蘇枋と金星人の話 | もろもろ捏造
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2025年6月15日ウェブサイトにて発表
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第1話

「オレ、宇宙人なんだ」

 

 男はいつもの通り、毒にも薬にもならないような、つまり、唾棄されてしかるべきつまらないことを言い出す。壁に描かれた落書きを塗りつぶすという単調作業に飽きたのだろう。脳からではなく口から出た言葉というようだった。「またそんなことを」。隣で同じようにペンキをローラーで塗りつける金髪の男が困ったように笑っている。彼らと同じ学生服を身につけ作業に従事しているほかの男たちは返事さえしない。宇宙人を名乗る男は返事がないことに気をかけていない様子で、またペンキ缶にローラーを突っ込む。男たちは無法者によって落書きが施された外壁を綺麗に塗り直すという慈善作業に勤しんでいた。

 

「さっきのってホント?」

 

 落書きされた壁の修復が完了し、その壁の持ち主である酒屋から労いの飲食物が振る舞われる。店主の高齢男性が菓子を、その孫らしき女が缶ジュースを配っている。缶ジュースを配る女が、いかにも人の目をはばかっている様子で自称宇宙人の男に尋ねる。男は是とも否とも答えず、微笑んで返す。しかし女はその微笑みを是ととらえたようで、小さく頷いた。

 

「私も」

 

 配られた菓子のどれを自分の取り分にするかで揉めている他の学生たちの賑やかな声が、白く塗りつぶされたばかりのまだ湿度に光る壁に反響している。その中で、男と女は対峙し、互いの姿を交感する。

 

「私、実は金星人なの。あなたは?」

 

 キョロキョロと辺りをうかがいながら、女は男にだけ聞こえるように小さな声で言う。酒屋の脇に並んだビールケースを椅子代わりに、商店街のメインストリートをのぞむ横丁でしばしの休憩を満喫している学生たちには女の言葉は届いていないようで、まさかこの場に宇宙人がもう一人いたという信じがたい状況に驚く様子はなかった。とはいえ、たとえ届いていたとして、あまりに信じがたいために信じる者もいなかったかもしれない。一人目の宇宙人を除いて。

 

「奇遇だね、オレも金星人だ」

 

 答えを聞いて、女の目が見開かれる。その目はひどく澄んでいた。夜空の結晶のように純粋の黒とそこに散らばる星。

 

「やっぱり」

「やっぱり?」

「初めて会う気がしなかった」

 

 使い古された口説き文句のような言葉だったが、女が発したそれはあまりにも自然だった。表情に何のてらいも見えない。今度は男が小さく頷く。

 

「金星人同士だからね。こうして対面することで、互いの内面が互いの中に映り出したんだ」

「内面? 私の内面があなたには見えるの?」

 

 女から手渡された缶ジュースのプルタブを開けて、男はひとくち飲む。缶の匂いが染み付いたオレンジジュースが男の声に金属的な響きを与える。金星人の声が同郷人へ届く。金色に光るあの星の面影が横切る。

 

「そう、たとえば。アレが現れるのを待ち望んでいる、キミは」

「……あなたも」

「ほらね」

 

 アレが現れる場所と時間を知っている。男は女に伝えた。きっとその場所にその時間に。二人は盟約を結ぶ。女は酒屋の薄暗い店奥に姿を消した。男は他の学生たちとともにペンキ缶や用具を片付け、壁の前から去った。

 

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 男の指定した時刻は夕方だった。上空から暗幕がゆるゆるとおろされるころ。地が燎原の如く燃えるころ。西の空に故郷の星が燦然と輝くころ。

 

「人間たちの血みどろの闘争の跡に、今は平和なボウフウリン。いかにもアレが現れそうってわけだ」

 

 アレを待ちながら二人は言葉少なに会話を重ねた。放課後の誰もいない校舎だ。男の通う学校の屋上の端。この学校は古くから不良生徒が集まっている場所として有名で、その噂に違わず、校舎も屋上も酒屋の壁にあったような落書きが所狭しと並び、割られた窓ガラス、壊された机などが散乱していた。学外の人間が足を踏み入れることへの躊躇をまるで見せない女は男に誘われるまま、人目につかない裏門から敷地に入り、特別教室や空き教室しかない棟の出入口をくぐった。こんな低質で世俗的な香りの充満する場所に、果たしてアレがやってくるのかなどの疑問を抱きもしない。なぜなら同郷人が案内に立っているからだ。住宅街のため背の低い建物ばかりのこの辺りを一望できる高さがある校舎の屋上からは遠くまで空が見渡せた。

 

「この内側に故郷の風景を見ることがあるんだ」

 

 男は自分の右目の黒い覆いを指差した。女は興味深そうにその覆いを見つめる。現前の風景と遠い空に浮かぶ故郷の風景がそれぞれの目に浮かび、重なり合う様に思いを馳せる。

 

「金星の世界はどう?」

「ご存じの通りだよ」

 

 お互いの内面を共有し合っているのだから聞くまでもないだろう。と言外にたくし、男は言葉を継ぐのをやめた。女は男の見た世界が自分にも見えるものかと右手で右目を覆ってみる。かざされたその右手に赤黒いものがついているのを男は見た。

 

「それ」

「あ、これ。さっきママの彼氏に襲われそうになって。ボールペンで刺して逃げてきたの。その時についたんだ」

 

 先日の酒屋は女の母方の実家で、時折手伝いとして女は酒屋を訪れていた。母親はその昔、この女を身籠ったことを起因に駆け落ち同然で家を出ており、その後、父親にあたる人間は失踪、娘と孫を見捨てられない実家の援助を受けながら、女は町の片隅で母親と二人暮らしをしているとのことだった。女の母親は恋多き人物、つまり身持ちの悪い人物で、彼氏と称する男たちが変わるがわる彼女たち二人暮らしの家に出入りしており、こうして女の身に危険が迫ることは珍しくないことだった。今日は反撃が成功して無事ここまで辿り着くことができた。女は得意げに微笑んだ。少し曲げられた目の奥の宇宙が歪む。「私の血じゃないから安心して」。

 

「踊ろう」

 

 女が立ち上がる。女は高校生で、学生服を着ている。学生服のスカートがひるがえる。あらわになった白い腿を沈みかけた夕日が赤く舐める。

 

「踊る?」

「UFOを呼ぶダンス」

 

 女は携帯電話を操作する。内蔵スピーカーからホルストが流れ出す。男の手を引き、女は屋上に並べられていた机の上に乗る。ホルンと木管の音に合わせてゆっくりと回り始める。机がギシギシと鳴く。踊る女の髪が弧を描く。鳴り始めた夕方を知らせる町のチャイムが男には邪魔だったが、女は気にとめていないようだった。ただ回っていた。橙色に染まった机を踏みつけて。夢中だった。夢中になっていた女は机から落ちた。男は落ちる女の手を繋ぎ止められなかった。地に堕ちた女は暮れゆく宵の空をぼう然と見上げている。濃紺から朱へのグラデーションに独奏のバイオリンが高らかに響いている。

 

「大丈夫?」

「うん」

 

 机から落ちた女はどこかに傷を負ったのか額に血を流している。その血を拭うこともなく、女は立ち上がり、差し出された男の手を使って机に登り直す。机の上から一際明るい一等星を睨んでたちすくむ。男はポケットを探りハンカチを探りあて、女に差し出そうとする。これで血を拭うと良い。差し出したハンカチは吹さらしの屋上の風に煽られ、小鳥のようにパタパタと音を立てる。命を得たそれが空へ羽ばたくかわりに、女の体が地から離れようとしていた。

 

「何してるの」

「究極の革命」

 

 机に登れば屋上のフェンスは簡単に乗り越えられる高さだった。女の白い足はフェンスの上部を軽々ととらえ、踏み切ればすぐに空中に交わるだろう。しかし、男の手がそれを阻んだ。代わりにハンカチが飛び立つ。一片の布切れはあっという間に空へ巻き上げられ姿が見えなくなった。宇宙へ吸い込まれるそれに羨望の眼差しを惜しまない女は、自分の昇天を妨げる男の手を振り払おうとする。男は離さない。強く引いて、女を机の上へ引き戻す。パ・ド・ドゥを踊る二人のように、しなる女の体を男が支える。のけぞる女の首にもはや日の沈んだ青白い空が写り込む。

 

「宇宙は反対側だよ」

 

  今度は男が主導してダンスが再開される。惑星は巡り、軽快なスケルツォ。堂々巡りのような複調が重なる。

 

「だって、現れないじゃない。アレは。私のもとに。故郷から拒絶されてるんだ、きっと。だから、この際、亡霊宇宙でもいいの。金星人同士なら分かる? 孤独のない、自他の境界のない金星が私たちの故郷だとして、あなたは私のこの気持ちも分かるの?」

 

 囀り続ける木管と弦楽器のリズムにそそのかされるように、二人は回り続ける。回転のたび、喘ぐように女の言葉が継ぎ足される。音をとらえているのか、女の言葉に寄り添っているのか、男は回りながら何度か頷くような動きを見せる。

 

「わかる、わかるよ」

「嘘ばっかり」

「どれが?」

「全部」

「嘘つきが嘘つきを認めたらそれは正直者なのかな」

「裏切り者」

 

 水星が終わったところで女は再生停止ボタンを押す。机の上に座り込む二人は、女が持ってきた缶ジュースのプルタブを開ける。金属の味のするオレンジジュースは二人に故郷の香りを思い出させる。落ち着きを取り戻した二人は天体の動きに身を委ねている。優勢になっていく闇に絶望と希望が覆い隠されていくのを、澄んだ瞳で見つめている。そこへ。まだ裾の明るい空で光る金星の前を白い物体が横切った。女は跳ね起きてフェンスの網に飛びついた。動けないでいる男の存在は除却されていた。

 

「連れてって。金星に。この星から連れ出して」

 

 網の向こうで自由に飛び回る白い物体に女は呟いた。男はその物体が果たして女の血を拭うことができたのか判別がつかないでいた。

 

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参考にしたものたち

・三島由紀夫「美しい星」

・ポップしなないで「UFOを呼ぶダンス」

・ホルスト「惑星」


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