騎士兎さん、毒娘の過剰摂取にはご注意を 作:たそ@ハーメルン
毒娘(ヴィシュカンニャ)。
毒から生まれ、毒を食み、毒で育った女の子。
甘い香りは毒の証。
けっして触れてはいけません。
――ひとたび触れれば、花も、鳥も、人さえも、死んでしまうのですから。
「……くっだらねぇ」
ローエンは鼻で笑い、絵本を閉じた。
そのまま目の前の本棚の隙間に、それを突っ込む。
少し触れた程度で人が死ぬのなら、世話はない。
家の主は裏へ出たまま、まだ戻らない。
退屈しのぎに噛んでいたミントのバブルガムは、そろそろ味が抜けはじめていた。
ローエンは本棚に並んだ背表紙へ、ゆっくりと視線を滑らせた。
薬草図鑑と論文集、そして今しがた戻した絵本。
どれも装丁は擦り切れ、色褪せた年月だけが積もっている。
「お待たせ」
背後で、裏口の戸が軋んだ。
振り返れば、腕いっぱいに薬草を抱えた少女が入ってくるところだった。
この家の主、ヴィシュカだ。
「雨が降ってきたら、せっかく干してたのが駄目になっちゃうところだった。教えてもらって助かったわぁ」
窓際へ歩み寄りながら、ヴィシュカは抱えた薬草を一房ずつ紐へ掛けていく。
紫の髪を二つにまとめた結び目で、黒いリボンが小さく揺れた。
背伸びをすると、黒いマントの裾が持ち上がり、腕の動きに合わせて金の飾りと青緑の神の目が西日をはじく。
尖った耳の縁だけが、薄桃色に透けて見えた。
「おせぇよ。客商売がなってねぇなあ」
「ごめんなさいね。いくつか風に飛ばされちゃってたの」
「だからもっときつく縛っとけって言ったろ。今度緩くなってるやつを見つけたら、俺が思い切り締めといてやろうか?」
「それじゃ薬草が千切れちゃうわよ。あなた、力が強いんだから」
ヴィシュカは呆れたように笑いながら、紐を指先で結び直していく。
低い梁には他にも乾燥途中の薬草が幾房も逆さに吊られ、窓際には摘んだばかりの葉が几帳面に並べられていた。
傾いた西日がその影を床へ長く落とし、乾いた青草の匂いと、煮詰めた花弁の甘苦さの間に、ふと冷たい鋼の匂いが忍び込む。
「さて。いつものお薬ね」
最後の薬草を留め終えたヴィシュカが、中央の作業台へ歩み寄った。
使い込まれた秤と空になった乳鉢の陰から、ヴィシュカが小さな硝子瓶を数本取り出し、作業台へ並べた。
瓶の首には、丸みを帯びた字で「ローエン」と記された札が結ばれていた。
ローエンがその一本を取り上げて窓の光へ透かすと、さらりとした液体が揺れ、底に沈んでいた薬草片が舞い上がった。
「今回の調合は何だ」
「遅効性の麻痺毒。前回より効きが遅い分、効果はテキメンよぉ」
「上等だ。傷薬は?」
「倍量用意したわ。ついでに苦さも倍増しておいてあげたから。超過使用で吐き気の副作用付き♪」
「面白ぇことするじゃねぇか」
「用法用量を守りなさいって言ってるの」
じとりと睨みつけるヴィシュカを知らん顔でやり過ごし、ローエンは瓶を懐へしまい込んだ。
ヴィシュカの薬は一級品だ。
手ずから調合されるそれらは数が限られ、市場にはまず出回らない。
だからこうやって、わざわざスメールまで足を運んで買い付けに来ているのだ。
「代金はここに置いておく。二週間後にまた来るから、同じもんを用意しといてくれ。じゃあな」
「もう帰るの?」
背を向けた途端、ヴィシュカが笑う気配がした。
「今日はずいぶん聞き分けがいいのねぇ、坊や」
「あん?」
「最近は、甘い匂いがしたら振り返っちゃダメ、なんて噂もあるけど――」
間延びした声が、背中を追ってくる。
「あなたなら、振り返るでしょう?」
足が、勝手に止まった。
「……珍しいじゃねぇか。お前がそんな露骨に誘ってくるなんて。なあ、お嬢さん」
「嫌?」
「まさか」
肩越しに振り返り、奥歯でガムを強く噛み潰す。
「乗ってやるよ。このままモンドに帰っても、書類仕事が待ってるだけだしな」
踵を返せば、離れていた花の香りが、再びローエンの呼吸の内側へ入り込んできた。
最初は、ヴィシュカの仕掛けが実戦で通用するか試すだけだった。
それがいつからか、奇妙なゲームに変わった。
彼女が身体に隠した毒と暗器を、ローエンが一つずつ見つけ、解いていく。
針、かんざし、匕首。
肩に触れただけで毒矢が飛んできたこともある。
昨日まで何もなかった場所が、今日は命取りになる。
「ルールは」
「いつも通りにしましょう。一つ、見つけた仕掛けは外していい」
細い人差し指が立つ。
「二つ、仕掛け以外は取っちゃダメ」
中指が続く。
「三つ。あたしが『ダメ』って言った場所は、探さない」
「いいぜ。十分だ」
ローエンは革手袋を締め直した。
向かいのヴィシュカも、いつもの黒い手袋を嵌めたままだ。
それを外した姿を、ローエンはまだ一度も見たことがない。
「数はいくつだ。前回は五つだったな」
「秘密。それも当ててごらんなさいな」
「へえ。新しいじゃねぇか」
「どこか一つでも手順を間違えたら、その指が床に転がることになるから」
「ハッ、そりゃ楽しみだ」
神経が研ぎ澄まされるほどに頭は冴え、肚の底でひっそりと熱が焚かれる。
見知らぬ仕掛け、見知らぬ手順。
一つ誤れば怪我を負い、最悪、死ぬ。
戦場で切っ先を突きつけられたときと同じだ。
こんな馬鹿げた遊びを本気で仕掛けてくるヤツを、他に知らない。
だからこそ、たまらない。
ヴィシュカは作業台の縁に腰掛け、面白そうに足を揺らした。
「まず、右手」
「あら」
右手首を掴んで引くと、ヴィシュカの腰が作業台から滑った。
足が床につくより早く背後から抱え込み、掴んだ手首を彼女の胸の前へ持ち上げる。
薄い肩甲骨の稜線が、服越しに押し当たった。
「また後ろから? 趣味が悪いこと」
「隙の多いほうから当たるのが道理だろ」
ミントと乾いた薬草、そのさらに奥にひそむ甘い匂いが、いつもよりずっと近くから立ちのぼる。
ローエンは、黒手袋に包まれた細い手首を、そっと持ち上げた。
「縫い目がいつもと違うな」
「いちいち思考を語るなんて、野暮ねぇ」
くすりと笑う気配。
振り向けば触れてしまいそうな距離で、後れ毛が揺れる。
「実戦経験の少ないお前が参考にできるよう、わざわざ口に出してやってんだよ。よーく聞いとけ」
骨は細く、その内側では脈が一定の律動を刻んでいる。
爪の先に糸を一本だけ引っかけると、不自然な張りが返ってくる。
縫い目の下には、きっと針が待っている。
「そこ、あと三ミリずれたら刺さるわよぉ」
「俺にか」
「あなたにも、あたしにも」
背中に回した腕の内側で、彼女の肩甲骨がわずかに強張るのが分かった。
ローエンは何も言わず、その小さな反応だけを記憶に刻む。
「相変わらず手癖が悪ぃな」
「褒め言葉として受け取っておくわねぇ♪」
縫い目には触れず、袖口の金具に指を這わせる。
小さな留め具を押し込むと、かちりと澄んだ音を立てて極細の金属筒が滑り落ちた。
先端には、青紫の液体がひとしずく滲んでいる。
「一つ」
「あら、早い」
「新しく仕込んだもんほど、お前は意識して隠す。分かりやすいんだよ」
「……そういうところ、ほんっと嫌」
「嘘つけ。声が笑ってんぞ」
「あなたもよぉ」
喉の奥で低く笑い、腕をわずかに引き上げる。
肩越しに顔を寄せれば、彼女の耳はもうすぐそこにあった。
マントを留める紫の宝石には、一本だけ異質な溝が走っている。
あからさまな誘いだった。
引けば、何かが起きる。
土台に指をかけ、留め具の噛み合わせを読み解こうとした、その刹那。
ぱちん。
仕掛けを捉えた手応えと同時に、銀のワイヤーが弾け、革手袋の甲を裂いて頬のすぐ横を掠めた。
あと少し身を寄せていたら、喉を裂かれていた。
「そう来るかよ」
「うふふっ」
ヴィシュカの声には、悪びれた響きはひとかけらもない。
「一つ解除したら、安心しちゃうでしょう? あなた、仕掛けを見つけた瞬間だけ、ほんの少し指が早くなるの」
ローエンは裂けた手袋を一瞥し、口の端を吊り上げた。
「嬉しそうねぇ」
「嬉しいぜ。もっとやれ」
裂けた革の下に赤い線が浮き、遅れて鋭い痛みが走る。
だが痛みよりも、脈が速さを増した実感のほうが強かった。
「あら、掠ったの?」
小さく振り返ったヴィシュカが、肩に乗ったローエンの手へ目を落とす。
黒手袋の指先がぴくりと動くが、伸ばしてはこなかった。
「何で毒を塗ってねぇんだ。これで仕留められただろ」
「だってあなた、どんどん耐性が高くなるんだもの。だから今回は、切れ味のほうを頑張ったの」
「俺専用かよ」
「そうよぉ。薬売りだもの。ちゃんとお客さんの身体のことを考えてるの」
「へえ」
客、ね。
便利な言葉だ。
傷へ伸びてこなかった指を記憶に留めながら、宝石の裏に残る安全な留め具を探り当て、スライドさせる。
小さな刃が一本、からんという硬質な音とともに作業台に転がった。
「これで二つ」
顔を背けたヴィシュカの髪の隙間から、尖った耳の縁がのぞく。
さっきよりも、色が濃い。
「お前、隠したい場所に俺が近づくと耳が赤くなるな。……ヴィシュカ」
あえて耳元で囁いてやる。
ヴィシュカの動きが、ぴたりと止まった。
「それは、初耳ねぇ」
「お前は口は上手いが、耳は嘘をつけねぇようだ。いい目印になるぜ」
鎖骨から肋骨へ、なだらかな曲線を辿っていく。
ここにはなさそうだ。
腰骨の上へ指を伸ばそうとした、まさにその瞬間――細い指が、手首を掴んだ。
腕力など大したことのない女の指が、骨まで軋むほどの強さで食い込んでいる。
「そこは、ダメ」
声から、遊びの気配が消えていた。
ローエンは腰へ伸ばしかけた手を即座に引いた。
「ほらよ」
「ずいぶん素直ねぇ」
「ダメなんだろ」
「そうだけど」
「なら触らねぇよ」
手を上へ滑らせる。
肋骨の下端を締めつける、革のベルトに触れた。
「ここは?」
「そこならいいわよぉ」
「なら遠慮なく」
「遠慮はして」
「注文が多いな」
掴んでいた手首を放し、両腕ごと背後から抱え込む。
肋骨の下へ掌を沿わせ、指に力を込めると、ヴィシュカが小さく息を漏らした。
「苦しいってば。もっとやさしくして」
「前も同じこと言ってたな」
「森での話? あたし、まだ許してないわよ。本当に痛かったんだからねぇ?」
「いつまでもよく覚えてんなァ」
藪蛇だったようなので、早々に会話を切る。
代わりに、力を少しだけ緩めてやった。
ベルトの裏側には、爪の先ほどの硬い塊が仕込まれている。
圧のかかり方が変われば、砕ける硝子容器だ。
無理に外せば、この狭い部屋いっぱいに毒が舞う。
「息、吐け」
「え?」
「全部だ。圧が抜けるまで」
ヴィシュカは何か言いかけたようだが、結局それを飲み込み、代わりに長く細い息を吐き出した。
腕の中で胸郭が沈む。
ベルトの張りが、わずかに緩んだ。
「そのまま止めろ。まだ吸うな」
留め具に指をかける。
一ミリ、さらに一ミリ。
ヴィシュカの指が作業台の縁を強く掴んでいるのが、視界の端に映った。
ここで息を吸えば割れると分かっていて、彼女は吸わない。
腕の中の身体は呼吸を止めたまま、じりじりと強張りを深めていく。
ちゃり、と留め具の外れる音がして、容器が手のひらに転がり落ちた。
「三つ目。吸っていいぜ」
深く呼吸を再開したヴィシュカの震えが、背骨を伝って胸元にまで届く。
一瞬だけ、薬草とも花ともつかない香りが鼻を掠めた。
甘い。
さっき閉じた絵本の一節が、不意に脳裏へ蘇る。
――甘い香りは毒の証。
「……ぞくぞくしちゃったわぁ。人に呼吸を任せるなんて、変な感じねぇ」
「次はもっと面倒なの仕込めよ」
「言ったわねぇ?」
ローエンは片腕でヴィシュカの身体を支えたまま、もう片方の手をいったん離した。
腰には触れず、太腿のガーターベルトへ指を下ろす。
「触るぞ」
「毎回訊くのねぇ」
「訊かずに触って刺されたら間抜けだろ」
「どうぞぉ?」
返事を聞いてから、ガーターベルトの下へ指を潜らせる。
柔らかな太腿に、ガーターが食い込んでいる。
手袋越しにも伝わる肌の熱のすぐそばに、薄い刃の背があった。
さらに奥には、小さな硝子瓶。
刃を引けば、その動きが瓶の留め具を押し込む仕組みだ。
趣味が悪いにも程がある。
「二つ重ねたな。刃を抜こうとしたら瓶が割れる」
ローエンは刃を避け、瓶の固定具へ爪をかけた。
周囲の音がすっと遠のき、衣擦れの音と、二人分の鼓動だけが部屋に取り残された。
その時、髪に何かが触れた。
黒手袋の指先が、こめかみの上へ、ためらうように浅く沈んでいる。
こいつから触ってくるのは、珍しい。
しかも今、この状況でとは。
「あなたの髪、意外と柔らかいのねぇ」
「……作業中は触んな。手元が狂う」
「あら、ごめんなさい」
指が、そっと離れていく。
ヴィシュカはそれきり何も言わなかった。
ここで引けば刃が指を裂くと承知したまま、ただじっと身を預けている。
きりきりといくらか仕掛けが軋んだ後、小瓶が外れた。
「四つ」
続けて一組になった二枚の刃を引き抜き、作業台へ投げる。
「五つ。……よく耐えたな。てっきり降参するかと思ったんだが」
「残念でした。仕込みはまだあるわよぉ?」
「知ってる」
ローエンは太腿から手を離し、彼女の髪へ視線を上げた。
紫の髪をまとめた団子の根元で、黒いリボンが小さく揺れていた。
ヴィシュカを腕の中に留めたまま、わずかに身を屈める。
耳のすぐ後ろへ顔を寄せると、結び目の芯に、見慣れない重みが一つ潜んでいるのに気づいた。
「……そこか」
「どこ?」
「動くな」
「はいはい」
さらに顔を寄せる。
あと僅かで、頬が触れる。
ヴィシュカの耳の縁が、深く色づいている。
西日の落ちた薄闇の部屋の中で、その鮮やかな赤だけが、ぽつりと灯っているように見えた。
結び目の内側には、黒い針が一本覗いていた。
引いても押しても作動する仕組みらしい。
手順を誤れば、自分の指か、彼女の頬を貫く。
ローエンは、爪の先を絹の輪へ差し入れた。
「あなた、息止めてるの?」
耳元に、囁きが落ちた。
吐息の混じった声が、ごく近くで小さく震えている。
「集中してんだよ」
「さっきはあたしに好き勝手したくせに。今度はあなたの番よぉ」
一瞬黙り、それから静かに息を吐き出す。
ミントの冷気を含んだ吐息が、彼女の後れ毛を一筋揺らした。
指先を動かし、針の先端を結び目からそっと逃がしながら、絹の輪をミリ単位で緩めていく。
最後の一巻きが、するりと解けた。
針を引き抜き、リボンごと掌に受け止める。
「六つ」
支えを失ったまとめ髪の片方が、ほどけた。
紫の髪が右肩から胸元へと、するりと重みを伴ってなだれ落ちる。
解かれてもなお緩やかな波を描くそれが、白い首筋を目立たせる。
手が、止まった。
数えきれない急所の在り処を、自分はとうに知り尽くしている。
殺すのも、撫でるのも、同じ指一本で事足りる距離だった。
「思ったより、簡単に解かれちゃったわねぇ」
ヴィシュカが、腕の中で笑っている。
肚の奥で燻っていた熱が、一段跳ね上がる。
「そっちの髪飾りは」
「ただのリボンよぉ。……外してみる?」
罠はない。
一瞬だけ、指が疼いた。
それでもローエンは笑って手を引いた。
「仕掛けのねぇリボンに用はねぇよ」
「あら。つまんない」
作業台には、袖の毒筒、宝石裏の刃、ベルトの硝子容器、太腿の小瓶と二枚の刃、そして髪飾りの黒い針が並んでいる。
掌には、ほどけたリボン。
外した仕掛けは六つ。
「これで全部だろ」
「本当に?」
「七つ目。腰だろ。お前がダメって言った場所」
ヴィシュカの顔から、笑みが消える。
「あの時だけ、声が笑ってなかった。それで十分だ」
「……取るの?」
「取らねぇよ。このゲームのルールだろ」
「律儀なこと」
ヴィシュカはじっとローエンの顔を見つめ、小首を傾げた。
「じゃあ、腰の中身を当てたら、次のときに『ダメ』を一つ減らしてあげようかしらぁ?」
「景品にすんな。減らすなら、お前が減らしたくなった時に、勝手に減らせ」
言葉を失ったように、ヴィシュカが黙り込む。
長い睫毛が伏せられ、また静かに持ち上がった。
ローエンは急かさない。
待つことと諦めることは、別物だ。
「……じゃあ、次に取っておくわ。うんと怖い仕掛けにしてあげるから、楽しみにしてて」
「最初からそうしとけ」
ヴィシュカはローエンの腕の中からするりと抜け出し、並んだ武器を慣れた手つきで一つずつ元の場所へ戻し始めた。
最後にローエンの掌からリボンを受け取り、ポケットへ滑り込ませる。
片側だけほどけたままの髪を、直そうともしない。
露わになった首筋も、そのままだった。
ローエンは、それをただ眺めているだけにした。
今は、まだ。
「そうだ。今回あげた薬、今一口飲んでみない?」
「今かよ」
「効き目の確認よぉ」
ローエンは懐から硝子瓶を取り出し、栓を歯で引き抜いて一気に半分をあおった。
舌の奥がひりつき、喉が焼ける。
荒々しい苦味の底から、やがて何かがゆっくりと浮かび上がってきた。
蜜にも似た、ほのかな甘さだ。
「……甘ぇ」
「でしょう? 手足が痺れるのはこれからよぉ。甘いからって、油断しちゃだめよぉ?」
「ハッ……いいじゃねぇか。効いてくるのが楽しみだ」
「ほんっと、変な子ねぇ」
ローエンは瓶に栓をして懐へ収め、戸口へ向かう。
「ねぇ、ローエン」
背中に声がかかる。
「あなたの『ダメ』も、一つ貰っておくわね。作業中は、髪に触らない」
「勝手にしろ」
背後で笑う気配を残し、ローエンは扉を開けて外へ出た。
途端、細かな雨が頬を打った。
冷たい雫が首筋を伝い、襟の内側へと滑り込んでいく。
革手袋の指を握り、開く。
遅れてきた痺れが、指先にじわりと広がっていた。
それでも、革一枚隔てて触れた彼女の体温は、まだ焼きついている。
――ひとたび触れれば、花も、鳥も、人さえも、死んでしまうのですから。
「くだらねぇ」
喉の奥から、苦味の底に沈んだ甘さが滲みだす。
油断しているのはどっちだ。
こんなヤツに身を任せて、自分が何を曝け出しているのかさえ、あいつはまだ気づいていない。
次も、とびきり性格の悪い罠を用意するだろう。
何度でも来てやる。
何度でも暴いて、何度でも欲しがってやる。
あの毒花を、食い尽くすまで。