは違うので、対処に困ることはなさそうだ。
ただ、ここで一つ気をつけておかなければならないことがある。
これまでの配信では美しい景色や街の様子をご紹介してきたけれど、今回は実際に魔物と戦う可能性があるのだ。戦闘となれば血が流れることもあるし、魔物を倒した後の様子を、皆さんが気持ちよく見られるとは限らない。
私は腕輪の撮影術式を確かめ、必要に応じて視点を動かせるようにしておいた。
「皆さん、これから少しだけ戦闘になるかもしれません。魔物との戦いでは、血が流れたり、痛ましい場面があったりすることもあります。そうした映像が苦手な方は、どうぞ無理をなさらないでくださいね」
『本当に戦うの!?』
『セレスちゃん、気をつけて!』
『血が出るのか……ちょっと怖いな』
『注意してくれるのありがたい』
「もちろん、あまり生々しい場面をお見せしないように気をつけますよ。戦闘が終わった後も、必要以上に魔物の傷などを映すつもりはありませんので、ご安心ください」
そうお伝えしてから腰の剣へ軽く手を添えると、ちょうど奥の暗がりから低く唸るような声が響いてきた。
◇ ◇ ◇
最初に見えたのは、暗闇の中で鈍く光る二つの瞳だった。
続いて、重たい足音とともに大きな獣のような影が姿を現す。灰褐色の毛並みをした狼に似た魔物だったけれど、普通の狼とは比べものにならないほど体が大きく、肩の高さだけでも私の背丈に近い。
太い四肢の先には鋭い爪が伸び、口元からは岩をも砕きそうな牙が覗いている。背中には岩のように硬い突起が並んでおり、その姿はなかなか迫力があった。
「あら、岩牙狼ですね」
私は魔物の姿を確かめ、小さく頷いた。
「この辺りでは時折見かける魔物ですよ。体が大きく、牙や爪も鋭いので、普通の冒険者の方が相手をするなら、十分に注意が必要ですね」
撮影の視点を少し引き、魔物の全身が映るように調整する。すると、コメント欄には驚きの声があふれた。
『でっっっか!?』
『狼!? いや大きすぎるだろ!』
『セレスちゃん逃げて!』
『いや、これ普通に怖いんだけど……』
岩牙狼は私を警戒するように体を低くし、喉の奥から唸り声を漏らしていた。こちらを獲物として認識しているらしく、鋭い瞳はじっと私を捉えている。
「そうですねぇ。あまり刺激しなければ、そのまま離れていくこともあるんですけれど……」
私は少しだけ様子を見た。
しかし、岩牙狼は退くどころか、さらに前足へ力を込めている。鋭い爪が地面を削り、その体からは明らかな敵意が伝わってきた。
この様子では、見逃しても追いかけてくるだろう。それに、ここは冒険者たちが探索に利用している通路だ。攻撃的な魔物を放置しておくのは、ほかの方々にとっても危険になる。
「……仕方ありませんね」
私は静かに息を整え、岩牙狼の動きを見据えた。
岩牙狼の動きなら、対処は難しくない。視聴者の皆さんに少しでも分かりやすくお見せできればよいのだけれど、相手は生きた魔物だ。こちらの都合に合わせて動いてくれるわけではないし、無理に戦闘を長引かせる必要もない。
撮影の視点は少し離れた位置に保ち、私と岩牙狼の動きがなるべく分かるようにしておこう。戦闘が終わったら、すぐに映す方向を変えればよいだろう。
「では、少し失礼しますね」
『えっ、戦うの!?』
『もう襲いかかってきそうなんだけど!』
その直後、岩牙狼が地面を蹴った。
大きな体からは想像もできないほどの勢いで飛び出し、鋭い牙を剥き出しにして私へ迫ってくる。
私はその動きを見極め、剣の柄へ手をかけた。
――次の瞬間。
私は既に岩牙狼の背後で、剣を振り抜いた姿勢のまま立っていた。
一拍遅れて大きな音が響き、岩牙狼の巨体が地面へ崩れ落ちる。振り返って魔物が完全に息絶えたことを確かめると、私は軽く剣を振り、刃についたものを払った。
倒れた岩牙狼の足元には血が広がり始めていたけれど、その様子を詳しく映す必要はない。私は撮影の視点を自分の方へ戻し、剣を鞘へ納めた。
「はい、これで大丈夫ですね」
ところが、配信画面へ目を向けると、コメント欄には奇妙な沈黙が広がっていた。
『…………』
『え?』
『は?』
『??????』
『ちょっと待って』
『何が起きた?』
「岩牙狼は倒しましたよ。もう危険はありませんので、ご安心くださいね」
私がそう説明すると、それまでの沈黙が嘘のようにコメント欄が一気に流れ始めた。
『いやいやいやいや!?』
『今の何!?』
『セレスちゃん消えなかった!?』
『気づいたら魔物の後ろにいたんだけど!?』
『剣を振るところ見えた人いる!?』
なるほど。どうやら皆さん、私の動きを追えなかったらしい。確かに、岩牙狼が飛びかかってきたところで一気に間合いを詰めたので、かなり速く動いた自覚はある。けれど、地球側の映像ではそこまで分かりにくかったのだろうか。
「そうでしたか。剣を抜いて、そのまま斬っただけなのですけれど……少し速すぎましたかね?」
『少しどころじゃないwww』
『剣抜いたのすら分からんかった!』
『一瞬で位置が変わったぞ!?』
『魔物、あんなに大きかったのに一撃!?』
『これがセレスちゃんの戦闘……?』
私はコメントを読みながら、少し考え込んだ。
今回の相手は、私にとってそれほど強い魔物ではなかった。だからこそ、特に大きな魔法も使わず剣だけで対処したのだけれど、どうやら皆さんの予想とは違っていたらしい。
そういえば、これまでの配信では魔法を使うところは何度かお見せしたものの、実際に剣で戦う場面は今回が初めてだった。それなら、驚かれるのも無理はないのかもしれませんね。
「皆さん、岩牙狼はそれなりに力のある魔物ですから、普通の冒険者の方が戦う場合には、きちんと準備が必要ですよ。今回は私一人でしたので、手早く片づけてしまいましたけれど」
『それなりに強いのかよ!?』
『セレスちゃんが強すぎるだけじゃね?』
『ドラゴンと普通に話してた時点でおかしいとは思ってた』
『いやでも、あの動きは反則だろw』
コメント欄では先ほどの戦闘について、さまざまな意見が飛び交っていた。中には、映像を見返そうとしている方もいるようだ。
『スロー再生しても分からなさそう』
『一瞬でキャラの位置を切り替えた演出じゃないの?』
『でも、飛びかかってきた魔物の動きは普通に続いてたぞ』
『こういう演出を生配信でやれるのがすごいんだよな……』
やはり地球の皆さんにとっては、剣の動きそのものよりも、映像がどのように見えたのかという部分が気になるらしい。
私としては、せっかく初めて戦闘をご紹介できたのだから、もう少し剣技を見ていただきたかった気持ちもある。けれど、相手が魔物である以上、安全に倒せるならそうした方がいいだろう。
「剣の扱いについては、また安全な場所でご紹介する機会を作りましょうか。実際の戦闘では、相手の動きに合わせて対処する必要がありますからね」
『それは見たい!』
『剣術講座やってほしいw』
『セレスちゃん、思ってた以上に英雄だった』
最後のコメントを見て、私は少しだけ頬を緩めた。
英雄、ですか。
長い間そう呼んでくださる方々がいることは知っているけれど、自分では、目の前にある問題へできるだけ対処してきただけのつもりだ。もちろん、その積み重ねが今の私につながっていることも分かっている。
地球の皆さんには、これからも少しずつ、私のことやエルセリアのことを知っていただければ嬉しいですね。
「さて、せっかくですから、魔物を倒した後のお仕事についても少しだけご紹介しましょうか」
私は岩牙狼の亡骸へ目を向けた。
魔物の討伐は、倒して終わりというわけではない。素材として利用できる部分があれば回収することもあるし、ほかの冒険者が危険な目に遭わないよう、遭遇した場所や種類をギルドへ報告することも大切だ。
「今回は調査の途中ですので、詳しい解体作業までは行いませんけれど、こうした魔物がどこにいたのかという情報も、ギルドにとっては大切なんですよ」
私は討伐した場所と魔物の種類を記録し、周囲にほかの危険がないことを確認した。撮影の方は、引き続き私と周囲の通路を中心にしている。亡骸の回収や処理については、帰還後にギルドへ報告しておけばよいだろう。
『なるほど、倒して終わりじゃないんだ』
『冒険者って本当に仕事なんだな』
『血とか映さないようにしてくれてるの助かる』
『それにしても、さっきの戦闘すごすぎたぞw』
「ふふっ。ありがとうございます。魔物の素材にも利用価値はありますけれど、そうした作業まで皆さんにお見せする必要はありませんからね」
私は笑顔でそう答えてから、改めて通路の奥へと視線を向けた。
「それでは、そろそろ先へ進みましょうか。今日の目的は、あくまでダンジョンの調査ですからね」
再び歩き始めてからも、コメント欄では先ほどの戦闘について話している方々がいるようだった。
けれど、私にはそれよりも気になっていることがあった。ダンジョンに入ったときから微かに感じていた魔力の流れが、奥へ進むにつれて少しずつ変化しているのだ。
◇ ◇ ◇
ダンジョンの内部では、場所によって魔力の濃さが異なることがある。それ自体は珍しい現象ではないし、魔力が集まりやすい場所が存在するのも普通のことだ。
ただ、ここで感じられる流れは、それとは少し違っていた。
もともと存在していた魔力の流れに、別の方向から力が加わっているような感覚がある。自然に魔力が集まっているというよりも、流れる方向そのものが変わっているように感じられるのだ。
「……なるほど。これは確かに、調べる必要がありそうですね」
『ん? 何か見つけた?』
『魔力の異常ってやつ?』
『セレスちゃんの雰囲気がちょっと変わった』
私は足を止め、近くの岩壁へ手を添えた。
石の向こう側にも、かすかな魔力の動きが感じられる。この程度の変化なら、普通の冒険者が気づくのは難しいかもしれない。魔術師であれば何かを感じ取れる可能性はあるけれど、詳しく調べるには相応の経験が必要だろう。
「ええ、少し魔力の流れが変わってきたんです。今のところ危険な状態ではありませんけれど、報告にあった異常と関係があるかもしれませんね」
『魔力って流れがあるのか』
『目には見えないの?』
『セレスちゃんには分かるんだ』
「魔力は、いつでも目に見えるとは限りませんよ。ただ、慣れてくると、どちらへ流れているのか、どこに集まっているのかといったことは、ある程度感じ取れるようになるんです」
そう説明しながら、私は小さな光を掌の上に浮かべてみせた。
先ほど照明に使った光球とは違い、こちらは周囲の魔力の影響を確かめるための簡単な術式だ。淡い光が指先で揺れ、その一部がゆっくりと通路の奥へ引かれていく。
「ほら、こちらへ向かって魔力が流れているのが分かりますか?」
『おお、光が動いた!』
『方位磁針みたいなもの?』
『こういう調査シーン好き』
「そうですね。魔力の流れを目で確認できるようにしているので、考え方としては少し似ているかもしれません。ただ、これは魔力に反応しているので、方角を示しているわけではないんですよ」
私は光を消し、再び歩き始めた。
この辺りからは、ギルドの地図にも注意事項が記されている。今回の異常が確認された区画へ続く通路については、一般の冒険者が不用意に近づかないよう、立ち入りが制限されているはずだ。
先遣隊の方々が無事に帰還できたのは幸いだったけれど、だからといって、同じ状況が続いているとは限らない。未知の場所を調べるときは、何が起こるか分からないという前提で行動することが大切なのだ。
それにしても、報告書にあった魔物のことが気になりますねぇ。
本来なら、もっと魔力濃度の高い場所に生息している種類だった。そうした魔物がこのダンジョンに現れたということは、何らかの理由で生息環境が変化したか、別の場所から入り込んできた可能性がある。
私はそんなことを考えながらさらに奥へ進み、やがて通路の先に少し広い空間を見つけた。
壁の一角には、ギルドによって設置された立ち入り制限の表示がある。その先へ続く道にも以前の探索で残された目印が見えるものの、今は人の気配がなかった。
「さて、ここから先が今回の調査対象に近い区域ですね」
私は立ち止まり、配信の視点を表示の方へ向けた。
「現在、この先はギルドによって一般の冒険者の立ち入りが制限されています。私は今回、正式な調査依頼を受けて許可をいただいていますので、ここから先も進めますけれど、普段の探索ではこうした決まりを守ることが大切なんですよ」
『立ち入り禁止区域きた』
『いよいよ本題か』
『さっきの戦闘より危険なの?』
『セレスちゃん一人で大丈夫なのかな』
「ありがとうございます。もちろん、慎重に調べるつもりですよ。先に探索された冒険者の方々も全員無事に帰還されていますから、まずは何が起きているのか、状況を確認しましょう」
私はそう答え、ギルドの地図を改めて確かめた。
問題の通路は、この先の分岐付近で見つかったと記されている。以前の地図には存在しなかった道が確認され、その近くで異常な魔力反応と強力な魔物が発見されたそうだ。
先遣隊の方々がそこで探索を打ち切ったのも、当然の判断だったと思う。
「では、少し奥を調べてみましょうか」
私は光球を先へ進ませ、立ち入り制限の区域へ足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
制限区域へ入ってから、通路の様子は少しずつ変わっていった。
壁の岩肌には比較的新しい傷が見え、床にも細かな石片が散らばっている。以前から存在していた亀裂もあるけれど、すべてが長い年月をかけて生じたものとは思えなかった。
それに、魔力の流れが先ほどよりもはっきりしてきた。
私は歩みを緩め、周囲を慎重に観察した。
ここまで進んでみても、異常な魔物の気配は感じられない。先遣隊が討伐した個体以外に、同じ種類の魔物が入り込んでいるかどうかは、まだ分からなかった。
ただ、それとは別に妙な感覚がある。
通路の奥へ向かって魔力が集まっているように感じられる一方で、その一部が不自然な方向へ逸れているのだ。
例えるなら、川の流れの途中に別の水路ができているようなものだろうか。もちろん、魔力の動きは水とは違うので、単純に同じものとして考えるわけにはいかない。
「……ふむ」
私は少しだけ首を傾げた。
このダンジョンのことは昔から知っているけれど、以前訪れたときには、こんな魔力の流れは感じなかったはずだ。長い年月の間に変化した可能性もあるものの、今回の報告と合わせて考えるなら、最近になって何かが起きたと見る方が自然だろう。
『セレスちゃん、何か考えてる?』
『いつもより真剣な顔してる』
『さっきまで観光案内だったのに、急に調査っぽくなった』
「ええ。少し気になることがありまして。まだ詳しいことは分かりませんけれど、普段とは違う魔力の動きが感じられるんです」
私はそう答えながら通路の先へ目を向け、皆さんにも分かるように言葉を続けた。
「ただ、今の段階で原因を決めつけるのはよくありませんね。実際に確認できたことを一つずつ整理していきましょう」
『調査員の鑑だ』
『急に研究者みたいになったw』
『セレスちゃん、魔法だけじゃなくて知識もすごそう』
そう言っていただけるのは嬉しいけれど、こうした調査は私にとっても楽しみの一つなのだ。知らないことを知るのは、いつだって面白い。
もっとも、今回は王国とギルドから正式に依頼を受けているのだから、興味だけで行動するわけにはいかない。まずは安全を確保し、何が起きているのかを確かめる必要がある。
そのとき、通路の先からかすかに冷たい風が吹いてきた。
私は足を止め、その流れを感じ取った。
周囲にはほかにも通路があるけれど、この風は地図に記されていない方向から流れてきているようだ。
「……あら?」
光球を少し前へ進ませると、通路の先に分岐が見えてきた。
右側には以前から存在している通路が続いており、壁には古い探索の目印が残っている。足元にも冒険者たちが通った跡があるので、こちらが普段利用されている道なのだろう。
一方、その反対側には、私の記憶にもギルドの古い地図にもない通路が口を開けていた。
周囲の岩壁と比べると、入り口の形が少し不自然だ。まるで、それまで一つにつながっていた壁の一部が後から開いたかのようにも見えるけれど、岩が崩れたような形跡はそれほど多くない。
「……ここですね」
『何か見つけた!?』
『新しい通路?』
『なんか雰囲気が違うぞ』
『ここから先が未探索エリアなのか』
「はい。報告にあった、地図に載っていない通路だと思います。以前こちらを訪れたときには、確かにこんな場所はありませんでしたね」
私は撮影の視点を調整し、入り口の全体を映し出した。
通路は大人が何人か並んで歩けるほどの幅があり、奥は光が届かないほど暗い。壁の表面には細かな筋が幾重にも走っているものの、それが自然にできたものなのか、何らかの力によって生じたものなのかは、まだ判断できなかった。
入り口のすぐ手前で足を止め、周囲の魔力を確かめてみる。
……やはり、ここからですね。
これまで感じていた不自然な魔力の流れが、この通路の奥へと続いている。しかも、単に魔力が集まっているというだけではなく、奥へ引き込まれる流れと、そこから押し戻されるような流れが、微妙に重なっているようだった。
私は入り口の岩壁へそっと手を伸ばし、ごくわずかな魔力を流してみた。
見た目も手触りも普通の岩壁と変わらない。ところが、流し込んだ魔力への反応は妙に不均一で、まるで岩壁の向こうに別の空間が薄く重なっているような……そんな不思議な感覚があった。
「……あら?」
思わず小さな声が漏れた。
今の感覚には、どこか覚えがある。
転移魔法を使うときにも、空間のつながりを確かめるために似たような感覚を探ることがあるのだけれど、だからといって、ここで同じ現象が起きているとは限らない。
単に魔力の流れが乱れているだけかもしれないし、私が知らない別の仕組みが働いている可能性もある。
もう少し詳しく調べてみないと、何とも言えませんね。
『セレスちゃん、何か見つけた?』
『さっきと反応が違うぞ』
『もしかして原因が分かった?』
私はコメント欄へ目を向け、小さく微笑んだ。
「まだ分かりませんよ。ただ、少し気になる反応がありましたので、詳しく確認してみようと思います」
今回の依頼では、詳しい調査結果は帰還後にギルドの方々に確認していただき、その上で公開することになっている。今の段階で確かなことも分からないまま、憶測を皆さんへお伝えするのは避けた方がよいだろう。
それにしても、もしこの感覚が私の知っている空間魔術と何か関係しているのだとしたら……。
いえ、今はまだ考えすぎですね。
「なるほど……。これは少し面白くなってきましたねぇ」
『面白いってw』
『何かヤバいものでもあるの?』
『セレスちゃんが興味持ち始めた』
『ここで何が起きてるんだ……』
「ふふっ。ご心配なく。今のところ、すぐに危険が迫っているような気配はありませんよ。もちろん、油断せずに調べますからね」
私はそう告げると、岩壁から手を離して通路の奥を見つめた。
薄暗い闇の向こうからは、これまでとは異なる魔力の気配が静かに伝わってくる。未知の通路に魔力の異常、そして本来なら生息していないはずの魔物。
何が原因なのかはまだ分からないけれど、ようやく今回の依頼の核心に近づいてきたようだ。
「さて、皆さん。ここからが今回の調査の本番ですよ」
私は剣の位置を確かめ、光球をゆっくりと通路の奥へ進ませた。
その先に何があるのか。それを確かめるために、私は未知の通路へと足を踏み出した。