騎士兎さん、毒娘の過剰摂取にはご注意を   作:たそ@ハーメルン

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据え膳、毒入りにつき

――二週間後。

 

「三つ目」

 

かちり、と小さな音を立てて、右袖の裏から外れた金具が、ローエンの掌に落ちた。

バネの向きを確かめてから、作業台の上に放る。

台の上には、戦果が三つ。

袖口の針、髪飾りの毒筒、それから今外した金具だ。

 

「……ずいぶん簡単に外すようになっちゃったわねぇ」

 

ヴィシュカはそうぼやいて、スツールに腰かけたまま足を組みなおした。

黒手袋の指先を下唇に押し当てているのは、考え事をするときの癖だ。

押された縁だけが、まだ熟れきらない果実の皮のように、うっすらと赤みを帯びている。

無防備になった右の手首は、まだローエンの手の中にあった。

窓から斜めに差す光の中を、乾いた薬草の粉がゆっくり漂っていた。

 

「そう何度も同じ手を食らうか。人間、学習する生き物なんだよ」

 

そう言いながら黒手袋の縁をぐるりとなぞると、ヴィシュカはくすぐったそうに笑った。

以前は、ここまで近づくだけでもずいぶん苦労したものだ。

 

(それが今じゃ、このザマだ)

 

こんなイカれたゲームに興じて、こんな男に好き勝手身体を探らせて。

一度、この女の辞書で、「警戒」の項を引いてみたい。

載っていれば、の話だが。

 

「あとは左腕だな」

「どうかしらぁ」

「右にあれだけ詰めといて、左が空ってことはねぇだろ」

「そう思うなら、試してみたらぁ?」

 

ローエンが右手首を放すと、ヴィシュカは唇から指を離し、左腕を差し出した。

彼女が首を傾けると、絹糸のような髪が肩を滑り落ちていく。

 

ローエンは左腕へ視線を戻した。

なだらかな肩から腕を辿り、手首を取る。

布を挟んでも、骨の感触が指先へ伝わってきた。

花茎のように、細いのに折れる気配がない。

 

(今は、仕掛けの時間だ)

 

指先を飾り紐の端へ移した。

普段ならしなって逃げる布が、今日は押し返してきた。

 

「袖の紐、右より二センチ短ぇな」

 

わざと引かせる気か。

ローエンは紐を放し、根元の留め具を捻った。

ぱちん。

黒い布の隙間から薄い金属片が跳ね出したが、鼻先に届く前に、二本の指で挟んで止めた。

 

「四つ目」

「あーあ。自信あったのにぃ」

「脇が甘かったな」

 

鼻で笑って金属片を台に置いたところで、ローエンは手を止めた。

いつもなら次の隠し場所を気にする女が、今日は妙に落ち着いている。

それでいて、ひどく楽しそうだ。

 

「……これで終わり、って顔じゃねぇな」

「そうかしらぁ?」

「隠し場所を気にしてねぇ」

「ふふっ」

 

袖も髪も襟も、調べ尽くした。

腰はまだ「ダメ」のままだ。勘定には入れねぇ。

となれば、まだ触れたことのない場所は――。

 

「あと一つ、どこに隠した?」

 

見上げてくるシアンブルーの目が、愉悦を孕んで細くなる。

スツールが軋んで、ヴィシュカが身を起こした。

黒手袋の指がローエンの襟を掴み、ぐいと引き寄せた。

上体が前へ折れる。

頬を掠めた髪から、夜に咲く花の甘すぎる香りが立つ。

目の前には、伏せられた睫毛があった。

 

罠だ。

 

身を引くか、肩を押さえるか。

判断が形になるより先に――口を塞がれた。

 

「んっ……」

 

息が、飲み込まれる。

押し当てられた唇が、触れているうちに輪郭を失っていく。

 

(武器じゃ、ない)

 

針とも、刃物とも、金具とも違う。

もっと柔らかくて、もっと熱い。

思っていたより、ずっと。

――思っていた?

いつ。

 

離れ際、ヴィシュカの唇がローエンの下唇の端をひと撫でしていった。

襟を掴んでいた指が、そこでようやく緩む。

ローエンの手が彼女の肩へ伸びたのは、そのあとだった。

 

「お前……」

 

その先は、舌先に走った刺激に遮られた。

びり、と痛みにも似た痺れが口内に広がる。

 

「残念でした。今日の最後の仕掛けは、ここよぉ♪」

 

ヴィシュカは指先で口元をとんと叩き、赤い舌をちらりと覗かせる。

紅を引かない唇が、わずかに濡れて光っていた。

 

「ヴィシュカ。今、自分が何したか分かってんのか」

「もちろんよぉ。毒を仕込んだの。とっても強い、猛毒」

「嘘つけ。ただ辛ぇだけじゃねぇか」

「あら、ばれちゃった? 慌てると思ったのに」

「……それだけか」

「それだけ、って?」

 

ヴィシュカの返答に、思わず深いため息が漏れる。

ローエンは天井の梁を見上げた。

逆さに吊られた薬草の房を、端から数える。

十一まで数えたところで、笑いがこみ上げてきた。

薬草なら、ちゃんと数えられるのに。

 

「ハッ。いい。勝ちは勝ちだ、認めてやる」

「当然よぉ」

 

痺れの残る舌で、口の中を一巡する。

 

「ところでだ」

「なぁに?」

「口に仕込むってんなら、次からその小せぇ口ん中も調べさせてもらうが。それでいいんだな?」

「あら、気に入ったのぉ? 上等よ」

 

彼女は、濡れた唇を見せつけるように薄く開いた。

こっちが何を考えてるかなんて、分かってもないくせに。

 

「じゃあ、まずは、これ以上仕込んでねぇか調べねぇとな」

 

三つ数えたら、離す。

検査には、それで足りる。

ヴィシュカの顎に指をかけ、もう片方の手を襟足へ回す。

見た目より重い髪が、指の間へ沈む。

睫毛が持ち上がり、シアンブルーの目がゆっくりと見開かれる。

 

「『ダメ』なら刺せよ。ヴィシュカ」

 

彼女の小さな頭を引き寄せ、唇を重ねた。

 

「な、ん、っ……」

 

一つ。

舌先で、下唇の筋をなぞる。

絡んだ糸を解くように、真一文字だった彼女の唇がほどけた。

黒手袋の指がローエンの前腕を掴み、革と革が擦れて、小さく軋む。

 

二つ。

舌を進める。

歯列の裏を辿り、上顎の奥にある柔らかな襞を撫でた。

袖を握る指に、少しずつ、力がこもっていく。

 

「……んっ、ぅ……ぁ……」

 

ヴィシュカの声が、さっきより長く、細く、尾を引いた。

喉が、こくりと動く。

舌の裏は、仕込みの定番だ。

そこへ舌先を滑り込ませた。

彼女の舌は、逃げなかった。

最初は強張っていたが、おずおずと、しかし確かに、こちらの舌をなぞり返してきた。

革の掌の下で、後頭部がじわりと熱を持つ。

鈍った舌では味は拾えないのに、熱だけは、どこまでも正確に伝わった。

 

数えるのは、やめた。

探りやすいように、とでも言うように、彼女の顔が傾いた。

角度が合う。

合ってしまう。

 

「……ロー、エン……」

 

離れるまでに、少しかかった。

唇の間に、細い息だけが残る。

ヴィシュカの唇は、さっきまでの淡さが嘘のように、濃く色づいていた。

 

「仕掛け、見つかったぁ?」

 

息が、まだ整っていない。

語尾だけが、いつもの調子に戻りかけている。

 

「何もねぇな」

「当たり前でしょう。口の中に、三つも四つも仕掛けられないわよぉ」

 

ローエンは襟足から手を離し、顎を支えていた指の力を緩めた。

親指で顎の線を一度なぞり、そっと離す。

 

「ねぇ。そういえば、さっきの辛み、どのくらい辛かった?」

「大したことなかった」

「本当? やせ我慢してない?」

「これがしてる顔に見えんのか?」

「……見えないわねぇ」

 

ヴィシュカは唇の端に指を当て、小さく唸った。

そこは、さっきローエンの唇がかすめていった場所だった。

 

「あんなに辛かったのに……」

「俺は辛いのは得意なんだ。残念だったな、お嬢さん」

「なによ、実際に勝ったじゃないのよぉ!」

「ハハハッ。そうだったな」

 

ヴィシュカが作業台へ顔を向けたところで、ローエンは訊いた。

 

「こういうの、俺以外にもやってねぇだろうな」

「こういうの?」

「他人に仕掛けを解かせるの」

「ふふっ。馬鹿ねぇ」

 

ヴィシュカは心底愉快そうに笑った。

 

「あなただけに決まってるじゃない。他の人にやったら、死んじゃうもの」

 

即答だった。

思わず口元が緩む。

 

「あなたは頑丈だから、いろいろ試せて助かるわぁ」

「そりゃ光栄だ」

 

ローエンは、まだ痺れの残る口元を親指で拭った。

帰り際、ヴィシュカはいつもの瓶を作業台へ並べた。

ローエンが代金を置くと、彼女は最後の一本だけ台に置かず、掌へ直接載せてきた。

硝子は少しぬるく、瓶を渡し終えたあとも、黒手袋の指先が一瞬だけローエンの掌に留まっていた。

革越しの一秒だった。

さっきまでは、それで足りていた。

 

「二週間後ね」

「ああ。次は辛みじゃなくて、本物の毒を仕込んどけよ」

「あら。言ったこと、後悔しないでねぇ?」

 

ヴィシュカの言葉を背に、ローエンは戸口を抜けた。

舌で口の中をぐるりと検分する。

辛さは、とうに引いている。

痺れも、ほとんど抜けた。

 

(もっと後を引くかと思ったが……)

 

効き目が切れてから腹が減る。

つくづく、タチが悪い女だ。

ローエンはひとり笑って、歩き出した。

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